第100話 有り得ない記憶
「本当にごめん。ローズ許してくれぇ~」
オーディックの情けない声が響く。
何度も許すと言ったのに余程
「もう、本当にそれは良いですって。私の事を思っての事でしょう? それよりなぜあんな事をしたかの説明をお願いします」
謝るのを止めない三人に対して、酷い目には遭ったが一応助けようと言う気持ちの表れと言うのも分からなくも無いので、話を変える意味も含めてこれ以上責める言葉は何も言わずに匂いを嗅がせた理由を聞く事にした。
最初にちゃんと説明してくれたらあそこまで苦しまずに済んだものを……。
そう思うと、許しはしたもののやはりちょっと根に持ってしまう。
「あれはいきなりじゃねぇと意味がねぇんだ。最初に説明しちまうと警戒されて息を止められたり絶対嫌だと逃げられたりする可能性が有ったんだよ」
あんなに臭いんだからそりゃ仕方が無くない? と思わないでもないが、真面目な顔をして説明しているオーディックを見るとそんな冗談を言う気分にはなれなかった。
はてさて、どう言った薬ならそんな心配をするのだろう。
ローズは自分の身に迫っていたかもしれない危機の正体についてあれこれと考えてみた。
すると前世においてそんなシチュエーションのシーンを見た事が有ったのを思い出す。
あれは確か……。
「まさか、私が誰かに洗脳でもされたと思ったのですか?」
言葉の通り前世の記憶を漁って出て来たのは、SF風味の恋愛漫画のクライマックスである洗脳されたヒロインを救い出すと言う場面だった。
まさかと思うものの、他に心当たりが無いのでそれをそのまま口に出してみた。
『そうよ、確か洗脳されたヒロインを救うシーンがこんな感じだったわ。……ただ洗脳を解く方法は主人公が口に含んだ薬をヒロインに口移しで飲ませるって言うロマンチックな方法だったのだけど』
漫画でも解毒薬を飲まないよう暗示が掛けられており劇中何度も失敗するのだが、最後に主人公がとった行動は、激しく暴れるヒロインを強く抱き締めそれによって自らが傷付きながらもヒロインにキスをする事によって不意を突き、その隙に口移しで解毒薬を飲ませると言う展開だった。
それに比べ自分と言えば、いきなり臭い匂いを嗅がされると言うロマンの欠片も無い方法だったが、あんなものを口移しで飲まされても確実に相手を嫌いになる自信が有るので諦める事にする。
現実はままならないものね、とローズは愚痴を零した。
「あ、あぁ、よく分かったな」
「う~む。その反応からすると杞憂だった様だ。安心したぞ」
オーディックとシュナイザーがいきなり答えに辿り着いたローズに驚きながらも安堵の表情を浮かべる。
どうやら本当に漫画の様なシチュエーションだったらしい。
解毒の手段はどうあれ、漫画と同じような展開だった事にローズはなんだか嬉しくなって来た。
ゲームの脇役に転生したローズだが、これではまるで自分がヒロインみたいだ! と胸が躍る。
「もう心配性ですねぇ。そもそも誰に洗脳されたと言うんですか」
少々
「そ、それは……」
すると、オーディックは慌てた様で言葉を濁す。
あからさまに怪しい仕草で何かを隠そうとしているように見えた。
何を隠してるのだろう? そう思ったローズが更なる追及をしようとしたところに、シュナイザーが二人の間に割って入って来て口を開く。
「ローズ、それはまだ私達にも分からんのだ。最近そんな話が巷で流れててな。まだ調査中の段階でこれ以上の事は守秘義務から済まないがお前にも詳しくは言えない。ただ、先日からのローズの仕草が洗脳者の症状に似ていたものだから治療を試みたと言う訳だ」
「そうそう。そうなんだよ。王宮からの命令で誰にも言えねぇんだよ。ローズもこのメンバーの間だけの秘密って事で誰にも言わないでくれよ」
「王宮からの? それなら仕方有りませんわね」
シュナイザーがあまりにも堂々と説明するのでローズは素直に納得した。
実際に幾つかの嘘が含まれてはいるものの、大筋では言葉通りな事も相まっての説得力であるから仕方が無い。
この国を脅かす獅子身中の虫。
それが最近動き出したと言う。
人を洗脳する恐るべき薬の暗躍の噂を察知した王宮が調査に乗り出しているのは事実であった。
しかしながら、自分の知らぬ所でそんな事態が動いているなど思いも寄らないローズは、ただ少し不安げな皆を安心させる為に笑顔を浮かべた。
「安心して下さい。もう一度言いますが私は洗脳なんてされてませんわ。それより、なぜそう思われたのです?」
「ほら先日俺達とホランツってさ、あいつの帰り際にちょっと気まずい事があっただろ? その時からローズの態度が何となくおかしって感じててよ。昨日もなんだか上の空だったじゃねぇか。それに今日もずっとボーっとしたしな」
「あぁ、詳しく説明すると、件の薬の犠牲者は犯人が与えた命令に囚われてそれ以外の事がおろそかになるらしい」
「な、なるほど……そう言う事でしたの。 でもそんな事ありませんわよ」
今日はエレナの事が気になっていたのだが、昨日はオズとの再会で浮かれていた事が原因だ。
幼馴染であるオズとの秘密の逢瀬は今のところ秘密にしたいので誤魔化す事にする。
前回の言葉からするとどうやらオズはオーディックの事を知っている様なのだが、しかし蘇ったローズの記憶でも三人で過ごした記憶は無かった。
なんだか共通の知人みたいな言い方だったのは気になるが、幾らなんでも三人で遊ぶなんて重大事項を忘れる事などないだろう。
ただ、もしも小さい頃に三人出会っていたのなら、共通の話題で盛り上がれたかもしれないと言う思いに少し残念な気持ちになるローズだった。
『もしかしたら、二人が私を巡って取り合うなんて恋愛物あるあるなシチュエーションが起こったかもしれないのに本当に残念ね。まぁ、主人公を差し置いて悪役令嬢を巡ってイケメン達が取り合うなんて設定が作られている訳ないわよね』
先程もホランツに惹かれた自分を取り戻そうと、オーディック達が必死になっていると言う妄想の所為で酷い目に遭ったのを思い出して己の妄想の逞しさに半ば呆れた声を上げる。
同じ轍は踏むまいとオズとオーディックが自分を掛けて争うと言う妄想を慌てて霧散させていた時、心の奥底でチクリと小さな棘が記憶を刺激した。
『あれれ? 今、何かが頭に浮かんだわ。昔……とても昔、誰かが私を取り合っていた……ような』
ローズはその棘が何なのかを思い出そうと記憶を振り絞る。
どうやら全て思い出したと思っていたのは間違いだったようだ。
朧気だった小さな棘は少しずつシルエットのような輪郭を浮かび上がらせていく。
それは大好きだった母が亡くなる少し前の事、目の前で繰り広げられる自らを取り合って言い争う二人を見て、幼いローズはどうしたらいいのか分からずただ戸惑っていると言う記憶だった。
『あらやだ。小さい頃の
いつも妄想していた自分を取り合う素敵シチュエーションの当事者だったと言う忘れていた幼き記憶の存在に少し嬉しくなったローズは、その声の主達が誰なのかを思い出そうと更に記憶を絞り出す。
それによってシルエットは色を帯びやがて像を結んだ。
『え……っと、一人はオズよね?』
まだ泣き虫オジュと呼んでいた頃の彼の顔。
そんなオズが酷く真剣な顔をしてもう一人の男の子と言い争いをしていた。
思い出せる言葉の節々からは『ローズは僕のもの』と言う語句が聞き取れる。
その相手は誰なのか確認しようとしたが、丁度ローズに背を向けている位置に居るので顔が見えない。
『もう一人はオーディック様? もしかして本当に私を取り合ってくれていたのかしら? ……って、違う。思い出す度にだんだん景色に色が付いてきたけどもう一人の髪の色も金色だわ……』
オーディックの髪の色は熱血キャラがよく似合う赤毛である。
しかしながら顔の見えない男の子の髪の毛もオズと同じ輝かんばかりのとても綺麗なプラチナブロンドであった。
ならば一体誰なのか? 早く知りたい!
これは過去の記憶だと分かっているのだが、ここでじっと立っているのではなく今すぐに走り出して顔を確認したいという気持ちに苛まれる。
だが、その時はすぐに来た。
突然その男の子が振り返り叫んだのだ。
『ローズ! 僕とこいつ、どっちを選ぶんだ?』
記憶の中の自分は答えが出せず、おろおろと立ちすくむのみ。
しかし、それを
何しろ振り返った男の子の顔は……。
『オズ……? オズが二人……?』
プラチナブロンドで碧眼、まるで白磁の如き白い肌、そして同じ顔をした男の子が二人こちらを見ていた。
「……おい。おいローズ!」
「またボーっとしているのか?」
「これはやはり洗脳薬の影響では? もう一度嗅がせてみましょうか?」
思い出した自らの驚くべき記憶に意識を取られていたローズの耳にそんな声が届いてきた。
もう一度嗅がせる? 何を? あの薬を? あの激臭を!? それは勘弁して!!
その理解に至ったローズは意識が急速に覚醒した。
「だ、大丈夫です! 何でもありません」
「本当かローズ? やっぱりもう一度嗅いだ方が良いんじゃねぇか?」
取り繕うローズにオーディックが追撃の如く小瓶を手に持ちじりじりと近付いてくる。
二人のオズが自分を取り合っていると言う記憶も気になるが、そんな有り得ない記憶は思い違いの妄想か、思い出せない相手を勝手に記憶が補完しただけかもしれない。
今はそんな曖昧なモノの事より、あの激臭から逃れる術を探す事の方が急務である。
ローズは匂いから逃れる為に全てを諦めた。
諦めたと言っても人生ではない。
それは先程から気もそぞろであった原因を話す事だ。
表向きには御家の恥。
メタ的視点ではイケメン達との間に要らぬフラグを立てたく無いと言う思いから来るもの。
そう、ローズはエレナ失踪をオーディック達に話す事にしたのだった。
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