第36話 招待状

「ふぅ、何やらお嬢様にご用事のようですね。今日は早いですがここで終わりましょう」


 フレデリカは突然のノックにそう言うと、扉の方に向かって歩いていく。

 お嬢様との語らいの場を邪魔されたフレデリカだが、最近ならプンプンと怒るものの今はそんな雰囲気も無く、あっさりと講義を切り上げた。

 これは現在フレデリカの中でイケメン五人衆だけでも目の上のたん瘤と感じているのに、お嬢様がこれ以上他の男性に興味を持って欲しくないと言う思いで、話を終わるタイミングを図っていたところの渡りに船であったからだ。


 ローズは言い掛けの王子様についての情報が聞けなくてもやもやとしたが、少なくとも話の流れ的にオズが王子でない証拠を確かな物にするだけな気もしないでも無く、『シュレディンガーの猫』改め『シュレディンガーの王子』とでも言おうか、正体を確かめないままなら『王子でないオズ』と『王子であるオズ』の両方が妄想の中で存在し得る矛盾状態を作り上げる事が出来る。

 要するに一人の人物で色々なシチュエーションの妄想を堪能出来ると言う訳だ。

 人はそれを現実逃避と言うのだが、元より現実逃避をして出来たのが『白馬の王子様が迎えに来る』と言う夢なのでローズにとって今更な話であった。


「お嬢様に何の用でしょう?」


 フレデリカは扉の前に立ち、ノックした相手に問い掛けた。

 ローズは『またカナンちゃんかしら』と心を弾ませたが、そこから聞こえて来た声はそうではないらしい。


「お勉強中すみませんお嬢様。オーディック様からの書簡が届きましたのでお持ちいたしました」


 この声は若い執事であったか? と扉越しの声の主の素性を探った。

 そんな事よりオーディックからの書簡とは何事だろうと、そちらの方が気になって仕方無い。


「どうぞ、お入りになって下さい」


 ローズは扉に向かってそう声を上げると、それに呼応して『失礼します』と若い執事が入って来た。

 言葉の通り手には書簡を持っている。

 フレデリカはそれを受け取ると、執事に『ご苦労様です』と声を掛け執事を追い出した。

 部屋を出る際に執事は少し悲しそうな顔をしたので、ローズは『ありがとう』と言いながら笑顔を見せる。

 すると若い執事は顔を真っ赤にして目が泳ぎ出す。

 そして口をあうあうと何かを言おうと動かしたまま、フレデリカによって閉められた扉の向こうに消えてしまった。

 今の態度はどう言う事だろうと首を捻るローズだが、自身に対する好意には恐竜の痛覚並みに鈍い為、今の執事の仕草が思いを寄せる女性に微笑みかけられた事による照れと言う事には思いが及ばず、『まだまだローズの態度に戸惑っているのだわ』とため息を吐く。


 だが閉められた扉の外では、若い執事が顔から険の取れた聖女の如き美しく優しいローズの笑顔を見れた事にガッツポーズを取っていた。

 それを見た別の使用人達から噂が広がり、今後壮絶なるお嬢様への届け物を運ぶ権利獲得戦が行われる事になるのだが、それはローズだけが知らない少し先の話だ。



         ◇◆◇



「オーディック様からの書簡ですか……。確かに署名はオーディック様ですし、封蝋の紋章もベルクヴァイン家の物。間違いは無さそうですね」


「今日忙しくて来ない筈だったのに何の用かしら?」


 来られないから書簡を送って来たのだろうと言うのは分かるが、タイミング的に昨日の今日どころか今朝の今日とでも言うべきか。

 一瞬オズとの出会いが関係するのかと心を弾ませたが、さすがにそれがトリガーとなるには早過ぎる。

 フレデリカから書簡を受け取ったローズは、書斎机のペーパーナイフで封を切った。


「え~っと、なになに? 『親愛なるローゼリンデ殿』まぁ、オーディック様ったら親愛なるですって! キャー」


「お嬢様、それはただの手紙の慣用句です。本気になさらないで下さい」


「わ、分かってるわよ~。で続きはっと。『急な連絡で申し訳ないが、来る青草一の日にて私の屋敷にてベルナルド様主催の舞踏会を開く事となった。そこでバルモア様の名代としてローゼリンデ、貴女に出席して頂きたい』? えっ? ……えぇぇーーーっ! これもしかして舞踏会の招待状ーーー?」


 野江 水流として意識が目覚めてから初めての舞踏会の招待状に驚きの声を上げる。

 今までの31年の人生経験において舞踏会などと言う物に出席した経験どころか異性と踊った事さえない。

 学校行事でフォークダンスを幾度か踊った事は有ったが、星の巡りが悪い所為か、それとも女子にしては少々身長が高かった所為か、ダンスの男子役を担うばかりであった為、残念な事に踊りの最中男子と手を繋ぐ機会は訪れない悲しい青春時代であった。

 それなのにいきなり貴族の舞踏会なんて事に出席するなんて、まるで無免許でジャンボジェット機を操縦するレベルの難易度なのではないか? とローズは心の中で慌てふためく。

 確かにゲーム中に幾度か舞踏会への出席の為にドレスに身を包んだローズをお見送りするシーンは有った。

 しかし、それはエレナ視点での光景である。

 自らがローズとなった今、そう言う機会がいつかはやって来る事を分かっていたし、覚悟もしていたつもりだったのだが、こんな不意打ちで来るとは思っていなかった。


 『どどどどどどうしよう! 確かに貴族の舞踏会は憧れではあったけど、心の準備がまだ出来ていないわ。オーディック様もなんで急に舞踏会開くなんて言って来たのよ! バカバカ! 落ち着け落ち着け~。深呼吸深呼吸~。ひぅひっふぅ~、ひっひっふぅ~』


 全然落ち着けてないローズ、招待状を送って来たオーディックに恨み節である。

 憧れと現実は違う物。

 とは言え、なにもローズが踊れない訳では無い。

 ワルツのステップに関しては独学では有るが、DVDやネットの動画で学習済みだし相手が居ても踊れる自身は有った。

 しかし、それは根拠の無い自信だ、何せ今までエアワルツ若しくはシャドーワルツ、そんな感じで白馬の王子様と踊る妄想に耽りながら一人寂しく狭い部屋で踊るだけ。

 人と踊った事が無いのだから、これが初体験となるのだ。

 テンパっても仕方の無い事である。


「丁度良いでは有りませんか、お嬢様」


 一人焦っていたローズにフレデリカは嬉しそうにそう言って来た。

 ローズはその声に驚いてフレデリカの顔を見る。


「丁度良いって、どう言う事?」


「心を入れ替えたとは言え、それを知っているのは未だこの屋敷の者か、先日旦那様の出立においで下さった方々のみ。ある程度その噂は広まっているようですが、まだまだ疑心暗鬼の域を出ていないでしょう」


「あっ……」


 ローズはフレデリカの言葉に目から鱗が落ちた。

 先程自分がその機会を思案していたではないか。

 舞踏会こそがその場である、と焦りは希望の光と姿を変え、心の奥から沸々とやる気が漲って来た。


 『そうよ! これこそ待ち望んでいた千載一遇のチャンスじゃない! 初体験にビビって焦ったけど、この機会を逃す手は無いわ! オーディック様ありがとう! 大好きよーーー!』


 先程の恨み節は何処へやら、オーディックに感謝の言葉を心の中で叫んだ。

 もしこの場にオーディックが居たならば、嬉しさのあまり躊躇無く抱き付いていたかもしれないし、それは望む所とテンパり状態は相変わらずのままなローズ。


「お嬢様の素晴らしさを皆の者にお披露目するには持って来いの舞台ですわ。不肖このフレデリカ、お嬢様の再デビューと言うべき舞踏会。全力を持ってサポート致します」


 フレデリカは異常なやる気を見せている。

 傍観者から演出家として生まれ変わった自らの性癖を最大限に発揮出来るこの機会の訪れに興奮している様だった。


「まぁ、頼もしいわフレデリカ。サポートお願いね」


「任せて下さい。お嬢様の舞踏会恒例『殿方の足踏み』などさせない様にダンスの特訓に、足りていない社交界マナー、それに派閥長ベルナルド様主催と言う事ですので、王都に居る派閥の者は全員出席でしょう。先程語れなかった方達の事もしっかりとレクチャー致します。これを皮切りに二人で天下を取りましょう!」


「あ、ありがとう。フレデリカ。とても嬉しいわ」


 て、天下? と心の中でツッコみを入れながらも、それ位の熱意と言う意味合いでサポートしてくれるのだろうとローズは解釈し感謝の言葉を述べたが、フレデリカとしては熱意どころか100%の本気の本気の言葉であった。

 ローズの素晴らしさを人に晒して独り占め出来なくなるのは嫌だが、悪役令嬢と蔑まれるのは演出家として我慢がならない。

 ならば、誰もが畏敬の念で近付き難くなる程の素晴らしい人物にまで登り詰めたら、そうそう害虫は近付いて来ないだろうし、自ら策略を巡らせてそんな者達は近付けさせない。

 そして、そうなれば素晴らしいお嬢様のその横には自分だけが立つ事が出来るのだ。

 そんな未来の到来をフレデリカは描いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る