ツイッター島津4兄弟総選挙その2
ツイッターの有志による島津4兄弟の人気投票、24時間の時間が過ぎ、結果が出ました。
投票数712票、一番人気は島津4兄弟の次男、島津義弘でした。
ちなみに得票率は43.3%でした。
ここで、初めて名前を聞いた方向けに簡単に紹介すると、とにかく戦が強い、しかも少数で戦うのがめっぽう得意な人物です。
後世のニックネームで「鬼島津」と言われた怖いイメージのある人物です。
でも、とても愛妻家で奥さんとの熱々の(しかも義弘の方が書いた手紙)エピソードがあったり、戦場で役に立つということで医学にも詳しかったりする人物です。
そして、とっておきのエピソードは「ねこ」です。
今、大河ドラマで活躍している近衛前久にネコを送ってくれと手紙を送られたり、戦場でネコを連れていき、帰国後ねこの祠を立てたり猫神神社を建立したといった話があります。(なお、猫神神社の建立については後に紹介する義久や息子の忠恒が関わったという話もあり)
また、宿敵であった大友家の家臣で西国無双と言われた立花宗茂とも熱い友情をもってともに苦難を乗り越えた話もあります。
そして、とても長生きした人物で1619年まで生きています。
大阪夏の陣で豊臣家が1615年に滅亡したことを考えると戦国を生き抜いたといえるかもしれません。
ちなみに彼を島津氏の当主とするか否か、(ざっくり言うとトップなのか臣下なのか)については今まで様々な資料や意見が述べられていて、素人がうかつに触れると大変な話になるかもしれません。
当時の資料によるとよそ様の見方としては豊臣秀吉の意向もあって義弘が当主であったらしいですが、薩摩の中では義弘自身も含めて当主は兄の義久であり、その後は忠恒に移ったという空気だったようです。
その後、時代の流れとともに義弘の名声とも相まって当主として見られるようになっていったように個人的には思えます。
実は鹿児島や宮崎の歴史的な建造物の中でもこの表現方法で混乱が見られます。
歴史は進化するといいますが、島津義弘の島津家における立場というのはまさにその最前線といえるかもしれませんね。
さて、この小説のタイトルは「ゼロからはじめる島津大河誘致」なので島津4兄弟のどなたが主役でもいいのですが、いままで書いてきた通り島津義弘を主役にするというのが良いというのが作者の希望です。
こうして、アンケートで人気が1番になったのは作者的には安心しました。
さて、フウイはまだこの結果の分析中なので、次は島津4兄弟の他の人物たちを紹介したいと思います。
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