第7話『世界地図』
「ひょっとしてこれってオスプレイ?」
昼夜問わず建設が続く茨城県神栖市の、須田浜に新たな乗り物が到着した。
異地側の平原に着陸するその機体は、インディアナによるレヴィアンの軌道変更失敗するまで日本中で物議をかもしたV‐22オスプレイである。
いわゆるヘリコプターと飛行機を融合させた機体だ。垂直離陸するヘリ能力と高速水平飛行する飛行機能力を持っており、事故の問題から配備反対の声が上がった機体だ。
「これもF‐22同様米軍から拝借した機体です。日本版オスプレイはレヴィアン問題で議決はしても果たせませんでしたから」
両翼に取り付けられたプロペラが上向きのまま回転を続けるオスプレイを見ていると、その横にいつの間にか雨宮がいて説明をしてきた。
「雨宮さん、おはようございます」
「おはようございます羽熊さん。昨日はお疲れさまでした」
未確認の土地を移動。異地原住民と接触。敵性国家からの追跡に詳細な報告書の作成。録音した異地言語を推測から日本語への辞書の制作で、寝たのは一時間足らずだ。
「昨日は大変でした。でも被害を誰も出さずに済んでよかったです」
「まったくです。我々の護衛に来てくれたF‐22も弾薬を使い切っただけで撃ち落とされることは防げましたし」
羽熊達を護衛するために急きょ飛んできたステルス戦闘機F‐22は、搭載してきたミサイルで迎撃を続けたものの、二十発以上のミサイルを撃ったところで弾残がなくなり、誘爆を引き起こすチャフを散布して仕方なく先に戻っていった。仲間を守る使命感から身を挺して守るそぶりもあったらしいが、虎の子のF‐22を失うだけでなく国防軍となって初の戦死者を出すわけにはいかず、こちらのことは気にせず戻るよう通達して帰投させた。
その結果追跡してきた異地国飛行艦に包囲され、なすすべなく掴まるところイルリハラン国籍の飛行艦が来たことによって難を逃れたのだった。
このことはニュースで速報で流れ、号外まで出て昼夜報道しっぱなしだ。
「それでこのオスプレイは昨日のことで?」
「ええ、同じく米軍から接収したオスプレイです。時速六百キロ以上で移動できる飛行艦相手に陸路では到底太刀打ちできませんからね。急きょ国防軍が管理している横田基地から飛んできてもらいました」
「でもいいんですか? そんな兵器を即興で運用して」
素人でも空自のスクランブルならまだしも、米軍のF‐22やオスプレイをすぐに発進させるのは問題だと分かる。
「そこは政府がちゃんと対応していたので大丈夫なんです。日米同盟を破棄したのが今年の一月で、その時に日本政府はアメリカ政府に対して兵器の無償譲渡を書面でもらっていたんですよ」
「でもどうしてそんなことを? いくらなんでもレヴィアンの破壊に使えませんよね?」
「レヴィアンが万が一でも落ちなかった後を考えてです。そうすれば日本は米軍施設をそのまま取り戻せ、同時に多くの米軍兵器を接収できますから。まさかこんな形で運用するとは思わなかったでしょうけど」
「けど今の日本はアメリカ抜きで自衛できるんですか?」
「国防軍が新たな抑止力として機能しましたからね。自衛隊時代では何をしても撃たれない確約があったから中国やロシアは好き勝手出来ましたけど、撃たれる可能性が出てきた以上むやみに仕掛けは来なくなりますよ。七十四年前とはいえ日本はアメリカ相手に戦争を仕掛けた実績がありますから」
中国や韓国が自衛隊の国軍化に絶対反対の姿勢だったのは、撃たれない確約をなくされるからだと言う。法が邪魔をして撃たれないから色々な挑発をしてきたが、撃つことが可能となれば藪蛇をつつくわけにもいかない。GHQによって牙を抜かれたとはいえ、自衛隊時代からその牙を鍛えなおしてきたのだ。度を越してキレさせてしまえば困るのは中国らなので、それなら抑止力にはなる。
「事実、国防軍となってから尖閣諸島の領海侵犯やロシアの領空侵犯は劇的に減りましたしね。それにアメリカ軍がいる理由は、日本は戦いに負けはしないけれど勝つことが出来ないので、勝つ部分をアメリカ軍が担ってもらうためです」
「自衛隊って日本を自衛するための組織ですからね。負けてはならないけど勝ってもならないんですよね?」
つまり、防壁としてなら問題ないが、攻めてきた敵を負かすことはしてはならないし出来ない。そこは改正前の憲法九条にあるように、戦力を認めないからだ。攻めるとは戦力につながる。
「ええ、でも改正したことによりアメリカ軍の役割も担えるようになったので、レヴィアン問題が解決すれば日米安保の破棄を行ったかもしれません」
憲法改正時ではやれ戦争法案と騒がれたが、いざ改正しても個人的自衛権、集団的自衛権どちらとも一度として行使したことはない。
「それで話を戻しますが、アメリカはとにかく職員を母国に帰したかったので、日米安保破棄をするなら、施設をそのまま無償で日本に譲渡……いえ返却させるよう返信したんです。そして職員が帰国すると同時に国防軍で最低限の運用を続けていたので、F‐22やオスプレイはすぐさま動かせたわけです」
「アメリカ相手にそんなデリケートなことよくできましたね」
羽熊も日米安保の破棄は知っているが、報道ではそこまでのやり取りまではやっていなくて知らなかった。
「まあ余命わずかであれば強気にもなりますよ。後が怖くないですから」
いくら国家機密の塊の兵器を渡そうと、レヴィアンの落下最終地点は日本本州。調べてデータを取ろうと活かすことが出来なければ渡しても怖くない。
その結果が今の日本を支えてくれている。悲しくもうれしいことだ。
「あの約束の湖へはこのオスプレイで向かいます。敵性異地国家対策のため戦闘ヘリAH‐64Dも二機同伴して、各偵察隊も一まとめで行動することになりました」
「と言うことはかなりの規模になります?」
「拿捕の可能性を考え百名を超す普通科中隊として活動します。それにイルリハランと対話が出来るなら情報を効果的に得られますし、万が一拿捕されれば国内の怒りは計り知れません」
日本は戦後一度として捕虜も戦死者も出していない。こんな状況下なのに無茶な偵察でその両方をしてしまえば、ただでさえ膨張しきっている国民の不満と怒りが政府に行きかねない。そうなるともう日本の未来はない。
いま国は綱渡りをしているようなものだ。ゴールは百メートル先なのに綱は極細ワイヤーのように細く、まだ五メートル進んだかどうか。一瞬の判断ミスで奈落の底に落ちてしまう。
「でも例え敵性国家でも撃ち落とすのは出来ませんよね?」
「はい。いまこの世界で戦争状態に入るわけにはいきません。イルリハランにしろ、敵性国家にしろ、貿易をしないことには日本は一年もせずで滅びます」
羽熊の手には徹夜で仕上げた異地言語の辞書が握られている。会話のニュアンスから読み取った暫定版で、多くは間違いだろうがこれは修正を加えていく予定だ。
「なんとしても日常会話ができる程度までは辞書を完成させないと、貿易交渉をする以前の問題ですからね」
「よろしくお願いします。では行きましょうか」
約束の時間まであと一時間。約束の湖まで三十分も掛からずに行けるがそこは日本人。約束の時間よりも前に行き彼らを待つつもりだ。
雨宮は羽熊の背中を軽く叩いてオスプレイへと近づく。ローターは真下に風を送り続け、近づくたびに風が強くなる。異地の平原に生える雑草も風になびき、それは綺麗な波紋となって周囲に広がる。
「よし」
飛行機は何度も乗ってもヘリは初めての羽熊。ましてやヘリと飛行機が一体化したオスプレイなんて見るのも初めてに恐怖感がじわじわとくる。
それでもこれが一番身を守ってくれるものだから、羽熊は意を決してオスプレイの後方ハッチから機内へと乗り込んだ。
国土転移から四日目。経済は変わらず冷え切ったままで、報道によると転移後からの死者が自然死の他に自殺者で千人を超えているらしい。それでも通報によって分かっているだけで警察や消防の機能も低下しているからもっといるのかもしれない。
日本が他の星に来てしまった事実、冷え切った経済の下どうやって生活をするのかと言う悲壮感から未来をあきらめた人が多くいるそうだ。この世界で死んでも死後の世界は地球基準のところなのか、それともこの星基準の世界なのかは死んだ人にしか分からないが、幸ある死後であることを祈るばかりだ。
昨日の偵察時間が三時間しかなかったため異地側の研究成果は芳しくない。その代わり国内側は計算上から色々なことが分かった。
一つはこの星は地球より十二倍近く巨大であると言うことだ。この数日間で上空、地上から観測できる異地の情報をまとめ、そこから計算をすると地球より直径が約十二倍大きい十五万キロの巨大惑星と判断された。そうなると必然的に質量が増加して重力が増すのだが、自転の速さや人が宙に浮く原理によってか地球とほとんど違いがない。
天文分野でも、三鷹の国立天文台とJAXAが見つけた情報に、観測できる銀河が全て既存のものであるとした。近傍にある銀河系はアンドロメダ銀河の特徴が強く、その他の銀河も相違が見られないとされる。より精査しなければならないが、この情報が真実であればこの星は太陽系と同じ天の川銀河内にある星系にあるということだ。
異世界は異世界でも、次元が違うのではなく星が違うのはある意味で朗報と言える。
ただ、これは吉報であると同時に無意味な情報でもある。同じ銀河系にいるとしても帰り方が分からなければ次元が違うのと変わりないからだ。
例え可能性が真実だとしても、地球は現在進行形で地獄だ。天変地異が収まる五年から十年後に転移原因を究明して戻ったとしても厳しい環境はそのままだし、運よく生き残った人々による暴力が正義の世界になった可能性もあった。
それでも同じ銀河系であれば一般の人も観測できて話題になるだろうから、話題が大きくなる前に発表するだろう。
同じく天文分野で月のような衛星が一つ見つかり、観測すると距離は五十五万キロ離れていて大きさは月の五倍は大きいことも分かった。
分かったことは他にもある。これは異地側の地質学者の偵察隊が発見したのだが、異地の土地には大量の鉱石が眠っていて、ある点からサンプルを採取して東京の大学で検査をしてもらっているらしい。詳しいことは検査結果待ちだ。
生物も目の前にある雑草から二百メートルを超す巨木、虫から五メートル級の動物と三時間で入手した遺伝子サンプルを研究所に送り検査を依頼。遺伝子解明に合わせ、ウイルスや細菌を抽出して地球生物への影響を研究するらしい。ウイルスの研究施設はその危険度から、国立感染症研究所にあるバイオセーフティーレベル4の研究施設ですることとした。
そして検疫の観点から、原則的にこの須田駐屯地へは物資の搬入はあれど搬出は一部を除いて当面禁止だ。人の出入りも安全が確立されるまでは施設内の行動限定で、やむなく来る場合は防護服を着ることが義務付けられている。
政府関係者や防衛省の官僚が来ないのはそのためだ。倫理的、人権的に問題はあれ、一億二千万を考えれば危険は百も承知。羽熊もここにいる隊員全員、その覚悟をもって来ている。
石油の備蓄が七ヵ月分。食料は生産と保存食を含めて約八ヵ月。流通が安定するには一ヵ月はかかるとしてあと半年でイルリハランと貿易を始めなければ全滅するため、外交をスムーズに行えるよう言語と文化を学ばねばならず、羽熊や他の言語学者に重圧がかかってくる。
そのための準備は一晩でしたとはいえ、当然ながら国際言語文化の範疇を越えた仕事だ。それでも生涯どころか人類史上初の大役である以上、逃げ出すことは出来ないししたくもない。
責任は全て政府が負うとしても、この業界に足を踏み入れた以上、責務は全うするつもりだ。
オスプレイは人員の輸送機ともあって機内はこじんまりとしていた。壁際に折り畳み式の座席が設置され、その中央は荷物を運び固定するレールと金具しかない。壁には細かなコードやパイプが走り、その代わり窓はドアについている以外一つもなかった。
機内にはすでに装備を整えた隊員が座っていて、羽熊も雨宮に誘導されて一つに座る。
「お、落ちないですよね」
「大丈夫ですよ。パイロットは二百時間以上の飛行実績がありますから」
それが長いのか短いのか分からない。
「気楽に居眠りでもしていてください。起きたらもう湖ですから」
確かに目は重く少しでも閉じれば寝てしまうが、二度と起きないかもと考えると怖い。
けれど睡魔は恐怖心を飲み込む勢いで瞼に襲い掛かってくる。
「もうなるようになれだ」
どのみち陸路での選択肢はないのだから昨日と同じく命を預けるだけ。羽熊は座席のベルトを締めると目を閉じた。
あれだけの騒音があっという間に小さくなった言った。
*
「来ましたね」
国防軍から借りた双眼鏡をのぞき込むと、真っ青な空の中に輪郭は分かれど背景と全く同じ色の物体が見えた。
数は六隻。しかし空自からの情報では五隻と数が合わない。
「一隻だけ他のと重なってたんですかね」
「衛星が使えないため索敵は地上施設にまかせっきりですが、日本全国各地にレーダー施設があるのでさすがにそれはないと思います」
「おそらくステルス仕様だろ。俺たちの世界でも順次ステルス化してることを考えりゃ試験的か最新型でステルス仕様なのかもしれん」
羽熊と雨宮の会話に口を挟むのは、前日の反省から一気に百人以上の中隊と化した異地偵察隊の指揮官である多茂津一佐である。
「五十嵐二尉、ブリーフィング通り、攻撃はミサイルの迎撃のみだ。それ以外は後方に下がっていろ。万が一原住民をプロペラで切り刻んだりしたら大問題だからな」
『了解』
現在約束の湖には二種類の乗り物がある。一つは人員の輸送としてオスプレイ七機。もう一つはAH‐64Dアパッチロングボウと呼ばれる攻撃ヘリだ。
このアパッチと呼ばれるヘリは、基本的に空対地攻撃を主としている。陸自的には普通科、陸軍的には歩兵を支援するため戦場の空に滞空し、敵兵や戦車を探索、対戦車ミサイルで撃退して地上の支援を行う重要な機体だ。
ただ、この機体は空対地攻撃に主眼を置いているので、戦闘機相手ではかなり弱い。空対空ミサイルを装備すること可能でも、例えるなら隼と羽虫くらいの差がある。
ならなぜ選定されたのか、戦闘機は現状全てが本州からの離陸でタイムラグがあり、並走するには速すぎてタイミングを合わせられないからだ。昨日の撤退でもF‐22は大きく旋回しながら偵察隊車両を追随したのでミサイル迎撃も何発かは至近で迎撃をしている。
もちろん襲って来ればスクランブル発進をするが、なにが起こるのか分からない状況では即座に対応できる機体が必要で、アパッチが二機部隊に加わった。
「なんか、一隻だけすごく大きいですね」
異地国の艦隊が近づくにつれてそれぞれの大きさがよく見えてきた。三隻は昨日拿捕派の飛行艦から羽熊達を守ってくれた船で、もう三隻の内二隻は既存の三隻と似ているが一隻だけはとにかく大きい。それこそ地球の原子力空母並みかそれ以上の大きさだった。
「昨日、遠方で二隻が拿捕派の飛行艦を追跡しているのは確認してます。ひょっとしたらその飛行艦かもしれないですね」
「ステルスって完全にレーダーに映らないんですか?」
「いえ、完全に消すのは現代技術でも不可能です。出来て小さく見せるくらいですね。おそらくレーダーに映ってても小さく、他の飛行艦の反応に紛れていたかもしれません」
「俺は軍事はにわかなのでそんなよくはわかりませんけど、あれってどう見ても戦艦ですよね?」
旅客機かそれ以上の速さで来ているのだろう。秒単位で空色の物体が大きく見え、特に巨大な飛行艦は他の飛行艦にない巨大な砲塔が船体の上下に備わっているのが見えた。
「この世界の軍艦はまだ戦艦は有効と見ているんでしょう。もしくは大量のミサイルを撃てる設計かもしれません」
なんにせよこの世界には地球では確か存在しない戦艦が必要とする理由がある。
「波動砲とか本当に撃たないでほしいですね」
「羽熊さん、ずっと科学水準が同じだって言ってるんですから弱気にならないで下さいよ」
「いやー、やっぱり空飛ぶ戦艦を見るとあれを連想しちゃって」
もちろん実際にイルリハランの軍人を見て科学水準がかけ離れているとは思えない。空飛ぶ乗り物も不自然ではないが、巨大戦艦を見るとどうしてもあのアニメのことを連想してしまう。
そう話している間にも六隻の艦隊はVの字を二列の編隊で航行を続け、上空五十メートル、距離で百メートルのところで停船した。
戦艦クラスはやはり三百メートルを超す巨艦で、その護衛艦も二百メートル前後はあり迫力としては抜群だ。
国防軍とイルリハラン軍を比べれば羽虫と隼のような規模の違いがある。
「国旗はイルリハランと確認。敵性異地国家ではありません」
艦橋にはためく国旗は、黄緑色の基調に二重の円が中心にある日本の国旗のようなシンプルな意匠なもので、イルリハラン軍の軍服に着けていたものと同じだ。
ちなみに敵性国家の国旗は対角線に一本の線が引かれ、右が赤、左が白の意匠をしている。
「いいか、全員向こうが撃つまでなにもするな。向こうもこちらの発砲を望んでいるならどちらも撃つことはない」
武装する隊員は全員、グリップを握ってはいても小銃を大地へと向けて構えるそぶりを見せない。向こうも一発を望むのであれば互いに不安感はあれ血が流れることはないだろう。
すると停船する艦隊からスピーカーでなにかを語りだした。全員が羽熊を見て、羽熊も得た知識を総動員して何を言っているのかを考える。
「……多分ですけど、こちらはイルリハラン、軍かな、ここに来たこと、感謝する?」
言葉の中に『イルリハラン』『サンファー』と軍の意味と思われる『ウリ』があることでそう推測する。
おそらくカメラでこちらのことは多角的に見ているだろう。ここで敵意を見せられては巨砲を受けるため、羽熊は好意のジェスチャーとして両手を大きく振った。
船から一人の軍人が飛び出してきた。重力に従い落下したのはわずかで、すぐに重力の呪縛から離れ自在に飛びながら高度を下げてくる。
続々と飛行艦から兵士たちが降りて来て、一瞬国防軍の隊員たちは身構える。
「いいか、絶対に銃を構えるな! 俺たちは戦争も侵略もしに来たわけじゃないんだからな!」
再度多茂津一佐が叫んで唯一にして最大の失敗をさせないよう命令を飛ばす。
「みなさん、あの人たちを言葉が通じない先進国の外国人と思ってください。空を飛ぶ以外に外国の人と違いはありませんから」
最初に飛び出てきた兵士は、猛スピードで羽熊の上空三メートルで止まった。日本人より背が高い二メートル越えで黄緑色に発光する髪を持つその人は、昨日先頭に立って接触を試みたルィル・ビ・ティレナーだった。
雨宮たちと同じく彼女らも日本の接触担当になったのだろう。
「ルィル、さん、こんにちは」
「ハグマ、ハーラン」
まずは昨日と同じく敵意がないことを伝えるため笑顔を見せる。すると彼女も笑顔を見せた。向こうもまた日本に対して敵意を持っていないと教えてくれる。
「ルィル! イラアラン!」
ルィルの後から飛び出してきた、昨日の偵察隊の一人が追いつくと思い切りルィルのヘルメットにこぶしをぶつけた。
突然のことに羽熊も周囲の隊員も驚く。中には銃を動かそうとして他の隊員が抑える。
ルィルの頭をどついたのは昨日隣にいた隊長であろう風格ある男性だった。何をしたのか分からないが、規律違反をしたのだろう、羽交い絞めして後方に下がらせようとしてルィルが抵抗する。
その間異地語を大声で話すがさすがに頭で分析する余裕はない。
「あ、あの、ルィルさんがなにかしたんですか?」
伝わらないと知りつつも羽熊は問いかける。
二人のイルリハラン人はハッと気づいて気まずそうな顔を見せた。
「あ、そうだあれお願いします!」
羽熊はあることを思い出して後ろの隊員に声をかけ、ある物を持って来てもらった。
高さ四メートルはある大型の脚立だ。
恐らく初めて見るだろう物に二人は口論も忘れて注視してくる。その視線に気づきながら立たせ、隊員の指示のもと上がるとああと納得の声を上げた。
なにせ相手は大地に近づきたくない上に二メートルを超す長身だ。羽熊は首を上げることで疲れ、ルィルは大地に近づくことでストレスを覚える。なら同じ目線になるように羽熊側が考えるしかなかった。
脚立を用意するのは昨日話しているときから決めていたことで、ようやく同じ目線で話をすることができる。未整地の大地だから不安なくらい震えるが、支えてくれる隊員を信じて羽熊は昨日と同じくしゃべりだした。
「こんにちは、昨日、話した、日本、から、来ました、羽熊、です。後ろ、の、人、は、日本軍、の、陸上自衛隊、です」
羽熊はジェスチャーを混ぜながら片言による会話を始める。国防軍ではなく自衛隊と名乗ったのは、特徴的で組織名であるのが分かりやすいと踏んでのことだ。
ルィルは隊長格の兵士を払い、羽熊に異地語を同じく片言で話し始めた。
周囲ではイルリハラン軍の兵士が百人以上船から降りてきており、中には手のひらサイズのビデオカメラや携帯端末で撮影する兵士も見られた。国防軍隊員の方も多角的に記録を残そうとスマホやビデオカメラで撮影をする。
羽熊達偵察隊は空飛ぶ人種を見ていても、他の隊員は初めて生で見るため動揺を隠せていない。だがそれは向こうも同じだ。
日本側は空に浮かぶ人種に驚き、イルリハラン側は突然の侵略者に動揺を見せる。
ただ幸いお互いに武器を構えることはしない。あくまで先に撃たれるのを待つためグリップを持つ程度だ。
「ルィル、さん。腕、時計、ありがとうございます。大事に、してます」
羽熊は昨日急きょ交換した腕時計のことを思い出し、今はつけていない腕時計のあった場所を指さしてお礼を言う。
「アア、マーレサッチ」
マーレで一瞬間を開けてサッチと言ったところからして、どちらかが腕と時計の意味だろう。
「マーレ?」
羽熊は腕を指さしながら聞き返すと頷いて見せた。マーレが腕でサッチが時計の意と分かり、代わりに羽熊も腕を指さして「腕」と返す。
「ウデ?」
同じくルィルも自分の腕を指さして復唱した。
「そう、そう、腕、手、指、爪」
「……っ! フィスリア。マーレ、アチ、イルス、シン」
フィスリアはジェスチャーなしで言ったため分からなかったが、それからは羽熊の意図に気づいて腕、手、指、爪の順で指さしながら異地語を話してくれた。
言語を学ぶ上で文法は必須だが、その前に単語を知らなければ話にならない。昨日は文法の流れを知るために単語の聞き取りはしなかったが、しっかりとした時間が取れている今、何時間かけてでも互いの単語を言い合える。
これが無知の子供であれば教え合うのは大変でも、互いに互いを知り合いたい大人同士であれば話は変わる。『お互いを知り合いたい』と言う目的を確認できずとも状況や雰囲気から察してくれるからだ。
羽熊はタブレットを取り出した。さすがに電波は圏外となってネットは出来ないが、事前に保存しておいた画像は閲覧できるため、報告書をまとめた後容量いっぱいで出来る限り画像を記録させておいた。
まずは地球の世界地図を画面に表示させる。
「オオ……」
ルィルは興味津々でのぞき込み、携帯端末を取り出すと写真を一枚撮った。
「世界、地図。世界、地図、日本」
まずは地図の縁を指でなぞって世界の意を伝え、今度は国境沿いに伝えて地図の意を伝える。最後に日本を指さして転移前の日本の位置を知らせた。
ルィルは隊長格の人と話をすると、船に向かって猛スピードで上昇していく。
勘が当たっていれば同じくタブレットを取りに行ったのだろう。
ふと隊長の人と目が合うと肩をすくめて苦笑いを見せた。メンタルはやはり同じで、羽熊もうなずいて返す。
「確か、リィア・バン・ミストリー、さん、でしたね?」
昨日の接触はほとんどをルィルとの会話で終わったが、それでも偵察隊同士の自己紹介は済ませている。なぜ隊長であろうリィアでなく部下のルィルが前面に出てきたのかは謎だ。
「我々、を、守って、ありがとう」
言いながら羽熊はリィアに向けて右手を差し出す。相手に対して好意を示す動作は、日本ではお辞儀で欧米では握手やハグがある。大抵どの民族でも相手への敬意や好意を示す動作を持っているから、それを確かめるために差し出した。
「ロウ、マブア、ラ、シェンス、シモーサ」
リィアは何か分かったような口ぶりで羽熊の握手に答えてくれた。握手の概念がないような弱々しいものでなく、ちゃんと理解しての力強い握り方だった。
昨日から今日に掛けてお辞儀をしていないから、相手への所作は欧米的なのかもしれない。
ふと気づく。いま羽熊は人類史上初の異星人と肉体的接触を果たしたことに。
体温は人間と変わらず、柔らかさも人の手と何も変わらない。本来なら号外が出てもおかしくないことでも、いざ果たしても大した感動は覚えなかった。異星人であっても感覚の全てが普通の人と変わりないからだ。
羽熊が隊員に言ったように、異星人や空を飛ぶ人種と不安を仰ぐ条件ばかりの相手でも、いざ会えば普通の人なのだ。この星で進化し続け、文明を発展した国家の一人にすぎない。
少なくとも日本人とイルリハラン人は分かり合える、そんな気がした。
「アア―!」
ある意味では歴史的、ある意味ではなんてことのない握手の最中、飛行艦へ行っていたルィルが戻ってきた。予想通りタブレットのような端末を携え、羽熊達をわなわなと震える手で指さしながら絶叫する。
そしてリィアのところに向かうと何か不満があるのか、まくしたてるように大声で話し出した。
一瞬羽熊は自分に気があるのかと思い、すぐにその可能性を無くす。いくらなんでもそれは映画過ぎるし、なにより地上人と天空人で生活圏が違い過ぎるし惚れられることなんてなにもしていない。
おそらく異星人だから強い好奇心を持っている、そう解釈することにした。
すると羽熊の手を離したリィアはルィルの頭をまたどついて説教を始めた。
これもまた貴重な言語学習の資料なので、説教場面は聞いていていい気分ではないが敢えて止めずにレコーダーに録音させてもらう。
周囲を見渡すと、他の隊員たちもイルリハランの兵士たちと話を始めていた。お互いに異星人だからかぎくしゃくしつつも、なんとか互いに敵ではないと伝えようとするのが分かる。
本来なら日本は現在進行形で侵略中だから、問答無用で攻撃してきても文句は言えない。しかしそれでも日本を知ろうとするのは、知った後でどう対処するのか判断するためだろう。死人に口なし。滅ぼした後では理由を知ることはできない。
二人のイルリハラン人の口論はいつしかリィアの説教に変わり、ガミガミとルィルを攻め立ていた。語学の勉強のため続けさせてもいいが、せっかくタブレットを持って来てもらったのに見せ合う時間が削られるのは困る。
「あの、そろそろ話を進めたいんですけど」
声が小さいのかリィアもルィルも気づかない。
そこで羽熊は日本製のタブレットを脇に挟んで大きく拍手をした。
その音に二人はビクッと体を震わせる。こういう時の反応は万国共通だ。
「話、したい」
立てた人差し指を羽熊と二人、交互に動かしてその意思を伝える。
「ア、ミスアット。リィアガイム……」
羽熊を蚊帳の外に置いていることを思い出してもらえたようで、ルィルはリィアに話しかけて羽熊へと向き合った。
彼女、いやイルリハラン人の顔立ちは西洋よりで、発光した髪を持っているがそれを除いて顔だけを見れば地球人と言っても十分ごまかせる。異星人で定番の肌の色は肌色に薄い黄緑色が混ざったような、けれど違和感を覚えるほどではない。
肌色に黄緑色が混ざっているのは保護色の名残だろうと推測する。
羽熊はもう一度地球世界地図をタブレットに表示させ、画面をこの世界を指してこの世界地図が見たいと伝える。
ルィルはその意図に気づいて、日本にとっては国民全員が知りたい世界地図をさらっと表示してくれた。
羽熊は簡単に見れることに軽く不安を覚えながら、イルリハラン製のタブレットをのぞき込んだ。
世界地図の見え方は地球基準と変わらず、オーストラリア級も大陸と見立てれば、大陸と見えるのが七つある。画面の中心地に巨大な大陸が一つ、画面の両端に縦長の大陸が見え、画面の縁に海が見えることから繋がっているのではなく切り離されたと見る。地球で言う太平洋はなく、オーストラリアと南極大陸がなくて南極と南太平洋が地球で言う太平洋のような広大な海となっていた。
巨大大陸は三つで、他四つの島はオーストラリア級(元々が大きいため、地球基準で見ればユーラシア大陸級)の陸地が四つ見られた。中央大陸の右上に一つ、北極の位置に一つ、左側大陸の下と中央大陸との真ん中に一つあった。
そして気になる円形山脈は、世界地図で見ると中央大陸の左側にあった。
円形山脈から海までは数千キロ以上はあるだろうか。経緯経度は奇しくも地球の日本と似た場所にある。
ただ、直径四千キロであれば地球地図では大きく描かれているが、十二倍と星が大きいため小さく描かれていた。
これがこの星の地形。日本のいる場所。
わずか四日目で世界地図を知ることは喜ばしいことだが、同時に日本の矮小さも知る結果となった。
地図には国境が書かれていた。円形山脈は二国の間に八対二で跨るようにあり、そのどちらかがイルリハランだろう。その二国ともとてつもなく大きく、この地図の線が国境であるなら中国クラスの大きさを持つ。それも中国の百四十四倍の大きさだ。
もう片方もブラジルくらいの面積はあり、それも百四十四倍の巨大な国。いかに科学水準が同等でもスケールがあまりにも大きすぎる。
それでも今すぐ帰る手立てがない以上、矮小ながらも生きていかなければならない。
羽熊は息をのみ込み、この星の世界地図をタブレットで撮影した。
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