第23話 屋敷の皆

「おい。お前達、お嬢様と試合したって本当か?」


「あぁ、とてもお強かった。それに執事長も伝説の戦鬼の噂に違わぬ強さだった……」


「くわぁ~! なんで今日俺午後番なんだよ。見たかった~」


 ここは衛兵の詰め所。

 交代の引継での話の際に今朝有った事を聞いた午後番の衛兵が嘆いていた。

 曰く、お嬢様の電光石火のその身のこなしに、伝説の美しき戦乙女の写し姿を見た。

 曰く、執事長の戦神の如し闘気によって、その身が切り裂かれる錯覚を見た。


 そして一番の嘆きは、事の発端であるお嬢様の着替えの姿が見れなかった事である。

 曰く、練習着だった為か、その下にはコルセット等の下着は一切着けておられなく、その捲り上げられた上着の裾からちらりと見えた白き肌と下乳。

 それでなくとも汗でピタリと張り付いた服の上からでも分かる自己主張、若い衛兵達にとってそれだけでもう一生物の宝と言えるだろう。

 悔しくない筈がない。

 ただ、フレデリカがあと数秒程止めに入るのが遅れていたら、全てが露わになっていただろうにと悔しそうに語る衛兵達に、少しざまぁ見ろと心が軽くなる午後番達であった。


 とは言え、こんな話が他の者達に聞かれでもしたら大事である。

 明日からお嬢様も朝の訓練にお出になられると言う事なので、本日午後番の者達もそれを楽しみにして口をつむぐ事にした。

 これに関しては、またもやフレデリカの言い付けによって、ちゃんと下着を付ける様にと注意された事により期待外れの結果に終わる事になるのだが、お嬢様の戦うその姿の美しさに魅せられ、その様な事は些細な事とすぐに忘れてしまうのは少し先の未来だ。


◇◆◇


「あぁ~、先日旦那様の出立の際のお嬢様の立ち振る舞い。とても素晴らしかったですわ~」


「うぅぅ。その日すれ違った際に挨拶されたのだけど、いつものお嬢様の悪戯かと恐ろしくなって逃げてしまっていましたわ。見たかったです~」


 ここは、メイド達の控室。

 既に使用人達の中では伝説と語り継がれている先日の伯爵出立の際の出来事。

 偶然1F玄関ホールで控えていたメイド達は、数日経った今でさえ脳裏に浮かぶその光景に、うっとりとまるで演劇の花形スターに焦がれる如き顔をしてため息交じりに語っていた。

 これに関しては執事長以下、執事バトラー達の間でも同じで、若い執事達は恋する目でローズの事を見る者も現れ出している。


◇◆◇


「今日もお嬢様にお声を掛けて頂いたよ」


「私もよ~。以前のお嬢様では考えられないわ」


「あんなに素晴らしい笑顔でお声を掛けて頂けるなんて、それだけで幸せになっちまうよ」


「本当に。まるでアンナ様のようだ。長生きはするものだな」


 ここは通常表には出ない下級の使用人。

 一般的に掃除や洗濯等を任されている女中や下僕と言った者達の控室。

 他の使用人達と同じく口々にローズの事を褒め称えている。

 特に先代の時から仕えている者達は亡くなったアンネリーゼと重ねる者も現れだした。

 元は伯爵領の領主館に勤めていた者達だが、訳有って現在王都に建てられているこの屋敷に移動して来たのである。

 その訳とは、先代が亡くなった際にバルモア自身の意向で、伯爵位はバルモアが受け継いだが、この王都で国王を傍で護るべく宮廷貴族としてこの屋敷に住む事にし、元の領地は子爵位を頂いた弟のテオドールに譲った。

 しかし、新領主となったテオドールは、使用人達を自身の息の掛かった子飼いの者達で固め、父の代からの使用人達を排除した為、バルモアの住むこの屋敷に移って来たのだった。

 彼らは、アンネリーゼが初めてこの屋敷に嫁いできた時の事を昨日の様に覚えていた。

 先代の夫人が悪かった訳では無い、しかし良くも悪くも普通の貴族令嬢。

 使用人達に対する態度も一般的貴族がするそれと違いが無かった。


 だが、使用人達が愛称で呼ぶアンナ事、アンネリーゼは違った。


 裏で働く自分達に対しても『いつもご苦労様』と労いの声を掛けて来る。

 それどころか一人一人の顔も名前も全て把握してきちんと名前で呼んでくれていた。

 怪我でもしようものなら自分の事の様に心配してくれた。

 その事実だけでこの人の為ならどんな苦労も厭わない。

 一生を掛けてお使いすると心に決めていた。


 それなのに、神は悲劇がお好きなのか、それともその一点の曇りなき水晶よりも透明で清らかな心の持ち主を御身の側に招きたくなったのか、若きアンネリーゼは天の国へと旅立って行ったのだった。

 その出来事は使用人達の間に、世界の終わりの如く嘆きと悲しみを与える事となったのは彼等彼女等の間では忘れたくも忘れられない傷として今も心に残っている。

 それ程素晴らしかったアンネリーゼから、何故この様なわがままで性悪な子供が生まれたのか、アンネリーゼへの恩が無かったらすぐにでも辞めてやるとローズの事を苦々しく思っていた。


 だが、しかし!


 先日より夢に出て来たアンネリーゼからの諫言によって、自らの悪行を顧みて身を改めたとの言葉通り、立ち振る舞いだけでなく言葉遣いから気配り全てにおいてまさにアンネリーゼの生き写しとでも言い様がないローズのその言動の数々に驚いた。

 最初はただの気まぐれと思っていた。

 一日経ち二日経ち三日過ぎた頃から皆の中で、ローズの言葉は本当なのではないかと思い始めていた。

 今ではその言葉を疑う者はほぼ居ない。

 余程ローズに酷い目に合わされた者が、変わったローズの事を認めたくはないと意地を張っている者くらいで、その者に関しても周囲の皆はそんな意地っ張りも時間の問題だと笑っていた。

 中には不注意から怪我をした際に偶然ローズが通りかかったのだが、すぐさま携帯していたハンカチーフを取り出し応急処置を施して貰った者もおり、その後も顔を合わせる度に怪我の心配をして頂いていると、仲間にその素晴らしさを喧伝して回っている。

 それ程までに、屋敷内の空気が変わり出していた。

 


 ただ、これらの事は全てローズの与り知らぬ事で、ローズ自体は伯爵死後の没落を回避する為に、その第一歩である、使用人達と打ち解ける為の挨拶運動に日々精を出しているのだった。

 だが、悲しいかな。

 使用人達は相変わらず、気軽に挨拶を返してくれない。

 初日と同じく挨拶後にはそそくさと立ち去るか、固まってしまうのだ。


 しかし、ローズは気付いていないだけで、初日と今では同じ結果でも真逆の意味となっている。

 初日は、ローズのにこやかな笑顔の裏の悪意に怯えて逃げていた。

 今は、ローズのにこやかな笑顔に、憧れ、敬意、陶酔、慕情、果ては少々邪な想い下乳の記憶等々、あまりもの畏敬の念によってその場に居るのがいたたまれなくなっての事だった。



◇◆◇



「し、失礼します」


 メイドが慌てて走り去っていった。


「あっ、また……。ふぅ~、まだまだ距離が遠いな~。早く皆と仲良くなりたいのに」


 いつも伯爵令嬢の喋りは疲れるので、最近は心の許せるフレデリカの前だけだが結構砕けた喋りをするようになったローズ。

 走り去っていくメイドの後姿を見ながら残念そうに愚痴を零した。

 しかし、ローズは気付いていないだけで、走り去ったメイドの心の声を表すとこんな感じだ。


 『きゃーーー! お嬢様にお声を掛けて頂いたーーー!! しかも名前も覚えて頂いているなんて光栄だわーーー!!』


 と、歓喜の渦で大興奮なのだが、そんな心の声など聞こえないローズには分かる筈も無い。


「まぁ、以前のお嬢様態度の事を思えば当たり前ですよ。千里の道も一歩から。挫けずに頑張りましょう」


 後ろに仕えているフレデリカが、腕を組んで首を捻って更なる仲良くなる為の策を考えているローズにそう言葉を掛けた。

 心の中で『この国の長さの単位になんて単位有るのかしら?』と思いながらもフレデリカの言葉に素直に頷いた。


「そうよね! まだ数日だもの。今までの年月の長さを思えば当たり前よね。こんなに早く成果が出たりなんかすると逆に怖いわ」


 この言葉にフレデリカはメイドらしく畏まり頷いている。

 だが、フレデリカの心の中はツッコミの言葉で溢れていた。


 『既に成果出まくりですって! 屋敷の皆の顔よく見て下さいよ。ローズ様を見る目がハートマークになってるじゃないですか!!』


 しかし、そんな事はおくびにも出さない。

 何故ならば、こんな素敵で自身の性癖を理解してご褒美もお仕置きもしてくれる主人を、他の者達に取られたくないからだった。


 『ローズ様は誰にも渡しませんわ。例えそれがオーディック様達だとしても……』


 フレデリカは心の奥底でローズに対しての歪んだ独占欲に闘志を燃やし、ハートマークが浮かんだ目でローズの事を熱く見詰めるのであった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る