067 喜蝶と萬姜母子、慶央の街を歩く・その4



 允陶に抱かれて、嬉児が馬車から降りる。

 そして次にと、允陶は手を差し伸べたが……。

 少女は自ら、馬車よりひらりと飛び降りた。


 短く切り揃えられた髪が清冽に真白く輝く。

 それは肩の上でふわりと広がり、とんと着地した足音とともに元に戻る。

 その姿はまるで、切れた雲間から、突然、射した陽の光の祝福を受けたかのようだった。


 周りからどよめきが起きる。

 それは、荘本家の馬車からどのような人が降りてくるのだろうと、立ち止まって見守っていたものたちからだ。


 淡い赤朽葉色のズボン上下に、袖も着丈も短いくすんだ常盤色の羽織もの。

 羽織ものは、もとは長い袖と裾を引きずる打掛うちかけだ。

 萬姜は袖と裾を短く切り、下女仲間から借りた糸と針で仕立て直した。


 切り落とした袖と裾に、金糸銀糸で細やかな刺繍がほどこされていた。

 田舎町の呉服屋では到底お目にかかることなどない、美しい着物だった。

 

 慶央の街に出るというのに、お嬢さまに洗いざらしの着物を着せるわけにはいかない。鋏を入れる申し訳なさに手を合わせ、夜なべして縫った。


 そして、黄色の細い帯に朱色の飾り紐。

 背中には、愛笛<朱焔>の入った袋をたすきにして、胸元でしっかりと紐を結んでいる。


 お世辞にも、少女らしく可愛らしいとは言えない。

 しかし、それが頭のてっぺんの小さな髷に赤い簪を一つ挿しただけの、喜蝶の真白い髪によく似合っていた。


 幸いなことに、喜蝶も気に入っている様子だ。

 着替えている間、梨佳と嬉児に「可愛い、可愛い」と褒められて、まんざらでもない様子だった。


「出かける前に、荘興さまに、ご挨拶にまいりましょう」と促すと、彼女は嬉しそうに笑って大きく頷いた。


 美しい少女の姿に目を細めた荘興は言った。

「所用があって、一緒に出かけられぬのが残念だ。

 喜蝶さま、慶央の街を存分に愉しまれよ」







 ぞろぞろと後をついてくる野次馬を従えたまま、客寄せの声も賑やかな露店が並ぶ通りを歩く。その露店が途切れたところに<彩楽堂>はあった。


 どっしりとした店構えだ。

 彩楽堂と書かれた扁額の字に、萬姜は見覚えがある。

 喜蝶の贅を凝らした着物一枚一枚を包んでいた紙に、黒々とした墨の跡も鮮やかにその字があった。

 

 しかし、通りから見える店先には、衣桁に広げた見事な1枚の着物だけ。

 萬姜が生まれ育った呉服屋のように、壁面の棚に一杯に反物は並んではいない。

 そして、客もいない。


 ……彩楽堂さんは、豪族・豪商を相手に、この世でたった1枚の着物を見立て誂えるという商売をなさっている。

 そんなお店に、わたしったら、針と糸を買いに来たなんて。

 允陶さまも、一言、教えてくださればよいものを……


 顔から火の出る思いで、萬姜は允陶の背中を睨んだ。

 しかし、萬姜の心のうちに気づくこともなく、允陶は彩楽堂の主人直々の出迎えを受けていた。

 

「喜蝶さま、允陶さま。わざわざのお越し、痛み入ります。

 お疲れでございましょう、茶など用意しておりますれば。

 どうぞ、店の奥にお入りくださいませ」






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