第113話 真なる想い

「なぁ、ローズ。一つ聞かせててくれないだろうか?」


 オズはあまりに喜ぶローズの姿にどうしても確認したい事があった。

 ハッキリと言葉にするのはいささか勇気が要るのだが、ローズの抱く想いの強さを確かめたかったのだ。


「なんでしょうオズ?」


 笑顔を浮かべたまま愛らしい顔で続く質問の言葉を待つローズの顔に、オズは胸が締め付けられた。

 その笑顔は今の自分ではなく、記憶を取り戻した未来のオーディックに対して向けられているのが分かるからだ。

 それでも確かめなければと、滅入りそうな気持ちを偽りの仮面笑顔で隠し口を開いた。


「あ~なんだ。その喜びよう。お前にとってあやつの事がそれ程大事なのか?」


 言葉にした後、オズは改めてその行為に自分の心の狭さに幻滅した。

 口から発する事によってその言葉が耳に入り込んだが、客観的に考えると今の質問は興味ではなく醜い嫉妬心によるものだったと痛感する。

 『これでは自分をと同じではないか』と心の中で呟いた。

 しかし、言葉にした以上取り消す訳にもいかない。

 なにより今口にした言葉に対してのローズの返答は自分が一番知りたい事なのだから。


「えっ……と、そ、そりゃ大事ですわ。記憶を無くされたままだと子爵様としてのお仕事に色々差し支えますし……」


 オズの心の内を知らないローズは、質問の意図が良く分からずポカーンとして顔でそう答えた。

 オズはなにを当たり前な事を言っているのだろう? オーディックの記憶が戻って欲しいのは皆が思っている事なのでは? そう心の中で首を捻る。


 『それに私にとってはこのゲームの攻略対象キャラだもの。いくら主人公エレナがゲームから離脱したと言っても、記憶が無くなったままだと誰に掻っ攫われるか分かったものじゃないわ。イケメンは誰にも渡さないんだから』


 オズが治してくれると言った事で気が楽になったローズは、少しばかりいつものメタ視点での思いを心の中で語る。

 しかし、そんな言い訳を言えば言う程、何故か心はチクチクと痛みを発していた。

 その痛み意味が分からないローズは、原因不明な自分の湧き出る感情に動揺し、その感情を顔に表し困惑した表情を浮かべる。


「どうしたのだローズ? 何か辛そうな顔をしているぞ」


「え? いえ、辛くは無いのですが、なんだか胸がゾワゾワして……。ホッとして疲れが出ちゃったのかもしれません」


 胸に手を当てながら困ったような笑顔で心配しているオズに答える。

 もしこの場に鏡が有れば、ローズは自分の感情に気付いたであろう。

 この世界に転生する前、学生時代の異名でああった恋愛マスターとしての勘が自らの原因不明な感情の答えを導き出したからだ。

 だが、例えそんな異名が無くとも今のローズを傍から見ればその気持ちなど火を見るより明らか。

 オズはローズの心の内の真実が痛いほど分かっていた。


 先程ローズの口から出た言葉は自分の本心を語っていない。

 それは今ローズが浮かべている表情が物語っている。

 口から出た当たり障りの無い言葉を心の奥にある真なる想いが否定しているのだ。

 しかし、ローズ自身はそれを自覚していないのだろう。

 好意は持っているものの、それが愛だと気付いていないと言う事か。

 オスはある意味苦汁の決断を決意した。


 『ふむ、恋のライバルに加担するのは癪だが、これ程の鈍感相手ではあまりにも親友が忍びない。それに我が居ない間ずっと側でローズを支えてくれていたのはオーディックなのだ。その詫びとして心の扉をノックするくらいはしてやろうではないか。なに、一度心の扉が開けば我の愛の囁きも届きやすくなると言うものさ』


 最後の言葉は自分に真実を口にする勇気を振り絞らせる為の言い訳だと言う事を自覚しているのだが、当たらずとも遠からずと言う事も理解していた。

 この国で数多くの悪口で呼ばれていたローズだが、不思議と男女間における下卑た噂の数は少ない。

 勿論五人の貴族と騎士を家に招いている事をはしたないと揶揄する雑言は有るものの、性の乱れを口にする者は殆ど居なかった。

 それは宰相の息子や王家に連なる子爵など、この国有数の大貴族が関わっている為、その類の噂を流すのが憚られる傾向にあるのは間違いない事なのだが、理由の一つとしてローズの立ち振る舞いによる物が大きい。


 まず屋敷に赴く五人の者達は、その名目がお茶会であり基本的に昼にしか屋敷に来る事はなく、従兄弟が宿泊すると言う一部例外があるものの大抵滞在時間もごく僅かなものだった。

 それに全員又は複数人が同時に集う事も有り、その為およそ淫らな行為が行われているとは予想されず、またもしそのような行為が繰り広げられていたとしても、人の口に戸は立てられぬもの。

 普段悪女の主人に対して影ながら不満を口にしていた使用人達から漏れ出ない訳が無い。

 それが一切で無いと言うことはではないとの証左になっていた。


 また、それ以上にローズには男女の関係を想起させない噂が存在する事も理由に挙げられる。

 悪女として忌み嫌われてからは舞踏会などの表舞台に立つ事は少なくなったとは言え、全く無かった訳ではなかった。

 その際にはローズの生まれに由来したその悪名を越える王国における地位の高さに目の眩んだ身の程知らずな若い貴族がアプローチを掛けると言う場面が見受けられる事も少なくはないのだが、そのあしらい方がお世辞にも男慣れしているとは言えず、あからさまにキョドッたり触れられようとすると一瞬脅えるような目をしたりと、まるで男性恐怖症とでも言える有様だった。

 またその直後、気を取り直してその愚かな男共に対して顔を真っ赤にして罵詈雑言を吐くと言った行為もその噂を助長する物となっている。

 それに人目の付く場において、新しく購入した物を殊更に自慢して悦に浸り他者を見下す事が趣味とでも言わんとする悪女が、独身令嬢達の垂涎の的となっている五人達との交際を、他者に自慢する事どころかその名を口にする事さえ一切無かったのだ。

 そこでローズの悪評を口にする者達は、男性恐怖症の娘を見兼ねたバルモアが、少しでもその男性恐怖症を更正しようとして五人の若者を宛がったのだろうと結論付けていた。

 勿論独身令嬢達の国内有数である貴族子息達を悪女に取られたと思いたくない願望も込められているとは言え、『ローズは男性嫌いでその身はいまだ純潔である』……それが世間一般では定説として語られている。


 元より民衆の中には、彼女に対してそうであって欲しいと言う小さな願望が存在した。

 アンネリーゼの娘は清らかでいて欲しい……これが夭折したアンネリーゼへの鎮魂の祈りとして民衆が心に抱いていた願いだ。

 非常に勝手ではあるのだが、幸運な事にその事がローズを淫奔とする噂を口に出すのが憚られた真の原因であり、皆の心の奥底にその願望があったからこそ、この短期間でローズが聖女として持て囃される事となった。

 高潔な乙女、純潔の聖女……民衆達はローズの母である『慈愛の聖女』アンネリーゼ亡き後、その誕生を一日千秋の思いで待ち望んでいたのだ。


 実際にはローズは男性恐怖症と言う訳ではなく五人が屋敷に集う理由も異なってはいるのだが、その関係性は世間の認識とそう違っていない。

 なにより野江 水流の記憶が目覚める以前から、異性と付き合う事や一夜を共にする事は元より、挨拶以上を意味するキスさえ経験が無かった。

 その行為に興味が無かった訳ではないのだが、母の葬式の日に強くなると誓ったローズにとって、異性に好意を向ける事は心を他人に預け安寧を得ようとする行為であり、心を堕落させるモノに他ならないと思い込み目を背けて生きて来たのだ。

 すなわちローズは悪女の道に歩み出した以降、人に恋する事を心の奥底に封印して生きて来た。

 オズの決断はまさしくその封印された恋心を目覚めさせる行為であった。


 そしてそれは奇しくも野江 水流の心に対しても作用する。

 そこに至る状況は大きく違えど、野江 水流も人に恋する事を心の奥底で諦めていた人物であった。

 毎夜一人寂しい晩酌の際に『燃えるような恋がしたい』と口から零れる愚痴とは裏腹に異性を好きになる事に対して恐怖を抱いていたのである。

 そうでなければアラサーの身になって『いつか白馬の王子が迎えに来る』などと本気で信じている訳がない。

 その少しアレな思想の根幹となっているのは、学生時代から繰り広げられた好きになった人が悉く他人に奪われ続けた事が原因であった。

 道を踏み外したとは言え、始まりの想いは純粋であったローズの理由と比べると目劣りするが、双方ともに想いの元となったのは他者の為と言う事には変わりない。

 ローズは皆から慕われる母の様に強い女性になりたいと誓ったから、そして野江 水流は他者を第一に考える性格ゆえに例え自らが好きな人であろうとその者への橋渡しを願う者が居るならば自身の想いは心に伏せて全力で二人が結ばれるのを笑顔でサポートする事を是としてきたのだ。

 恋への憧れを封印した二人の想いはリンクし共鳴した。



 そんなローズと野江 水流の関係など知らないオズであったが、寸前まで心で軽口を叩いていたものの、いざ言葉にしようと口を開きかけた寸前になって自らの想いの重さに愕然とした。


 今から口にするのは下手したら取り返しの付かない事にはならないだろうか?

 幼き日、ローズの母であるアンネリーゼが逝去した事によってその実績と名声を目当てとしていた国の重鎮達が、その娘には価値は無いと水面下で行われていたローズとの婚約交渉を中断された。

 いくら自分がその判断を取り消すように掛け合っても、運が悪い事に悪女の汚名が自分の国にも流れ伝わってきてしまった。

 それでも自分は諦めず、いつかローズと結ばれる事だけを夢見て生きて来た。

 その隙を弟に突かれてしまったのだが、そんな弟とて行動の根幹にあるのは自分と大差ないものであろう。


 それ程の想いで今まで生きて来たのに、やっと会えたかと思うとその心には別の人が居た。

 しかも今からしようとするのはその者への恋心を自覚させる行為なのだ。

 二度と自分の手の届かない所に行ってしまうかもしれない……そう考えると恐怖が心を支配し思わず涙が出そうになった。

 だが彼女の前で二度と涙を見せる事など出来ない。

 かつて誓った言葉を思い出したオズは折れかけた心を奮い起こし気合を入れる。


 『勇気を出せ! 泣き虫オジュはもう卒業したであろう。諦めなかったからこの奇跡のような再会が成ったのだ。今はローズの心に我が居なくとも、諦めなければいつか場所が出来ようぞ。よし! 言うぞ、言ってやる!』

 意を決してオズはローズにその迷う心が何なのかを告げた。


「ローズよ。今お前の胸を走るその痛みの原因を教えてやろう」


「オズはこのもやもやの原因が分かるのですか? 教えて下さい!」


 どこか遠い昔に感じた事が有る気はするが、それが何かまでは分からない。

 恋心を忘れてしまったローズ野江 水流にとって、その痛みはただの胸焼けとしか思いが至らなかった。

 そんな本人にとって原因不明の胸の疼きとしか認識していなかったローズは、オズの言葉に驚き身を乗り出すようにオズへと近付いた。

 目をキラキラとさせ身体が密着する程近付くローズに、オズはまたも心が折れそうになる。

 このまま抱き締めて自分の物にしたい思いに駆られたが、寸でのところで踏み止まった。

 そんな事をしても彼女の心にあるオーディックは消えないだろう。

 それどころかより強くそして後悔の念として彼女の心を縛り付ける重石となるのではないだろうか?

 ローズの悲しみに染まる顔など見たくない。

 それならば、今は自分にむけられていなくとも少しでも笑顔で居て欲しい。

 いつかその笑顔が自分に向けられる日が来る事を願って……。


「良いか? 良く聞くのだローズ。今お前の胸を苦しめているのはオーディックへの愛だ。その苦しみの大きさの分だけお前はオーディックの事を愛しているのだよ」


「は?」


 ローズはオズの口から飛び出た言葉に頭の中が真っ白になった。

 この苦しみがオーディックへの愛ですって? 寝耳に水な話に理解が追いつかない。

 一拍置いて『またまた~愛だなんてそんな大袈裟な~』と最初は心の中で笑うローズ。

 しかし、その否定を嘲笑うかのようにオズの言葉が何故か心に染み渡って行くのを感じていた。


 本当にオーディックの事が好きなのだろうか? 勿論嫌いな訳が無い。

 イケメンだし、頼りになるし、優しいし、何よりこのゲームの攻略対象キャラだ。


 『でもでもでも! だがしかし! 私としては好きな相手と言うより、どっちかと言うと敵? って感じなんだけど。だってオーディック様の攻略に難航した所為で死んじゃったんだし……。でもでもでも? オズの口からそう言われた途端、胸に弾んだ感覚は……遠いあの日の初恋の感じに似て……え? え? いや、そんな……』


 オズの言葉は確かにローズ野江 水流の心の扉をノックした。

 それによってかつて抱いた始めての恋心を思い出した途端、自らの想いを自覚したローズは頬が赤く染まり出す。

 そんなローズの様子を眩しそうに見ながらオズは言葉を続けた。


「思い人の記憶を無くした事が心配なのであろう。そして拒絶されたのが悲しいのであろう」


「うっ……」


 そうだ、その通りだ。

 とても心配だった。そして拒絶した事が悲しかったのだ。

 だからあの場から逃げ出した。

 何故? ……それは彼の事を愛していたから。


 そう、彼は母の葬式の時、淋しさに押し潰されそうになった時に私の前に現れたのだ。

 あの日私の誓いを聞いてくれた彼、どれだけ道を踏み外そうと私から離れずに笑顔で居てくれた彼、恐らく悪女として身を滅ぼさなかったのは彼が裏から助けてくれたのだろう。

 そうでなければ如何に救国の英雄の娘であろうと、あれだけの狼藉を許される筈がないだろう。

 彼が私の粗相の後始末をしてくれていたに違いない。

 あぁ、オーディック様……。


 自らの想いを自覚したローズは、ふと自分に憎悪を向けて睨むオーディックの顔を思い出して涙が溢れそうになる。

 その時、ローズの頭をオズが優しく撫でた。

 零れ落ちそうな涙を堪えてローズは顔を上げる。

 そこには太陽のように頼もしくそして眩しい笑顔を浮かべたオズの顔があった。


「こら泣くんじゃない。安心しろと言っただろうローズ。さっきも申した通り我に任せておくが良い。必ずやオーディックを元に戻して見せようぞ」


「オズ……ありがとう……」


 先程も聞いた言葉なのだが、今度のは全く色合いが異なっていた。

 まるで真紅の薔薇の花のように幸せな気持ちに包まれ心の悲しみを洗い流す。


 『そうか……私はオーディック様の事が好きだったんだ。野江 水流としての記憶じゃなく、私自身が彼の事を……』


 ローズはオズの言葉によって解放された心の扉の奥で眠る真なる想い恋心を自覚した。

 それはかつて誓いによって封印した感情であったのだが、今の彼女にとってそれは心を堕落させるモノではなく、力を与えてくれるモノなのだと理解出来た。

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