第46話『黒に限りなく近い灰色?』



 イルリハラン王国の法律には、王位継承権法と言う法律がある。


 文字通り、王位を継承することを定めた法であり、これにより国王の地位と他の王室の地位と順位を明確にしていた。



 条文の一つに、現国王の健康が損なわれ、医師の診断により執務が一週間以上不能と判断された場合、執務可能となるまでの間、王位継承順位第一位が代理として就任。王権の全てを一時的に継承するとある。


 代理であるため王権は必要最小限でもよいのではないかと言う案があったが、一時的な代理であっても『国王』であることに変わりはない。権能を限定してしまうと国王の下位となってしまい、他国に舐められる恐れがある。そして代理となるのは次代の国王ともあって権能を全て引き継ぐこととなったのだ。



 王権を継ぐことによって国王が発する命令で、憲法と法律を無視出来る『勅令』や、下位命令で憲法と法律の枠内なら最優先で実行させられる『王命』も出すことができる。


 王位継承権法では王の崩御又は執務不能となった場合、一時間以内に王位継承または代理就任が規定されている。



 よって、ハウアー国王が倒れてから四時間後、ラッサロン浮遊基地に常駐する医官によって昏睡が四週間続くと診察されてすぐ、首都指定都市イルフォルンで執務をしていたリクト・ムーア・イルリハランに政府高官が来た。


 リクト王太弟もネット配信を見ていたからこうなることは分かっており、すぐさま代理就任の儀が行われた。


 リクトは王太弟から国王代理となり、一時的とはいえイルリハラン王国国家元首となったのである。



 その後の流れは就任演説を行って今後の方針を国民に伝えるのだが、リクト国王代理は代理就任の義を終えた直後に調印式の中断を王命の形で命令した。


 従来の条約は国王と右院左院の議決多数決で決まり、今回のニホンとの国交条約はハウアー国王と右院の賛成、左院の反対で可決となった。


 が、国王が変わり、王命を利用してハウアー国王の賛成を棄権に無理やり置き換えたことによって議決が変わった。



 大勢の表決による各議院の決議と違い、国王は単独で可否決議が出せる。それゆえに最終セーフティーの意味合いも込めて国王のみ決議の変更が出来る。これは王位が途中で変わっても変わらない。そもそもその規定すらない。


 全会一致では意味のない権能だが、一つでも可否が分かれると最終調印がされるまでに変更が可能なのだ。


 リクト国王代理は、ハウアー国王の決議を反対ではなく棄権とした。よって可決と否決が半々となり、中断と言う運びとなった。


 ハウアー国王の代わりとして来たエルマと、ササキ首相が大講堂に入るわずか五分前のことだ。



 国王が生配信の最中に倒れ、大混乱が巻き起こるイルリハラン王国。リクト国王代理は、自身の就任演説とニホンとの国交中断の理由をその日の夕方にテレビ放送する形で行った。



「本日、ハウアー国王の卒倒、医師の診断により執務不能のため、ハウアー国王に代わり王の職務に就くことになった、リクト・ムーア・イルリハランだ」



 リクトは今年で三十五歳を迎え、十年前に結婚。五年前に王位継承権第二位となる長男が生まれた。


 ハウアーの実弟だけあって面影が強く残るも、三十五歳の若さから白髪などはなく、渋さが薄れ凛々しさが目立つ様相だ。



「今日、我が国に於いて、世界に於いても千年先の歴史にも刻まれるであろう行事が行われるはずだった。だが、不幸により兄であるハウアー国王が倒れた。その瞬間を見ていた私は胸が張り裂けそうになるほど痛みを覚え、命に別状はないと聞き及んだが心配でならない。一刻も早く目を覚まし、体調が回復しいま継承している王権を返上することを強く願う次第だ。



 ハウアー国王はこの三ヶ月間、まさに身を粉にするように働き詰めだった。全てはあらゆる意味でイレギュラーであるニホンとの関係を安定化させるためだ。


 異星人が国土ごと転移してくる史上初の事態。そして国家存亡に繋がりかねない歴史的分岐点の選択。弟の私でも想像が出来ないほどの重圧だっただろう。


 だからこそ、平和的に条約を結ぶ直前で倒れてしまったことが残念でならない。



 ハウアー国王は今日を迎えるにあたり、調印式は今日必ず強行するよう厳命していた。エルマが急きょ代行として調印を行おうとしたのはそのためだ。兄は自分の体調の不安を察知し、万が一があっても条約を結ぶよう対処策を取っていた。


 ならば代理である私はその意思を尊重し、調印式を行わせるべきであるのだが、私の命令で議院の決議を変更して中断させた。



 反対ではなく中断であり、これは決して兄の意思を否定することではない。


 強行の厳命を敢えて止めたのは、あまりにも性急過ぎるからだ。


 国民、全世界の人々も思うところはあるだろう。あまりにも異星国家と条約を結ぶのが早過ぎるのではないか、と。



 かくいう私自身、ニホンが出現してからわずか三ヶ月で条約を結ぶのは早過ぎると考えていた。この星に元々あった国が分裂したり、合意の上で独立をしたわけではない。全く認知されておらず、違う星で歴史を紡いできた国が現れたのだ。


 現場の情報収集力は驚嘆に値し、素晴らしい成果を上げてくれたが、その得た情報を精査する時間は短いと言わざるをを得ない。



 ニホンは自国を知ってもらおうと生産物を提供したり、幾人を国内に招待したりした。決してニホンは我々の思い描くような異星人とは違うと伝えるためだ。


 その成果が一連の国交条約と繋がるわけだが……三ヶ月で果たして手を握り合えるだろうか。


 個人同士であれば一日で親友と成れよう。だが家族同士が家族ぐるみの付き合いをするなら数ヶ月は掛かり、企業では半年から一年となろう。


 国同士であれば何年と掛かることもある。それが三ヶ月だ。


 決してニホンを否定するわけではないが、熟考するにはとても短すぎる。


 これがハウアー国王の意思に反してまで調印式を止めた理由だ。



 人は興奮すると冷静な判断が出来なくなる。決断をした直後に別の答えを見つけた人も多くあろう。今一度得た情報を精査、熟考し、多くの人の意見を聞けば新たな可能性が見えるかもしれない。


 もしかしたらハウアー国王のように強行するほうが正しいのかもしれず、王権を返還するまで待つことで見える最適な解答があるかもしれない。


 代理とはいえ国王としてイルリハランを守ると誓った以上、異星国家と国交条約を結ぶと言う重大な判断を短期間で行うとは危険と判断した。



 調印式直前で強制的に中断することはニホンに対し申し訳ないと思っているが、ニホンも我が国同様に社会的に成熟した国であるならば、理解してくれると信じたい。


 もちろんハウアー国王が復帰され、調印をするとすればその意思を尊重する。


 さて、これからの方針としてだが、代理である以上ハウアー国王の意思を最大限尊重するつもりだ。医師の見立てでは執務復帰まで最長で一ヶ月から一ヶ月半掛かるらしく、私の判断で政策を変えて不要な混乱は避けたい。



 しかしニホンに関しては国家レベルの重大な問題ゆえ、回復後にハウアー国王から怒りを受けようと私の判断で対処していく。


 その最初の判断が調印式の中断であり、もう一つニホン問題である決断をした。


 ニホンが転移して以来、ニホンとの交流は常に我が国が行ってきた。我が国の領土のユーストル内に来たのだから当然だし、ハウアー国王が常々訴えているように情勢が不安定の中、他国の人間を入れさせるわけにはいかない。



 そこで特定の国ではなく中立組織であるアルタランを、私が在任中の間交流に参加させたることにした。


 我が国だけでは思想に偏りが生まれる。特定の国では不測な事態になりかねない。そこで中立の国際組織であるアルタランを交流に参加してもらうことで、多角的な視野を得てより冷静な判断が出来るはずだ。



 私は以前より異星国家と言う常識を超えた存在に、一国のみで対処するのは問題があると同時に、国内の問題は国内で対処をするハウアー国王の意思の理解もしていた。


 それらに応えるためには、国際組織であるアルタランが適任と考える。


 無論、アルタランにニホンに関わる全てを任せるわけではない。我が国主導で交流を続け、国交条約を結ぶのが適切なのかを判断するために参加してもらうだけである。


 アルタランがどう交流に参加するかは近日中に調整を行い、向こうの準備が出来次第行う予定だ。



 ……話がニホンのことばかりであるが、私、リクト・ムーア・イルリハランは、代理とはいえ国王としてこの国の平和と安寧、国際社会の発展のため、全力で執務に励む所存だ。


 いまこの国は最大の国難に当たっている。


 無事に乗り越え、より強靭になるためには我々だけでなく国民一人ひとりの協力が不可欠だ。



 ハウアー国王が復帰し、ニホンをより深く理解して条約を結び、ユーストルの地下にあるフォロン結晶石を採掘出来れば、この国はこれまでになく強くなる。


 ハウアー国王もそれを望んで過労で倒れるほどに尽力してきた。


 国王として未熟と言わざるを得ないが、私を信じて支えてほしい」



 リクト国王代理は画面より消えて行った。



      *



「――これがつい三十分ほど前に行われたリクト国王代理の就任演説です」



 須田駐屯地側の日イ交流用プレハブ小屋で、エルマはイルリハラン製のノートパソコンを広げて録画映像を日本陣営に見せてくれた。


 佐々木総理は外せない仕事のため東京へと戻り、プレハブ小屋にはいつものメンバーだけが集まっていた。


「これ、リクト国王代理もアルタラン側に付いたと言えるんじゃないかしら」


 そう答えるのは外務省の木宮外交官。



「……あまり言いたくはありませんが、確定に近いですよこれ」


 羽熊も演説を聞いてそう認識してしまう。


 一応予防策としてか交流に参加するだけや条約締結を前向きに取れる発言をしているが、全体を通してみると向こう側ではない言う材料がない。


「私も悲しいですがそういう認識です。叔父上がまさか向こう側に……信じたくありませんでした。子供の頃から見ていますけど、そんな考えをする人じゃなかったのに」



「そもそも法的に見て調印式中断は問題ないんですか?」


「ありません。議決が二対一の場合、最終調印する僅かな間で可否を変えたことは過去にも例があります」


「まさに鶴の一声ね」


「幸いなのが日本との国交を全面否定していないことですね。そこはハウアー国王の意思を尊重すると日本に向かってアピールしているようにも見えますが」


 ルィルも演説を聞いてそう感想を述べる。



「ただリクト国王代理の言いたいことも分かります。私たちは初期からずっと関わっているから長く感じましたけど、三ヶ月しかまだ経っていないんですよね。異星国家を相手に三ヶ月で条約を結ぶのは、国民からしたら早過ぎると思うのは当然かと」


「言い方は悪いですけど、現場組はみんなずっと関わってきたばかりに日本に毒されているんですよね。だから国王代理の言葉に批判的になってしまうんです。でも国民の声はむしろ……」



「もし地球でも異星人が国土転移でも宇宙船でも来れば必ず国連が出てきます。むしろ当事国のみで対応する方が無理なくらいですからね」



 常々日本近海に国土にしろ宇宙船にしろ、異星人が来た時に日本だけで対応した場合を考える。まずアメリカが絶対に出て来るし、国際的脅威として中国やロシアも追随して国連も登場する。


 頭を切り替えて考えると、よくイルリハランは一国のみで対応したと言える。


 やって来たのが日本だから、とも言える。他の国々なら果たしていまこのような状況になれるかどうか分からない。



「間違ってない」


 誰かが呟いた。



 そう。ハウアー国王の考えも、リクト国王代理の考えも決して間違ってはいない。


 当事国なのだから当事国だけで解決しようとする考えも、国際レベルの問題だから最高位であるアルタランに参加させる考えも間違っていないのだ。


 アルタランの抱いている思想さえ一切なければ、日本も特に不満は抱かない。


「確認なんですが、アルタランの農奴政策は今も着実に進んでいますか?」


「いえ、三週間前のハウアー国王のフォロン結晶石の発表騒動で沈静化しています。もしかしたら我々を無視して非公式で議論をしているかもしれませんが、あの時以来情報は来ていません」



 イルリハランと日本が条約締結を急いだのは、アルタランの日本委員会で農奴的利用を画策したからにある。雑談の中であればそれで終わりでも、公式の会議の中で行われたためここまで話が大きくなった。


 条約を結んでしまえば日本はフィリア社会に一歩深く食い込み、基本的人権や主権が相まって『異星人』だからと言って人権軽視なことは出来ない。



 が、その肝心の農奴政策がどこまで進んでいるのか不透明だと、確信をもって急ぐべきと段々言えなくなる。


 ただ、メディア関係者交流会の妨害にハウアー国王の服毒の二つが、明らかに条約締結を妨害したい一派がいることを証明していた。


 このまま流れに乗るか、流れに逆らいなにかしらの考えを出すべきか重要なポイントだ。



「ですが楽観視は危険です。今言ったように水面下で進めている可能性は十分あります」


「リクト国王代理は農奴政策は知っておられるんですよね?」


「知っています。フォロン結晶石発表前に閣僚と王室とで会議を行いましたから」


 アルタランの裏を知ってなお、リクトはアルタランの参加を表明した。これだけで黒と断定出来てしまう。



「可能性で言えば、アルタランとリクト国王代理は繋がっている。もしくは無関係で知ってなおアルタランも関わらせた方が良い。またはアルタランがそんなことを考えているわけがないと楽観視しているかでしょうね」


 日本の国会議員として参加する若井議員はそう三本指を立てて可能性を立てる。


「私が思うに最初か二番目でしょう。叔父上は楽観視はしない方なので」


「私個人の考えでも二番目と思います。先の就任演説で、イルリハラン主導やアルタランは参加だけと明言しているので、アルタランが考える政策を日本にさせることは出来ません」



 公的な人間ほど言葉の重みが強くのしかかる。たった数文字の言い間違いだけで揚げ足を取られ、最悪辞任にまで追い込まれるから若井議員の言葉には説得力があった。


「もしアルタランと繋がっているなら、アルタランの行動を制限するような言い方はしないはずです。参加を受け入れるで済みますから」


「なんにせよ、これでアルタランは堂々とユーストルに来る権利を得ました。どう交流に関わるのか不透明ですが」



「リクト国王代理からお話は?」


「ありません。ここに来る前に電話をしたのですが無視されました」


 就任直後だから忙しいか、それとも話をしたくないか。


「問題はリクト国王代理が白か黒かか……」


 結局のところ問題はそこにある。


 今のところ言えるのは限りなく黒に近い灰色。真っ白であれば中断はしないし、真っ黒であればハウアー国王を毒殺し、断固反対の上に不信を抱かれないようアルタランの積極的介入を許可するはずだ。


 しかし黒に見えて黒く見えないのがこれまでの行動だ。



「そこは私が探りを入れます。何であれこれは我が国の問題ですので、日本が介入すると色々と問題が出ます」


「そこは同感です。我々日本は他国の内政に干渉はしない方針ですので」


「……あの、一ついいですか?」


 若井とエルマの会話を聞いていた羽熊は、ある事を思い出して手を上げて皆の注目を集める。



「ハウアー国王はこの後どうされますか? もしリクト国王代理が黒なら、身動きの取れないハウアー国王は危険だと思うのですが」



 もしこのままハウアー国王が理由はともかく命を落とせば、自動的に代理ではなく正式にリクトが国王に即位する。とすれば前任の方針を無視することも出来てより動きやすくなる。


 しかもハウアー国王は昏睡が続いて二十四時間の監視が必要だ。地球でも点滴に致死性の毒を注射して殺す例は官民問わずあるから、狙うとすれば今が絶好の機会と言える。



「難しいところです。普通であればイルフォルンに搬送して集中治療室で二十四時間観察するのですが、一体どこまで魔の手が広がっているのか分かりません」


 世間では服毒ではなく過労によるものとしている。ならば不安定な地域にいるハウアー国王は一刻も早く安全なイルフォルンに搬送するべきと考えるだろう。


 実際はその逆だが、基地内でも弱みを握られて手駒にされている人がいるかもしれない。


 はっきり言えば、信用できる人間が少ない。



「出来れば覚醒するまでの間、絶対に安全で医療体制の整ったところにいさせたいのですが、基地内でも安心できないとなると……」


「疑心暗鬼が一番有効的ですからね、こういう場合は」


 全員敵なら自分だけを信じればいいから楽でも、信用していた者も敵と思うと心が擦り切れていしまう。心理戦に於いては最も有効な手だ。



「いっそのことどこかに隠しますか?」


「医療体制が整っている場所じゃないとダメでしょ。動ける人ならまだしも眠り続けてる上に国王ですよ? 擦り傷一つでもしたらどうなるか」


 そもそも後に殺すのであれば最初から致死性の毒でもいいのに、昏睡のみの毒を使うのだから殺意はないとも言える。


 しかし地位を考えると楽観は出来ないし、殺意はしなくても利用する可能性は捨てきれない。


 日イ双方で意見を出すが、なかなか妙案は出ない。



「……自分の国の中で安全じゃないなら、いっそ日本に連れて行ったらどうです?」


 羽熊は深く考えずに出た言葉を出す。


 全員が羽熊を見た。


「日本に……」


「連れて行く?」


 聞き流されずに注目を浴び、羽熊は内心余計な事を言ったかと思う。



「あ、いや、自国の人も信用できないなら、ハウアー国王を殺害しても何のメリットもない日本に連れて行けば、向こうからの刺客も絶対に来れないので安心かなと思って」


「確かに日本なら安全で確実ですね。医療体制なんて世界トップですし、リーアンの生態データも十分あるので健康管理は問題ないはずです」


「実質的にハウアー国王の命と日本の命は同価なので、万が一にも危害を加えることはありません」



「そうですね。こちらからもモニターできるのであれば、搬送と称して秘密裏に入国させることは可能かもしれません」


 自分で提案して自分で出した答えで話が進みだし、羽熊は焦るようにして聞く。


「……あ、あの皆さん? 今は思い付きで言っただけなんですけど。それ以前に、昏睡状態の国家元首を無許可で他国に入国させるってアリなんですか?」


 個人であれば人命第一でありえる。だが国家元首の上に意識不明で、同意が得られないのに治療行為を行うことは確か禁止されているはずだ。



「……そうですね。良い案ではありましたが、さすがに安易な許可は出ないでしょう。それ以前に拉致に近い」


 羽熊の妙案で会議の場が一瞬盛り上がるが、現実味の無さから一気に沈静化する。


「合法的にリクト国王代理が国のトップなんですから、トップの許可なく国家主席を他国で治療なんて普通させられないんじゃありません? ましてや異星国家で治療なんて」



 医療面と安全面で言えば日本で行う方が安全なのは確実だ。けれどそれは日本側から立って考えたからであって、イルリハラン側から見れば堪ったものではない。


 政府の同意なく意識不明の国家主席を、他国のそれも異星人の国で治療するとなれば、どんな事をさせられるか分かったものではない。


 日本側も突然そんな要請を出されたところで、国内のどこであっても対応できるところはないだろう。政府としても容認できまい。



「あ、でもあそこなら……」


 木宮が何か閃いたかのように呟く。


「治外法権区域だし、フォロン有効圏内だから精神的にも問題ないわね」


「……あ、もしかして日本大使館ですか?」


 若井が木宮の意図に気づいて答える。


「はい。ラッサロン基地内の日本大使館なら治外法権なので、日本本土よりは安全ではないですけど匿うならいい場所と思います。法的には日本領ですが、基地内でありますので本土よりは融通も可能です」


 全員がハッとする。



 大使館や外交官は国際慣習法で外交特権が与えられる。外交官は罪や税の免除。大使館は不可侵などで、大使館は他国でありながら他国の法律が一切適応されず、自国の法律が適応する。


 限定的な自国領と言えて、許可なく立ち入ることは出来ない。


「国際条約の批准に関係なく、イルリハランと日本の間での国交なので、外交特権は適応される前提で話しを進めてきました。今現在も日イ双方の大使館で治外法権が働いています。ならそこにハウアー国王を医療設備と共に移動させられますし、刺客も入ることは困難と言えます」


「なるほど、そこでしたらまだ今より安全性はありますね。でも……」



「白黒に限らずリクト国王代理はハウアー国王の移送を命令するでしょう。それを真っ向から否定するのですから政府と対立は必至です。我々はともかく基地司令官が納得しますかですね」


 ラッサロン天空基地は軍事基地だ。軍は指揮系統を遵守するから、最高指揮官であるリクト国王代理が命令をすれば従うしかない。エルマは対立しても基地が従えばそれで終わりだ。


 勘違いしやすいが、エルマはラッサロン基地のトップではない。軍曹であっても大使である今は休職扱いだから、原則的にエルマとラッサロンに繋がりはない。


 そもそも大使であり王室であるエルマに軍に対する指揮権は存在しないのだ。



「そのことについての策はあります。今はまだ無理ですがそこは心配しないでください」


 策があると言うことはこの事態になることも想定したと言うことになる。一体どこまで裏を読んでいたのだろう。


「それともう一つ。仮に日本大使館にハウアー国王を移動させる場合、日本の法律が適応されるので親族の許可が必要になります。非常事態ですが、命を預かる以上は同意がないと医療行為をさせられません」


 医療行為そのものは医師法の例外としてイルリハラン人で可能に出来ても、場所に関しては提供する日本に責任が来てしまうからだ。



「……幸いと言ってはいけませんが、ミアラ王妃がおりますので事情を説明して同意を得ましょう。医師に関しては徹底的に身分調査をさせます」


「でも……いいんですか? ここでこんな話を進めて」



 話を聞くとスケールが大きく、突拍子もないことばかりで羽熊は怖気づく。


 簡単にまとめてしまうと、今まで味方であったイルリハラン政府と、日本とラッサロンもといエルマが共同で対立する形になる。国家承認してくれた国と真っ向から対立するわけだから、メリットよりもデメリットの方がはるかにデカい。


「もちろんこのあと安全保障会議に掛けて政府に最終判断をしてもらいますが、今ここでハウアー国王に万が一があった場合を考えたら、ここで進めるしかありません」


 若井は人差し指で真下を指す。


 場所こそ相応しくなくても政治の中心がここと言うわけだ。



「リクト国王代理の言動がカギですね」



 もしアルタランの農奴政策に反対派であれば今の話はすべて杞憂で終わり、逆であればこの話を進めるしかない。


 なんであれ非常にデリケートなコントロールを余儀なくされる。


 言語学者である羽熊はつくづく場違いな気がしてならない。


 まさか日本が国家元首の拉致まがいな行動に出るとは夢にも思わなかった。自分から言い出してしまったからだが、余計な一言だったか会心の一言になるかは誰も分からない。



 ただ言えるのは、あと四週間はこの息苦しさを感じながら関わっていかないとならないことだ。


 皆には申し訳ないが、早い所『政治』から解放されたいのが羽熊の願いだった。


 果たしてハウアー国王の移送は、当然ながら日本政府は頭を抱えるほどに悩み、緊急事態としてミアラ王妃を含む三名以上の同意を得ることを絶対とし、移送時期はミアラの判断に委ねることとなった。 

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