テレビ放映戦国大名総選挙その53 織田信長

織田信長は短気だと前の話で書きましたが、これが家臣に伝わるまでにはタイムラグがあったようです。


言われてみれば当たり前の話ですが彼に近い重臣であれば、その怒りはダイレクトに届きます。


「麒麟がくる」でも扱われたように明智光秀も短気の被害者になりました。

この点では秀吉や他の重臣達も被害にあったようです。


一方で彼から距離があった家臣についてはタイムラグがあったために直接的にはその怒りが届くことは少なかったようです。


その代わり、彼の苛烈な命令を受け取ってから考える時間があったせいで、謀反を起こす人々が多く出ました。


日本や他の国の歴史を見ると、統一後に家臣が粛清されるということは良くありますが、信長の場合勢力拡大中に謀反を起こされました。


これはある意味不思議な現象でした。

古今東西、勝馬に乗るというのは当たり前の現象で、勢いがある有利な勢力から離れて敵対する道を選ぶというのは相当なことなのです。


しかし、信長の場合はどういうわけか味方が敵になる例が結構あります。

私は歴史専門家でも織田信長や明智光秀の専門家でもないですが、この現象については推論があります。


今回の「麒麟がくる」でも示唆されていましたが、要はブラック企業で休ませてくれないというのが大きな要因だったのではないかと思います。


織田信長が行った変革は沢山ありますが、その中で兵農分離と家臣を城下に住まわせるというものがあります。


他の地方大名を見ると多くの場合家臣たちは自分の城や領地を持っています。

また、農兵が多かったので季節ごとに一定のリズム、あるいは休みというものがありました。


ところが信長はその生活リズムを破壊し、いつでも自分の都合の良い時に兵も家臣も呼び出せるシステムを構築しました。


このシステムとその莫大なメリットは後日説明しますが、責任ある家臣としては心の休まる暇もありません。


皆が小学生のようなカレンダーで過ごしていたのに、急にブラック企業のカレンダーを強要され、しかも終わりが見えない、これだけでも精神的にダメになるには十分かと思います。


しかも上司は織田信長、短気で無駄を嫌い、思いつきで行動する人物、まともな人間なら神経が持たないのではと思います。


あの、松永久秀が謀反したのは、その能力を信長が高く評価したあまり休ませてくれなかったため切れたという話もあるそうですが、私個人としては他のどんな理由よりもある意味納得のいく話だとうなずきました。


ロマンもへったくれもない話で恐縮ですが、明智光秀の謀反もこれなら納得かなと思います。


だって命がかかってるんですよ。

一族郎党の命もそうですし、謀反で成敗された人達も沢山見ていたはずです。

それでもやるとしたらこれしかないじゃない、って追い詰められないとできないかなと。


というわけで仕事に追い詰められて精神を摩耗してはいけない、という教訓を残しつつこの話は閉じたいと思います。

(注意)兵農分離については諸説ありますが、ここではあったという仮定で話をすすめています。





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