第9話 アトリの鐘が鳴る頃に


 ピーター特性のサンドウィッチを食べているときだった。とつぜん、村にアトリの鐘が鳴り響いたのだ。


「おっと」


 ピーターがぴたりと動きを止め、サンドウィッチをいそいで飲み込んだ。


「すみません。仕事が入ったようです」


 ピーターがあわてたように立ち上がるのを見て、あたしは首をかしげた。


「お仕事?」

「ええ。正しき道がわからなくなってお困りの方が、わたしを呼んでいるのです」

「あなた大変ね」


 あたしは呑気に最後の一口を口に入れて、飲み込んだ。


「ふう。ごちそうさま」

「よろしければご一緒にいかがですか? 見ても、あまり面白いものではありませんが」

「わたしたちも、ちょうどこのあと外に用がありまして、広場までご一緒してもいいですか?」

「ええ。ぜひ」


(えー、のんびりしたかったのに)


「お姉ちゃん、行こう」

「ちょっと待って」


 あたしは優雅にナプキンで口を拭いてから、ピーターとメニーとともに再び外に出た。三人で少し大股で歩いて村の広場まで向かえば、アトリの鐘の下で二人の親子がピーターを待っていた。広場を歩く人々はそれを見守りながら仕事をする。

 ピーターが二人に言った。


「大変お待たせいたしました。ランチだったもので、遅くなってすみません。……それで? 本日はどうしましたか? アンネさん、アグリー」

「せっかくのお昼にごめんなさいね。マルカーン神父」


 アンネ・リスベットがため息混じりに言った。


「また息子がかんしゃくを起こしたのよ」

「かんしゃくだって起こしたくなるよ!」


 アグリー・リスベットがかんかんに怒っていた。


「ひどいったらありゃしない!」

「まあまあ。おちついて話をきかせてくれないかい? 二人とも。ことの発端を、では、アグリー、話してくれるかい?」

「もちろんさ!」


 アグリーが話しはじめた。広場で働くみんなはとおりすがりながらも、気になって耳をすませた。


「今度出稼ぎに行ってるパパに会いに行くんだ。それでね、パパと二人で旅行を計画してたんだ。ぼくはセイレーン・オブ・ザ・シーズ号に乗ってみたいって言ってるんだけど、そこで事件さ! ママが猛反対。だめの一点張りだ!」

「船の旅なんて反対よ。船は沈むのよ。料金も高い。だったらちょっと贅沢な部屋付きの汽車の旅のほうがいいわ。キクヂシャのサラダを食べて、おいしいコーヒーを飲みながら、『浜のゆうれい』の迷信話でもきけばいいのよ。お前好きじゃないの。つかまろう、つかまろうっていつも歌ってるじゃない」

「ああ、世界が破裂する音がきこえた。ぼく、今はっきりときこえたんだ。ぼくは愛されてないんだ!」

「なんてこというんだい! この子は! 愛してるからこそ反対してるんじゃないの!」

「ママは口先ばかりさ! お金のことと奉公先の坊っちゃんのことしか考えてないんだ!」

「お金のこと考えてない大人なんて、この世にいると思ってるのかい!? あんたが思う以上に大人は汚いんだよ!」

「子どもに現実を教えるなんて、ママは最低だ! やっぱりぼくは愛されてないんだ!」


 広場のみんなは呆れた目をした。はじまった、はじまった。アグリー坊やのぼくは愛されてないんだ症候群。


「なるほど。ではなにが正しいかを決めましょう」


 ピーターがアグリーに言った。


「まず、アグリー、すぐにぼくは愛されてないんだと決めつけるのはやめよう。それはマイナス思考から起きる妄想だ。マイナスな妄想がつづくとどうなると思う?」

「さあね。どうなるの?」

「うつ病という、とても危険な病気になってしまうのさ。完治がとても難しくて、ちゃんとした薬もないんだ」

「えっ」


 アグリーがアンネを見た。


「ぼく、病気なの?」

「いいや。アグリー、君は病気じゃない。ただ、その思考がよくない。その考え方は正しくないな」

「じゃあ、ママが正しいの?」

「ところがどっこい」


 ピーターがアンネを見た。


「アンネさん、ご主人のラルスさんにはご相談されましたか?」

「いいえ。アグリーが船に乗りたいと言いはじめたのは昨日の夜なの。主人からは近いうちにアグリーと男二人の旅行に行きたい、としかきいてません」

「それはいけません。子どもの提案は夫婦の問題。ラルスさんと相談もしていないのに、アグリーの旅行計画を反対するのはどうでしょうか」

「まあ、言われてみたら、たしかに……」

「アグリーは二人の大切なお子さんです。一度お二人で話し、意見を言い合い、合致したとき、その内容をアグリーの旅行計画にするのはいかがでしょうか」

「それもそうだわ」

「たしかにパパにきいてなかった」

「提案したのがラルスさんなら、すでにラルスさんがなにかしら考えている可能性もあります。まずは相談しないことには話ははじまりません」

「ということは」

「正しいのは?」

「ラルスさんに電話して相談し、家族三人で決める。これが正しい選択です」


 広場にいた人たちが感心したように、おお、と言い、とおりすがりながら思った。帰ったら家族会議だ。

 アンネが頭を下げた。


「マルカーン神父、ありがとうございます」

「ありがとう。神父さま。村長に電話を借りてみるよ!」

「また困ったことがありましたら、いつでも鐘を鳴らしてください。今日も女神アメリアヌさまの祈りのもとに」


 二人の親子は手をつないで家まで帰っていった。ピーターが息を吐き、胸をなでおろした。


「はあ。無事に解決できたこと、感謝いたします。女神アメリアヌさま」

「ピーター、今のがあなたのお仕事?」

「ええ」


 ピーターがあたしたちにふり返った。


「以前は裁判官の方がいらしたのですが、今はわたしが」

「正しさを決めるなんて、難しそう」


 メニーが言うと、ピーターがうなずいた。


「ええ。ですので、わたしでも正しいと思うことが難しいときは、多数決できめるときもあります」

「なるほど」

「民主主義ね」

「一番いいのは、お互いが納得して争いがなくなることです。だけど、人間はそう簡単にはいきません。わたしだけでも第三者の目線でいませんと。……ところで、わたしはこのままここに残りますが、お二人はいかがなさいますか?」

「すこし、村を歩こうかと」

「でしたら、日が暮れる前に教会にお戻りください。一番いいのは日が暮れる前に岩が退けられることですが、日が暮れたらオオカミが村におりてきます。そうなれば、外を出歩くのは大変危険です」

「わかりました」

「お困りのことがあればアトリの鐘にいらしてください。わたしがおりますので」

「ありがとうございます。……行こう。お姉ちゃん」

「んー」


 あたしとメニーはアトリの鐘を後にし、そのまま村の出入口に向かった。村の出入口には村の男たちと、兵士と、さっきの失礼な赤い目の女の子と――リオンさまがいた。


「あ♡」


 あたしは思わず声をあげた。


(リオンさま……!)


 ――え!?


(あの女の子とリオンさまが、親しげに話してる!!)


「君が殴ってもびくともしないのに、地道に道具を使えば削れる岩か」

「あいつらは?」

「気になることがあるって、どこかに行ったよ」

「チッ。……テリーのことは?」

「軽くだけ。……会ったらまた話すよ」

「……記憶が飛んでる感じだった」

「大丈夫。すぐもどるさ」

「リオンさまぁああ♡♡♡」


 あたしは愛情をたっぷりこめて、リオンさまの腕にだきついた。リオンさまとルビィがおどいてあたしにふり返った。


「っ」

「お会いしたかったですわ♡」


 あたしはルビィに見せつけるため、リオンさまに堂々と胸を押し付けた。


「ランチをしている間も、あなたのことをひたすら想っておりました……♡ 胸がはちきれそうなほど、すっごく切ないランチでしたわ。……お会いできてよかった……♡」

「……」

「あー! あー! リトルルビィ! ぼくはもう少しここを調べてみるから、君はテリーをキッドのところへ連れて行ってくれないか!? なにか、その、なんとかなる方法があるかもしれないよ!」

「リオンさま、あたくし、……はなれたくありません……♡」

「ミス・テリー・ベックス! ここは危険だから……!」


(……あれ?)


 あたしは顔を上げて、リオンさまの顔をのぞいた。リオンさまがおどろいたように、丸い目であたしと目を合わせる。


「リオンさま」


 あたしはほほえんだ。


「今日は、いつにもまして、お顔色が明るく見えますわ」

「え?」

「いつものクマが見えませんもの」


 そっとリオンさまの目元に指をなぞらせた。


「よく、眠られましたか?」


 きくと、リオンさまがじっとあたしを見つめた。ああ、だめ。そんなに見つめないで。あたしは恥ずかしくなって、思わず目を伏せた。影が重なる。リオンさまが一瞬呼吸を止め、もう一度、……ゆっくりとつめたい息を吐いた。


「テリー」


 リオンさまがいつもの笑顔で、あたしのほおに触れた。

 リオンさまが、あたしだけを見てくれている。


「キッドヲ、捜シニイッテクレナイカ」

「……キッド、さま……ですか?」

「……アア……」

「……わかりました!」


 あたしはほほえんで頷いた。


「あなたさまのためならば」

「……頼ンダヨ……」


(キッドという人を探して、ここに連れてくればいいのね!)


 リオンさまがあたしのほおにつめを立て、つう、となぞったと同時に、あたしは気合いを入れてふり返って、声を上げた。


「メニー、行くわよ!」

「……っ」


 直後、リオンさまがふらついた。あたしははっとして、あわててリオンさまを支えた。


「リオンさま!?」

「大丈夫。太陽に目がくらんだようだ」


 リオンさまが自分の影をふみつぶし、メニーに顔を向けた。


「メニー」

「……」

「……キッドとソフィアが森に向かってるはずだ。どこかにいると思う」

「……危ないので、ドロシーは置いていきますね」


 メニーがドロシーを放した。ドロシーがリオンさまの足元にくっついた。にゃん。あたしはとっても心配で、リオンさまを見つめる。


「リオンさま、……あの、どうか無理はなさらず……」

「大丈夫。さあ、行って」

「行こう。お姉ちゃん」

「……ええ」

「メニー、わたしも行く」


 ――あたしはルビィを睨んだ。


「結構よ!」

「……」

「キッドという人をさがすだけよ。あなた、ここでの仕事が残ってるんじゃなくって?」


 ――あたしの手柄を横取りして、リオンさまにいいところを見せようとしてるんでしょ。あたし、わかってるんだから。


「メニー、行きましょう」

「……リトルルビィ、またあとで」


 あたしとメニーが森に向かって歩いて行った。ルビィが舌打ちして、イライラしたように地面を蹴った。


「……勝手にしやがれ。クソが」



「……リオン、どうしたんだい?」

「ジャックが突然出てきたんだ。悲鳴が聴きたいって」

「ジャック、だめじゃないか。君は妹を泣かせたいのかい?」

「ケケケ! アレ、オイラノ妹ジャナイヨ!」


 ジャックは笑う。


「ヨクモ勝手ニ口ヲ動カシタナ」

「キッドを捜してきてくれと言っただけだ」

「余計ナコトヲ」

「ジャック」

「一回デイイ。モウ一回キカセテクレヨ。『アノ女』ノ悲鳴、最高ナンダ。レオダッテ、ワカルダロ? 一緒ニヤッテキタジャナイカ! ケケケケケケ! ケケケケケケケケケ!!!」

「……ドロシー、テリーのことはキッドに任せよう」


 リオンがつぶやいた。


「今の『ぼく』を近づけないほうがいい」


 村の男たちが大声をあげながら作業をする。岩は少しずつ削れていく。



(*'ω'*)



 あたしとメニーはふたたび森へとやってきた。


(さっき、ジャンヌと森を歩いて正解だったわ。奥にはダムがあって、向こうには魔女の城。ここは近場のダムからさがすべきかしらね)


「メニー、ダムがあるほうに行ってみましょう」

「お姉ちゃん、地面がすべりやすくなってるから、気を付けて」

「あら、人の心配するなら、自分の心配をするべきね。メニー」


 あたしの足がぬかるんだ地面にすべって、思いきりしりもちをついた。


「いたぁーい!」

「お姉ちゃん! だから言ったのに!」

「さいあく。スカートに泥がついたわ! あーん! もう、いや! あたし帰りたい!」

「ん? テリーとメニー?」


 木の上からだれかが落ちてきて、あたしは悲鳴をあげてメニーのうしろにかくれた。


「きゃあ!」

「ジャンヌさん!」


 華麗に着地したジャンヌに、メニーがきょとんとまばたきした。


「ここでなにしてるんですか?」

「オオカミを見張ってたんだ。客人が多くなってきたからね」


 ジャンヌが銃を持ち直して、あたしたちを見た。


「二人はなにしてるの? 銃もなしじゃ、森は危ないよ」

「人捜しを」

「ジャンヌ」


 あたしはひょこりとメニーのうしろから顔を出した。


「キッドという人を捜してるの。ここに向かったって」

「キッド? それって、キッド殿下のこと?」

「……殿下?」

「見ましたか?」

「いや」


 メニーがきくと、ジャンヌが首を振った。


「わたし、さっきまで部屋で昼食を食べてて、森にもどってきたばかりなんだ。キッド殿下が歩いてたとしても、見てないよ」

「そうですか」

「ちょうどいい。オオカミがいないか見回りしてたんだ。森に入るなら付き合うよ」

「心強いわ」


 あたしは笑顔でうなずいた。


「お願いできる? ジャンヌ」

「任せて。で? キッド殿下はどっちに行ったって?」

「……メニー」


 あたしはメニーにきいた。


「あたしたちが捜してるキッドっていう人は、王子さまなの?」

「……お姉ちゃん」


 メニーが真面目な顔できいてきた。


「覚えてない?」

「なにが?」

「あんた、崖から落ちたときのショックで、情報が混同してるんじゃない?」


 ジャンヌがにっと笑って教えてくれた。


「キッド殿下って言ったら、リオンさまの兄の第一王子のことでしょう?」

「え?」


 あたしは目を丸くした。


「リオンさまには、お兄さまがいるの?」

「キッド殿下のことは国中知ってるよ。あんたは知らないの?」

「……あー。リオンさまのお兄さまの、キッドさまね。もちろん、知ってるわ。あたし、どうかしてたみたい。思い出した、思い出した」


(知らない)


 あたしは思い出せる限りの記憶を思い出してみるが、


(キッドさまなんて人、知らない……)


 あたしは親指の爪をかみ、メニーに目で会話を試みる。ねえ。キッドさまってだれのこと? 視線に気づいたメニーがあたしにうなずいた。ちょっとまってね。と目で言われる。いいから教えてよ! キッド殿下ってだれのこと!? どんな人!? 第一王子さまはリオンさまじゃないの? どうせリオンさまより出来が悪いのよ。だってリオンさまに兄がいたなんて、どのパーティーでだってきいたことないわ。ゴーテルさまの横にはいつもリオンさまがいらっしゃった。とても静かでクールな人。ということは、お兄さまはきっとオレさま系か、オラオラ系に決まってるわ。大体王子さまってそうよ。やんちゃしてる兄の下に、聡明なリオンさまのような人が出来上がるのよ。素敵。リオンさま。もっと好きになっちゃった! きゃっ!


「キッド殿下は好奇心旺盛だって話だからね。この森の魅力に気づいて、冒険してるのかも」

「……やっぱりそうだわ。オラオラしてるんだわ……。狩りが好きなのよ……。で、きっと命を奪うのが好きなのよ……。無駄な争いを好む系男子なんだわ……。最低……」

「……」

「いいよ。行こうか。ここにいても始まらない。ダムのほうから見てみる?」

「……そうね。メニーもそれでいい?」

「うん」

「よし、じゃあ行こう。はぐれないようについてきて」


 ジャンヌを先頭に、ふたたびあたしとメニーが歩きだす。今度は城ではなくて、ダムの方角へと向かう。


(……リオンさまのお兄さま……リオンさまのお兄さま……)


 あたしはなんとか記憶をたぐらせるが、やはりリオンさまにお兄さまがいるなんて記憶はない。リオンさまファンクラブのなかでだって、そんな話はなかったわ。


(そもそも、リオンさまが第一王子じゃなくて、第二王子だってことも、今はじめてきいたわ。……あたしがわすれてるだけ……?)


 あたしは視線を動かした。


(でも他のことは覚えてる。あたしがリオンさまを想ってるこの想いも、家の事情も、メニーのことも……うん?)


 あ!! あたしは目を見開いた。


「お花畑がある!」

「ん? ああ」


 ジャンヌが足を止めた。


「きれいでしょ。むかし、まだこの土地が国だった頃からのものなんだ」

「すてき!」


 あたしはジャンヌに振り返った。


「ねえ、ちょっとだけ寄り道してもいい?」

「キッド殿下はいいの?」

「ちょっとだけ!」

「うふふ! はいはい。わかったよ。休憩だ」

「やった!」

「お姉ちゃん!」


 あたしはメニーの声に振り向きもせず、お花畑に駆け寄った。こんなすてきなお花畑、はじめて!


(きれい……)


 まるでよく読んでるロマンス小説に出てくるお花畑みたい。あたし、こんなお花畑の上で走り回るのが夢だったのよね。


(えへへ)


 あたしはそっとお花畑に入ってみる。あたしにふまれて、花が潰れた。


(えへへへへ!)


 あたしは花を踏み潰して、お花畑のなかに入った。


(わーい!)


 あたしはお花畑を駆け出し、花に包まれ、花のお姫さまとなる。


(素敵! あたし、かわいい! 今のあたし、すっごく映えてる!)


 お花に囲まれたかわいいあ、た、し♡


(リオンさまがあたしにときめくのもわかるわー!)


「きゃっ!」


 あたしはなにかにつまづいて、ころんと倒れた。


「いたぁーい!」

「お姉ちゃん? どうしたの?」


 メニーがお花畑の前で止まり、外から声をかけてきた。


「お姉ちゃん! 大丈夫!?」

「大丈夫! ころんだだけ!」

「……ん?」


 そこでメニーがはっとした。慌てて大声を出した。


「お姉ちゃん! 動かないで!」

「え?」


 あたしがきょとんとし、ジャンヌがはっとして、慌てて走り出した。


「テリー! ゆっくり下がって!」


(え?)


 あたしは呆然とした。あたしの足がひっかかったものが、ゆらりと揺れたのだ。


(……え?)


 黒い毛のオオカミが、ゆっくりと起き上がり、ギラついた目であたしを見たのだ。


「っ」


 あたしはそのぎらついた目を見て、急に胸がしゅんと縮こまり、怖くて動けなくなってしまった。だって、オオカミが、あたしの目の前にいるんだもの!


(あ……どうしよう……)


 体が動かない。動けない。


(し、死んだふり……しなきゃ……)


「わおん!」

「きゃあ!」


 ジャンヌが狙いを定めて撃ったが、オオカミがわかっていたように銃弾を避け、あたしに飛びかかってきた。あたしは悲鳴を上げ、その場に押し倒される。オオカミがあたしの上で吠えて、ギザギザに光る牙を見せつけられる。


 わおおおおん!


「きゃあああああ!!」


 食べられる!


(たすけ……っ!)


 あたしは目を閉じて、頭のなかで叫んだ。





 だれか、あたしを助けて……!






 ――次の瞬間、銃声がひびいた。

 ジャンヌが撃ったのだろうか。オオカミが瞬時にあたしからはなれた。


(ひっ!)


 土を滑るブーツの足音がきこえた。ジャンヌが走ってるんだわ。あたしは怖くてその場でうずくまり、ぶるぶる体を震わせる。また銃声がきこえる。


「っ!」


 あたしは耳をおさえて、ひたすら縮こまる。激しい銃声とオオカミの声がきこえ、今度は刃物がひらひら舞う音がきこえた。


(……この音……)


 剣の音。


 あたしはここで、ようやく顔を上げた。




 そこにいたのは、青い髪の騎士。

 たくましく美しいうしろすがた。

 片手には剣。片手には銃。あたしの前に立ち、オオカミに立ち向かう。


 オオカミが森の奥に逃げ出すと、美しい人がせせ笑った。


「そうだ。自然に帰れ」


 オオカミがいなくなったことを確認し、銃と剣をしまい、風に身を任せ、髪の毛を揺らしながらあたしにふり返った。


「……」


 あたしはその顔を見て、無言になり、頭のなかで思った。


(……妖精の王子さま……?)


 この世のものとは思えないほどの人物が目の前にいる。


(間違いない。ほんものだわ)

(花の妖精の王子さまが、あたしを助けてくださったんだわ……!)


「……」


 花の妖精の王子さまがあたしを見て黙り、あたしも花の妖精の王子さまを見たまま、そのすがたに見とれたまま黙る。花が揺れ、花びらが風に吹かれて舞っている。ふと、花の妖精の王子さまがあたしの左手を見下ろし、――光る指輪を見て――笑い、あたしに跪いた。


「レディ、お怪我は?」

「へ? あ、えっと」


 びっくりした。花の妖精の王子さまに口を利かれたわ!


「……ありません」

「そうですか」


 花の妖精の王子さまが、それはそれは見たことがないほど色っぽく微笑んだ。


「よかった。あなたのような美しい人を守れて」

「え!?」


 そんなこと言われたのはじめて! あたしは目をキラキラに輝かせた。


(なんだか、あたし、ヒロインみたい!)


「ここにいては危険です。お手を」

「あ」


 手を差し出され、あたしはそれにつかまろうとして――ためらい、花の妖精の王子さまを見上げた。花の妖精の王子さまは首を傾げて、ふしぎそうにあたしを見つめる。


「レディ?」

「……あたしを、妖精の国に連れて行くの?」

「……ん?」

「だって、あなた、花の妖精の王子さまなんでしょう?」


 あたしは手を隠して、ぷいっとそっぽを向いた。


「あたし、妖精の国には行きません。助けてくださってどうもありがとう。さようなら」

「テリー!」

「きゃあ!」


 おどろいてふり返ると、銃を構えたジャンヌが走ってきて、あたしと、花の妖精の王子さまを見て、その他を見回し、銃をおろした。


「ケガは?」

「ジャンヌ、この方が助けてくださったの。あ、でも、花の妖精の王子さまだから、あたしにしかすがたが見えないかも……」

「ぶっ!!」


 ん?


「ごほん。失礼」


 花の妖精の王子さまがふたたび涼しい笑顔をあたしに向け、ジャンヌを見て立ち上がった。


「村の方ですか?」

「あんたは?」

「わたくしはキッド。キッド・ロバーツ・イル・ジ・オースティン・サミュエル・クレア・ウィリアムと申します」

「……っ、キッド殿下!?」


(えっ!? キッド? この人、今、キッドって言った!?)


 あたしとジャンヌが目を丸くして、目の前にいる花の妖精の王子さま……ではなく、第一王子、キッド殿下を見た。


(……あ、……ほんとうだ)


 よく見たら、リオンさまの面影がある。


(この人が……オラオラ系王子さま……!)


 あたしは固唾をごくり! と飲んだ。


(礼儀正しくしないと腰にある剣で斬られるんだわ! あたし、怖い!)


「美しい森に感動し歩いていたところ、美しい方の悲鳴が聞こえましたもので」


 キッドさまが、もう一度あたしに手を差し出した。


「さあ、レディ」

「た、大変失礼いたしました……。……殿下」


 あたしはおそるおそる手を置くと、キッドさまはにこりと笑い、あたしを優しく立ち上がらせ、――あたしの耳にささやいた。


「リオンからきいてる。崖から落ちたショックで、色々大変なことになってるって」


 そして、あたしの腰に手をそえた。


「もう大丈夫だよ。テリー」


(ふわあああああああああああああああああああああ!!)


 あたしはそのとろけそうなほど甘い声に心を撃たれて、頭のなかで悲鳴をあげた。


(この人の声、超タイプぅううううう!)


 声だけじゃない。顔も、背丈も、その存在全て、


(あたしの好みのタイプぅうううう!)


 まさに頭に思い浮かべていた王子さまのテンプレート中のテンプレート。仕草からなにまで美しい人。


(あたし、誘惑に負けそう! だめよ! あたしには、リオンさまが……!)


 ……うん?

 今この人、あたしのこと名前で呼んだ?


(……え……? 顔見知り……?)


「お姉ちゃん!」


 はっとしてふり返ると、メニーが駆け寄ってきた。


「ああ、メニー……」

「よかった。ケガがなくて……」


 メニーがキッドさまを見て、眉をへこませた。


「キッドさん」

「これはこれは、メニー」

「キッドさん、あの……」

「メニー」


 あたしはメニーにひゅるん! とすべり寄り、声をひそめてきいた。


「ねえ、あたしたち、あの人と知り合いなの?」

「……」

「ねえ、知り合いなの!?」


 あたしは目を輝かせてメニーにきく。だって、リオンさまのお兄さまなんでしょ? あの超ストライクのイケメンの紳士な王子さま。


「あたし、リオンさまのお兄さまと、知り合いなの!?」


 メニーが呆れた目であたしを見た。


「……うん」

「あの人、オラオラ系?」

「オラオラ……?」

「違うのね! ああ、さすがリオンさまのお兄さまだわ! 絵に書いたような王子さま! キッドさま! すごい! イケメン! かっこいい! 美しい! 目の保養! あたし、どうにかなっちゃいそう!」

「……」

「キッド殿下、ご挨拶が遅れました」


 ジャンヌが軽く会釈した。


「わたしは村の長、ヒョヌの娘のジャンヌと申します」

「ご丁寧にどうもありがとう」

「この村のオオカミに気遣いは無用です。奴ら、いつも夜になったら村におりてきて、家畜や作物を狙ってくるんです」

「なるほど」

「ここは危険です。一度村にもどりませんか?」

「そうですね。美しい森も見れましたし」


 キッド殿下が微笑み、あたしの肩を抱いてきた。


「婚約者も命からがらわたくしを捜しに来てくれました。いいでしょう。村にもどりましょう」

「……」


 ――ん?


 あたしとジャンヌが丸い目で今一度キッドさまを見た。


「……婚約者?」

「だれが?」


 あたしとジャンヌがきくと、キッドさまがきょとんとして、にっこり笑った。


「なにを言うんだ。愛しのテリー」


 長い指で、顎をすくわれ、青い瞳で見つめられる。


「君はおれの運命の人じゃないか」

「……」


 えっ?


「……そういえば、前にあったな。キッド殿下の婚約者がマリッジブルーで行方不明になる事件」


 つまり、


「テリー、あんた、キッド殿下の婚約者の、テリー・ベックスだったの!?」


 ……え?


 あたしはメニーを見た。

 メニーが険しい顔でキッドさまを見ていて、あたしもキッドさまを見た。キッドさまと目があえば、キッドさまはやさしい目をあたしに向けた。あたしは意味がわからず、ふたたびメニーを見た。

 メニーが目をそらして、ため息混じりに言った。


「お姉ちゃん」

「……」

「この人はキッドさん」


 メニーが答えた。


「お姉ちゃんの婚約者」

「はぁああああああああ!!!??」


 あたしの声におどろいたカラスたちが、一斉に木から飛んでいった。


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