第54話
「銘ちゃん。
色々迷惑をかけてごめんね」
萌ちゃんが弱々しい声でそう言った。
「迷惑とか思ってないから!
ってか、本気でそんなこと言ってるのなら怒るわよ!」
銘さんがそういって泣きそうな顔になった。
萌は、小さく笑うと「ありがとう」と言ってくれた。
それから暫くすると瓜君と桃ちゃんが病室にやってくる。
萌ちゃんは、瓜君と桃ちゃんの顔を交互に見る。
そして、ゆっくりとうなずくと瓜君の目をしっかりした表情で見る。
「瓜。
瓜は強い子だよね?
だから、桃をいじめちゃダメだよ。
強い子は弱い子を護るの……いい?」
萌ちゃんがそう言うと瓜君は小さくうなずく。
「うん。
僕、桃を護る!」
萌は優しく微笑むと小指を出した。
「じゃ、指切りだ」
瓜君は、弱々しく小指を出した。
「ゆびきりげんまん。
嘘ついたらハリセンボンのーます。
指きった」
瓜君の目から涙があふれる。
そして、涙が止まらなくなり萌の指から離れると部屋の隅で座り込むと声を出さずに涙を流した。
萌は、桃ちゃんの方も見る。
「桃……
桃には色々苦労をかけてしまうと思う。
もうちょっと大きくなったら、いっぱい悩みが出来ると思う。
その時は、銘ちゃんやちぃちゃんに相談してね。
銘ちゃん、その時はよろしくお願いします」
萌ちゃんが銘さんの方を見る。
千春さんはうなずいた。
「任せて!
初恋から結婚まで相談にのるから!」
千春さんが、そう言うと萌はクスっと笑い「おねがいします」と言った。
「早く、お洗濯や料理を覚えてお父さんの力になってあげてね」
「うん」
桃ちゃんは涙を流さずに、じっと萌ちゃんの話を真剣に聞いていた。
「じゃ、桃も指きり」
萌ちゃんはそう言うと、小指を出した。
桃ちゃんは静かに母の元に小指を近づけ、自分から歌を歌った。
「指きりげんまん
嘘ついたらハリセンボンのーます
指きった」
桃ちゃんの指から萌はゆっくりと指を離し優しく笑う。
「瓜に桃!
きちんと、お父さんの言うこと聞くのよ!」
萌ちゃんがそういうと瓜君と桃ちゃんが涙声でうなずく。
「はい」
ふたりが返事をしたのを確かめると萌ちゃんは静かに涙を流した。
まだ幼い瓜君と桃ちゃんが、どこまで事情を理解できているかは私にはわからない。
だけど、ふたりとも萌の話を真剣に聞いていた。
よく、子どもには人の死の現場を見せるのはよくないという人がいる。
でも、それ決して悪いものだけではないのではないかと思った。
確かに元気だった母親の姿を知る子どもたちに、その母親の死の瞬間の姿を見せるのはきつくつらいかも知れない。
だけど、瓜君や桃ちゃんがやがて大人になったとき、母親の最後の姿を見れなかったことに後悔しないだろうか?
血の分けた親子なんだ。
子どもだって親の温もりを……
そして、暖かい肉声を……
最後の最後まで聞く権利くらいはあるはずなんだ。
そして、子は命の大事さを学んでいくのではないだろうか?
こう言う経験を得る事に娘は母親の温もりと強さを息子には母親の優しさと厳しさを……
学んでいくものではないだろうか?
私は、そう思えて仕方がなかった。
そして、一日が終わった。
その部屋には、私と太郎くんがその部屋にいる。
そして、そこに静かに横たわる萌ちゃん。
私たちは、静かに萌を看ていた。
泣きつかれた子どもたちは別の部屋で眠っている。
萌が暑がったため、屋の空調は18℃を下回っていた。
子どもたちが風邪をひいてはダメなため違う部屋にいるのだ。
その場にいる私たちは、上着を羽織るくらい寒かった。
部屋をノックする音が聞こえる。
太郎くんが「どうぞ」と言うと扉が開いた。
扉の向こうには千春さんがティーカップとポットを持ってやってきた。
「これ飲んであったまろー」
千春さんは、そう言ってカップにホットミルクを入れてくれた。
部屋にホットミルクの香りが充満した。
「あー
いい匂い」
思わぬ場所から声が聞こえてきたので驚いた。
それは、もう目を覚まさないと思っていた萌ちゃんが優しく呟いたものだった。
「私は、冷たいいちごミルクがいいな」
萌ちゃんが、そう言うと銘さんが「じゃ、私が買ってくるよ」と言って部屋を出た。
千春さんが萌のベッドを少し傾けた。
銘さんが戻ってくると私たちは、小さな小さなミルクパーティーを開いた。
そこにいる人たちはみんな小学校のころからの親友だった。
話の種は、いっぱいあった。
1時間くらいたったころだろうか?
萌ちゃんが眠そうな声でこう言った。
「なんだか、眠くなってきちゃった」
萌ちゃんがそういうと、静かにゆっくりと眠りについた。
血圧は45を切り、脈拍も少しずつ減ってきた。
午前10時48分
彼女はゆっくりと空気を吸い込んだあと静かに息を吐きだし、そして息を引き取った。
享年36歳。
僕たちと同じ歳だった。
銘さんが目で「臨終だよ」と僕に伝えてくれた。
だけど僕にはそれができなかった。
今だけは、今日だけは萌の担当医ではなく萌ちゃんの親友としてその場にいたかったから……
私は医者失格なのかもしれない。
でも僕は医者なんだ。
だから萌ちゃんの脈を計り静かに臨場を伝えた。
皆、無言の中。
蝉の鳴き声が小さく聞こえる。
萌ちゃんは僕にとって初恋の人だった。
切ない切ない失恋を迎えた。
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