第4話 お化けのパレード


「ケケケ!」


 案内役の旗を持ったジャックが待っていた。


「ニコラ、ゴアンナーイ」


 ジャックの声と共にラッパが鳴り、お化け達による行進が始まる。あたしとジャックはソリに乗り、パレードに抱えられてお化けの世界に招かれる。上には不安げな雲の空。下にはおどろおどろしいお化けの演奏隊。あたしはジャックに振り向いた。


「パレードはどこまで続くの? お兄ちゃん」

「悪夢ノ果テヲ目指シテ。ニコラ、手ヲ繋ゴウ」


 ジャックと手を繋いで、悪夢の旅が始まる。


「サア、皆ニ自己紹介シナキャ。ニコラ、初メマシテ。オイラハ、切リ裂キジャック。君ハ誰?」


 初めまして。お化けさん。

 あたしを知りたいだなんて物好きね。


 あたしはテリー・ベックス。貴族のお嬢様よ。だから、地位のないお化けは跪いてちょうだいね。パレードを囲むお化けがみんな跪いた。そしてあたしに訊いてきた。


「「あなたの話を聞かせてください」」


 あたしの身の上話を聞きたいだなんて、みんな物好きね。いいわ。少しくらいなら教えてあげる。


 あたしにはメニーっていう義妹がいるの。超美人で優しくて思いやりのある、下心なんて微塵も持ってない、よこしまな心が逃げていくほどの、裏表のない聖女。差別もない。目的のためなら努力を惜しまない。芯の通った性格で、自分よりも他人を愛せる女。だからみんなに愛される。本当に、全く、いけ好かない女よ。


 あたし達家族は、ママの再婚相手の連れ子であったメニーを家族という肩書きを利用して、長い間、奴隷のように扱った。メニーの父親が亡くなった事をきっかけに、家のほとんどの仕事をメニーに任せたの。とても快適な生活だったわ。毎日あの綺麗なお顔が灰で汚れていくのを見るのは、それはそれは気持ち良くて楽しかったものよ。


 だけどね、思いもしなかった事が起きるの。彼女はプリンセスになるの。そうよ。国のプリンセス。王子様のリオンと結婚するの。


「ヒヒッ」


 ジャックがお化けのプリンスになった。蝶ネクタイがとてもお洒落だ。


 メニーを酷く虐げてきたあたし達は、罪人となり、囚人が集まる工場で働く事となるが、しばらくしてママが疲労から発狂して死に、脱獄しようとして捕まり、なおかつ虚言を吐くアメリアヌが死刑になり、その後、一人で生にしがみつきながら、あたしは生き延びた。ぼろぼろになっても、惨めな女と言われても、暴言を吐かれても、あたしはメニーに対する憎悪と、忘れられなかったリオンに対する愛に足を支えられ、ごみ箱に捨てられていた絵本とネズミを抱きしめて、なんとか――絶対に――このまま黙って死んでたまるかと、蜘蛛の糸にしがみつく思いで生きていた。


 だが、そんなある日、とうとうあたしの死刑が決まった。


 目の前にはギロチン台。

 周りからは罵声。

 見える先には、青空と、メニーの美しい青い瞳。

 想いを寄せていたリオン陛下の眼差し。

 絶対に許してなるものか。

 あたしの幸せを奪った女と男を、あたしは絶対に忘れてはいけない。

 様々な気持ちが揺れる中、あたしはまさに、地獄へと堕ちる瞬間だった。


 突然、世界が白くなったのよ。


「一体、ニコラニ何ガ起キタンダ? 教エテオクレ」

「物好きね。お兄ちゃん」


 あたしは10歳のプリンセスになった。甘いキャンディを舐める。


「あたしは、ここが二度目の世界であるという事を知ってしまった」


 一度目の世界は、人間を恨んでいる大魔法使いオズの呪いによって、終わりを迎えようとしていた。しかし、オズ以外の魔法使い達が宇宙の一巡をする事によって、この世界は再び始まったのだ。記憶を取り戻した10歳のあたしはその瞬間から10歳の少女ではなくなり、この先の未来でギロチンがあたしに手招きしている事実にショックを受けた。このままでは同じ未来を辿る事になる。なんとかしなくてはいけない。


 簡単だ。メニーに嫌われなければいいのだ。


 あたしは魔法使いドロシーの助言により、『罪滅ぼし活動』を始め、メニーの良き姉を演じる事となった。メニーを虐めなければ死刑にならない。死刑にならないためにあたしは動いた。歴史は大きく変わった。そして、出会った。


 中毒者を追うキッドに。

 中毒者であった吸血鬼のリトルルビィに。

 中毒者の協力者であった親友のニクスに。

 中毒者であった怪盗のソフィアに。

 中毒者であった切り裂きジャックとレオに。

 中毒者事件を解決しようと目論む――クレアに。


「色ンナ出会イガ、アッタネ」


 大魔法使いオズ。中毒者事件の犯人であり、この世界を呪う人物。

 オズは呪いを振り撒く。心に『隙』のある人間を選び、呪いの飴を渡して『中毒者』を作り出す。『中毒者』は一時的に人外的能力を目覚めさせ、欲望のままに人々を襲う。オズに立ち向かえる唯一の救世主――キッドは国王になるため、この事件を今も追っている。


 ……なんとなくだが、キッドがいるこの世界は救済に向かっているかのように思える。だからこそ、あたしの隣にジャックがいるわけなのだから。


「サア、オ化ケ達ガ、トテモ聞キタガッテル。未来ハ変ワッタ。君ハ違ウ未来ヲ歩イテイル。デモ、マダ君ハ、トテモ怯エテイル」

「当然よ」


 パレードの先に、ぶくぶくと泡を立て、海に沈んでいく豪華客船の姿。


「問題はすぐそこまで来てる」

「大丈夫。オイラガイルヨ」

「当たり前よ。良いこと? あたしはこの前、あんたが気持ちよくお眠りしている間、メイドとして頑張ってたのよ」

「ニコラ、ソノ件ニツイテハ、ゴメンネ。悪夢ト、オ菓子ヲアゲルカラ、許シテヨ」

「いらないから体を張ってちょうだい。今度はお兄ちゃんが頑張る番よ」


 あたしは『覚えている範囲で書き綴ってるノート』を開いた。


「これから起きる未来よ。ええ。思い出したくもない事件だわ」


 あたし 16歳

 メニー 14歳


 ・カドリング島

 ・マーメイド号の沈没事故

 ・賠償金

 ・ウイルス性の風邪


 あたしとジャックが目を通した。ジャックが文字を見て、首を傾げた。


「カドリング島」

「ベックス家が代々守ってきた島よ。カドリング島っていう無人島。もう、何もないの。村とか何とかがあれば、あたしも島のお姫様って言えたけど、あるのは古びたお城だけ」


 この島が色々と厄介でね。ベックス家以外の人間が管理をすると、必ず命を落とすの。だから管理者の歴代記録を見てみると、寿命まで生き伸びて管理を続けた人間っていうものは、遠縁だったり、本家だったり、薄くても濃くても、必ずベックスの血が流れた人たちなのよ。不可思議で不確かで不気味でしょう?

 だからベックスが貴族権を受けとった時に、正式に所有物、ベックスの領地として島を受け持った。国としてはそんな不気味な島を配下が管理してくれるなら万々歳でしょ?


 その事もあって、昔は伯爵レベルまで地位があったのよ。でも娯楽で金を使い回す奴って必ず現れるものよ。戦争に行っても役立たず。どんどんベックス家の評価は落ちていき、お金もなくなっていき、あたしの祖母であるアンナ・ベックスが貿易関係の会社を始め、また、あたしの祖父にあたる人がものすごく頑張って戦争で大活躍してやっと持ち直して……とまあ、色々あったけど、ベックス家は何があってもカドリング島だけは手放さなかった。それが最大の財産であり、貴族としての存在理由でもあったから。


 だけど、この島、全く何もないのよ。あるのは自然と野蛮な動物と海だけ。あんな無人島、誰も近付きたがらないわ。昔は村があったみたいだけど、今はただの荒れ地よ。人の住む場所じゃない。あの島本当に呪われてるの。奥深くまで森の木を切ってみなさい。たちまち体調が悪くなって、原因不明の病で死ぬわよ。そんな事もあって、怖がった雇用者達がこぞって逃げだした。例えベックス家に忠誠を誓っているからと言っても、少人数であの閉鎖的な島にいるなんて気が触れてしまう。


 だから、森や山から離れたところ。ベックス家の屋敷の周辺。ばあばがね、祈ったのよ。どうかこの辺りだけでいいので、宿や娯楽施設を作らせてください。そして、人を一定数入れて、この島を心から愛し、世話してくれる方が現れるよう、人々にもっとこの島を知ってもらうために、一部をリゾート地にさせてください。必要以上の金儲けは求めません。島を汚す者がいれば、呪ってくださって構いません。ですから、どうか、何とぞ、何とぞお願い致します。


 その祈りが効いたのかわからないけど、その周辺だけはリゾート開発を進めても、誰も呪われなかった。


 こうしてばあばの祈りの元、カドリング島のリゾート開発は長年をかけて慎重に進んでいった。しかし、人を島に運ぶためには船が必要よ。


「メニーの父親が持っていた船会社。マリン・アンド・ルージュ造船所が、表向きは南の海を移動することを目的にって発表して、ママの依頼の元、贅沢で大きな豪華客船を設計するの。その船の名前がマーメイド号。テーマは、絶対に沈まない魚のような船」


 ジャックがつぶらな瞳をあたしに向けた。


「マーメイド号ノ沈没事故」

「マーメイド号は、それはそれは美しい船だった。処女航海は三月十日。みんなが期待していた中……三日後に沈むのよ」


 春だったから油断してたんでしょうね。なぜか船に双眼鏡がなくて見張りは肉眼で見ていたという上、周りには霧だらけだったそうな。そしてそんな海の中、溶けきってなかった巨大な氷山が目の前に現れて、操舵手はとにかく面舵一杯。しかし努力も虚しく氷山に船がぶつかった。これは噂だが、実は船の中の石炭倉庫で火災が起きていたのではないかとも言われている。それで倉庫の壁がもろくなり、ぶつかった氷山とたまたまその壁が当たり、穴が開いて修復不可能となり、それ以外にも様々な要因の説が述べられたが、とにかく、船の中で何かが起きた上に氷山が引き金となり、とうとうこの船は沈没してしまう。絶対に沈まない魚のような船というテーマを掲げていただけに、大事件になった。それもそうよ。これは事故であり大事件なのよ。あたし達、何も悪くないの。


「でも現実はそう甘くはない」

「賠償金」

「この船はとても大きくて、そうね。全部で二千五百人程度乗せられる。ルートとして南の海を渡って外国まで行くのが目的。そのルートの途中で、ベックス家が所持するカドリング島があり、観光島として船が止まる予定になっていた。だから多くの客を乗せて、ついでにカドリング島に下ろして、また船が移動して、戻ってきて、カドリング島に止まって、国に戻ってくる。という往復移動を繰り返すはずだった」


 さっきも伝えた通り、この船は沈んだ。


 カドリング島に着く前に沈没し、二千五百人の乗客の約二千人が亡くなる。そうよ。五百人程度しか生き残らなかったのよ。船には救助用ボートが少ししかないにも関わらず、半分も乗ってないのに出発しちゃったボートもあって、もう全てがパニックになって、人々が亡くなっていき、生き残りにはトラウマが残り、後遺症が残り、それはそれは悲惨な沈没事故。その死者の中には、船の設計者。そして、船長、多くのクルーがいた。


 事故の責任はベックス家に向けられた。生きてる責任者がベックス家しかいなかったから。船を作ったマリン・アンド・ルージュ造船所は? なんてこと。同情の目が向けられた。あなた達は悪くないのよ。悪いのは船を作るよう命令した、あの船を作ろうとしたベックス家が悪いのよ。その声にマリン・アンド・ルージュ造船所の作業員は救われた。彼らには罪意識が残っていたから。というわけで、悪いのは全部ベックス家になった。


「おかしな話よ。全く!」

「ケケッ!」


 亡くなった二千人の中には、貴族もいたし、芸術家もいたし、歌手もいた。未来ある人々が死んでいった。マーメイド号に乗っていたオーケストラなんて、楽器を弾きながら亡くなったなんて、お涙頂戴な話もあるほど。慰謝料を含む莫大な賠償金にママは追いつめられた。そして、メニーとギルエド以外の残っていたわずかな使用人を全て解雇し、会社も倒産していき、『その時』に備えながらも、あたし達に言った。なんとしてでもリオン殿下のお心を掴みなさいと。


「お兄ちゃん、これは過去の話よ。あたしはリオンが好きだった。もう、これ以上ないほど熱く胸を焦がすほどに恋をしていたの。リオンの中にジャックがいたなんて知らなかったけど、中身も見もしないで、好きって言ってたのよ。不思議よね。でも、……本当に好きだったわ」

「オイラ、ニコラ大好キ!」

「あたしもよ。お兄ちゃん。……レオには言わないでよ」

「ケケケ!」


 よく、まぐれと努力と運だけで成功した奴らが言うでしょう? ピンチをチャンスに変えろ。その言葉を胸に、あたしは舞踏会のお誘いがきた17歳の誕生日に、リオンに近付くのよ。


「だけど、当然の如く」


 リオンはメニーを選んだ。九割ジャックに支配されていた彼が正気でいられたのは、膨大な魔力を持ったメニーの側にいる時だけだったから。あたし達は選ばれなかった。だから借金は片付けられなかった。やがてギルエドもいなくなり、メニーも出ていき……、


「ベックス家の信頼は地の底へ。強制破産。貴族権はもちろん剥奪。ベックス家は没落した。……領地であるカドリング島は国に持っていかれた」


 あたし達は行く宛もなくホームレスになった。


 お化けがカーテンを下ろした。しばらくしてカーテンを上げると、あたしはゴミの女王様になっていた。


 カドリング島のその後? さあね。知らないわ。船に乗れなかったから、逃げるにも逃げられなかったし。――ああ、でも、これは覚えてるわ。あの日はね、寒い冬だった。15歳になったメニーとリオンの結婚式が行われていたのよ。あたし達がホームレスになった2月15日。ええ。覚えてるわ。記憶の箱にこびりついて離れない。畜生。みんな、くたばりやがれ。


「あたしね、この未来を回避するために、最大限の貯金をしてきたの」


 キッドがあたしのために建てた仕事案内紹介所。仕事を探す人に職場を紹介する人材派遣会社。今まで役所がやってたみたいだけど、これを商売としてやったらまあ売上が右肩上がり。あたしの今までのお給料が入った通帳を見れば、この銀行が潰れない限り、助かる可能性は大いにある。


「頑張ったわ。あたし、サロンにも行かず、頑張ったわ……!」

「ウイルス性ノ風邪」

「……ああ」


 話はまだまだ続く。


「処女航海日、なぜあたし達は乗らなかったと思う?」


 あたしが質の悪い風邪を見事に引いてしまったせいよ。咳は止まらないわ鼻水は止まらないわ、もう大変だったのよ。ばあばが伝染病で亡くなったっていうのもあるから、心配したママがせっかくだけど乗らないで、全て船の設計者と船長、そして船員に任せましょうと言って、出航させたの。

 それも裁判で言われたわ。ベックス家による計画犯罪なんじゃないかってね。船に乗った一般人をごみのように海に捨てる事を目的として船は造られ、それが決行された。なんて酷い奴らなんだ!


「んなわけあるか」


 本来の目的を言えば、マーメイド号は人々に島の存在を知ってもらうために造られたのだ。……ママは金儲けしたいみたいだけど。


「対策ハ?」

「とりあえず、石炭の数を多めにリストに載せておくようお願いしたわ。石炭さえあれば、変にスピードを上げるような真似はしない。スピードを弱めても、上げても、燃料は足りる。選択肢があれば、霧が出てきた時にスピードを弱めて、氷山にぶつからずに済むかも。それと、念のため大砲を備えるよう、設計士には伝えてある。質の悪い海賊に攻撃されたら攻撃し返せるようにしてって。絶対沈まない船なんだから、それくらい出来るわよね? ってね。それと、双眼鏡も必ず予備を備えておくようにと。救助ボートの数も倍。足りないものがないように、事故が起こる前提で用意なさいと、釘を何十本も打っておいたわ」

「見ニ行ッタノ?」

「それが行けてないのよ。だから、どんな感じなのかわからない」

「ニコラハ、ソウイウトコロガ抜ケテルンダヨ。イツモソウダ」

「お黙り。あたしが何度訪問したと思ってるのよ。会社がママにしか見せたがらないのよ。お嬢様方には驚いてほしいので完成した時に! って、あの野郎ども。そんなこと言ってるから事故が起きるのよ」


 というわけよ。


「今回のミッションは、記憶を思い出した10歳の時から決まってるわ」



 罪滅ぼし活動ミッション、マーメイド号沈没事故を阻止する。



「噂だけが溢れている船の沈んだ原因は、結局のところ不明のまま。何かが起きたのよ。氷山にぶつかる前に、多分、何かがあったんだわ」


 それを阻止する。


「必ずこのミッションは成功させてみせる」


 でないと、ベックス家は終わってしまう。ばあばが、パパが、守り抜いたあたし達の血が、ここで終わってしまう。


「あたしこそ、テリー・ベックス。次期ベックスの血を継ぐ女!」


 あたしは赤いドレスを身に纏い、黄金のマントを羽織り、ジャックの杖を持ち、お化け達に威張った。


「全員、あたしに跪くがいい!」


 パレードが進み、列が踊り、道を囲んでいたお化け達が全員あたしに跪いた。テリー様、万歳! 悪夢パレードは続いていく。悪夢の果てを目指して。そのパレードはやがて地平線を埋め尽くすだろう。……なんて事かしら。奴ら、もう埋め尽くしてやがる!


「お兄ちゃん」

「ウン」

「大丈夫よね」


 怖い。沈没船はどんどん近付いてくる。


「あたし、この事件が一番恐れている事なのよ」

「大丈夫サ。ニコラ。船員ニハ、オイラノ護衛モ忍バセテオク」

「ええ。その事に関してはどうもありがとう」

「アノ船ハ沈ム運命ニアル。ソレヲ今回、回避出来タトシテモ、マタ違ウタイミングデ沈ム時ガ来ル可能性ダッテアル」

「ええ。その通りよ」

「二千人ノ命ダ。ソウ簡単ニ覆ス事ハ、難シイダロウ。ハロウィン祭ノ時ト同ジヨウニ、定メラレタ死ハ、避ケテハ通レナイ可能性ダッテアル」

「それでも、未来は確実に変わってるわ。この船が沈まず、生まれるはずだった船が造られず、生まれてくるはずだった命が無くなる可能性もある」

「ソウサ。結局何カガ無クナリ、何カガ生マレル。ソレガ世界ノ『摂理』ダ」

「どうして生と死に関しては、世界は厳しいのかしらね。理不尽だわ」


 だが、そんな余裕も言ってられない。自分の幸せのためなら、あたしはそれら全てを犠牲にしたって構わない。これから生まれてくるはずの新たな命なんて、そんなもの知るか。


(無かったものは、元々無かったのよ)


 そう思わないと未来なんて変えられない。沈没船が近付く。


「お兄ちゃん、もう目の前だわ」

「大丈夫。オイラガ守ッテアゲル」

「怖い」

「大丈夫。オイラガ」


 手をぎゅっと握りしめられる。


「僕がいるから」


 青い瞳が、あたしに微笑む。


「さあ、朝が来る。テリー」


 日が昇る。今日も一日が始まる。またあたしの罪滅ぼし活動の日々が始まるのだ。


「起きよう」

「……早く手、離してくれる? 子供じゃないんだから」

「……素直じゃないのは君の愛嬌だったな。妹よ」

「ケケケ!」


 レオとジャックが笑って、あたしの震える手を強く握った。



(*'ω'*)



 今日も一日が始まる。

 あたしの隣では、ドロシーが丸くなってよく眠っている。 ああ、そうだわ。こいつのろくに役に立たない魔法は、今回こそ役に立ってもらわないと。


(……今までなら、あたしは自分だけの未来のために抗ってきた)


でも、もうそうじゃない。


(クレアがいる)


あたしの全て。


(沈没事故が起きれば、クレアはどうなる。クレアが演じてるキッドはどうなる)


 キッド殿下の婚約者の船で、多くの国民が死亡したなんて言われたら。


(リオンがどうなろうが、キッドがどうなろうがなんだっていいけど、……クレアに迷惑をかけるのは、気が引ける)


 人は迷惑をかけてなんぼよ。だけど、どうしてかしらね。クレアの事を考えると、あれはやめよう。これはやめておこうという気になる。これは気をつけよう。これはクレアに相談してからにしようとか、変よね。今までこんな事なかった。キッドに相談する前にあたしは物事を進めたわ。だってそれは、あたしのしたい事なのだから。


だけど、もしも、この行動が、クレアを傷付ける事になるかもしれないと思ったら、


(……気が引ける)


 クレア。

 その名前を聞くだけで、この荒み切って枯れているはずの胸が、一輪の花が風に揺られるように騒ぎ出す。

 初めて気持ちが結ばれた人。

 あたしにとっての幸福。

 何よりもきらきら光る宝石のクリスタル。


 あたしのクレア。


(……あたしはやり遂げるわ)


 ベックス家も、あたしの未来も、……『あたしのクリスタル』との未来も、


「失ってたまるか」


 あたしはベッドから抜け出した。



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