第47話 輝いていた理由

「てぇやーーー!!」ガシンッ!


 ローズが渾身の力を振り絞って放った剣撃を執事長が受け止めた。

 しかし、その様子は楽々と言う物ではなく、少しばかり剣の位置が深い。

 そして、いつもの様にすぐに弾き飛ばしローズの隙に剣気を当てる事も無く、そのままじっと受けた状態で止まっていた。

 執事長の額に一筋の汗が垂れ落ちる。


「むぅ、お嬢様見事です」


 どうやら執事長はいつもの様に合いの手の様なほめ言葉ではなく、ローズの事を心から称賛している様だ。

 声のトーンがいつもより一オクターブ低いものとなっていた。

 動かない理由は、が正しかった。

 引いても押しても、ローズからの追撃が来る。

 今の鋭さで来られると、手加減出来ずにローズに怪我をさせてしまうかもしれない。

 それ程までにローズの打ち込みは鋭かったのだ。

 最近メキメキと腕を上げて来ている事は分かったが、今日の剣の冴えはどうした事だ?

 昨日までとまるで別人の様だと、執事長は思った。


 同じ年の頃のバルモア様に匹敵……、いや既に上回っているかもしれない。

 お嬢様ならそう遠くない未来、私をも超えてしまうだろうと、執事長はまるで孫の成長を見守る祖父の様な暖かな目で、いまだ真剣な表情でギリギリと木剣を押し込めてくるローズを見詰めた。

 今日のお嬢様はとても晴れやかな顔をしている。

 迷いが消えた良い顔だ。

 恐らくこの剣の冴えは、迷いが消えた事でお嬢様の中に眠っていた潜在能力が解放されたのだろう。

 不意に若き日のローズの父であるバルモア、そしてその祖父アルベルトの面影がローズの中に見えた気がした。

 そして目頭が熱くなる……。



「ふむ、今日はここまでにいたしましょうか」


 思わず涙を零しそうになった執事長はそうローズに告げた。

 ローズはその言葉に少し不満そうな顔をする。

 もう少しで何か掴めそうな気がしていたので仕方が無い。


「え~! もう終わりなのですか?」


 そのまま不満を執事長にぶつける。

 と言っても、既に尊敬する師と仰いでいる執事長なので、言葉自体は丁寧だ。

 以前のローズなら罵倒の限りを尽くしていただろう。


「お嬢様、今日は何の日かお忘れではないですか?」


「あっ……」


 ローズは執事長の言葉で思い出す。

 少しばかり試合でハイになってしまってすっかり忘れていた。

 今日は派閥長であるベルナルド主催の舞踏会当日。

 そして、その真の目的は生まれ変わったローズのお披露目である。


「ほっほっほっ。折角の舞踏会です。そのお綺麗な顔に傷でも付こうものなら大事ですぞ?」


「う……。は~い。分かりました」


 ローズはそう言って剣を引き、執事長に対して試合後の礼をする。

 そして、体中から力を抜きクールダウンの為に軽くストレッチを開始した。


「しかし、この短期間でお嬢様は本当にお強くなられた。私を超えるのもそう遠くないでしょう」


「そ、そんな。執事長にはまだまだ遠く及びませんわ」


 先程、少し執事長の強さの尻尾に触れる事が出来た気がしたが、それはあくまで未熟な自分に合わせてくれているからだ。

 本気の執事長など想像しただけで背筋が寒くなると、ローズは心の中で遠い目をして乾いた笑いを上げる。


「あ、あれ? 皆どうしたのです?」


 ふと周りから視線を感じ辺りを見回す。

 すると、一緒に朝練している衛兵達が固まったままローズを凝視していた。

 場所の順番待ちをして隅で控えている者。

 試合開始の礼の状態で止まっている者達。

 中には剣を大きく振りかぶり、今まさに振り下ろそうとしていた状態で止まっている者もいる。

 彼らは皆まるで魂が抜けた様にローズを見詰めていた。


「はっ! す、すみません。お嬢様の動きに見惚れておりました」


 一人の衛兵がローズの言葉で我に返り、正直に理由を言った。

 この者は最初にローズと試合をし、一瞬で敗北した若い衛兵だ。

 理由を言ったのだが、まだ少し夢見心地で有るのだろう。

 本当の正気ならもう少し言葉を濁していた筈だ。

 自分の主人に対して『見惚れていた』と言う言葉はいささか失礼に当たるのだから。


 だが、この言葉はこの場に居る全ての者達共通の言葉と言えよう。

 ローズと訓練を始めてからそろそろ一ヵ月になろうかと言うのに、今日程お嬢様に目を奪われた事はなかったと、衛兵達は思う。

 勿論初日の衝撃は忘れる事は出来ない。

 それに目を奪われる事は正直なところ日常茶飯事である。

 伝説の戦乙女を彷彿とさせる舞う様な身の熟しに目を奪われない者など居る筈がないのだから。

 しかし、今日のお嬢様の動き、いやその御身から溢れ出る輝きはどうした事だ。

 あまりの美しさに息をするのも忘れてしまう程だった。

 実際、執事長の試合終了の申し出によって、慌てて息をした者も一人や二人ではなかった。


「まぁ、ありがとう。とても嬉しいわ」


 ローズは正直な衛兵の言葉に主人として怒る事も無く、素直に受け取り少し恥じらって頬を染める。

 中の人である野江 水流はイケメン関係無しで邪念の無い純粋な想いから来る褒め言葉には弱い為だ。


 その瞬間、この場に居る皆の心に衝撃が走った。

 いや雷に打たれたと言ってもいいだろう。

 ローズの前でじゃなかったらこの場で倒れ込み身悶えていたかもしれない。

 それ程までに今のローズが可愛くて、美しくて、そして眩しかったからだ。

 皆の心に『この人の為なら死ねる。この人を護る為にこの命を使おう』と言う言葉が心の奥深くに刻まれた瞬間だった。


 後に衛兵達の間では本日青草一の日が、伝説の日として語り継がれる事になる。

 お嬢様に真なる絶対的忠誠を誓った日として……。



「お嬢様。迷いが消えた良い顔をしてなさる。それが剣に現れたのでしょう」


 執事長がいまだ少し恥じらっていたローズにそう声を掛けた。

 この太陽の様に輝いている美しい姿を、これ以上衛兵達に晒すのは勿体無いと言う親的目線の想いが含まれており、ローズの意識を別の事に反らす為である。

 実際、執事長も今のローズに心を奪われ暫し言葉を失っていたが、年の功によりいち早く正気に戻ったと言う訳だ。


「え? あっうん。い、いや、はい。ほら今朝色々有りましたでしょ? なんだかスッキリしちゃって」


 ローズは今朝の主人公との第二戦の事を思い出す。

 厄介な問題は色々と残ってはいるが、主人公であるエレナと直接言葉を交わし、そして自身が真の敵と認識したゲームシステムに対して宣戦布告をした。

 今までおぼろげだった目指す先の光が見えたのだから、後はそこに向かって全速力で走るだけ。

 走り出したローズは止まらない。

 迷いなどどこかに消え去っていた。

 それは長らく忘れていた感覚だと、ローズは思う。

 そしてそれが学生時代のローズが輝いていた理由でもある。

 その感覚を思い出したローズは、全盛期の輝きを取り戻し始めていたのだった。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「お嬢様、じっとして下さいませ」


「えっ、ちょっ、ちょっと痛いわ、フレデリカ。コルセット締め過ぎじゃない?」


 その日の夕刻、ローズの部屋にてフレデリカとその他数人の使用人達の手によって、舞踏会への準備が繰り広げられていた。

 お披露目と言う晴れの舞台に恥じぬ為、いつもはフレデリカ一人でするお嬢様への身だしなみを整える作業を数人がかりで行っている。

 まるで親の仇の様にコルセットの締め上げ作業をしているフレデリカに対してローズは悲鳴を上げた。


「これぐらいは序の口です。最近お嬢様はお身体を鍛え過ぎなのです。貴族令嬢たるものもう少しお淑やかにですね……」


「わ、分かってるわよ~。それは言わないで~」


 以前お姫様の様なぷにふわを目指して失敗した過去を思い出し、更なる悲鳴を上げた。


「ふっふっふっ、お嬢様。覚悟して下さいな」


「フ、フレデリカ? ねぇちょっと! 日頃の恨みを晴らそうとしてない? いやーーやめてーーー」



◇◆◇


 それから数刻の後――。


「ではいってらっしゃいませ。お嬢様」


 玄関ホールでは使用人達皆が集まり、舞踏会の会場であるオーディックが待つベルクヴァイン家の屋敷へと出発する主人に対して深々と頭を下げ見送りの挨拶をした。


 以前ならそれは性悪令嬢からの解放を意味し、使用人一同喜びに歓喜する瞬間だった。

 しかし今は違う。

 大切な主人が事故に遭わないだろうか? それとも暴漢に襲われたりしないだろうか? そんな心配で胸が張り裂けそうになっている。

 一秒でも早く無事に帰って来て欲しいと言う思いで溢れていた。


「ありがとう皆。では行ってまいります。留守をお願いしますね」


「はい!」


 使用人一同ユニゾンしたかの様なぴったりの返事で見目麗しい主人の言葉に答えた。

 その一同の中にエレナの姿をローズは見付けた。

 ローズは違和感を覚えた。

 いや、一人ほくそ笑んでるとか、憮然とした顔をしている訳ではない。

 全く皆と同じ様に純粋に主人の無事を祈り送り出している使用人の顔。


 『あれも演技かしら? それとも私の事を味方だと思ってるからかしらね。でも残念ね。これは伯爵家を没落させない為の作戦なのよ。フフフフ』


 一人心の中で笑うローズ。

 さぁ、戦いはこれからと、思いを新たに外で待機している馬車に向けて足を踏み出した。

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