第54話 自涜

五十四

 小学校を通して、僕は自分の居場所がないことを学びました。自分はいてもいなくてもどちらでもいいような気がしました。かといって、「死にたい」という言葉を使う権利があるほど、切迫した生活をしているわけではない。


 つまり、「死ぬ」に値するほどの十分な理由がないのです。しかし、「生きていきたい」と思えるほどの理由もないのです。


 僕は「死にたい」と「生きたい」の狭間で宙吊りにされました。どちらにつくこともできません。こんな自分を何かが救ってくれるという神話を信じてみたいと思いました。


 しかし、神にも、他者にも、自分にも縋ることができません。何一つとして、生きる意味を僕にくれるものがなかったのです。


 こんなことに悩んでいる人間は、この地上に自分しかいないような気がします。おそらく、君は僕の悩みの本質が全くつかめないでしょう。君は僕を考えすぎだと揶揄するでしょう。考えないで済むのなら、僕も考えずに生きていきたいと心の底から思います。


 しかし、脳が誤作動を起こして、考えてしまうのだから、仕方ありません。僕が悪いのではありません。脳が悪いのです。


 僕みたいな誤作動を起こす脳に生れなかった人が羨ましい。そんな脳であったなら、もっと幸せに生きることができたのではないかという想定をしてしまいます。僕は単細胞に生まれてきたかった。こんな無駄な知性などどこかへ吹っ飛んでくれたらいいのにと思ってしまいます。


 そんなあるとき、僕はこの苦しみを誤魔化す方法を知りました。実に恥ずかしいものです。自涜です。自涜をしていると、知性の働きが鈍くなるのです。頭を駆け巡る想念といったものが一瞬にして消え去るような快感を得ることができたのです。


 しかし、ことを為し終えると、一気に虚脱感がするのです。そして、脳の中をいつものように血液がぐるぐると回り、脳を締め付けるのです。苦しくて、苦しくて、仕方がありません。


 後で、僕は自涜が性的な意味合いを帯びていることを知りました。小学生の時には、そんなこと知る由もなかったのです。というのも、そのときの僕は性的な快楽というものを一切知らなかったからです。


 僕は「生」がもたらす苦しみに喘いで、小学校生活を送りました。しかし、後の人生では、「生」だけでなく、「性」も僕の人生に困難をもたらす足かせとなったのです。

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