30 デニスの心の闇

 アメリアの手によってこの屋敷に潜んでいた『鋼牙』の暗殺者は全滅してしまった。その直後、彼女はデニスの方を向くとニッコリと微笑んだ。


「さて、残るは伯父様、貴方だけですよ?」

「あ、ああ、あああ、あり得ない、嘘だ、何かの間違いだ……」


 アメリアのその言葉でやっと現実が飲み込めたデニスは呆然とした声を上げる事しか出来なかった。

 デニスにとって、自らの剣であり盾であった筈の『鋼牙』の暗殺者、それらがたった一人の、非力な令嬢だったはずのアメリアに全滅させられたという恐怖から、彼は立っている事すらままならず、床に尻餅をついてしまう。


「さて、これで余興は終わり、ここから本番が始まるのです」

「く、来るなっ!! 来るなっ!! 私に近寄るなあっ!!」


 アメリアが一歩近づく度に、彼は尻餅を着きながらも後ずさる。そして、拒絶するように、手を大仰に振るうが、彼女はそれが面白いのか、一歩、また一歩という風に少しずつデニスに近づいていく。


「ひぃぃぃぃ!!!! 来るな!! 来るなあっ!!!!」


 そして、アメリアに近づかれたデニスはまた後ずさるという、傍から見れば滑稽にしか思えない事を繰り返していた。

 その最中、デニスの脳裏には死の直前に見るという走馬灯の様に、彼自身の人生の様々な記憶が想起していた。その記憶の想起によってデニスは今迄の人生を振り返っていた。


(くそっ、くそっ!! いつもそうだ、いつもいつもいつもお前達は!! お前達は私から全てを奪っていく!!)


 デニスの人生には常に嫉妬心が心の中に付きまとっていた。その嫉妬心の原因は彼の弟であるディーンだ。ディーンは兄であるデニスより様々な点で優れていた。そう、彼は弟でありながら自分よりも優秀なディーンに常に嫉妬していたのだ。

 自分より後に生まれながら、自分に勝る才能を持つディーン、それはデニスにとってみればそれはこの世で何よりも許せない存在だった。


 また、デニスは自分が弟より劣っている事を自覚していた。正確に言うなら自覚させられたといった方が正しいだろう。教養、勉学、武術、社交等々、どんな事であっても明らかな才能の差というものを見せつけられたのだ。それ故、自分より優秀なディーンを常に疎ましく思っていた。

 それでも、一応は血の繋がった兄弟だ。ディーンも兄であるデニスの事を心底慕っている。疎ましく思いながらも、自分の事を兄として慕い、敬意を払ってくるディーンにその時は、無碍な事は出来なかった。


 しかし、それはある日を境に一変する事になる。その出来事が起きたのは、大事な用があるからとデニスとディーンの二人が父に呼び出された日だった。


「侯爵家は私が死んだあと、後継者としてディーンに継がせる」


 二人の目の前で彼等の父が告げた遺言とも言ってもいいその言葉で全てが変わってしまったのだ。

 父の言葉はデニスにとっては今迄積み上げてきた物の全てが否定される様な絶望を齎すものであった。

 その日まで、デニスは自分が侯爵家を継げると信じて疑わなかった。何故なら、この国では長子相続が基本である。幾ら優秀とはいえ、流石に父もこの国の基本である長子相続の慣例に従うだろうと考えていたのだ。いや、あえて考えないようにしていたといった方が正しいかもしれない。

 更に言うなら、デニスの中に自分が侯爵位に相応しい能力を持っている事を自負していた事も大きく影響している。

 だというのに、彼等の父は侯爵家を弟のディーンに継がせるという遺言を残した。その言葉はデニスの心の中にあるディーンに抱いている疎ましさを激しく刺激した。

 そして、彼がディーンに抱いていた疎ましさはその日を境に、劣等感や嫉妬心へと発展を遂げたのだ。

 彼等の父は最後までディーンに侯爵家を継がせる理由を語ることは無かったが、デニスはその理由を理解していた。言葉では語られたことは無かったが、言外に自分に侯爵家は任せられない、と父に言われたような気がしていたのだ。その事が更に彼の中の劣等感を刺激していた。


 そして、彼が抱く嫉妬の根幹はもう一つ存在した。それは、アメリアやルナリアの母であるユリアーナの事だ。


(ユリアーナ……、私の初恋の君よ)


 そう、デニスはユリアーナに恋慕していたのだ。元々、ユリアーナは親同士の取り決めで生まれた時からユーティス侯爵家の次期当主に嫁入りする事が決まっていた。

 そして、デニスはユリアーナと初めて会った時に一目ぼれをした。いずれ、彼女と結婚する事になると聞かされた時の高揚感は彼にとって生涯忘れる事が無いだろう程の感覚だった。

 だというのに、それすらも父の言葉で全てが変わった。


「何故だ!? 何故、何故あいつが私から全てを奪っていくのだ!? 侯爵家当主の座だけではなく、ユリアーナまで!?」


 ディーンが侯爵家を継ぐ、それはユリアーナと結婚するのはディーンであるという事だ。デニスにしてみれば、弟に侯爵家だけではなく、初恋の相手であるユリアーナまで奪われた。その時、デニスは人生で今まで一度も味わった事の無い様な絶望を感じたのだ。


 しかも、後にユリアーナは最初からデニスの事は眼中になく、ディーンにしか興味が無かったことを知った。後日、それを知ったデニスは乾いた笑いしか出てこなかったという。彼の今の妻はあくまで政略結婚で結ばれただけであり、デニスの心の中には今も初恋の相手であるユリアーナへの思いが募っていた。


 自分が継ぐものと思っていた侯爵位と初恋の相手であるユリアーナ、その二つを同時に弟であるディーンに奪われたデニスは彼に対してかつてない程に劣等感と嫉妬心を抱いてしまった。

 その日から彼はディーンの暗殺まで考えるようになった。もし、ディーンがいなくなれば自動的に侯爵家は彼の物になる。そして、侯爵家に嫁ぐ事になっているユリアーナも自分との婚姻という話になるかもしれない。

 だが、デニスにはどうしても暗殺という手段を取る事が出来なかった。何故なら、それは彼が自分の弟に劣っていることを認める事に他ならない気がしていたからだ。


 だというのに、当のディーンは侯爵家を継いでからというもの、時折自分の事を卑下し、デニスの方が侯爵家を継ぐのにふさわしいと言い続けている。それが更に彼の嫉妬心を煽る結果になっていた。


『お前の方が優秀だったから選ばれたのだろう。ユリアーナまで奪っておいてそんな事を言うなど、私に対する嫌味で言っているのか!?』 


 ディーンの卑下の言葉を聞く度、デニスはそんな思いを嫉妬心と共に積み重ねていく。


 しかし、デニスは表面上ではディーンとの仲が良好であるという演出していた。そうする事が彼にとって貴族社会で生き抜いていく上での最適解だったからだ。だからこそ、世間的にもデニスはディーンの側近役として知られている。だが、彼にはそれがどうしても耐えられなかった。

 何故なら、ディーンの側近と言われる度に自分は弟より劣っている、と言われているようにしか聞こえなかったからだ。彼の中にある弟に対する嫉妬心はまるで風船が膨らむ様に日増しに巨大な物となっていく。その嫉妬は更なる嫉妬を生み、やがてそれは取り返しのつかないものへと発展していく事になる。


 そして、その最後の一押しとなったのがファーンス公爵の寝返りの誘いだった。それは、彼の中にある嫉妬心という大きく膨らんだ風船に針を刺してしまった。その瞬間、彼の中にある月日を重ねて膨大になった、なりすぎたと言ってもいいほどの嫉妬心は一気に弾け出してしまう。デニスはディーンをこの世から葬り去る事しか考えられなくなっていたのだ。

 その後、彼の目論見通りディーンは妻であるユリアーナと共に国家反逆罪で捕まり、処刑される事になった。

 実際、ディーンが処刑された時からデニスはまるで自分が世界の中心にいる様な気分を味わっていた。自分を縛る嫉妬という鎖が無くなった解放感は言葉で表現できぬ程の高揚を彼に齎していた。こんな事なら、父が死ぬ前にディーンを暗殺しておけばよかった、そうすれば自分は今頃全てを手にしていた筈だった、と今まで生きてきた中でも最も激しく後悔したほどだ。


 恋慕していた筈のユリアーナの処刑を食い止めようとしなかったのも、自らの物にならないのならこの世から消えてしまえという至極身勝手な思いからであった。

 そして、ルナリアを養女にしたのも彼女が若き日のユリアーナにそっくりだったから。デニスはルナリアの事を初恋の相手であるユリアーナの代替品として見ていたのだ。だからこそ、ルナリアには愛情を注ぎ、結果として彼女もデニスの事を伯父として慕っている。

 また、デニスはルナリアに自分の抱える物と同じ様な心の闇を感じていた。それが、デニスがルナリアに愛情を注ぐ一因にもなっている。


 忌々しいディーンがいなくなった事で、デニスは自分の中にある劣等感から解放されていた。それは、彼にとってみれば自分の中の嫉妬心が消え去った満ち足りた日々だった。

 だというのに、彼は、アメリアの噂が聞こえてきた時、まるでこの世にいないはずのディーンが死後の世界から自分に呪いを掛けたかのような気分を味わったのだ。


「くそっ、くそっ、くそっ!!!! 死んだ後でさえも私の邪魔をするのか!?」


 ディーンが自分を呪い殺してやると言わんばかりにアメリアを送り込んできたのではないか。彼の脳裏にはそんなあり得ない妄想すら浮かんでくる。

 元々、デニスは余りアメリアの事を好ましく思っていなかった。どちらかといえば父に似て優秀だったアメリアは、デニスにとってみれば疎ましい存在だったのだ。

 だから、デニスにはそんな忌まわしい弟を彷彿とさせるアメリアが復讐という名目を掲げて、全てが思い通りになっている今の自分を殺しに来る事など到底耐えられる事ではなかった。

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