2. けふここに わが来て見れば

青山の野原にところどころ、うち捨てられ、崩れ始めて、草と同化しつつある屋敷が点在している。

「みごとな菊だな。」

帝はふと路傍の庭をのぞき込んでそう呟く。

「ええ。ここも、もとは旗本の下屋敷の一つでございます。」同行していた若い侍従の一人が答える。

「おまえは新入りだな。名はなんと申したかな。」

「遠山でございます、陛下。慶喜公が駿府に転封され、ともに静岡に移り住んでおりました。」

徳川慶喜は戊辰戦争後、家督を田安家から迎えた養子家達いえさとに譲り、家達は駿河・遠江・三河の3国、70万石を領する静岡藩の藩主となる。慶喜は駿府に蟄居を命ぜられ、江戸の幕臣の多くも彼とともに駿府に移住したのである。明治4年の廃藩置県によって、静岡藩は静岡県となり、鉄舟は政府に出仕して権大参事となる。翌年、鉄舟は西郷隆盛に呼び戻され、宮中で帝の侍従の一人を勤めることになる。

静岡には大勢の武士が食っていく仕事がない。仕方ないので山を切り開いて茶畑を作り国内外に売って生計を立てた。いわゆる静岡の銘茶というものは、維新後、職にあぶれた旧幕臣らが苦肉の策で作り出したものだ。しかるに、山岡や遠山のように、政府に仕官して、あるいは県庁の役人となり、あるいは東京に戻る者もあったのである。

「遠山の金さんの一族か。」講談や歌舞伎で江戸庶民にも広く知られた、江戸町奉行・遠山左衛門尉さえもんのじょう景元かげもとのことを言っているのだ。

「どうでしょうか。」

帝は馬上で笑った。鉄舟もつられて笑う。

「確かに我らと遠縁ではありましょう。遠山は、後北条氏の時代から続く、由緒正しい関東の士族です。道灌亡き後に、遠山家は後北条から江戸城の城代を任されましたが、家康公入府後、幕臣となったのです。」

「ではこの家は今は空き家ということだな。」

「そうです。江戸の徳川支配地は旗本や御家人の屋敷に至るまで没収され、天領となっておりますから。」

「天領ということはつまり、我が家ということになる。そろそろ腹も減ったし、喉も渇いた。おあつらえに菊の花も咲いておる。頃は旧暦9月。菊の節句だ。」

「ちょうどこの近くに私の知り合いの農家がございますので、酒肴しゅこうを供進せしめましょう。」

「そうか、では任せた。」


 けふここに わが来て見れば 園のうちの 菊のかをりも 心あるかな


またしても帝はすかさず1首をものにし、ふたたび自らメモ帳に記し、そのページを破いて扈従こしょうの者に渡す。その者は馬を駆って赤坂の御所に報告した、「青山の旧遠山邸にて、近衛兵らと菊花を御賞覧、また近郷農家より酒肴を供せしめ給ふ。」

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