第10話 疑念

 先生が帰った瞬間、今日という日が終わった。いつも以上に会話することができたはずなのに。どうして、こんなちょうどいいときに電話がかかってくるのだろうか。寂しい。満たされなさを感じた。


 食事を終えた先生が帰る場所とはどこなのか。先生は一人暮らしだと言っていた。だから、先生は実家に帰るわけではない。友達の家なのか。だとしても、「帰る」というだろうか。友だちだとしたら、「行く」ではないか。


 そう考えると、男の影が頭に浮かんだ。


 誰なんだろう。どんな人なんだろう。あらゆる疑問にとりつかれた。どれ一つとっても、現段階では真実が分からなかった。どうあがいても、知りようがなかった。知りようがないからこそ、一層知りたくなった。嫉妬と好奇心が入り混じるような気分だった。


 やるせない気分になって、皿を洗った。今にでも、皿をシンクにぶつけて、叩き割りたくなった。


 けれども、母の姿が浮かんでそんなことはできなかった。皿が割れているのを見たら、母は僕に怒鳴るかもしれない。怒らせたくない。


 僕は赤いソースを力強く洗い落とした。むしろ、皿に傷がつきそうだった。


 自然と体が二階に上がる。枕を抱いて、ベッドに横になった。白い枕が顔の下半分に当たる。白い枕を見ているうちに、先生の白い肌を思い出した。このきれいな肌に自分は触れる権利すらない。自分のこの不浄な手が憎らしい。そう思えば思うほど、枕を抱きしめたくなった。客観的に言えば、単なる代償行為にすぎない。


 けれどもそうせずにはいられない。


 一方は一人の夜。他方は、二人の夜。一方は枕。他方は、人の肌。あのきれいな肌も手もうなじも胸もヒトノモノ。結局、僕は何ももっていない。はあ。吐息を枕に吹きかけた。あたりは静寂に包まれた。誰も何も返してくれない。ぱたりと枕を抱くのをやめた。


 どうして、こんな定めなのだろうか。一人でいることの寂しさを味わうために自分の人生があるような気がした。前世の報いなのだろうか。そういう星のもとに生まれてきてしまったのだろうか。天罰なのだろうか。ついこんな非科学的な説明をしたくなってしまう。


 僕は自分が置かれている状況に対するはっきりとした理由が欲しかった。理由が納得できるものであれば、救われるような気がした。けれども、その理由が分からなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます