第48話『水面下での攻防』



 こうなることをハウアー国王は予期していた。



 幾重にも対処を用意しても、ラッサロン・ニホン、リクト・イルリハラン、アルタランの三つ巴の状況となり、ニホンにとってまさに最後の砦となるラッサロン退去となることを。


 リクトがハウアーと同じ思想か、追従して意思を尊重する性格であるならば苦労はしなかった。



 だがハウアーはリクトを赤ん坊のころから見て来た。


 兄弟と言うのは相反するものだ。兄は先頭を進んで後ろを進む弟を導こうとするが、その弟は兄の背中を見てああはなるまいと反抗心を抱く。


 だからか、他国と対立しても利益を追求するハウアーとは逆に、自国の利益より国際社会との同調性を重んじるようになった。



 現代社会では国際社会との同調は不可欠だからそのことに対して思うことは少ないが、ユーストルに関しては別だ。


 他国との軋轢を防ぐためにユーストルを一部でも明け渡す前例を作っては、今後も似たようなことが起きてアルタラン一強時代が来る。



 世界平和と称してなんでも介入出来るようになってしまえば、瞬く間にディストピアに突入だ。


 何としても自国の領土で出た資源は、責任を持って自国で管理する図を成功させなければならない。


 そうなるとラッサロン浮遊基地がカギとなるが、リクトなら別の基地と交代させるだろう。戦闘が起きたとしても、ニホンに好意的な基地とそれ以外では士気が違うからだ。



 それにラッサロンにはアレがある。



 よってハウアーは信任状捧呈式のためラッサロン基地に向かう前に、ある勅令を勅令監査委員会に出した。


 その勅令は条件式で、いくつかの条件が揃った時に効力が発揮するようにしてある。これは政治的に問題が大きいときに勅令監査委員会を納得させる方法の一つだ。


 勅令は法律や憲法を無視して実現可能な事であれば何でもさせられるが、その反面批判が大きく、クーデターのキッカケになりかねない。


 だから、問題の大きい勅令を出す場合、複数の条件が揃ったら発揮する方法がいつからか生まれた。



 成立させる条件は四つ。


 一つ、ハウアー国王の身に何かが起こり、死亡または職務不能となること。


 二つ、アルタランがニホンの農奴政策に乗り気であること。


 三つ、ニホンとの国交条約そのもの又は調印が行われないこと。


 四つ、ラッサロン浮遊基地にユーストル撤退命が出ること。


 以上四つが公式で発表された場合、ハウアーが最後に出した勅令が実行される。



 ハウアーが勅令を出したときはまだ二つ目のみであったが、向こう側の策略が順当に進めば他三つも埋まると確信していた。


 伊達に長いごと政治に関わってはいないのだ。これくらいの先見の明は持ち合わせている。


 ただ、これは最悪の場合での予防策である。こうなるとあとはニホンとエルマたちに任せっきりとなり、おそらくハウアーは手を出せず何も知ることもなく事が終わるだろう。



 これが通ればリクトとアルタランは想像通りの動きが出来なくなるだろう。時間稼ぎに過ぎないのか、それとも解決に導けるかは分からない。


 出来ることはやった。あとは同じ思想を持つ者たちに託す。


 同じ思想を持つ者たちよ、どうか価値ある未来にしてくれ。



      *



 日本から見て、周りは皆敵であるが解決法は至って簡単だ。


 アルタランの農奴政策を撤回させるだけである。


 幸か不幸か、この一連の政戦は政府間の水面下で行われている。



 世間には公表されず、不穏な空気を漂わせてはいるが、それでもある意味の一致団結で、日本包囲網は表ざたにはなっていない。


 だからこそ、日本はまだ道がある。



 ここでアルタランの農奴政策を表ざたにせず、政治的解決をして撤回させれば世論に影響を残さずに主権を維持し続けられる。


 これが表ざたになれば例え政治的解決に導いても、今度は日本は農奴政策をするだけの理由があると認識されてしまい、異星人排除団体が組織されたりと火種になる。


 日本としては、誰にも広まることなく農奴政策を撤回させて、アルタランと握手を握れる関係に行きたい。



 例え一度は対立しても、和解して手を握り合えるのが政治と言うものだ。かつての日米がそれを証明している。


 単純にして難解な問題。これを解決するには、どうしても一つだけ『鍵』が必要だ。


 その鍵とは、日本委員会を農奴政策を邁進させる理由だ。


 この一つの鍵を得るだけで、八方ふさがりの日本に希望の扉が現れる。



 しかし、徹底的に隠しているのか、その片鱗すら日本委員会から漏れることがない。機密情報と言うのは少なければ少ないほど漏えいリスクが減るが、委員会を構成する各国の大使のみの判断ではまず実現は出来ない。必ず自国政府の判断があるから、委員会の倍以上の人が知っているはずなのだ。


 なのに片鱗すら漏えいしないのは、それだけ漏えいした際のリスクが高いことを示唆している。そのリスクも色々と考えられるが、情報が無ければ色々は多岐に渡って絞ることも出来ない。


 結局のところ情報収集手段がないのが現状だ。



「委員会を動かす理由って何だろうな」


 羽熊は自室で資料を見ながら呟く。


 その資料と言うのは、言語学から見ると程遠いものだ。



 通訳に合わせて優先順位の高かった教本化は、特急でどうにか最低限の目途を付かせてチームに引き継がせた。あとは他の隊員から上がってくる情報と併せ、教本化と通訳ソフトが出来ていくだろう。


 これで『言語学』については一区切りがついたわけだが、『異地第一人者』としての仕事は終わらない。



 深く異地の政治に関わっているばかりに、アドバイザーとして日本政府に協力してほしいと通達が来たのだ。アルタランによる農奴政策がなければお断りして帰るところ、さすがにそうもいかずに残ることにして、自分なりに答えが出せないか集められるだけの資料に目を通していた。


 フィリアの世界地図から始め、多くの資料が入って来ている。無論検閲をしているだろうが、それでも日本にとってはどれもこれもが宝だ。


 その中には各国の首脳の顔写真付きで送られているので、日本政府や外務省でもたいへん重宝されている。



 問題なのが、全部マルターニ語なのでいちいち訳さないと名前すら分からないことだ。


 さすがに羽熊も何も見ずにマルターニ語は読めない。ただ、簡易辞書は出来てるので投入できる人員を駆使して翻訳作業をしていた。


 それでも分からないところは、ラッサロンのルィル達に聞いている。



 イルリハランで政変が起きた以上、いつラッサロンに命令が下って関係が遮断されるか分からない。そうなる前になるべく情報を得ようと、須田駐屯地とラッサロン天空基地はコンタクトを取り続けているのだ。


 唯一の味方をしてくれたイルリハランがトップが変わったことで離れ、変わったことでその下にあるラッサロンが離れるのも時間の問題だ。


 だから可能な限り情報を得ようと貪欲に求め、ラッサロンも意図に気づいて答えてくれている。



「やっぱり異星人や天地の違いからかなぁ」


 ノートに雑な『異星人』と『天地』を書いてグルグルと線で囲う。


「でもだからって全会一致で資源採掘を強要させるってのは無理あるよな。だったらビジネスとして契約する方がスムーズだし」



 元々日本は資源採掘をするつもりだった。それが外貨や信用を得るために最短ルートであることを知っていたからだ。なのにそれを強制するとなると話は変わる。


 内容と結果は同じでも、最初が違えば質が変わるからだ。


 仕事は納得した上でする方が良質な結果が得られる。納得せず、無理強いさせれば結果は知っての通り。良いとはとても言えない。



 社畜のようにサービス残業や労働時間を大幅に過ぎてまでするのは、自ら入社したのもあるし、安かろうと給料と言う見返りがあるからだ。必要あらば退職や転職も出来る。


 でも農奴にはそれがない。職業選択の自由や移動の自由が奪われ、決まった場所で決まった仕事しかさせられない。



 日本に向かっている農奴政策は、接続地域近辺なら本土から『出勤』させられても、他の場所であれば住居、移動、職業の選択、どれもが出来なくなる。だから農奴が当てはまるのだ。


 おそらく農奴は副次的な物で、メインは自由を奪うこと。


 日本本土に押し込めた上に、監視して動きを奪おうとする。でもそれでは維持費がかかるから、維持費代わりに強制的に地下資源を採らせようとする。



「でも……そもそもなんで公表しないんだ?」



 ふと思う。国連相当の安保理が加わる日本委員会を丸め込めるだけの情報なら、世論も大部分が認めるはずだ。世論百パーセントこそ無理でも、全会一致出来る説得力があれば過半数は越えるだろう。


 日本委員会だけでなく、二十億人近い市民の同意を得ればより人権軽視への抵抗は低くなるはずだ。なのになぜ日本委員会は農奴政策と理由を公表しないのか。


 逆に公表することは出来ないのか。


 羽熊はテーブルに広げた資料を手にして捲る。



「……例えば、一人が農奴化するべきって言わせられるだけの情報を流した。でもその情報は世間には広げちゃいけない情報で、もし広げたら自分たちも追い込まれる……」



 ならば公表しない理由になる。


 もしくは単純に人権の扱いが地球より強く、団体の中で日本人の人権を大事にしろと運動があれば、不用意に政策を言うことは出来ない。


 どんな理由があれ、公表できない何かがあるのは確かだ。



「なにか裏付けさそうなのはないか」



 アルタランと付箋が張られた書類の束を手にする。


 パラパラと日本委員会を構成する各国の大使や、先進国の国家元首の写真を見ていく。


 ただ見ているだけで、特に考えているわけではなかった。


 しかし、その何も考えていないのが良かったのか、無意識に蓄積していた情報がある地点に達したからなのかは分からない。


 羽熊は一連の問題の出発点であろうレーゲン共和国大統領、ウィスラー・バルランムの写真を見た瞬間、脳内で何かが弾ける感じがした。



「……?」



 羽熊はすぐにルィル達と出会った直後から、今日までに至るまでに出会った男性リーアンを思い出す。



「ファッション……それとも自然……にしてはそんな話は一度も聞いたことないよな」



 地球では自然でもファッションでもありえる。けれどここではどちらでも聞いたことがないし、ウィスラー以外見たことがない。


 違和感を覚えてからは羽熊はウィスラーの顔を凝視し、手探りで虫眼鏡を探して大きくズームする。



「…………」



 五分、十分と見続け、その違和感がだんだんと形となっていく。



「まさか……いやそんな……でもありえる?」



 羽熊はすぐに別の資料を探して大急ぎで捲る。


 その資料を目にし、優性遺伝で百パーセントの確率で遺伝することを確認して、羽熊は戦慄する。


 今、考えている仮説がもし事実だとすれば、全ての状況に説明が出来る。



 転移して数日の、会ったこともない調査隊に対して不必要なはずの〝対地攻撃〟をしてきたこと。


 七十年以上前からフォロンが眠るユーストルを領土として求め、多国籍軍を結成してまでユーストルを狙ったこと。


 何もしていない日本に対して、アルタランの日本委員会が突然農奴政策を模索しだし、それを頑なに公表しないこと。


 もしウィスラーが全ての発端であるならば、その全部が納得できた。



「上に伝えないと」



 もう羽熊の中にはそれしか考えられなくなった。


 物証のない考えは大変危険だ。妄信して事実を否定してしまう。


 しかし三ヶ月と短いながら、誰よりも長く接している羽熊には直感に伴うが自信があった。


 時として直感は重要だ。理屈を盾に直感を否定するとただただ時間だけを失う。


 仮説であっても道があるなら伝えるべきだ。


 羽熊は早歩きで穎原司令のいる指令室へと向かい、在室のプレートを確認してノックをする。



「どうぞ」


「穎原さん、羽熊です」


 穎原司令は事務仕事をしており、羽熊は机の前まで向かう。


「突然すみません」


「いえ、羽熊博士が来るとは珍しい。何かありましたか?」



「単刀直入に。仮説なんですが、日本委員会が農奴政策を推し進める理由を立てました。かなり説得力が見込めるので政府にも伝えたいんです」


「農奴政策を進める仮説、ですか」


 少し険しい顔をして羽熊を見る。



「仮説ですので、それを基準にするのは難しいと思います。私も今興奮しているので、頭が冷めたらダメ出しが出るでしょう。でも案の一つとして頭に入れてもいいかと思って」


「その仮説、まずはお聞かせください。いま政府は定説ならまだしも仮説を聞き及んでいる余裕はありませんので」


「……なにかあったのですか?」


「ええ、まあ」



 穎原司令の顔色からして、良い話ではなさそうだ。


 仮説でもこの話を聞けば、後のアルタランの視察でも前向きに進めるはずだが。



「午後六時に発表されることですが、四国沖ユーストル海岸、深度二五〇メートルにてアメリカ海軍所属のコロンビア級戦略原子力潜水艦があるんです」



 羽熊が考えた状況を打開せきるかもしれない、有力な仮説を吹き飛ばすかのようなことを穎原は言った。



「げ、原子力潜水艦……ですか?」


「驚くのは無理もないでしょう。政府としてもうれしくもあり問題の塊ですからな。攻撃型ならまだしも『戦略型』なので、核兵器を搭載しています」


「っ!?」



 羽熊は手に持っている資料を床に落とした。


 原潜は『攻撃型』と『戦略型』に大別できる。攻撃型は魚雷や対地ミサイルを発射する潜水艦。艦隊に随伴して任務に就くに対して、戦略型は基本単艦で核弾頭搭載大陸間ミサイルを搭載している。


 万が一本土が核攻撃を受けた際に、報復として居場所が分からない海中から核攻撃を行うのだ。本土だと移動が出来ないから最悪無力化させられるが、潜水艦だと海のどこにいるのか分からないから事前の無力化が出来ない。



 元来持ちえず一から開発しなければならない核兵器を、戦力化した状態で得られるかもしれないと言うことだ。


 これは今の日本にとってジョーカーと言える。最強のカードであり災いを呼ぶカード。


 が、解せない点がある。



「どうして原潜がここに? それにいつから知っていたんですか?」


「存在に気づいたのは二週前です。ですが非常にデリケートな案件なので、すぐさま公表はしなかったようですね。私も知ったのはつい先日です」


「その潜水艦はどこかの基地に?」


「報告ではユーストル側の岸壁に艦尾が食い込んでいるそうです。結晶フォロンの岸壁にです」


「転移の境にいて、断裂しないで原潜がそのまま転移したってことですか?」



 境に跨るようにいれば裂けるはずだ。固定物でなければ転移する際どちらかに引っ張られるのだろうか?



「乗組員の救助は出来るんですか? 二五〇メートルって相当深いでしょう?」


「結論から言えば可能ですが、生存者はいません」


「いない?」


「先日、秘密裏に潜水艦救難艦〝ちよだ〟にて救助活動を行ったようですが、全員死亡していたそうです。何が艦内で起きたのか航海日誌等を調べてはいるようですが、理由については一応餓死です」



 一応、では国民には言えない死に方だろう。



「それにしてもタイムリーですね。核保有容認派が八割を超えたところでの原潜の公表は」


「偶然なのか、神がこれを使えと用意させたのかは分かりません。でも、大気圏落下したレヴィアンを破壊するなら核兵器は普通の選択ですね。まあ撃てなかったようですが」



 撃てば電磁パルスが発生して、日本全土で電子機器が死んでしまっていた。そうすれば今こうして活動することも不可能だった。


 しかし小惑星への対処に核兵器は定石だ。考えない方がありえないが、それはあくまでフィクションでの話だ。海自の一斉迎撃ミサイルも、音速の六十倍もするレヴィアンを捉えたのははるな型ばかりでそれでも多くないとも聞く。例え撃ったとしても当たったかどうか分からない。



「なので、いま政府は原潜の存在の発表を控えていて大変忙しいです。いくら有力であっても仮説では、伝えるのは少し早いですね」


「……そう、ですね。私も今さっき閃いたばかりなので、もう少し冷静に考えたいところです」



 沸騰していた頭が、今のことで一気に冷えた。


 農奴政策へ進める仮説より、直接交渉できる外交カードの方が威力は桁レベルで違う。



「ですけど、水深二五〇メートルの岸壁に食い込んだ原潜を引き上げられるんですか?」


「岸壁を爆破して引きずり出すしかないでしょう。潜水艦としては役には立たないでしょうが、潜水艦が存在しないこの世界では沈没さえしなければ問題ありません」



 空に立つゆえに海中への重要度は低い。


 この世界でも潜水艦があれば大変な脅威になりえるが、いかんせん広大過ぎるために原子力でなければ燃料が足りないし、海中も疑似的には地中だ。余程の覚悟が無ければ不可能だろう。


 だから海中を探るのは魚群探知機程度しかない。



「……穎原さん、こんな大事なことを私なんかに話していいんですか?」


「午後六時には公表されることですので構いませんよ。それに羽熊博士は誰よりも異地に詳しい。このこととその仮説で、打開策が考えられれば儲けものですよ」



 午後六時まで大体八時間。約半日早くこの情報を得ただけでどう考えを得られるか。


 仮説と核ミサイルから導く解決手段。政治ははっきり言って避けたいが、そうも言ってられない。


 羽熊はすでに政治の中心に立ってしまっているのだ。


 アルタランの考えを阻止し、互いが妥協しあった果てにWINWINになるよう知恵を絞りださないとならない。



「それで、博士が閃いた仮説を聞かせてもらえますか?」


 と、穎原は話を最初に戻し、羽熊はその仮説を説明した。



      *



 コロンビア級戦略原子力潜水艦。



 オハイオ級戦略原子力潜水艦の後継艦として建造された、アメリカ海軍の最新原子力潜水艦である。


 レヴィアン落下の対処として五年推しで建造され、原子力潜水艦のアキレス健であった静穏性を大幅に改善し、通常型よりは劣るものの最大の弱点は薄れさせた。


 ほぼ無限の燃料に加え、高い静穏性を備えたこの潜水艦は誰にも探知されることなく潜水艦発射弾道ミサイルを発射できる。



 潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)は十六基装備し、そのミサイルには五発の核弾頭を搭載することから約八十発の核兵器を持っていることになる。


 その戦略原潜が四国沖ユーストル側岸壁、水深二五〇メートルの位置に食い込む形で発見された。



 潜水艦は動いていればまだ発見が可能だが、静止していると自ら音を発して探索するアクティブソナーを使っても発見は難しい。


 原潜はその性質上、完全な無音は不可能であるため、その音によって探索が出来るがコロンビア級の原潜はその音も限りなく小さかった。


 なにより日本は転移後も対潜行動を続けていたが、日本と共に他国の潜水艦が来た可能性は低いと考えていた。



 その理由は落下地点側に潜水艦を配備するのは死地に赴けと言うようなものだからだ。


 日本はほぼ消滅。その衝撃波によって海上だけでなく海中も大きく乱れることから、乗組員の生存は絶望的だ。


 いくら人類文明が崩壊するとはいえ、死ぬ確率が高い海域に連れて行く決断は中国もロシアも下しはしない。


 だがアメリカは下したらしく、元来であれば日本はもちろんグアムにもいない戦略原子力潜水艦が危険水域にまで来て、転移に巻き込まれた。



 その事実を知ったのは、日本側がアルタランの農奴政策を知った一週間後だ。


 国防軍海上自衛隊は燃料使用量削減を余儀なくされるが、最低限の活動だけはしないとならない。万が一中国でもロシアでも潜水艦が転移し、それが攻撃型であれば日本の敵ではないものの、核兵器を積んだ原潜が相手だと脅しを掛けられる。



 日本は法治国として法を順守した活動しか出来ない。けれど母国を失った潜水艦は法を無視して独自の判断で動ける。


 撃てない兵器を撃つことが出来るのなら日本にとってこれ以上の脅威はないだろう。


 だから日本は最小運用数で対潜行動を取り続けてきた。


 その結果二週間前に原潜特有の音を感知し、コロンビア級戦略原子力潜水艦〝ジョプリン〟を発見したのだった。



 日本政府は直ちに救助を指示し、潜水艦救難艦〝ちよだ〟が秘密裏に横須賀から出航した。


 ちよだは潜水艦の救助と補給を兼ねた艦で、最大千メートルまで救助活動が出来る。よって水深二五〇メートル程度であれば訓練通りの活動が出来た。


 潜水艦は各国それぞれで仕様が違うが、救難に関しては国際規格で統一されている。そうでなければ自国の潜水艦は自国でしか救助できないからだ。人道上それは許されないため、救難ハッチの規格だけは統一されている。


 さらに日米安保もあって多少の情報共有もされているので、発見から立ち入りまで四日も掛からなかった。



 問題はこの先だ。


 救助隊が艦内に入ると、一五五人はいるはずのクルーは全員死に絶えていた。錯乱した兵が銃乱射をしたのか、艦内で内乱でもあったのか艦長を含め銃撃によって死に、死後一ヶ月以上は過ぎていて腐敗していたのである。


 それでも潜水艦は自動で稼働を続け、メルトダウンを防ぐために原子炉に冷却水を送り続けていた。


 注目すべき点に発射状態だが、実のところ発射は可能状態だ。発令所にはアメリカ本土からコードが送信されており、そのコードを元に発射手順を行えば実際に核ミサイルは発射可能らしい。



 ただ、GPSが存在しない今、発射したところで出鱈目な方向に飛んでしまうため、核爆弾としては使えるが核兵器としては意味を成さない。


 それでも日本にとって、ある種最強の外交カードが舞い降りてきた。


 棚からぼたもちならぬ、海中から核兵器だ。



 日本政府はこの二週間、国交条約と並行してこの問題の対処を秘密裏にしていたのだからその苦労は想像を絶する。


 非核を謳う日本が、偶然とはいえ核兵器を『拾う』のならば国民の反応は分かりやすい。


 安易に公表すれば処分と取得で世論は真っ二つだろうし、国会での論及も必至だ。


 状況的に安全保障上保有は必須とはいえ、この世界にデカすぎる火種を作ることになる。


 そんなときに起きたのがイルリハランの政変だ。



 イルリハランとの国交条約が中断されたことで世論の核保有容認は跳ね上がり、日本政府は混乱の最中ベストタイミングとして原潜の存在の公表に踏み切った。


 核保有容認が跳ね上がった時に言及しなかったのも、時と場所を考えての事だ。


 日本の安全保障に関わる重大な事を、世論調査に対する返答でさらりと言うわけにはいかない。


 無論反発する意見もあるだろう。特に野党や旧九条の会、非核団体は大声を上げる。


 だが今を逃して言わなければ世論の同意を得ての準備が出来なくなる。



 乗員の供養から非核三原則の撤廃や原潜取り出し作業に運用への整備、さらにはミサイルの誘導と、不眠不休で取り掛かっても月単位で出来ることではない。


 窮鼠猫を噛むように、日本も追い込まれれば禁忌の力を手にして立ち向かう。


 佐々木総理は、名誉と汚名、どちらとも永遠に名を刻む決意を持って、核兵器を短期間で得られる事実を公表した。


 今までやられっぱなしだったからこそ、着々と反攻への準備を進めていく。

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