第4話 罪悪感


 診療室に運ばれたソフィアが、物知り博士から中身が怪しい点滴を受ける。


「何も心配とかなんとかはない。しばらく安静にしていたらソフィアの場合、回復が早いからすぐ良くなるさ。とかなんとか」

「ええ。わかってる」


 あたしは金魚の水槽を撫でる物知り博士に返事をし、部屋の隅にいるビリーに振り返った。


「じいじ」

「ん」

「クレアとメニーに会ってくる。だから、……ソフィアをお願い」

「ああ。わかったよ」

「ん」

「テリー、気をつけての」

「……。……ありがとう」


 ビリーが頷いたのを見てあたしも頷き、振り返り、カーテンを開けた。ベッドには、血を拭われ、顔全体に包帯を巻かれたソフィアが寝ている。静かに近付いて、声をかけた。


「寝てる?」

「起きてるよ」

「ああ、そう」


 あたしは中に入り、カーテンを閉めた。


「これからクレアの所に行ってくる。何か、伝えておいた方が良い事ある?」

「えーっとね」


 ソフィアが少し考えて、答えた。


「異空間で呪いの副作用が使いづらくなる。これはリトルルビィにも当てはまる事だと思うから、伝えておいて」

「わかった」

「それと」

「ええ」

「あの中毒者の中で、誰かと会った」


 あたしは顔をしかめた。


「誰か?」

「あの中毒者の心を盗もうとした時にいたんだ。ほんと、すぐ側。私が入ってくるのを待ってたみたいだった」

「……それって」


 あたしは腕を組んで、低い声で訊く。


「オズ?」

「オズだとしたら変装した姿だろうね。……青い目に、青い唇に、青い爪。全部が魅力的だったよ」


(……青い目に、青い唇に、青い爪……?)


「テリー、そこに笛はある?」


 振り向く。ベッドの横の棚の上に、ベルトと銀の笛が置かれていた。


「ええ。ある」

「君、持っていけない?」

「……あたしが?」

「襲われたら何も出来ないでしょ」

「……ん……」

「ベルトがどこかにあるはずだよ。それを太もも辺りに巻いて、そこに笛をしまって。そしたらいつでも取り外せるから」

「……ベルトなら、笛の隣にあるわ」

「じゃあ、それ使って」

「……」

「私はしばらく動けないもの。……君が自分を守る為に使って」

「……わかった」


 あたしはベルトを太ももに巻き、そこについてるポケットに銀の笛を入れると、するっと簡単に入った。


「……ありがとう」

「それ吹いたら、間接キスだね」

「冗談言ってる場合?」

「くすす。怒らないで」

「……」


 ソフィアの手の上にあたしの手を重ねる。


「安静にしてたら良くなるわ」

「うん。平気だよ」

「……」

「もう行ったら?」

「……あんたが寝るまでいる」

「……」


 ソフィアがくすすと笑った。


「急がないと、殿下とメニーがどこかに行っちゃうよ」

「無線機があるから、連絡を取ればいいわ」

「テリー、時間の無駄だよ」

「あんたがすぐ寝れば問題ないわ」


 ソフィアの指を弄る。


「寝るまでいる」

「……」

「具合悪い時って、人肌恋しくなるでしょ。……だから、……いてあげる」

「くすす。テリー、……私ね」


 ソフィアが言った。


「君の、そういうところが嫌い」


 手を握り返される。


「中途半端に優しいところ。ほっといてくれたら、すぐに君を諦められるのに」


 強く、強く、手を握られる。


「そんな事されたら、離したくなくなるじゃない」

「……はっきり言うわ。これは優しさじゃない。せめてもの償いよ」

「くすす。償いね」

「人に優しくする事によって、自分の罪が軽くなる気がする。それをあんたにしてるだけ。……ただの自己満足な行為よ。優しさでも善でもない。これが善ならあたしは偽善者よ」

「なるほど。テリーは罪悪感でいっぱいなんだ。私に怪我させちゃったから」

「……」

「私がさっき言った事、気にしちゃったんだ? くすす。君は相変わらず心の底からの純粋さんだねえ」

「……」

「あのね、……テリーは悪くないよ。君は中毒者と戦えないんだから」

「……」

「無力でごめんなさいって思ってるなら、カドリング島でお散歩する件、忘れないでね」

「……わかった」

「……本当に寝るまで側にいてくれるの?」

「……ん」

「……ふふっ!」


 ソフィアが小さな女の子のように笑った。


「嬉しい」


 あたしの罪悪感に包まれた手を、ソフィアが握りしめている。


「寝たら構わず行ってね。テリー」

「ええ」

「はあ。どうしよう。久しぶりにドキドキしてきた。うふふ。眠れないよ。これじゃあ」


 はしゃいだような可愛い声を出し、ソフィアが大きく息を吸った。


「こんなの、寝ちゃったらもったいない」


 大きく息を吐いた。


「テリーの手、温かい……」


 呼吸がゆっくりになってくる。


「……テリー……好き……」


 呟く。


「君が好き……テリーだけ……」


 ソフィアが深呼吸した。


「……あ、そうだ。テリー、今度家に来て、二人でお菓子でも作らない?」


 急に力が抜けた。


「……」


 あたしはそっとソフィアの顔辺りに耳を立ててみれば、安らかな寝息が聞こえた。……急に寝たわね。無理矢理力を使ったから相当疲れてるはずだ。


(……馬鹿な女)


 ソフィアの頭を撫でる。


(善人は悪い奴に捕まると不幸になるのよ。いつも言ってるじゃない)


 あたしはそっとソフィアに近付き、――彼女の額にキスをした。


(お嬢ちゃん、もう、あたしのものにならなくていいから、……早く善人で良い男を見つけなさい)


 もう一度頭を撫でてから立ち上がる。


(行かないと)


 あたしはソフィアの手を離し、診療室から出ていく。無線機のボタンを押した。


「クレア」

『お姉ちゃん』

「……メニー?」

『今どこ?』

「こっちの台詞。どこにいるの?」

『美術館』

「……ママ、そっちにいる?」

『ううん。……まだいない』

「……向かうわ」

『……お姉ちゃん、一つだけ言わせて。わたし達ね、ソフィアさんの事聞いて、本当は診療室に行こうとしたんだよ』

「頭の悪い判断ね。時間が過ぎて手掛かりが消えたりしたらどうするの?」

『うん。だから、……今、美術館にいるの。クレアさんがその方が良いって』

「……正しい判断だわ」

『ソフィアさんは?』

「……大した事ないわ。ただ」

『……ただ?』

「……クレアに代われない? クレアに伝えないといけない事が……」

『……で、……え?』

「メニー?」

『……お姉ちゃん、電波……が……』

「メニー? 聞こえる? メニー?」

『……お姉ちゃん、聞こえる?』

「そっちに向かうわ。そこにいて」

『……気を付けて。さっきからこの船おかしいの』

「……何かあったの?」

『さっき……で……あって……』

「あー、……メニー、電波悪い。聞こえない」

『……お姉ちゃん? もしもし、聞こえる?』


(あー、やばい。こいつと話してたらイライラしてきた。こいつ、わざとあたしを煽ってる?)


「メニー、電波が悪いから合流した時に話すわ。そこにいて」


 あたしは無線機を切り、足早に道を歩き出した。



(*'ω'*)



 あたしは来た道を戻っていく。一人だからより気を付けて、エレベーターは使わず、扉が少ない道を選び、階段使って上へ上へと上がっていく。美術館はここから少し遠い。


(……ん?)


 あたしは何回目かの階段を上がり終わった時、ダクトを覗き込む風変わりな女の子を見つけた。


「ウサギさん、こっちにおいでー!」


 周りがあまり近付かないように歩いている。


「あらあら、どうしよう。ウサギさーん?」


 緑の目がダクトを覗き込む。


「うーん。困ったわね。ねえ、怖い事しないから、出ておいでー?」


 ……あの風変わりな女の子は、まさか……!


「……アリス……!?」

「ん!?」


 赤いドレスを身に纏った少女があたしに振り返った。もしかしてと思って声をかけたけど、間違いない。アリスだわ。あたしの親友のアリスだわ! あたしのあげたドレスを着たアリスだわ!! 


(どうしよう! 赤いドレス、すごく似合ってる!!)


 あたしを見た途端、アリスが目を丸くさせ、笑顔になった。


「あら、ニコラ!」

「アリス!」


(久しぶり! 元気だった!? ああ! アリス! あたしね、アリスにすごく会いたかったの! 風邪を引いちゃってたいへんだったの! ああ、アリスったら赤いドレス似合ってる! 素敵! 本当にすごく可愛い! 本当よ! あたしが言うんだから間違いないんだからね!!)


 あたしは瞳をキラキラさせながら満面の笑顔で速やかにアリスに駆け寄り――首を傾げた。


「で、……何やってるの?」

「ああ、これはその、困った事が……」

「困った事!?」


 あたしの親友のアリスに、困った事が起きてるなんて!


「どうしたの!? 一体何があったの!? 大丈夫!?」

「ニコラこそ風邪大丈夫なの? ニクスとアメリアヌから聞いたわよ。すっごく質の悪い風邪引いたって!」

「そんな事どうだっていいわよ! アリスは大丈夫なの!?」

「私は大丈夫。大丈夫じゃないのはあの子」

「……あの子?」


 ダクトを見る。


「なんかいるの?」

「ニコラ、……何とか出来る?」

「……?」


 ダクトを覗いてみると、ウサギがちょこんと中に入っていた。あたしはアリスに振り向いた。


「アリス、いつウサギなんて飼ったの?」

「ニコラったら、私が動物を飼えると思ってるの? 毎日出来ない事で囲まれて、それっぽく見せてやり過ごすのにいっぱいいっぱいよ。生き辛いったらありゃしない! そんな中、大切な命のお世話なんて出来ないわ! ……今はね」

「じゃあ、あのウサギは?」

「廊下で見つけたのよ。パーティーにでも出かけるのかしらー、うふふ、なんて思って追いかけたら、ダクトの中に入っちゃった」


 可愛いつぶらな目をして、こっちを見ている。


「誰かの部屋から抜け出したのかも。私が飼い主なら心配してるわ」

「こういう時は専門に頼んだ方がいいわ。クルーは……」


 いない。アリスが溜め息を吐いた。


「こういう時に限っていないのよねー」

「うー……」


 もう一度見回すがクルーは歩いてない。


(無線機で呼んでもらう? いや、……こんな事に使うのはちょっと気が引ける……)


「いいわ。ニコラ、ここはお菓子で釣りましょう」

「え」


 アリスが鞄から袋を取り出し、ダクトの前に置いた。


「ほらほら、おいで。クッキーよ」

「……アリス、ウサギはクッキーなんて食べないわよ」

「物は試しよ。挑戦する心が大事」

「挑戦する心が大事でも、結果が出ないと意味がないのよ」

「辛辣な意見ね。そんなニコラも大好き」

「あたしも大好きよ。アリス。……ニクスは? 今日は二人でスケートするって聞いたけど」

「もうこんな時間だし、お腹も空いてきたし、解散したのよ。楽しかったわ。お互いの学校の話で盛り上がって。ニコラも風邪が治ってるなら誘えば良かった」


 その時、ダクトからウサギが飛び出した。


「きゃっ!」


 アリスがあたしに飛びつき、ウサギが廊下に走った。廊下にいた人々が驚いて悲鳴を上げる。アリスが戸惑いの目をあたしに向ける。


「ニコラ、あれ追いかけないとまずいわよね?」

「クルーが見つけてくれるといいけど、行動は早めの方がいいかも」

「オーケー! ニコラ、右からお願い!」


(はあ。用事が立て込んでるっていうのに……)


 あのウサギ、あたしの親友のアリスを困らせるんじゃないわよ! あたしはアリスの背中を叩いた。


「わかった。アリスは左よ」


 あたしは右から走り、アリスが左に走ってウサギを追いかける。ウサギがぴょんぴょん跳ねて進んでいく。すぐに追いつくと思いきや、そうはいかない。ウサギが人の多い方へと走っていったのだ。


「ニコラ!」

「アリス! 左!」


 二手に分かれて遠回りし、ウサギが走っているであろう廊下に回る。なんでペット預かり施設はウサギやら魚やらセイレーンやらを逃がすのかしらね。もう少し管理をしっかりした方がいいわ。あとでクレーム入れてやるから!


「てや!」


 アリスの腕からウサギがすり抜ける。


「ふわっ!」


 あたしの頭をウサギが踏んでジャンプした。ウサギはぴょんぴょん進んでいく。あたしとアリスが膝に手を置いた。


「ニコラ、あのウサギ、なかなかやるわ……」

「……あんにゃろう……」

「でも飼い主が心配するだろうから」


 暗い倉庫の中にウサギが入り込んだ。


「捕まえた!」


 滑り込んだアリスがウサギを掴んだ。ウサギが急にストレスを感じてうずくまった。アリスが溜め息を吐き、ストレスを感じまくってるウサギを優しく撫でながら立ち上がった。


「はあ、どうなることかと思った。良かった。学校でウサギ触っておいて」

「学校で触ったの?」

「学校で飼ってるのよ。ニコラも抱っこする? 可愛いわよ」

「あたしはいいわ。……とりあえず」


 あたしとアリスの肩の力が抜けた。


「一安心ね」

「そこら辺を歩いてるクルーさんに言って、飼い主を見つけてもらいましょう」

「アリス、ペットの預かり施設があるわ。そこに行った方が早いかも」

「え、そんな所あるの? 便利ね。この船。何でもあってびっくりしちゃう」

「そう言ってくれて嬉しいわ」

「じゃあ折角だし、ニコラに案内してもらおうかしら?」

「ええ! もちろんよ! 行きま……」


 ――倉庫に設置されていた時計の針が、丁度17時を指しているのが見えて――あたしは肩を震わせた。


「……アリス……ごめんなさい。その……ちょっと、あたし、用事があって……」

「え、やだ。ニコラったら! なんで早く言わないのよ! 私なら大丈夫だから、そっちに行って?」

「でも、アリス……場所分かる?」

「大丈夫よ! 人に聞いて行くから!」

「……アリス……!」

「付き合ってくれてありがとう。お陰でウサギさんも捕まえられたし、助かったわ。……さ、そうと決まれば、こんな暗い所、早く出ちゃいましょ!」

「……っ! うん!」


(ああ、アリスと喋ったら心が癒されていく。魔法のハープ以上だわ。アリスはね、良い子なの! 優しくて、思いやりがあって、あたしの親友なの!)


 ルンルンしながらアリスと倉庫から出ようとすると――ドアが勝手に閉まった。突然倉庫が暗くなり、あたしはアリスに飛びついた。


「ひっ!」

「わ、ちょっと、すみません! 私達、中にいるんですけど!」


 アリスが声をひそめてあたしに言った。


「きっとクルーが良かれと思ってドアを閉めたんだわ。……あ!」


 真っ暗の中、アリスが声を上げて、あたしは肩をビクッと揺らした。


「ど、どうしたの!?」

「大変。ウサギちゃんが腕から逃げちゃった」

「アリス、真っ暗で何も見えない!」

「ドアを開ければ少しは明るくなるかも!」

「ドアはどこ!? アリス、あたし、何も見えない! あたし、怖い!」

「大丈夫よ! 今ドアを見つけたわ!」


 真っ暗な倉庫の中でアリスがドアを開けた。


(ああ、廊下の明かりが眩しい)


 とても眩しい光が倉庫の中へと入ってきて――あたし達を包んだ。


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