9. 髭に似合わぬ 歌のやさしさ

じっとその様子を見つめていた帝は小間使いの稚児に命じた。

「杯を取れ。」

稚児が、菊の御紋入りの漆塗りの杯を差し出すと、

「それではない。洋杯を取れ。」

と言って、ワイングラスを受け取り、もう片方の手でワインのボトルをつかんで、義輝に歩み寄って、グラスを差し出した。

そのグラスは、皇室の御紋の刻印を中心にして、細かな装飾が施されたヴェネツィアン・ゴブレットであった。

義輝は黙ってそのグラスを両手で拝領し、帝はそのグラスになみなみと深紅のワインを注ぐ。


義輝は一気にそのグラスをあおり、3本筋の袖章入りの袖で口をぬぐった。

その無骨なしぐさに帝は笑みを浮かべ、菊の花壇から一輪の菊を折り取って、義輝の襟に手ずから刺した。


義輝は自分よりも7歳年下の、その若き主君の瞳を間近で見つめた。

帝もまた義輝の瞳の中をのぞき込み、言った。

「おまえの歌は良く出来ている。一筆したためて、朕に献上せよ。」

慌てて義輝は答えた、「私は書も苦手ですので、書けません。」

帝は漆黒の口ひげから白い歯を見せて笑い、「それなら、」

と胸ポケットから例のメモ帳を取り出し、

「これに鉛筆書きで良いから、書いてくれ、」

と言って、自分の鉛筆とメモ帳をさしだす。義輝はますます恐縮し、

「なにとぞお許しください、」

とだけ返答する。


帝は、義輝にはそれ以上何も言わず、ポケットにメモ帳をしまうと、今度は富小路敬直のほうへ向き直って言った、

「敬直、おまえの歌はまずいな。特に下の句がまずい。下の句は、


 ひげに似合わぬ 歌のやさしさ


と直せ。良いな、」と責めるような口調で言った。


すっかり酔いが回った帝は、敬直が寄越した馬車に乗って、近衛兵らを旧遠山邸に残し赤坂御所に帰っていった。女官や侍従も引き上げたが、農夫が帝に奉納した板橋の酒はまだたくさん残っていた。義輝は、飲めぬ酒を飲んだせいですでにひどく頭痛がしていたが、篝火が燃え尽きるまで、胸に一輪の菊を挿したまま、近衛兵らの酒宴に付き合い、新兵らの話を聞いてやった。



観菊の宴 終

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この話は、比志島義輝本人の回想に基づいていますが、フィクションです。

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観菊の宴 田中紀峰 @tanaka0903

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