094 堂鉄と徐平、六鹿山に迷う・その1




 春の到来を前にした晩冬の嵐の夜。

 慶央の西にある越山国との境に広がる六鹿山でも、その夜は風が吹き荒れ雪が降った。

 

 この冬は珍しく雪が多かったが、それでも根雪はまだらに解け始めていた。

 それが一晩で再び銀世界に戻った。

 しかたなく徒歩で分け入った山中は静寂そのものだ。


 半年前に自ら荘本家に飛び込んできた徐平が先頭を歩く。

 後に続くものが積もった雪に足を沈めて歩行に苦労しているというのに、若く身軽な彼は浮遊しているかのように雪の上を歩く。


 徐平は左手に弓を持ち、矢筒を背負っていた。

 その身軽さと敏捷な運動神経にもしやと思い、弓を持たせるとすぐに上達した。いまでは目にもとまらぬ速さで矢をつがえ、その腕は百発百中だ。


 それでも彼を六鹿山に伴うことに、その若さと未熟さを理由に堂鉄は最後まで反対した。


「勘違いするな。

 連れて行かぬのは、危険だというのが理由ではない。

 おまえの命の一つや二つ、必ずこのおれが守ってやろう。

 だが、敵と斬り合うということは、人を殺すということだ。

 一度人を殺してしまえば、おまえはもう元の世界には戻れない」


 頑なな堂鉄を説得できないと知ると、徐平は関景に頼み込んだ。

 行く先々どこにでも現れて懇願する若者のあまりのしつこさに、最後に関景は折れた。






「徐平、遅れてくるものをしばし待て」


 疲れを知らぬ若者は、堂鉄の言葉に足を止め振り返る。

 その目は晩冬の晴れ渡った空の色のように、屈託なく明るい。


 堂鉄の声に驚いた一羽の鳥が甲高く鳴き、高い木の梢から飛び立たった。

 白い息を吐く彼ら一行の頭上に、雪の塊りがばさばさと落ちてきた。


 肩に落ちた雪を払いながら、堂鉄は思う。


……この山腹のいたるところに穴が穿うがたれているのか。

 その中で燭台の煤に汚れた人間たちが岩肌をノミで削っているのか。

 それにしては、何も聞こえぬ。

 不気味な静けさだ……


 彼は荘本家の関景に拾われる前は、越山国の逃亡兵士であった。

 戦場での暮らしは長かった。


 それゆえに、戦場となる場所に立つと、ここにどれほどの数の死傷者が横たわるのか、目に見える。戦場を渡り歩いてきたものの<勘>としか言いようがないものだ。


 いまもまた、白一面の世界に、これから流されるであろう赤い血が彼には見えた。







 雪の中を再び戻って来た青陵軍の駐屯地は、殺気だっていた。


 この日、見回り部隊が襲われて五人もの死者が出た。

 月に一度の、都・安陽に報告書を書くための形式的な見回りだった。


 彼らを襲ったところでなんの利もないとは、国境線を争う越山国の兵士たちも承知のことである。ましてや野盗の類いが正規兵を襲うような無謀はしない。


 そうであれば、彼らは何者に襲われたのか。

 五人のすべてが無残にも止めを刺されていて、確かめようがない。


 そして彼らの死は、英卓を探し六鹿山を迷う堂鉄たちにとって凶報でもあり吉報でもあった。






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