テレビ放映戦国大名総選挙その37 武田信玄
前回の宿題ですが、武田信玄が三国同盟を破棄し、長男と重臣たちを殺し、あらゆる外交手段を駆使して領土を拡大したその国力について皆様はどのくらいだと思われるでしょうか。
この時期の武田信玄の領土はほぼ最大に近いところまで拡大していました。
織田をはじめ当時同じ時代にいた多くの大名、武将達が恐れた武田信玄の国力は、「120万石」だそうです。
1570年の石高についてある資料によると、織田信長240万石、上杉謙信が130万石、北条氏康が125万石、徳川家康が55万石だそうです。
皆様はこの数字を見てどう思われたでしょうか。
私は武田信玄は相当不利な状況にあったと感じました。
織田と徳川を敵に回したことにより300万石対120万石、ほぼ3対1の戦力差です。
しかも上杉とも北条ともお世辞にも関係が良いわけではありません。
地形的に見ても西は織田徳川連合、上は上杉、東は北条に囲まれています。
付け加えておくと、当時は石高に応じて兵力の動員を行うのが普通であったため、この石高はそのまま軍隊の動員能力を表すことになりました。
そうした物量の不利があったにも関わらず、はじめのうちは織田信長も徳川家康も武田信玄を恐れ、敵に回さないように気を回していました。
しかし武田信玄の方が領土拡大することをやめなかったため、まず徳川家との関係が悪化しました。
そして、織田信長が延暦寺に対して強硬姿勢をとったこともあり信玄は織田に対して不信感を持ちます。
そして前にも説明した通り足利将軍との関係の悪化が決定的な決め手となり、信玄は織田を撃つことにしました。
皆様が信玄ならどう感じるでしょうか。
私が信玄ならここまで自信をもってイケイケでいく自信はありません。
でも、信玄は当時先手、先手で動いていました。
そして、織田も徳川も戦力的には優位にあったにも関わらず、外交面でも戦闘面でも受け身の姿勢が目立ちます。
当時の武田信玄の動員兵力は3万、織田徳川連合で8万と推測されますが、それでも信玄の方が積極的に動き京に向けて軍勢を発進することとなりました。
こうして、武田信玄と織田信長の直接対決が刻一刻と迫っていく状況になりました。
次は信玄のその後と武田家についてお話したいと思います。
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