第16話 殺し文句

「ローゼリンデ様! 先程の話は一体何処で?」


 伯爵の見送りに来ていた皆が帰った後、カナンとお喋りをしていたローズに声を掛けてくる人物が居た。

 ローズはその声に向かって顔を上げる。

 その声には覚えが有った。

 それはローズの中の人がこのゲームで一番最初に攻略したイケメン。

 感動的なエンディングにスタッフロール、そして最後に表示される『Fin.』の文字。

 ある意味このゲームにおいて初体験の相手と言っても過言ではない人物である冷血キャラの若き騎士ディノその人の声のであった。


 クソゲーあるあるの回想モードの類が一切無い極悪仕様の為、攻略ルートを確立したこのディノに関しては、他のキャラの攻略に行き詰ると気分転換にエンディングを見て気晴らしすると言う、ローズの中の人にとって癒しキャラ的位置付けとなっており、三桁回数のプレイにおいて優に四分の一は彼とのエンディング回数で占められている。


「ディノ様!」


 ローズは思わず大声でその人物の名前を呼んだ。

 心持ち語尾にハートマークが付いている様に聞こえなくも無い。

 しかし、ローズは自分の発言に心の中で『しまった!』と思い悔む。

 作中のローズはディノの事を『様』付けしない。

 いや、基本ゲーム中のローズは誰であろうと『様』付けなんてしないのだが、そう言う意味ではなく、ディノにはどの様な場合においても『様』を付けはしないだろう。

 何故ならば、他のイケメン四人は曲がりなりにも貴族子弟であるのだが、ディノだけは戦災孤児と言う設定で貴族の生まれではない。

 ベストエンディングの場合、エンディング中のモノローグによって、後に一代貴族として男爵の爵位を与えられたと言う後日談が語られるのだが、それは今ではなく未来の話だ。

 平民出のエレナならいざ知らず、伯爵令嬢であるローズが出自不明の者に対して『様』付けなど、如何に王国の騎士と言えども性格の良い悪いを抜きにして通常は有り得ない事である。


 『あっちゃ~やっちゃった! 今自分がローズって事を忘れてたわ。プレイ中普通に『ディノ様』って言っていたから、ポロっと出ちゃったのよね。どうしよう~』


 先程、大成功を収めた事で気が緩んでいた。

 完全に油断である。


「ロ、ロロローゼリンデ様、どうしたのですか? わっ私などに『様』などと!?」


 ディノが慌てた様子で今の発言を問い質してきた。

 その仕草にローズは違和感を覚えた。


 『あれ? あれれ? これ本当にディノ様? なんかキャラ違うくない?』


 冷血キャラであるディノは出会った当初はエレナに対して塩対応しかして来ない。

 しかも、それから後も暫くの間はけんもほろろに相手にもされずに冷たくされるだけだが、それでもめげずに会いに行き続けると、ローズからの叱咤イベントが発生し、その際にローズがエレナに投げかけた罵倒の言葉で関係が一変する。


 それは『卑しい平民の娘の癖に』と言うあまりにも酷い言葉。


 己の出自が戦災孤児と言う何処の誰とも知れぬ身で、幼き頃にとある貴族に剣の才を見染められ、運良く後見人となってくれたお陰で、現在騎士として身を立てる事が出来た過去を持つディノにとって、その言葉の意味は重く、エレナに対して同情以上の感情を抱く切っ掛けになると言う展開であった。

 一度折れるとデレ分多めのツンデレキャラに変貌し、そうなったら事有る毎にエレナを守る文字通りのナイト騎士として振る舞いだすと言う、キャラ育成さえきちん行い発動フラグさえ立てれば攻略難度自体はとても低いちょろいキャラだったりする。

 だからこそ、イケメン五人の中一番最初に攻略で来た訳で有るが、そんな事を置いておいても冷たくしていたキャラが、ふとした切っ掛けでデレデレしだすと言うシチュエーションが大好物であるローズの中の人の野江 水流としては、萌心をビンビンと刺激するキャラなので、理不尽の塊としか言い様の無いこのゲームにおいて、ディノの事をオアシスと感じていても仕方が無い事だった。


 しかし、今目の前に居るディノの慌てぶりは、ツン時にしてもデレ時にしてもまるで別人である。

 ホランツの様にローズに対してのキャラ作りかと思ったが、ゲーム内でのローズとディノの会話から察するに冷静沈着で物静かな騎士と言った印象だった。

 今この場には使用人数名とカナンちゃんと言うメンツであるので、ゲーム中とシチューションがそこまで変わっているとは思えず、一服の清涼剤として何周もディノルートをクリアして来たローズにとっては違和感が半端無くどこと無く背筋がムズムズと落ち着かない。


「あははははは。ディノが慌ててる~。珍しいねぇ~」


 『様』付けしてしまった焦りと、目の前に居るディノの違和感に、どう取り繕うかとあれこれ考えていると、突然カナンが笑い出した。


「カ、カナン様。からかわないで下さい。しかし一体何が有ったのですか?」


 自身の慌て振りをカナンに笑われたディノは、同じく焦った顔のまま何も言わないローズに代わりカナンに事情を聞いている。

 その会話からやはり目の前に居るディノの態度は普通じゃないとローズは察した。


 『う~ん、私の『様』付けが原因だとは思うけど……。エレナとの切っ掛けもローズからの身分に対する言葉だったし、そこまでコンプレックスが強いと言う事なのね』


 一言で伯爵令嬢から庶民の使用人へと慕情を心変わりする程のコンプレックスである。

 ゲーム中は心変わり先がエレナ自分だったから、ちょろいとしか思わなかったが、心変わり元のローズとなった今、ちょろいと言う言葉の真の恐怖を思い知る事となった。

 言葉に気を付けないと簡単に自分の元から去って行く。

 エレナだけじゃなく、ディノ本人への言葉にも気を付けないといけない、とローズは心の中で溜息をついた。


「やぁ、ディノく~ん。元気かーい。驚いただろ? なんだか急に貴族の令嬢としての自覚に目覚めたらしいんだよ」


「あら、ホランツ様。もう帰ったのかと思っていましたわ」


 広間の人達を見て派閥が違うと言ったっ切り姿を隠していたホランツが屋敷から出てきた。

 玄関前から人が捌けた後も暫く出て来なかったのでローズは帰ったものだと思って思わず声を掛けた。


「ん~、見付からないよう念の為にね。父親同士が違う派閥の人間だと大変だよ。僕達には関係無い事なのに面倒な話だね~」


 そう言って困った顔をして腕を組んでいるホランツ。

 その言葉にローズは同意する。


「これはホランツ様。しかし、今の言葉は? ローズ様は既に貴族の令嬢としての自覚は十分にあらせられると思いますが?」


「そうだと思うんだけど、今日になってこんな事を言い出しちゃったんだ。多分お姉ちゃんってば、またおかしな小説でも読んだんだと思うよ」


「あ~なるほどね。ローズは人の話は聞かないけど、お話には感化されて時々変な事を言う癖が有るし。で、今度はどんな話を読んだんだい?」


 どう誤魔化そうかと返答に焦っているローズに、思わぬ援護がカナンとホランツからもたらされた。

 ローズはすぐその話に乗ろうとしたが、すんでの所で思い留まる。


 『感化され易いって言うローズの新情報は朗報なのだけれど、適当に答えて『じゃあ、その本読まして』とか言われたらヤバイわ。だってそんな本は存在しないんだもの。だからここは他者からの情報じゃなく自分の中の話。そうだ、夢を見たと言いましょう』


 ローズは、伯爵家存続の為についでにこのイケメン達にも手伝って貰おうと、ゲームのシナリオを現在の段階でゲームキャラ達に喋っても構わない範囲で夢の話をでっち上げた。


「変な事とは失礼です。先日怖い夢を見ましたの」


「夢……?」


 三人が思ってもみなかった答えに驚いていた。

 夢を見たと言う言葉に皆首を傾げている。


「えぇ、皆が私の元から去って行くという悲しい夢でした。起きた時とても怖くて……」


「アハハハハ、そんな事有る訳ないじゃないか。ローズから去る者など居やしないよ」


 ホランツがローズの話に噴出して笑っている。

 殊更おかしいと言う様な大袈裟な笑いだった。

 慰めているつもりなのだろうが、ゲームで先の展開を知っているローズにとっては、その慰めは意味を成さなず逆に不安を搔き立てられる。


「お姉ちゃん。だからって人に媚を売るのは貴族の自覚とは言えないんじゃない?」


 同じ様に笑いながらカナンがそう言ってきた。

 その言葉にディノがピクリと反応する。

 圧倒的に上の身分からの『媚』、少々真面目過ぎるディノにとってはどちらかと言うと『からかわれた』と言う様に感じてしまったようだ。

 少々複雑な面持ちでローズを見詰めている。

 その変化をローズは見逃さなかった。

 一度禍根を残すとそれが後々悪影響を与えると言う事は、今までの人生でも幾度か有ったし、特にこのゲームの無駄に凝った連動システムではそれが後になって顕著に現れる為、このままではいけないと更なる作戦を実行する。


「これは媚じゃ有りません。それに夢には続きが有って、皆が離れて行った後、光と共にとても綺麗な女性が現れて『貴族令嬢とは、全てにおいて寛大で慎ましくそして包み込む存在なのです。今のままなら先程見た夢の様に皆が離れて行きますよ』と言って下さったのです。あれは恐らくお母様なのですわ」


 ローズはそっと涙を拭う演技をしながらそう言った。

 勿論ながら今さっき考えた嘘である。

 適当に恋愛漫画や小説に出てきた理想のヒロイン像を格好付けて言っただけで、それに説得力を持たせる為に死んだ母親が夢枕に立ったと言うのを付け加えたのだ。


 しかし、またしてもこの適当に言った言葉は、周囲の者に対して実は効果絶大のモノであった。

 イケメン三人はローズと同世代以下なので、ローズの母親であるアンネリーゼと直接会った者は居ない。

 周囲の若い使用人も殆どそうである。

 しかし、長年使えている執事長や年配のメイド達は直接生前のアンネリーゼを知っているし、会った事が無い者達でも噂では聞き及んでいる。

 成人前のカナンでさえ、伯爵の弟である自分の父親から、アンネリーゼは憧れの女性だったと聞いて存在を知っていた。


 その噂とは、先程ローズが語った貴族令嬢の有りようを述べた言葉を体現する様な素晴らしい女性であり、その美しさと供に数々の逸話を残している。

 生まれ持った貴族としての高貴なる立ち振る舞いもさる事ながら、身体から溢れる気品。

 それにとても聡明で誰彼とも分け隔てなく接し、皆の心を明るく照らす、まるで太陽の様な女性であった。

 その優しさは庶民にも注がれ、孤児院の設立や社会福祉の共同基金を立ち上げるなど枚挙にいとまがない。

 それ程までに素晴らしい女性であった事から、独身男性貴族達の間では憧れのマドンナとして彼女に求婚する者は後を絶たず、面会のアポ待ちだけで数ヶ月掛かると程であったとの事らしい。

紆余曲折の果てに伯爵と結婚する事になったのだが、その発表から数ヶ月の間は酒の販売量が数倍に跳ね上がったと言う。

 それは王国中の男性貴族達が毎夜ヤケ酒を飲む為だったと、ゴシップ紙に書かれ民衆の間で笑いを誘った。

 そんな王国中の人々から愛された彼女の死は、男性貴族だけでは無く一般市民においてもまるで国葬の如く悉く喪に服しその死を悼んだ。

 それ程までにローズの母親であるアンネリーゼはこの国の人々に慕われていたのである。

 ローズの誰彼構わず礼儀知らずな我侭が世間で大目に見られていたのはアンネリーゼの忘れ形見と言う事のお陰であり、裏で疎まれているのはその偉大過ぎるアンネリーゼとの対比の所為に他ならない。

今この場に居るイケメン三人と使用人達はローズの言葉に驚きつつ、この変節振りに納得がいったと言う顔をしていた。

 それどころか当時のアンネリーゼを知る者達は目に涙を浮かべてさえいる。


 『あれ? 何で皆急にしんみりしちゃったの? そりゃちょっと良い話風に脚色したけど……。まぁいいわ。最後の締めと行きましょうか』


 皆の心中を知らないローズは、にっこりと微笑みディノを見詰めた。

 ディノは今まで見せた事の無いその優しげなローズの笑顔に、頬を染め固まってしまっている。


「ディノ様。あなたに『様』を付けたのは、媚でもからかった訳でも有りませんわ。お母様なら多分同じようにお呼びしたと思いますの。だって、あなたは身を挺して王国を護って下さっている騎士様なのですから。感謝の言葉も有りません」


 ローズはしおらしい振りをした演技でそうディノに告げた。

 もうノリに乗って言いたい放題である。

 ゲーム中はエレナの立場だったとは言え、何十回と攻略したルートの相手であるのでディノの嗜好は把握していた。

 後半『身を挺して~』の言葉は、ゲームのイベント中にエレナがディノへ言った言葉であり、そのイベント以降ディノルートに入り、『エレナの騎士となる』と言う言葉と共にデレだすと言う殺し文句である。

 元よりローズは、エレナが登場してこの言葉をディノに言う前に、自分から先に言ってやろうと画策していたのだが、それが思わぬ巡り合わせで登場早々に伝える事が出来た幸運に心の中で神に感謝した。

 その言葉を受けたディノは感極まったのか目を瞑り天を仰ぎ見る仕草をしている。

 

 『あっ! この顔、この仕草! ゲームのイベントCGで見たのとそっくりだわ! これが見たくてディノ様ルートを周回していたのよねぇ~。あぁ~生で見れるなんて幸せ~』


 思わぬ展開で、自身が一番好きだったイベントCGを生で見る事が出来て感無量なローズであった。

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