マイニチ

 目が覚めると、俺はソファーの上で寝ていた。

 そういえば昨日はクリスマスでミカと一緒に過ごしているうちに寝てしまったような……。

 でも肝心のミカはといえば、昨日確かに俺の腕の中で一緒に寝ていたはずなのにどこにもいない。また勝手に書斎にでも入ったのだろうか。それともソファーが寒くて布団に行ったか?どちらにせよ、時刻はもうすぐ昼を回ろうとしている。もしかしたらお腹を空かせているかもしれない。

 固くなってしまった体をどうにか起き上がらせて書斎に向かった。が、そこにミカの姿はなかった。続いて寝室にも行ってみたがそこにもいない。これは一体どういうことなんだろう。

「ミカ?」

 呼んでも当然返事はなく、俺は呆然とするしかなかった。もしかしたら外にいるのかもしれないとベランダにも出てみたが、そこには空の蜜柑箱が置いてあるだけだった。

 理由は分からないが、ミカはその日から忽然と姿を消してしまった。 



 ミカを拾ったのは、丁度一年くらい前のことだ。家の近くにあるゴミ捨て場の角に、ダンボールの中で小さく丸まった猫がいた。それが、ミカだった。

 どこからやってきたのか分からないが、力なく此方を見つめてくる青い瞳が、まるで泣いているように見えたのだ。

 俺はその頃、大事な妻を亡くしたばかりでとてもじゃないけれど精神的な余裕などはなかった。今でも彼女のことを思い出す度に胸の奥が苦しくなるくらいだ。

 けれど何故だか、その猫のことがどうしても放っておけなかった。丸まった背中から、俺と同じ悲しみが伝わってきたからかもしれない。

 ダンボールを引き寄せて「家は?どこから来たんだ?」となるべく優しい声で問いかける。頭を撫でると、猫は小さな声で「にぃ」と鳴いた。俺の手にスリスリと頬を寄せ、まるで命乞いでもしているかのように、何度も何度も「にぃ」と鳴き続けた。

 こんなに小さな命でさえ〝死〟という身近な存在に必死で抗っている。か弱いその命を俺に託してくれているのだ。そう思うと、益々俺には放っておけなくなってしまった。

「おまえ、俺の家にくるか?」

 抱き上げて問い掛けると、猫はさっきよりも少しだけ高い声で「にゃー」と鳴いた。まるで俺の言葉が通じているようだった。


 家に着いてまず俺は猫を風呂に入れた。実家でも動物を飼ったことがなかったのでスマホを頼りに調べながらどうにかして済ませ、今度はご飯をあげた。コンビニで適当な猫用のペットフードを買ったから口に合っていたかは分からない。けれど何だか嬉しそうに食べていたからきっと気に入ったんだと思う。

「猫……じゃなくて、何か名前つけようか」

「にゃー」

「んー、何がいいかな……」

 ペットにつける名前なんて分からないしどうしたものかと思い悩んでいたら、ふとベランダにあるダンボール(猫が入っていたものだが、気に入っていたようなので持ってきた)に目がついた。

「蜜柑……ミカ、てのはどうだ?」

 我ながら名案だと思い振り向くと、猫も嬉しそうに跳び跳ねていた。

「そっかそっか、気に入ったか!」

「にゃー」

 頭を撫でると、ミカがまた嬉しそうに鳴いた。


 その日から俺の毎日は少しずつ変わっていった。ミカが寝るための場所やご飯、トイレの管理、サボっていた掃除も、ミカがホコリの上を歩いたりしたら大変だからと、休みの日になればこまめにやるようになった。

 書斎の中は物がごちゃついていて危ないのでミカには近寄らないように言った。ドアもきちんと閉じるようになった。仕事に行く前にはいつもミカが見送ってくれるようになった。

 妻の死という、俺にとって最大の悲しみから救いだしてくれたのがミカという存在だった。

 けれど、ミカと暮らしだしてから初めての秋を迎えた頃から様子が少しずつおかしくなっていった。日中も夜も隙があればよく眠るようになり、動きはいつも気だるげで、食事もあまりとらなくなった。変化は歴然としたものだった。それなのに俺はミカがこうしていなくなってしまうまで気がつかなかったのだ。

 猫は死の直前になると姿を隠す、というのをどこかで聞いたことがある。ミカはもしかしたらもう……。


 ベランダの柵にもたれ掛かり、力なく項垂れた。もう二度と会えないのかと思うだけで、どうしようもない虚しさが襲ってくる。

 どうしてもっと早く気づいてやれなかったんだろう。どうして一人にしてしまったんだろう。俺じゃ何の力になってあげることもできなかったんだろうか?

 こうしてミカがいなくなってしまった今、何を思ったところでもう遅い。自分にとって大切な存在を俺は二度も失くしてしまったんだ……。

 諦めかけた俺の耳に「にぃ」という、少し低い鳴き声が聞こえた。ミカが帰ってきたのかと思い勢い良く振り向くと、そこには近所の飼い猫であるゴロがいた。

 ゴロはよく、俺の部屋のベランダに侵入しては日向ぼっこをしてふらっと姿を消してしまう。ミカと知り合ってからはよく一緒に遊んでいたようだった。

 期待しかけた心がまた萎み、俺は情けなくその場にうずくまった。

「ゴロ……ミカがさ、いなくなっちゃったよ」

「………」

「おまえも寂しいか?」

 俺の目をじっと見たままゴロはまた低く「にぃ」と鳴いた。

「ミカ……」

 名前を呼んでも帰ってはこない。分かっていても、寂しさは込み上げてくる。

 じっと立ち竦んでいたゴロを抱き上げその頬にすり寄ると、ゴロが「にゃー」と鳴いて一瞬の隙に俺の腕から出ていった。

 身軽な動きで柵の上まで登り、器用に座ったゴロは「にゃー、にゃー」とまるでミカのことを呼ぶように外へ向かって何度も鳴きだした。

 その姿が俺には泣いているように見えた。


fin.

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泡沫の夜に願うこと 夏目 晃 @kou-hikaru

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