フユノヒ

 懐かしい夢を見ていた。木漏れ日の向こうで、大切なあの人が私に向かって大きく手を降る。真っ白なワンピースを靡かせながら、満面の笑みを浮かべた。

 もう二度と会うことはないと思っていたのに、どうやら彼女は待ってくれているようだった。

『はやくおいでよ』

 そう言われて私は思わず足を踏み出そうとして、やっぱりやめた。今すぐ駆け出してしまいたい衝動に駆られたけれど、こんな時ですら私は優を思い出してしまうのだ。私にはまだやり残したことがある。だから……。

「もう少しだけ待ってて、そのうちすぐにそっちへ行くからさ。その時は気が済むまで傍にいてあげる」

 私がそう言うと、彼女は少しだけ寂しそうに笑って頷いた。私も小さく頷き返してから彼女に背を向けた。



 おもむろに目を開けるとすぐ近くに優がいた。ソファーで寝こけていた私の顔を覗き込むように優のタレ目がこちらを真っ直ぐに見ている。

「おはよう、ミカ」

「おはよ」

 ぐっと伸びをして大きな欠伸をすると優の大きな手が私の頭を撫でた。

「ミカ、外で雪降ってるよ」

 優が子供みたいな無邪気な声で言った。窓に視線を向けると優が言った通りに雪が降っていた。

 そう言えば今日は12月25日だっけ。こういうの、何て言うんだったっけな。

「ホワイトクリスマスだよ、ミカ」

 まるで私の頭の中を覗いていたかのような発言に思わずドキリとする。

 そうか、ホワイトクリスマスって言うのか。確か去年もそうだった気がするな。優と初めて会った日から、もう一年経ったんだ。あっという間すぎて、懐かしいようなそうでもないような。

「ミカも起きたことだしそろそろ始めようかな」

「なにを?」

 私の質問に対する答えはないまま、優が黙々と何かの準備を始めた。机の上には豪華な料理たちと、中心には小さなホールケーキが置かれていた。生クリームがたっぷりで、真ん中に美味しそうな苺が飾られたそれを見て私はクリスマスケーキでも準備したのかな、と思ったけれど違った。苺の上に置かれたチョコのプレートには「誕生日おめでとう」という文字が書かれていたのだ。

 優がいつのまにか書斎にあった写真立てをリビングテーブルにそっと置いていた。ああ、これは彼女のためのものだったんだ。私はすぐに理解した。

 分かっていたはずのことなのに落ち込んでしまう自分がいた。

「そうだ、ミカにプレゼント用意したんだ」

 優が声を弾ませる。ソファーの横に転がっていた紙袋をしばらくゴソゴソと漁っていたかと思ったら、不意にこちらを振り向いて私の傍までやってきた。

「ちょっとだけ大人しくしとけよ?」

 言われた通りにじっとしていると、やがて首元にふわりとした何かが巻き付けられた。

「やっぱりよく似合う、かわいい」

 優が嬉しそうに笑う。巻き付けられたそれはマフラーだった。

 予想もしていなかった出来事にお礼を言うことも忘れていた。優から貰ったそれはとても温かくて、優しくて、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。

「ずるい……」

 こんなことされたらもっともっと優のこと好きになっちゃう。優には私なんかよりずっと大事な人がいるのに。それなのに、こんな風に優しくして、優はとってもずるい奴だ。

 私にはもう時間がないのに、それでもまだここにしがみついていたくなってしまう。これからもずっとこのままでいたいと、そう思ってしまう……。

 溢れそうになった涙を押し込めて、優を見た。初めて見たあの日と一緒の、とても優しい笑顔だった。私はその笑顔が大好きだ。だからきっと忘れない。優といた時間のこと、その全てを。そう思ったら不思議と寂しくはなかった。

 けれど、私にまだ少しのワガママが許されるのだとしたら、優にもゴロちゃんにも私のことを覚えていてほしい。どこにいても何をしてても、ずっとじゃなくていいから。ほんの片隅に私という存在がいられるのだとしたら、それはとても幸せなことだと思う。あの人が私にそう望んだように。


「ミカ、お腹空いたろ?」

 優が私の分のご飯を用意しながら尋ねてきた。

 日々は続く。優にとっても今日という1日は毎日の中の1つでしかない。だから私もそんな当たり前が崩れてしまわないように、いつもの調子で頷く。

 そうして、最後の1日は過ぎていった。

 私はその日の夜、大好きなこの家を出て行った。



 去年も歩いた、雪が降る道を今度は一人で歩いていた。

 結局、優には何にも返すことはできなかった。あんなにも沢山、優しさを貰ったのに。それなのにもう、時間がないなんて……。

「優……」

 もっとたくさん傍に居たかった。ずっとずっとあの家で優と過ごして居たかった。

 優に貰ったもの、全部返せたらその時にはそっとあの家を出ていくつもりだったのに、予定よりも早くなってしまった。

「ありがとうも……ちゃんと言えなかったな」

 もっといっぱい言っておけば良かったな。そしたら、こんな気持ちにならずに済んだのに。

 かじかむ手足が、だんだんと力を失くしていく。道の途中で倒れてしまうのはあまりにもみっともないので、何とか路地裏までやってきた。ここならきっと、ゆっくりできる。優にもきっと見つからない。

「優……」

 大好きだよ。ありがとうね。ごめんね。言いたいことはまだまだ沢山あるのに、もう声にはできそうになかった。

 凍てつくような寒さに全身が襲われていた。けれど、不思議と心は温かくて、涙が溢れた。

『もう、いいの?』

 どこからか声が聞こえた。その問いに、私は心の中で答える。

『うん、もういいんだ』

『じゃあ、これからはずっと一緒ね』

『うん……一緒だよ、待たせてごめんね』

『ううん、辛い思いさせてごめんね』

『いいんだよ、辛いだけじゃなかったから』

『そっか、なら良かったよ』

『うん』

『沢山、話聞かせてね』

『うん……』

『約束だからね』

『分かったよ。でも今はすごく眠たいの……だから、起きたら話すね』

『うん』

『おやすみ……』

『おやすみ』

 ゆっくりと意識が閉じていく感覚がした。その片隅でぼんやりと思ったんだ。幸せだった、と。

 私は最後まで優と過ごせて幸せだった。

「ありがとう、優」

 朦朧とした意識の中に浮かんでくるいくつもの優を目に焼きつけて、私はそっと瞼を閉じた────。

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