069 喜蝶と萬姜母子、慶央の街を歩く・その6
「しかしながら、あのように美しいお嬢さまであれますれば。
人目に触れさせたくないという荘興さまのお気持ちはわかります」
「あっ、いや。
喜蝶さまは言葉の不自由なところがあるゆえに、宗主はそれを不憫に思い、屋敷内から出されることを迷っておられただけのこと。
しっかりものの萬姜に世話を任せることになって、喜蝶さまにも慶央の街を愉しんでいただくことになった」
「それはよいことにございます。
今回をご縁に、萬姜さん。喜蝶さまとご一緒に、この彩楽堂にたびたびのお運びをお待ち申し上げます。
あっ、そうでございました…。
お喋りに花を咲かせてしまい、肝心のことを忘れておりました。
萬姜さんは、針と糸をお求めとか。
こちらで用意したものを、気に入ってくださるとよろしいのですが」
螺鈿細工も美しい黒と赤の二つの針箱が、萬姜の前に並べられた。
そしてなぜか、その横には、反物の山もある。
「お年頃のお嬢さんがおられると允陶様よりお伺いいたしておりましたので、お針箱を二つ用意いたしました。
中に、針と糸と鋏も入っております。
それからこちらの反物は、萬姜さんと可愛らしい二人のお嬢さんにお似合いの色柄を、見立てたものにございます。
気に入ってくだされば、こちらで仕立てさせていただきたく存じます」
彩楽堂の真意が理解できない萬姜は驚いて、再び、平伏した。
「あっ、わたくしは、針と少々の糸が欲しいだけでございます。
このように美しいお針箱は。
それにこのような反物まで……」
正直に言うしかなかった。
「……、とても、わたくしには買えません」
「なんと、萬姜さんは思い違いをされている。
お買い上げいただくなど、とんでもないこと。
これは、彩楽堂からのお礼の気持ちでございます。
まことに、萬姜さんは、彩楽堂の恩人であられますので」
ますますその言葉の意味を理解することが出来ず、顔を上げた萬姜は若いころの夫に似た目の前の男を見つめる。
言葉を失っている萬姜の代わりに、允陶が訊ねた。
「彩楽堂。
この萬姜がおまえの恩人とは、それはどういう意味だ?」
「荘興さまにおかれましては、年が明ければ、梅見の会とともに喜蝶さまのお披露目をされるとか。
その時の喜蝶さまのお着物を、ご本宅の李香さまよりご注文戴きました」
年が明ければ、喜蝶さまの名前を改め皆に披露する宴を催すのだと、荘興より命じられていた。まだ先のこととはいえ、不手際のないようにと、屋敷内のものたちに準備に取りかからせている。
それがすでに、ご本宅の李香さまの耳に入っているということか。
しかしながら、正妻が側室になる女に着物を贈るということは、世間でもざらにあること。
「お着物のご注文を戴きましたことは、この彩楽堂にとりまして光栄なこと。
そのことにつきましては、誠心誠意、努めさせて戴く所存にございますが。
そのおりに、園剋さまも同席されていまして。
『彩楽堂、美しい着物を仕立てよ。
決して、李香さまに恥をかかせるではない』
と、仰せになられました」
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