第3話 ダーリン、甘く囁いて


 日が沈み、やがて夜が訪れる。


 ゴーテル様とスノウ様とバドルフが城に戻り、ビリーが残ってキッドとリオンの面倒を見る事になった。しかし、まあ、心配はないだろう。常に護衛騎士達に囲まれているし、……中には知っている顔もいて、(当時、彼らはキッドから『お手伝いさん』と呼ばれていた。)緊張の空気が漂うディナーが無事に終わり、解散となった。

 あとは使用人たちに任せるわ。片付け頑張ってね。

 あたしはと言えば、お風呂に入って今日の疲れを癒して……もう寝よう。


(ああ、疲れた。腰周りが痛い。エレンナったらコルセットをつける時、容赦ないのよね。女は細さを見せつけるのです、なんて、横暴もいいところだわ)


 鏡の前で髪の毛をブラシで梳かしていると、ドアが叩かれた。


(ん? サリア?)


「どうぞ」


 ――ドアが開かれない。


「……」


 あたしは不思議に思い、ブラシを置いて立ち、とことこ歩いて近づき、慎重にドアを開けてみて……顔をしかめた。


「……こんな夜に、何のご用でしょうか。殿下」

「夢の世界に入る前に、夜のご挨拶をと思いまして」


 キッドがくすっと笑って、あたしに手を伸ばした。


「テリー」


 その瞬間、そうはさせるかと、あたしが即ドアを閉めかけると、キッドが即ドアを押さえてきた。なんだと、この野郎。とあたしはキッドを睨み、キッドからは、お前、この野郎。という目で睨まれる。


「おい」

「お前だけは部屋に入れない」

「お前」

「早くどっか消えて」

「テリー」

「お前は嫌」

「……」


 キッドがため息を吐き、――瞼を閉じ――開けた。


「テリー・ベックス」


 声色が変わった。途端にあたしははっとして、呆気なく手の力を緩ませた。美しい手が乱暴にドアを開け、あたしを見下ろし、なんとも傲慢で強い口調で言った。


「中に入れろ」


 あたしは目をキラキラさせ、こくり! と頷き、またはっとして、そそくさとベッドの皺を伸ばし、ホコリがないか確認して、その人物を部屋の中に入れ、さっさとドアを閉めて、誰にも見られないように鍵をかけた。目の前にある手を優しく握って、皺を伸ばしたベッドに座らせる。あたしも隣に座り、もじもじした。その様子に、その人物が顔をしかめて黙る。


「……」


 あたしはもじもじした末に、ゆっくりお尻を浮かせながら近づいて、真顔のままぴとりと、隣にいる人物の肩に頭を乗せた。――満足。


「相手によって人が変わるだなんて、ああ、なんて恐ろしい奴だ」

「あなたに言われたくない」


 すりすりと頭をすりつける。


「クレア」


 クレアの手の上に手を重ねれば、クレアの指がぴくりと動いた。


「……ね、うちはどうだった?」

「……んー、率直に言えば思った通りの場所だったな。予想通りすぎて期待外れだ。ゾンビもおばけもいないし、つまらん。けっ」

「逆に訊くけど、そんな屋敷見たことある? ないでしょ? あのね、あなたが期待しているロマンスなんてものはこの世に存在しないのよ。あるのは現実だけ。ああ、実にこの世は残酷かな」

「あ、だが、屋根裏部屋から見える景色は少し魅力的だったぞ。開かずの間は……なぜ、そんな名前がついた?」

「……あそこの部屋、ドアが錆付きやすいのよ。……最近取り替えたから、もう開かなくなる事もないんだろうけど」

「お前の大好きな父親の部屋なのだから、開かなくなったら大変だな」

「……この部屋は知ってたでしょ?」

「あー……なんかキッドの時にやったな」

「なにを?」

「工作員を使用人の中に混ぜるとか」

「やめて」

「あたくしではない。キッドだ」

「だから嫌いなのよ。ねえ、役を変えた方がいいわ。キッド(改)役なんてどう?」

「そんなことをしたらキッドではなくなるだろ。いいか、ロザリーよ。人物崩壊こそ観客からのクレームに繋がるものだ。その低レベルな脳みそに叩き込んでおけ」

「……はあ……」

「ところで、ロザリーよ。夜分遅く、あたくしがなぜお前の部屋などに来たと思っている」

「夢の世界に入る前に、夜のご挨拶をしにきたんじゃなくって?」

「馬鹿め。だからお前はいつまで経ってもロザリーなのだ」

「何よ」

「仕方がないから教えてやろう。あたくしは現在現時刻現時点で暇を持て余している。朝から色々身支度して疲れているはずなのに、目が冴えて眠れない。だからと言ってリオンと遊ぶのは絶対につまらん事だとわかっているし、知り合いはお前とメニーだけ。ビリーは疲れて寝てしまったようだ。あの役立たずの老いぼれめ。キッドになって部屋で筋トレをしたら余計に目が冴えそう。こうなったら貴様があたくしをもてなせ。眠れる紅茶を用意せよ。楽しませろ。暇を潰してしまえ。あたくしが暇嫌いなことは百も承知だろう? あたくしの口からロザリー人形怪談を聞きたくなければ、今すぐに暇を潰すものを用意せよ」

「……そうね、なら」


 クレアの手を引く。


「来る?」

「ん? どこに?」

「バレないように声をひそめて。それと、いきなりキッドにならないで。絶対よ」

「ふん。いいだろう。お前が願うなら、あたくしのままでいてやろう。お前は全く本当にあたくしが好きだな」

「当たり前でしょ」

「……そこで素直になるな。恥ずかしい奴め」


 ぽっ、と頬を赤らめたクレアの手を握り、ろうそくを持って部屋から出る。廊下は、もう暗くなっているから気をつけて。そろりそろりと歩いていけば、誰かの足音が廊下に響く。でも大丈夫。これはあたしたちの足音だから。クレアの手を取って、誰にもバレないように、あ、魔力は使わないでよ。スリルがなくなってしまうから。右見て、左見て、後ろはクレアに任せて、あたしは前を見て、階段をゆっくりと下りていく。


 目的地は、二階にあるばあばの部屋。蝋燭を照らしながら、出来る限りの静かさでドアの取っ手を掴み、捻ってみると、鍵がされてない。あたしはクレアと中に侵入し、蝋燭を置いて、周辺の闇を消した。

 蝋燭の火を頼りに、あたしはクローゼットのドアを開ける。その中には、びっしり埋められているアルバム。ベックス家の歴史。興味深そうにクレアが眉を上げ、どきどきしながらアルバムに手を伸ばした。一冊取って開いてみると、思わず口を押さえた。肩をぶるぶる震わせ、こみあげてくる笑いを必死に堪える。


「……ぶふっ。……これは、お前か……!」


 パパの腕の中で、安らかに眠る小さなあたし。


「ああ。そうだ。こいつだ。ダレン。覚えているぞ。ミスター・ゲイが一度恋をした相手だ。そうか。ほれ、見てみろ。お前、とてもブサイクな顔で寝ているぞ」

「……可愛いじゃない」

「ああ。……可愛い。抱っこして、優しく頭を撫でてあげたいくらいだ」


 クレアがページを開いた。大きな黒いテディベアを抱きしめてるあたしがいる。


「これはお前のお友達?」

「奴隷よ」

「友達にしておけ」

「……相棒だったわ。抱きしめすぎて綿が出て、目玉が飛び出して、それでも黒いテディベアって当時は珍しかったから、他のテディベアは嫌なのって言って、ずっと抱きしめてた」

「くひひっ。愛を感じるな」


 クレアがページを開いた。笑顔のあたしがいる。アメリと喧嘩しているあたしがいる。身長が伸びていく。あたしの髪型を見たクレアがきょとんとした。あたしは片目を痙攣させて、クレアを無視して次のページを開いた。メニーが現れた。ママとお父様の結婚式の写真だ。アメリがピースをしている。その後ろの木の下にあたしとメニーがいた。その姿を見て、クレアは不思議そうな顔をした。


「お前、これ、メニーと何してるんだ?」

「……。……さあ? 覚えてない」


 あたしはアルバムを閉じた。クレアが手を伸ばそうとして、それを止める。


「クレア」

「あたくし、もう少し見たい」

「まだ行く所があるから、この辺にしておきましょう」

「昼間に見せてくれたら良かったのに。なぜ言わなかった」

「あなたがキッドを演じていたからよ」

「……」

「むくれないの」


 あたしは蝋燭とクレアの手を持って、ばあばの部屋から出ていき、一階に下りた。次の目的地は開かずの間。またゆっくりと静かに中へ入り、カギを閉める。クレアが部屋を見回した。やっぱり本棚で部屋を覆い尽くしているなんてすごいな。驚きだ。この屋敷の住人は、部屋に本棚を詰め込むのが好きなようだ。


「この間、屋敷に戻った時に見つけたんだけど」


 あたしは古い新聞記事をクレアに見せた。


「バドルフ様から、あれはまだあるのかって訊かれて……探したら……あったから」

「……あたくしが写ってる」

「そうよ。その新聞、世に出されなかった新聞なんですって」

「なるほどな。……で、なんでそれが、ここにあるんだ?」

「あなたが渡したんですって」

「あたくしが?」

「だって」

「覚えがない」

「……この頃のあなたは少し太ってるわ。ほら、見てよ。このブサイク」


 柔らかそうな肌だこと。抱きしめて頭を撫でてあげたくなる。じっと眺めていたら、クレアに新聞記事を取られた。


「あっ」

「そんなにまじまじと見るな」

「ちょっと、返してよ」

「本当だ。間違いなくあたくしだ。いつの写真だろうな。ふむ。これはいかん」

「ねえ」

「これはいただく」

「ちょっと」

「あたくしが渡したのだろう? ならば返せ」

「クレア」

「あたくしはこんなに丸くない」

「返して」

「やだ」

「クレア、やめ……」


 足が滑った。


「ぎゃっ!」

「ひゃっ!?」


 勢いのままクレアを巻きこんで、絨毯の上に二人で倒れる。クレアの手の力が緩み、新聞が手の外に滑り落ちた。あたしの髪の毛がクレアの肌の上に垂れた。クレアの足の間に膝がつき、手はクレアの横に置かれ、あたしはクレアを上から見下ろす。


「……」


 窓から零れた月の光がクレアを照らす。青く広がる髪の毛はなんとも言えない輝きを放ち、頬は少し赤らんでいて、柔らかそうな唇はピンク色。しっとりとした肌。ゆっくりと呼吸をする肩は静かに揺れて、その美しい瞳と目が合えば、心臓がきゅっと締め付けられて、あたしは思わず目を逸らした。


「ごめんなさい」


 すぐに体を起こす。


「足が滑ったの。悪かったわ。ほら、汚れるわよ。もう部屋に戻りましょう。新聞は置いていってね。ほらほら、さっさと立ちなさい。お姫様」


 手を差し出すと――その手を掴まれて引っ張られる。


「むぎゃっ!」


 ぺたんこな胸に顔が埋まり、腕が体を締め付け、完全に閉じ込められた。


「ちょっ」

「ダーリンったら、こんな所でいけない人。駄目よ。あたくし、まだ心の準備が出来てないの」

「出来てないんだったら放しなさい」

「馬鹿者。こういう時は、いいじゃない。あたしは、もう我慢の限界なのよ。と言って、あたくしの服を無理矢理脱がすんだ」

「あたしは何をレクチャーされてるの!?」

「恥ずかしがって抵抗するあたくしの耳に囁くのだ。何を今さら。普段から自分で触ってるくせに。そして、あたくしのパジャマの中に手を突っ込ませるのだ」

「やめんかい!」

「羞恥に悶えるあたくしの耳に一言。クレア、いいでしょう? 意地悪なのに甘えん坊な言い方で、あたくしの答えなど聞かずに、あたくしの美しい肌を撫でるように触れていくんだ。しかし、あたくしは恥ずかしくてまだまだ抵抗する。だからお前はこう囁くんだ。誘いに乗って人の部屋に入ってきたという事は、こういう行為をしても大丈夫という事でしょう? そうしてとうとういけないところにお前の手がやってくる。当然、シャイなあたくしは嫌がるだろう。ダーリンの父上の部屋で、こんなハレンチな行為はしてはいけないと思って、純情に純粋にピュアな顔をお前に見せつけるが、お前の理性はそれによりとうとうぶち切れて、あたくしのぱんつを無理矢理脱がせ、あたくしの口に入れて黙らせるんだ。これでも咥えてなさい。あら、可愛い。でももっと可愛くならないと。お姫さまのここ、気持ちよくしてあげるわって、またいけないところをまさぐりだすんだ。そして、あたくしは胸が小さい。それをすこぶる気にしているのを知っているお前は、あたしが大きく育ててあげるわねって言って、手つきは優しいくせに、すごくいやらしくて、はしたない動きで揉んでくるんだ。思わず声をあげてしまうあたくしにお前は低い声で囁く。王子様に戻れなくしてあげるわ。お姫様。……全く。なんてえっちでハレンチでふしだらな奴なんだ。でもあたくしはお前の恋人。仕方ない。付き合ってやろう。大人しく犯されるあたくしに感謝するんだな」


 クレアが第一ボタンを外した。


「ほら、やれ」

「やるか!!!!!!」


 あたしはクレアの第一ボタンを留めた。


「暇潰しはおしまいよ。わかったら部屋に戻って寝なさい」

「なぜだ!? こういう時は大抵お前から来るんだぞ!? 今まで男にしか興味がなかったお前が唯一推しで恋人で女であるお姫様であるあたくしに、我慢が出来なくなって! あんな事やこんな事やそんな事を!」

「そういうのしないから。あたし、まだ15歳だから」

「15歳は完全なる成人ではないが、結婚が許された仮成人だ。テリー。酒は禁止されているが、夜の行為なら許される。貴族ならなおさら。恋人同士ならなおさら。婚約者同士ならなおさら。結婚を許された仲ならなおさら。ならばあたくしが許可する。やれ」

「人の家でなんてことしようとしてるのよ!」

「仕方ないだろ? お前がえっちでハレンチでフラチだから」

「えっちでハレンチでフラチリストなのはお前よ!!」


 あたしの上着を肩にかけて、クレアを無理矢理立たせる。


「ほら、部屋に戻るわよ。静かにね」

「テリー、今ならこのあたくしを独り占め出来るんだぞ。ほらほら、いいのか? ボタンを外せばあられもない姿。お前ならいいんだぞ。許可する」

「あたしはいつでもあなたを独り占めしてるから大丈夫よ」


 背中を叩く。


「行くわよ」

「……はーい」


 不満そうなクレアと部屋から出て、誰にも見つからないように階段を上り、使用人達を見つけたら身を潜ませる。この状況に、クレアはおかしそうにクスクス笑う。気づかれるかもしれないと思ったあたしは、その口を手で塞いだ。


「ちょっと、黙って。見つかったらあたしが叱られるんだから」

「ねえ、ダーリン、知ってる?」

「ん?」

「おとぎ話」

「なによ。こんな夜遅くにおとぎ話あるある駆け落ち物語でもしようっての?」

「ロザリーよ、恋人が笑顔でロマンチックに語り始めたら黙って聞くべきだ。お前は少々声と顔がやかましい。素人は黙ってろ」

「顔は関係ないでしょ!」


 使用人が振り返った。


「うわっ! びっくりした!」


(ぎゃっ! あたしの可愛いお口がつい!)


「だ、誰かいるのか!?」


 やばい! 隠れ道はどこだ! あたしがキョロキョロと辺りを見回していると、クレアがあたしの口を手で押さえながら引っ張った。


(むぐっ!)


 まるでどこかの怪盗パストリルのように、まるでどこかのキッド殿下のように、とてもお姫様とは思えない素早い動きで敵の視界から消え失せる。怖がる使用人が辺りを見回す。


「か、風かな……?」


 クリスタルのように輝く髪の毛が揺れる。クレアが面白かったとでも言うようにクスクス笑い、――あたしの手を引きながら軽やかなステップを踏み、語り始める。


「それは、美しい音色を奏でる魔法の楽器」


 それは、美しい音色を奏でるハープの物語。


「昔々、ある所に、醜い巨人がおったそうな」


 巨人はみんなよりも大きいから足元が見えず、よくみんなを踏み潰していたそうな。だから巨人はみんなに嫌われていた。あいつに近付いたら踏み潰されるから気をつけろ。そんな話が出回るものだから、みんながみんな、巨人を嫌った。


 一人ぼっちの大きな巨人。誰も遊んでくれなくて、今日も一人で海を眺めて、ため息。


 そこへやってきた一匹の魚。顔を見せれば巨人は驚いた。また嫌われてしまうと思ったんだろう。巨人は、もう、誰からも嫌われたくなかった。だから巨人は逃げ出した。でもね、その日から海を眺めていると、その魚が現れて、巨人に一つの笑顔を見せるの。


 巨人はまたまたびっくり仰天。たった一匹の魚から逃げていく。体は大きいくせにひ弱な巨人。ずっと逃げ出すものだから、魚はお気に入りのハープを弾いて、巨人に聴かせてあげた。すると巨人はあまりにも美しい音色にうっとりして、魚の演奏を聴き始めたの。


「ねえ、君、俺が怖くないのかい?」


 キッドがくるんと回って聞いてきたから、あたしは答えた。


「ええ。お前なんか怖くないわ。この嘘つき野郎」

「これはキッドじゃない。巨人役だ」

「はいはい。巨人様は屁理屈が一人前なのね」


 巨人にとって、そのハープは自分を変えてくれた魔法であった。そして、魚と自分を出会わせてくれた大切なもの。

 二人の間には、いつの間にか友情が芽生えていた。


 それから巨人と魚はハープの音色を聞きながら、いつまでも仲良く暮らしましたとさ。


 めでたし、めでたし。


「所詮は子供騙しね。人を虐めてはいけません。みんな仲良くしましょうってやつでしょ? はいはい」

「ダーリン、今年の誕生日はあたくし、魔法のハープが欲しいわ。魔法のヴァイオリンでもよくってよ」

「なんでも魔法つければいいと思ってない? 魔法のヴァイオリンってなに? 素敵な音色が奏でられるの?」

「魔法のヴァイオリンは怖いんだぞ。聴いた者は弾く者の命令に従ってしまうんだ」

「だったらあたしが弾くわ。それで世界中の宝石を全てあたしのものにするの。おっほっほっほっ! 素晴らしいわ!」

「……欲しいのか?」

「……。あのね、本気にしないで。冗談よ」


 三階に到着する。楽しそうなクレアが安らかに寝るための部屋に送り届ける。


「リオンはもう寝てるかも。あまりうるさくしちゃ駄目よ」

「ん」

「それじゃ……」


 あたしは手を離した。


「おやすみ」

「待て」


 クレアがあたしの手を掴んだ。


「まさか、それで終いではないだろうな?」

「なによ。もうお休みなさいよ」

「もっと他にあるだろう? レパートリーを開いてみろ」


 ……。


「……屈んで」

「……。屈むの?」

「屈んで」


 にやぁっ。


「どうして?」

「うるせえ! 届かねえのよ!」


 真っ赤なあたしの顔を見たクレアがくすくす笑い、言う通りに身を屈ませ、あたしを抱きしめた。あたしはクレアの耳に囁く。


「……おやすみなさい。ハニー」


 耳にキスをする。


「愛してるわ」

「……」


 クレアが腕の力をきゅっと入れた。震える声で、あたしにも囁く。


「あ、あ、あたくしも……あい、してる。……ダーリン」


 そして、あたしの耳に、あたしがしたように優しいキスをして、もう一度強く抱きしめて、はっとして、慌てて手を離し、顔を真っ赤に染めて、恥ずかしそうに唇を震わせながら、なにを言うでもなく、踵を返して扉を閉めた。おやすみ。


(……キッドだと余裕のくせに、なんでクレアになると照れるのかしらね。一流役者って不思議だわ)


 あたしは蝋燭を持って部屋に戻る。ドアを開けると、ドロシーがベッドにハートの枕を置いていた。YES。戻ってきたあたしに振り返って、黙って手の平を見せた。


「皆まで言うな。いいよ。ボクは、その、メニーの部屋にいるから」

「どいつもこいつも」


 枕をぽいと投げて、あたしはベッドに横たわる。


「ドロシー、明かり消して」

「なに? 夜這いプレイ? ドアの前でお姫様がスタンバイしてるのかい?」

「あんたはさっきから何言ってるの?」

「え? だって、……するんだろ?」

「何を?」

「……」

「あたしもう寝るの。明かり消して」

「……じゃあ、いいや。ボクここで寝る」

「ちょっと!」


 隣に寝転がってきたドロシーを蹴る。


「本当にやめて。あたし、今日は疲れたの。コルセットで巻き巻きにされて、髪の毛も巻き巻きにされて、ゴーテル様とスノウ様に気を遣って、もう本当に疲れたの。メニーの部屋に行って寝なさいよ!」

「メニー、最近辛辣なんだもん。ボクの姿を覚えているもんだからさ、色んな手段でボクとお喋りしようとしてくるんだ。最近なんて、メニーの読んでる本のタイトル知ってる? ……これを読んだらネコと会話が出来る。だよ? ねえ、ボクはどうしたらいいの? 一体ボクが何をしたって言うんだ。人間が見てはいけない記憶を消しただけじゃないか。助けてあげたんじゃないか。一体ボクが何をしたって言うんだ」

「お黙り。お前、一回しか使ったことのない自分の部屋に行きなさい。ネコ専用の部屋よ。さあ、お行き」

「あそこ暗くてじめじめしてて寒いんだもん。やだ」

「あたしだって嫌よ!」

「いいじゃん! 一緒に寝るくらい!」

「てめえはママと一緒じゃないと眠れない子どもか!」

「悪いですか!? 誰かと一緒じゃないと眠れないんです! ボク寂しがりやだから! 悪いですか!? 否定するんですか!? ボクを否定したその瞬間、君は全国の寂しがりや同盟の皆さんを敵に回すことになりますが! え!? 否定するんですか!?」

「お黙り!!」


 ドロシーが指を鳴らすと、部屋の明かりが消えた。あたしはため息をつき、シーツにもぐった。ドロシーもシーツにもぐった。


「おやすみ。テリー」

「おやすみ。ドロシー」


 ああ、しんどい。なんであたしがこんな目に。


(朝になったら丸くなったお前を蹴飛ばしてやる)


 あたしは瞼を下ろして、夢へと繋がるドアを開けた。



( ˘ω˘ )



 しかし、そこは、夢ではなく、悪夢であった。


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