第194話 高杉晋作といろはの「ふ」
無勢(ぶぜい)とて 敵を侮る ことなかれ 多勢を見ても 恐るべからず
現代語訳
戦うとき、相手の人数が少ないからといって、軽くみて馬鹿にしてはいけません。
また人数が多いからといって恐れることもありません。
勝敗は単純に人数で決まるものではないからです。
江戸時代も末期の頃、長州(山口)に高杉晋作という人物が登場します。
当時、毛利家が治めるこの地は江戸幕府と険悪な状態にありました。
いろいろな駆引きがありましたが、ついに戦争となります。
幕府軍は多くの藩に号令を出し、総勢10万を超える軍勢と、当時としては新しい兵器であった蒸気船を数隻動員しました。
対する長州軍は約3000ほど、明らかに劣勢といえました。
しかし、高杉晋作をはじめとして長州軍の士気は旺盛で大軍相手に恐れを抱いていませんでした。
しかも、相手を侮ってもいませんでした。
なぜそう言えるかといえば、実はこの戦いの前にも戦争が起きる寸前までいったのですが、その時は長州が不利な条件で和睦をしていました。
つまり、その時は勝てると判断しなかったのです。
しかし、今回は戦うことを選択しました。
結論から言いますとこの戦いは長州の勝利、幕府方の敗退による敗北という形で終了します。
どうして、少数の長州藩は幕府を破ったのか、いくつかの点を考えてみましょう。
1、長州の兵士の練度が高かった。
この時の長州藩は「奇兵隊」という長州の為に戦いたいという身分を問わず集まった人々の組織があり、高杉晋作は彼らを徹底的に訓練しました。
しかもこの訓練、江戸時代の平和な時代になれた武士たちと違い実戦を意識した方式だったため、極めて効率的に敵を倒すことができました。
2.敵の命令系統の不備を突く。
実は幕府方の命令系統はバラバラで戦闘意欲も注意力も低かったようです。
江戸末期というとほとんどの藩では実戦経験がありません。
なので、大軍であっても、個々の部隊で見ると見掛け倒しの部隊も多くありました。
そこで高杉はゲリラ戦で速攻の奇襲と短時間の攻撃を意識して行いました。
彼らの不意をつき、戦闘態勢が整う前に退却をする、その繰り返しです。
そして、あくまで弱点のある敵、油断した敵、士気の低い敵を相手に勝利を積み重ねる戦法で戦いました。
3.敵の見える位置にかがり火などを置いて、軍勢が多いかのように錯覚させる。
各戦線で勝利を重ね、敵が戦意を喪失したことを利用して、今度は長州軍が多いかのように見せかけることによって、幕府軍が冷静になり、体制を立て直す機会を奪うようにしました。
このように戦えば負ける、こちらが戦おうとすれば隙が無い状態を延々と見せられた幕府側はついに心が折れ、長州からの撤退と講和を願うようになります。
その間も長州軍は敵の弱い所を突き、占領地を拡大していきます。
こうして一時的な講和が結ばれ長州は勝利します。
ちなみに徳川慶喜が大政奉還したのはこの出来事のわずか1年後のことです。
「ぶ」ぜい(少数)で戦いを決意した高杉晋作、彼は江戸幕府の権威や大軍に恐れることなく、巨大な敵の弱点を的確に分析、把握して大勝利をえることとなりました。
私達も大きな問題に直面したとき、その表面的な量や威厳に恐れをなすことがあるかもしれません。
そんな時、この章を思いだしてクールに問題を分析して、恐れを払拭できるといいですね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます