第11話『相談』
ルィルより気づかない間に渡されたイルリハラン製の無線機は、あの深夜の通信以来沈黙を保ったままだった。
日本側はすぐに羽熊が知らせたことで、防衛機密扱いとなりこれを知るのは須田駐屯地でも十人程度だ。防衛省は大臣と統合幕僚部のみで政府も閣僚しかこのことは知らない。
イルリハラン側はルィルの言葉を信じれば独断であるため、交流の場で話せば即座に軍法会議ものだ。よって無線機のことは話すことが出来ず、解析に回すにしても万が一破損されては困るため保管しかできないでいた。
この無線機は個人からとはいえイルリハラン側の友好の証の意味もあるからだ。
その無線機の保管は羽熊に任された。もちろん通話が入れば報告と録音をする手はずになっていて、日本にとって不利になる情報が漏れないよう努めることとなった。
そんな無線機が夜明け直後、日本と変わらない電子音として覚醒したのである。
すでに起きて今日の予定を考えていた羽熊は、電子音が聞こえた瞬間に反応して無線機を手にし、その隣に置いてあったICレコーダーも取って耳元で録音を開始する。
「ルィル?」
『ハグマ、リィア、デス」
無線機から聞こえたのはルィルではなくリィアで、一瞬動揺する。
『ダイジョウブ、コレ、ユルス、テル』
これとは無線機の件だろう。イルリハランにとっては標準の無線機とはいえ、異星国家に渡すのは相当な情報漏えいに等しい。日本側はほとんど手を出してないが、イルリハランがそれを知る術はないから相当な罰があってもいいはずだ。
それを許すとはどういうことか頭を巡らせると、リィアは言葉をつづけた。
『ハグマ、スグ、ジョウカン、ト、ハナシ、ヲ。ダイジ、ナ、ハナシガ、アル』
「……きんきゅう、の、はなし、ですね?」
軍法会議ものの件を不問にしての国防軍、強いては日本政府とのコンタクトを要求すると言うことは、それ以上の事案が急浮上した以外にない。
『アチ』
はいの意の言葉を聞き、羽熊は駆け足で司令部へと急いだ。
隊員宿舎を出て五十メートルほど離れたプレハブ仕様の司令部へと入り、入り口にいる隊員に説明をして案内してもらった。
「羽熊さん、どうしましたこんな早朝に」
いくつもあるテーブルに並べられたパソコンに山のような書類にファイル。まだ時間は午前五時だと言うのに隊員も司令官である穎原陸将も仕事を始めていて、羽熊が来たことで彼は席を立った。
「穎原さん、二日……いえ昨日の早朝ですか、イルリハラン軍のルィルさんより預かった無線機に今通信が入りました」
「そうですか。では録音をお願いします」
「いえ、それが通信をしてきたのは上官のリィアさんで、無線機を渡したことを不問にして通信をしてきたみたいなんです」
穎原は羽熊の説明で目の色を変える。
「すぐに雨宮を呼べ」
穎原陸将も無線機不問以上の事案を察して、同じく無線機の事実を知る隊員に命令を飛ばす。
「リィア、すぐ、ひと、あつめる。すこし、まって」
『サンファー』
「穎原さん、ある意味敵国に自国の技術を提供するのはかなりまずいですよね?」
「ええ、地球では規格が同じなのでなんてことないですが、異星国家のとなると相当な技術漏えいですね。最悪国家反逆罪で二十年や三十年の禁固刑、最悪無期懲役か死刑もありえます」
ある意味ニホン製とイルリハラン製だけで国家機密級だ。後に公開して緩和していくだろうが、安全保障を結ぶ前にしては軍事的に危険であることは羽熊でもわかる。
「ならその危険を不問にする以上の危険が……」
「少なくともイルリハラン政府は日本への攻撃命令を出してはいないでしょう。彼らも軍人、十日足らずの交流で自国を裏切ることはしません」
「とすると、この世界の国連かレーゲンが動いたとか?」
「おそらくは」
数分後雨宮と左官を含む幹部が駆け足で来て、イルリハラン製無線機をマイクに近づけスピーカーとつなげる。
「羽熊さん、すみませんが通訳をお願いします。こちらも勉学はしていますが片言もまだなので」
「分かりました。リィア、きこえる?」
『キコエル。スマナイ、メンドウ、カケル」
「にほんぐん、しれい、じょうかん、あつまった」
「しれい、の、のぎはら、たいぞう、です。リィア・バン・ミストリー、はなし、できて、こうえい、です」
片言が出来ないと言いつつも、穎原は羽熊とそう変わらず挨拶をする。
『ノギハラ、コチラ、モ、コウエイ、デス』
『ラッサロン、テンクウ、キチ、シレイ、ホルサー・ム・バルスター。ノギハラ、ヨロシク』
「ホルサー、羽熊、です。はなし、しましょう」
両国前線基地のトップの挨拶はそれだけでニュースでも、数時間後の交流よりも早く必要となればその数時間が命取りになるかもしれない。羽熊はあいさつはそこそこに本題に入らせた。
辞書を片手に双方通訳を交えての会話であり、しかも表情やジェスチャーが見えないためより難儀したが、なんとか概要は理解できた。
本来日本がイルリハランの領土内に来た問題は、その領土を実効支配するイルリハランのみであり、日本が領土外に出ない限り他国が干渉することはそのまま内政干渉となる。内政干渉を許さないのは地球もフィリアも同じで、イルリハランが許可しない限り海外の軍は入ってはならなかった。
だがレーゲンは日本のいる円形山脈を自国の領土と謡い、それを長年続けた実績を利用して多国籍軍として侵入することを決めたらしい。
アルタランと呼ばれる国連は日本問題を当該国であるイルリハランに任せる方針だが、その周辺国はそれを容認できなかった。
日本は未だにこの地に来た理由も、何をしたいのかもほとんど声明を発してはいなかった。いくら軍レベルで交流をしても実際はしていないのも同然だ。
なら世界各国は日本をフィクションのようなエイリアンとしか見れないから、映像や画像がネットで出回ろうと怖がるのも無理はない。
そしてレーゲンはその不安を利用して、イルリハランからユーストルと日本を切り離させて双方を手に入れる魂胆なのだろう。
軟弱なイルリハランではなく強硬なレーゲンが支配すれば安心と思わせたく、国際ルールを無視しようと、既成事実を作ってしまえば長期的に見て何とかなると高をくくっているのだ。
その話を聞いて、ほぼ似た状況を経験している国防軍は苦い顔を見せる。
「なんだか中国を見てる感じがしますね」
無線機は切れ、事情を知った国防軍須田駐屯地司令部ではその感想が上がる。
「親近感はわきますけど、世界が変わっても巻き込まれるのは複雑な気分ですな」
この国際関係はまさに尖閣諸島を取り巻く日中の関係と類似している。しかも南沙諸島問題も近く、確かに親近感は湧くがいい意味ではないため複雑な心境だ。
レーゲンの行動から似ているとは思ったがここまでとは思いもしなかった。
「でもこれって相当レーゲンは自分の首を絞めませんかね」
「向こうはイルリハランの領土でミサイルを撃ってますからね。武力の行使の判断基準は相当に低いんでしょう」
普通はそこまですると断交や経済制裁を受けるが、アメリカのように経済規模が大きければ平気なのかもしれない。まだイルリハランの国内総生産も分からないから全ては予想だ。
だが分かっているのは、何もしなければ二日後には多国籍軍がユーストルに侵入してくることだ。
「至急統合幕僚部に連絡だ。裏は取れんが万が一事実なら大問題になる」
現状、日本はこの世界の国家間の動向に関する裏は取りようがない。事実上イルリハラン以外の国家の動向はイルリハランを通さないことには入らないため、情報操作されようとそれを前提として受け入れるしかなかった。
「穎原さん、ですが明日以内に声明を発表することはできるんですか? それに発表するならイルリハラン側から放送してもらわないとなりませんし」
日本の声明を全世界に放送、と言えば簡単だがそこまでの工程は非常に面倒だ。
まず声明はフィリア規格で放送しなければならず、それをするにはイルリハランの協力が不可欠で、するなら交流地となろう。しかしセットもなしでするわけにはいかないから用意しなければならず、さらに総理を交流地に連れて行かないとならない。
まだある。声明を発表したところでそれをマルターニ語に通訳する必要があるが、イルリハランがすれば都合のいい意訳をされて日本が不利になりかねないのだ。
数分の声明とはいえ今日を含め二日で準備するのは時間が少なすぎる。
そして声明を発したところで取りやめるとは思えない。異星国家と言う肩書きを理由に軍事行動を取るのは地球映画では十八番である。
「もしくは声明を出さない案もありますよね」
そう呟くのは雨宮だ。
「だとすると戦争になるのでは?」
「戦争を回避するために声明を出すのは普通と思いますが、それでは相手の武力に屈したとなってしまうんです。例えばテロリストがこれから国を攻めるから避けたければ称える声明を出せと政府を脅すようなもの。相手が国家とはいえ言いなりになっては侮辱なんです。声明はいずれ出さないとなりませんが、それはこちらの都合であって向こうの都合に合わせる必要はないはずです」
「それを判断するのは政府だ。俺たちじゃあない」
時間は午前七時半。声明を出すのなら最低でも午前中には決めないと間に合わなくなる。
この情報はすぐさま統合幕僚部を通じて防衛省、さらに総理官邸へと伝えられ、政府がどう判断するかによって羽熊達の対応は変わる。
いかに異星の地の最前線で活動しているとはいえ軍属である以上、指揮系統は順守せねばならない。現場から直通で総理大臣と連絡が出来れば楽であるが、それでは総理直属の部隊となってしまう。
交流に関する決定権は現場ではなく上層部にあるので、須田駐屯地の司令部は報告をすればあとは指示を待つしかなかった。ちなみに羽熊の渡した腕時計はアナログであり交換と言う形で不問となったが、最悪現場を外された可能性もあった。
報告した後は指示を待つしかなく、ただ待っても仕方がないので各々自分の持ち場へと戻っていった。裏でこうした日本とフィリア国家間のやり取りがあろうと、表向きは言語学習を中心とした交流のためその準備をしなければならない。
再び沈黙になったイルリハラン製無線機は羽熊のポケットに入り、羽熊はイルリハラン軍との交流地に出発する八時まで部屋に戻ることとなった。
*
イルリハラン軍は、国防軍と交流するとき三隻ほど駆逐艦級の飛行艦を滞空させている。万が一日本が攻撃を仕掛けてきた場合早急に対応するためであろう。
いくら平穏な交流を続けても、イルリハランにとって日本は宇宙人だ。文明や知性が同等であっても軍である以上保険は必要で、それは日本も同じことである。
ただ、レーゲンを中心とした多国籍軍の侵攻情報を入手してか、今日の空には一回りから二回り大きい戦艦級が駆逐艦の中に混ざって滞空をしていた。
見た目で言えばやはり巨大な青色の潜水艦だ。空をよく注視すると船体の後部側面から排煙によって出来る陽炎が見える。するとこの飛行艦は内燃機関を備えていると言うことだ。どういった繋がりをもって浮いているのか、情報不足から分からないものの科学的な部分を見るとどこか安堵する。
いくら頭で科学的に証明できると言い聞かせても、無音で空を飛ぶ人種を見ると魔法の言葉がよぎってしまう。
だからこそ向こう側がタブレットや携帯電話、無線機と言った見知った機械が出てくるのはうれしかった。
午前八時五十分。国防軍側はいつもと変わらず交流地である須田駐屯地とラッサロン天空基地の中間にある二十五キロ地点に到着し、脚立など向こう側に合わせた準備をしているとその滞空している飛行艦からいつものように軽装備のイルリハラン軍が降りてきた。
脚立に座る羽熊や他の国防軍らは手を振って迎え、イルリハラン軍兵士たちは地表から五メートルの位置で止まる。
羽熊の前に止まるのはいつもの通りリィアだが、ルィルの姿が見えずその周囲にもいなかった。
「ハーラン」
「コンニチワ」
「リィア、ルィル、は?」
リィアは苦笑顔を見せて頬を人差し指で掻く。それで大体見当がついた。
「ああ」
お互いに無言に察しあう。
「謹慎処分受けてるのね」
「キンシンショブン?」
「謹慎、処分」
謹慎も処分も説明するのは難儀だが、実例が今あれば説明するのは難しくない。
本来なら仮想敵国級の相手国に自国の技術を渡せば、軍法会議に掛けられ実刑もありうる。だが数時間の猶予を生み出すためにその無線機が使えるのなら、謹慎程度まで減刑しても不思議ではないだろう。
数時間を活かせるかどうかは佐々木総理を始め政府に委ねるほかない。報告から一時間半経とうと指示がないためちゃんと伝わっているのかも分からないが。
と、リィアの隣にもう一人黄緑色に発光する短髪の男性が降りてきた。
「にほん、の、はぐま、よういち、です」
ルィルの代わりとして来たのだろうと思い、羽熊は自分の胸に手を当てて自己紹介する。
「ハーラン。ウイ、マ、エルマ・イラ・イルリハラン」
その人の名前を聞いた瞬間に、その人がどこに属するかを理解する。
人命に村の名前や国の名前を付ける人は地球世界でもいる。しかし苗字に当てはまるところで国名、しかもこの場に来る人物となればもう決まったも当然だ。
「王族……ですか」
少なくとも国王ではない。検疫問題が解決していない中で国家元首が来ることは絶対にありえないからだ。この国の政治システムを表す図形が鋭い三角形をしていたことから王政である可能性はあったが確信が取れずに放置していた。
恐らく多国籍軍のことを考えると、高レベルで政治的やり取りが必要であるため王族が出てきたのだろう。検疫問題も王族であり軍属であれば構わない考えもあるのかもしれない。
「ちょっとまって」
さすがに王族が出ると羽熊も対応に困る。もちろん向こうもそれを想定のことだろうが、一般人と王族では権威が違い過ぎた。
「雨宮さん、どうしますか? 明らかに多国籍軍対策で来たっぽいですけど」
「王族とはいえ軍服を着ていればそれは軍人なので、いつも通り接してください。どうせ作法なんて分からないんですから、下手に遜る方が気に障ります」
「なら外交ではなく交流でいいんですね?」
「それでいいと思います。もちろんフランクな対応はやめてくださいよ」
どの道羽熊に外交権はない。多国籍軍関連の話をされても軍属でなければ意味が分からないし、全権大使でもないから決定も下せない。
相手が誰であっても羽熊はただ相手の言語と文化を知る以外にないのだ。
ならばと羽熊は一度深呼吸をして、エルマに向けてゆっくりと手を伸ばした。
握手の概念はこのフィリア世界でもあるのでエルマは微笑んで応じてくれた。
「ハグマ、マエ、ニ、クレタ、コメ、イマ、モンダイ、ナイ」
「よかった。そうそう、そのことで話すことがあるんだった」
多国籍軍の件で忘れていたが、おむすびの件の責任の所在は万が一起きてしまったことを考えて伝えないとならない。王族がいるならある意味都合がよく、羽熊はマルターニ語でその旨を伝えた。
天皇、王、皇帝、大統領、首相と首相は厳密には違えど各名称は『国家元首』と言う共通の意味は持っている。しかしそれを区別した名で聞くのは中々に骨が折れる。例えば時間の言葉を知りたいのにそれを表す時計を見せて『時計』の言葉が返ってきてもそれを『時間』と思ってしまうのと同じだ。
イルリハラン側が『王』の名称を言っても、こちらとしては皇帝なのか大統領なのか判断できないため、そういう場合は仮で両方共に通じる意訳にする。
イルリハランはそれらの言葉としてシミュアンと呼んでいた。それが王か王族か元首なのかは分からないが、とりあえず『国のトップ』が分かればそれでよかった。
そして責任のことを伝えきった羽熊は、どう反応するのかを待つ。
二人は困惑した表情を見せながら相談を始め、羽熊を始め足元で待つ雨宮は他の隊員も宙に浮く二人のイルリハラン軍兵士を見守った。
時間にして三分は経っただろうか。頷き合って話を終えたリィアはマルターニ語の片言で羽熊に話してくれた。
辞書を片手に通訳するとその内容は至ってシンプルだ。
万が一おむすびがリーアンたちにとって中毒作用があり死した場合、その責任を日本に負わせることはしないと言う。なぜなら耐性や免疫の問題から、外国の飲食物にあたり死亡することがある。日本も異星国家とはいえ法的には外国だ。ならその国の人が食べるもので毒を盛らずに中毒死してもそれは事故であって事件ではなく、責任者を出して処罰するのは筋違いらしい。毒の有無は羽熊が食べたことによって認められないから、やはり佐々木総理が責任を負うことはないそうだ。
「サンファー。なら、つぎ、は、レーゲン、に、ついて」
ここからは羽熊だけでなく、同じく脚立を用意して隣に座る雨宮と連携してのやりとりとなる。
まず切り出す話題は今朝の確認だ。
無線では相手の表情やジェスチャーが見えず、イントネーションと辞書を使って推測するほかなかったため、概要を知った上で改めて一から聞くことにした。
実のところ、日本が声明を出さないから治安維持を目的とする多国籍軍による侵攻は、確信を持ってのことではなく状況からそうなったらしい。
その理由はイルリハランには国外に滞在する地球で言えばCIAやMI6のような情報機関があり、多くの諜報員が諸外国で活動をしている。レーゲンに滞在するその諜報員が手にした情報によると、転移してから九日経とうと政府レベルでの声明を発しない日本は水面下で大規模軍事行動の準備をしているに違いない。この世界の情報を得るためにイルリハラン軍と交流をしているフリをしており、このままでは我が領土のユーストルだけでなく、マルターニ大陸全土に危機が及ぶと判断したらしい。
それを回避するためにはユーストルを不当占拠している軟弱なイルリハランに代わり、レーゲンが治安維持し日本を完全封鎖する。このまま声明を出さないのなら翌月の深夜に夜襲を掛けてラッサロン基地をユーストル外に追いやり、接続地域に多国籍艦隊を配備するとのことだ。
話を聞くと政府間、行政間でやり取りをしたわけではなく、向こうの考えを一方的に察して対応しようとしているようだった。
「……雨宮さん、軍としてどう思います?」
一通りの通訳を終えて羽熊は雨宮に尋ねる。さすがにこの政治的判断が不可欠の事案では何一つ判断してはならないが、戦争の可能性を知ってしまうと聞かずにはいられなかった。
「わざとリークさせた可能性もありますね。声明を出さなければ翌月に侵攻するなんて、こちらに説明しているようなものですよ」
聞くとレーゲンはこのことについて公式発表はしていない。なのに声明を出さないから侵攻するという説明は確かに必要がなかった。
その説明は本来諸外国のために必要なものだ。
「戦略的に見れば戦争の火ぶたをこちら側から開けさせるためにその情報をわざと流させたともいえます。侵攻してくるのなら日本もイルリハランも対応するために戦力を整えますから、それが地域の不安化につながります。いくら戦争をする意思はなくても、兵器が大量にあると人は不安になり、それらを理由に多くの国家の賛同を得る算段もあるかもしれませんね」
国連が武力介入を認めれば当該国の主張など無視される。これがイルリハランのみであれば正当性はイルリハランにあっても、異星国家日本の存在がその正当性を揺らがせ、レーゲンの暴挙に正当性を唱える国家が出てくるかもしれない。
事実、テロリストを壊滅するために、民間人が巻き込まれようとお構いなしに戦争や空爆を行い賛同する国家もあるほどだ。
「だからこそ日本がこの世界に向けて声明が必要なんですよね」
しかしそれではレーゲンの手のひらで踊ることとなる。
「これ、どうすればレーゲンを泣かせて周辺国を取り込めるんでしょうか」
「要は治安維持する必要がないことを証明できればいいんですよ。ですが転移してからまだ九日目。言語もおぼつかない中でどうやって証明するかですね」
羽熊はふと思い、イルリハランは日本のことでなにか声明文を発表したのかを尋ねた。
十五分かけて翻訳して、一応日本が安全でイルリハランの監視下にあって武力侵略をすれば殲滅することは伝えてあることが分かった。
イルリハランもイルリハランなりに不安払しょくを図っていても、日本の意思が分からない以上どうしようもないのが現状なのかもしれない。
「いっそのこと安全保障条約とか結んだらどうですかね」
「いやいや無理ですよ。日本の主権すらこの世界では認めらられていない上に、出会って一週間そこらの国と安保なんて結べばそれこそ軍事介入して来ます」
人と人との約束なら当日でも出来る。しかし国家間での条約は年単位の時間をかけて調整して締結される。いくらなんでも異星国家と十日前後で結んだらイルリハランの国際信用が落ちるだけだ。
「無視すれば侵攻、声明を出せばレーゲンの手のひらで踊って、立ち向かえばより不安視させる。これってこっちが勝つ案はあるんですか?」
握手をしている画像や動画は両国で広まっているとしてもそれほどでもないだろう。ならどうすれば安心感を与えられるか。
「ん? レーゲンは別に公式に発表してないんだから、先に声明を出すのもいいんじゃ?」
あくまでもレーゲンは秘密裏に準備を続けている。なら先に日本が公式で言ってしまえば別に踊らされたことにはならないのではないか。
「ですがリークした可能性を考えるとその瞬間を記録として残している可能性があります。完全に秘密であればまだしも、そこも加味で狙っていたらさらにまずくなりますね」
ああでもないこうでもないと羽熊と雨宮は思案する。
その間リィアとエルマはただ待っていた。
政府レベルは論外。かと言って民間はこの地に近づくことも出来ない。ならどうやって日本のことをフィリア世界に伝える。
いや、日本のメディアは関係ない。今朝思ったように放送規格が違うからそもそも来たところで無意味なのだ。来るとすればイルリハランのメディア関係。
「……マスコミ……」
羽熊はふとその言葉を呟く。
「なんですって?」
「雨宮さん、政府声明を出すと政治的にまずいのなら、イルリハラン側で民間による記者会見的なのを開いてもらって我々が質問に答えるのはどうですか?」
雨宮は目を見開いた。
「それなら疑似的な声明になりますし、向こうのメディア関係も特ダネ欲しさに必ず来ます。そこで日本が来た事情や今後のことを話せれば、レーゲンの主張する日本が謎だから治安維持に向かう考えは幾ばくか崩せませんかね?」
「……それはありえますね。ちょっと上とこのことを話して意見を聞いてみます。政府レベルでは間に合いませんが、民間レベルなら明日でも出来るはずですから」
言って雨宮は飛び降りるように脚立から降りてオスプレイへと駆け足で向かい、羽熊はこの案をエルマとリィアに伝える。
二人はそれぞれ考える表情を見せた。突発的に思ったことだからダメ出しも視野に羽熊は自分の案を改めて考える。
政府レベルでの声明はこちらの都合で行いたい上に、その都合をレーゲンに操作されては屈したのと同じだ。その上で日本の思想を伝え、しかもイルリハランの操作を受けずにするなら民間レベルですればそれらの条件はクリアできる。
地球基準の憲法があるなら表現の自由によって情報規制は過剰ではないだろう。王政であるとあり得るが、規制をするとレーゲンの主張が成り立つから避ける。それに準備や声明文の作成を考えると明日以内は到底間に合わないから、民間レベルでする方が考えられる中では最善のはずだ。
問題は保安だ。異星人にインタビューできるとなれば千人単位でおそらく来る。そうなると武器を持った人が来ても取りこぼしてしまうかもしれない。もし凶弾によってどちらに被害が受けても、不安感を余計に膨れさせてレーゲンの主張がより成り立ってしまう。
しかしリスクはあれどハイリターンであればする価値はある。
二人は考え抜いたのかそれぞれ無線や携帯電話で話を始めた。羽熊の案が大なり小なり良案と思ってくれたと思う。
ただ、考えてみると通訳するのは羽熊とそれなりに理解している隊員のみ、いや、軍関係者だと情報操作の疑いを考えて羽熊のみとなろう。
ただでさえ休みなしで働いて、日本のために最前線で働いているのに、さらに責任を上乗せするのかと思うと失敗だった気がしてきた。
そう言えば通訳に徹すると考えた途端に意見が通ってしまい、二つの意味で言ったことを悔やむ。
だが少しでも争いを未然に防げるのであればやってやるしかない。
すると本部か首都に連絡をしているうち、エルマの方が先に報告を終えて羽熊に目線を向けた。
「ハグマ、エー、シミュアン、カンガエル、スル」
エルマは懐からルィルが書き込んでいた手帳を元に片言の日本語で話してくれた。
「サンファー。えっと、このかんがえ、だいじょうぶ?」
「ハイ。シミュアン、アブナイ。インカン、ダイジョウブ」
「インカン? ああ、民間。み、ん、か、ん」
「ミンカン。ふむ……」
ルィルの手帳の不備があったか横線を引いて書き直す仕草を見せた。
「羽熊さん、いま戻りました」
雨宮も報告を終え、駆け足で行き来したのに涼しい顔で戻ってきた。
「どうやら羽熊さんの案を統合幕僚部でも考えていたみたいですね。総理より許可が下りたら現場判断で調整しろとのことです」
「現場判断でですか?」
「いちいち上とやり取りしたら間に合わないからでしょう。責任は上が取るから常識の範囲で調整しろと言われました」
「でも俺たちって全員メディアは素人ですよ。出来るんですか?」
「概要さえ決まればどうとでもなります。リィアさんたちは本国に……今してますね」
「すみません、素人なのにでしゃばって」
「いえ、俺は民間で記者会見をする案は浮かびませんでしたからむしろ意見をどんどん言ってください。ストッパーは我々がするので」
「俺はただ言葉を学ぶためだけに来てるだけだったのに」
落胆する羽熊に、雨宮は優しく背中に肩を乗せる。
「頑張りましょう。日本やイルリハランを戦渦に巻き込ませないためにも」
「……この問題が過ぎたらたらふく飲んでやりますよ」
「ええ、いまここにいるみんなと二日酔いになるくらい飲みましょう」
報告をすればあとは待つだけだ。言語学習前線の四人は気持ちを切り替え、メインである言語学習を再開した。
両国からイルリハランより日本への記者会見のゴーサインが出たのは五時間近く経った後だった。
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