テレビ放映戦国大名総選挙その51 織田信長

前回昭和の信長像を紹介しました。

ここまでお読みいただいた方は何となくご理解いただけるかもしれませんが、昔の英雄描写というのはバイアスがかかっていました。


つまり、英雄は立派だとか天才だといった思い込みみたいな物が多分にありました。

一般のドラマの主役を考えれば分かりやすいと思いますが、失敗をしなかったりいつも正しかったり、相手の方が能力が劣ったりという脚本で話が作られていました。


なので、織田信長の実績についても多分に盛られていたと言えます。

例えば昔の日本史や歴史の教科書に載っていた「楽市楽座」かつては織田信長が行った政策と説明されていましたが、実はそれより前に他の大名が始めたものというのが現在の学説となっているようです。


また、楽市楽座の規模や効果についてもそれほどたいしたものではなかったとして疑問符が付けられています。


それと、かつては長篠の戦いという武田勝頼との戦で鉄砲の三段撃ちといったことも大々的に取り上げられましたが、これも否定されています。


宗教についても昔の見解だと古い土着の宗教を嫌い、新しくて洗練されたキリスト教を取り入れたというものでした。


しかし、最近では古いからという理由ではなく、あくまで一向宗や延暦寺が信長の命に従わなかったためにやむを得ず討伐したというのが理由のようです。


さらに加えるなら、幾度か和平の使者を送ったが、むしろ宗教勢力の方が信長を舐めてかかっていたという流れもあったとされています。


最近放映された大河ドラマ「麒麟がくる」でも描写されていましたが、朝廷に対しても尊王という真面目な雰囲気よりも憧れに近い尊敬の念を持っていたような描写がされています。


以前軽く紹介しましたが、神社に関しても崇拝の念はあったようで熱田神宮に寄進や壁の修復なども行っているようです。


当時としては大変合理的な考え方を持っていて、迷信を嫌ったとキリスト教の宣教師ルイス・フロイスが伝えています。


しかし一方で寺社に度々先勝祈願に行ってたり、法華宗を信仰していたという記述もあるそうです。


こうして、織田信長という人物は最新の研究や思い込みの排除によって昭和とは違う新しい、そしてより正確な姿を示すようになりました。


その一方で資料が増えたために合理的とか迷信を嫌ったという点では以前よりも幅広いというか一方的ではない見方が示され、新たな論議と今後の課題を残すことになりました。


さて、次の章ではタイムリーな話題として、信長と家臣との関係について現在の資料と私見を述べたいと思います。








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