第64話チシャ

「はぁはぁ…… 待ってー!」


 息を切らせながら一人の少女がこちらに駆け寄ってくる。

 この子は…… 間違いない。昨日服屋で会った奴隷少女、チシャだ。


 俺もチシャに駆け寄ると、彼女は倒れるように俺の体に身を預けてくる。

 汗だくだ……


「フィーネ! 鞄から経口補水液を!」

「はい!」


 フィーネから経口補水液を受け取りチシャに飲ませる。危なかった…… 

 熱中症一歩手前だったな。

 水分を充分摂らせたところでチシャのおでこにキスをする。


「はわわ……」

「ごめんな。でもこれで状態異常は回復したはずだ。チシャ、一体どうしたんだ?」


 俺の腕の中でチシャは黙ったまま。

 桜が寄ってきてチシャの頭を撫でる。


「チシャちゃん? もしかして逃げてきたの?」

「…………」


 チシャは桜の顔を見てから黙ったまま頷く。

 逃げてきた…… そして俺達を追って来たということは…… 


「連れてって欲しいのか?」

「うん……」


 まずいな。気持ちは分かる。

 先の見えない奴隷生活。主人からの暴力に怯える日々。

 助けを求めるのは当然だろう。


 だが…… 俺と桜は日本に帰る、フィーネは仲間を助けるのが目的だ。

 こんな小さい子が危険な旅に同行するのは……


「チシャ、ちょっとそこの木陰で休むんだ。水も用意しておくから大人しくな」

「うん……」


 チシャを木の下に移動させ座らせる。少しチシャと距離を取って……


「どうする?」


 二人と相談を始める。

 一応だが俺はこのパーティのリーダーになってるが、こういう時は全員の意見を聞いておいた方がいい。


「パパ…… 私はチシャちゃんを助けてあげたい! だってあんな小さい子があんな辛い目にあってるなんて放っておけないよ!」

「気持ちは分かる。でもな、辛い想いをしてるのはチシャだけじゃない。この国の奴隷がみんな同じ想いをしてる。チシャだけ助けたって何の解決にもならないんだぞ?」


「でも……」

「フィーネはどう思う?」


「私は…… ライトさんの言う通りだと思います。それにこの旅には危険がつきまといます。あんな小さい子が巻き込まれでもしたら……」

「そんな…… フィーネちゃんまで……」


 桜の表情が暗いものになる。しかしだ、ここは言っておかないといけない。


「桜…… 旅の目的を忘れるな。俺達は日本に帰る。一時的にチシャを助けたとしよう。その後はどうする? この国で逃亡した奴隷がどうなるかなんて知らない。でもあの子は夜泣きがうるさいっていう理由で舌を切られたんだぞ? もし捕まったらもっと酷い目にあうに決まってる。俺達が日本に帰った後はどうする? あの子を見捨てることになるんだぞ?」

「分かってるよ…… そんなの分かってるよ! でも! チシャをこのままにしておくことなんて出来ないよ!」


 そうか…… 桜の決意は固いみたいだな。なら……


「多数決だ。それでチシャを連れていくかどうかを決める。恨みっこなしだ。いいな?」

「分かったよ……」


「では…… チシャをこの旅に同行させてもいいと思う者…… 挙手!」


 桜が手を上げる! フィーネも手を上げる! もちろん俺もだ! 

 ん? 桜がポカーンとした顔をしてるが。なぜだ?


「どうした?」

「いや…… だってパパ、チシャを連れてくことに反対してたんじゃ……」


「あれ? 俺一言も反対だって言ってないよ。チシャを連れてくことのリスクを知っておいて欲しかっただけだ」


 先に思った不安はある。

 だが、命をかけて俺達を追ってきたチシャの覚悟を受けとめてあげないとな。


「フィーネちゃんも…… てっきり反対するかと思ったよ……」

「ふふ、私もライトさんと同じ気持ち。でもね、どうなるか、どうあるかを考え続ければきっとみんなが幸せになれる道が見つかるわ。でしょ? ライトさん?」


 ははは、俺がフィーネに言った言葉だ。

 正直今はチシャを連れていっても、旅が終わればどうなるかなんて分からない。

 もしかしたらこれは愚かな選択なのかもしれない。

 結果としてチシャをより不幸にしてしまうかもしれない。


 だが…… そうならないように考え続ければいい。

 きっと答えは見つかるはずだ。


「桜、チシャの面倒は任せるぞ。あの子はお前を信用してるはずだからな。途中でめんどくさくなって俺に押し付けるなよ?」

「もう…… チシャを犬か猫みたいに言って……」


「猫獣人だろ?」

「そういうことじゃなくて! もういいよ!」


 はは、怒らせちゃったか。桜はチシャを迎えに行く。

 その前に振り向いて一言。


「パパ…… フィーネちゃん…… ありがと……」


 どういたしまして。ちゃんと面倒みろよ? 

 桜は嬉しそうにチシャの手を引いて戻ってくる。

 これからチシャも旅の仲間だ。俺はチシャと目線を合わせて……


「これからよろしくな。俺は来人だ。桜から聞いてるかもしれないが桜の父親だ」

「ライト……」  


「そうだ。呼び辛かったらおじさんでもいいぞ。好きに呼んでくれ」

「はい……」


 緊張してる? いや、怖がってるのかもな。

 この子は奴隷として人族から酷い仕打ちを受けてきたはずだ。

 桜は歳が近く、同性。更には傷を癒してくれたことで信頼しているのだろう。

 俺は違う。恐らく俺もチシャにとって恐怖の対象なのかもしれない。

 せめてこの旅を続けている間は…… 


 チシャを抱っこする。


「はわわ……」

「大丈夫。怖がらないで」


 そのままチシャをキリンのムニンに乗せる。俺もそのままムニンに跨がる。

 チシャを前にして、俺はその後ろに座る。


「悪いが桜とフィーネは二人でフギンに乗ってくれ。北に進めばオアシスがあるはずだ。それまでチシャと一緒に行くよ」


「えー、チシャちゃんと乗りたかったー」

「私もライトさんと乗りたかったのに……」


 まぁいいじゃないの。ここはパーティリーダーの職権乱用といこう。


 俺達はキリンに跨がり町を離れる。

 一時間もすると、町は完全に見えなくなった。

 今のところ追っ手は来ないようだな。


 更に北のオアシスに向けて進むこと一時間。

 前に座るチシャの背にジンワリと汗が。

 しまった。俺達はサハーっていう日射しを遮ることの出来る服を着てるが…… 

 チシャは貫頭衣のような服しか着ていない。これじゃ暑いよな……


「桜、フィーネ。少し休憩しよう」


 日射しを避けるため、フィーネにテントを設営してもらう。

 チシャをテントの中に寝かせて……


「チシャ。大丈夫か? 辛かったらすぐに言うんだぞ?」

「でも…… わがまま言っても怒らない?」


「はは、それはわがままって言わないよ。これからは仲間なんだ。言いたいことがあったらすぐに言うんだ。ここではチシャを傷付ける人は誰もいないからね」


 横になるチシャの頭を撫でるが、大きな獣耳がペタンと後ろに下がる。

 警戒してる時の動きだ。


「もう少し横になってな」

「うん……」


 テントを出ると桜が話しかけてくる。


「ねぇパパ? どうしてチシャちゃんとキリンに乗るの? 普通に考えれば私と乗る方がよくない?」

「まぁね。でもこれはチシャのためでもある。彼女はこれまで人族を恐怖の対象として認識していたはずだ。これから先俺達と別れ一人で生きていかなくちゃいけない時も来るかもしれない。その時に人に対して恐怖を抱いていては生きるのが辛くなる。今の内に頼れる人もいるって認識させておこうと思ってな」


「へぇー…… 結構深く考えてたんだねー。てっきりパパは幼女趣味なのかと思ってたよ」


 あほか。そんな趣味ないわ。

 まぁ確かにチシャはかわいい顔してるがね。将来は美人になるに違いない。


「それはよしとして…… フィーネ、極北の冒険者のマントを出しておいてくれ」

「マントを? 何に使うんですか?」


 フィーネからマントを受けとる。

 これはヴェレンのダンジョンでゲットした品だ。効果は体温維持。

 寒い夜は寝具として使っていたがここではチシャのために使おうと思う。


 休憩すること更に一時間。チシャがテントから出てきた。


「もう大丈夫なのか?」

「はい…… ごめんなさい…… わたしのせいで……」


 足止めを食っているのを自分の責任だと感じているのだろう。

 子供がそんなこと思う必要ないのにな。俺はチシャにマントを被せる。

 全身を覆い隠せるほど大きなマントだ。

 そのままだと不格好なので、腰ひもを閉めてローブっぽくする。


「はわわ……? あれ? 涼しい?」

「はは、これは体温維持効果があるんだ。熱くなった体を冷やすことも出来ると思ったけど正解だったな。それじゃ旅の続きだ! 二人共! 目指すはオアシス! 今日中に着くぞ!」


「うん!」「はい!」


 俺は再びチシャをキリンに乗せ、街道を進むことにした。

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