第193話 児玉源太郎と帝国海軍といろはの「け」

夏の時期になると太平洋戦争について多くのテレビや新聞で話題になりますが、その戦争の30年前にはロシアと戦争がありました。

前の章で島津日新いろは歌の「け」で人事について考えましたが、実は児玉源太郎について学ぶことで見事な人事の実例について学ぶことが出来ます。


一方でこのいろは歌は人事と私情がからむことについても警告しているようです。

その点についていえば、太平洋戦争中の軍の人事についての実例から失敗例として学んでいきたいと思います。


まず、日露戦争の頃の日本ですが、まさに適材適所を徹底していたようです。

なぜそれが出来たかというと当時極東のまことに小さな小国が、世界有数の大国であり、陸軍力では世界最高峰という声もあったロシアと戦うという危機感があったからです。


全力で戦っても勝てるかどうか分からない、しかも負けたら日本が終わる、この危機感が当時の日本にありました。

当時の最高指導者の一人であった伊藤博文は本心からもし、日本が戦火となったら一兵卒となって戦う。(最前線に行き刃を交える覚悟)と決意していました。


当時台湾総督兼内務大臣だった人物に児玉源太郎という人物がいました。

今でいうなら、副総理、あるいは主要大臣クラスのポストです。

ですが、彼は戦争の前に陸軍の参謀総長であった大山巌に軍に来るよう頼まれます。


実は参謀次長が急死してしまったのです。

緊急かつ必要事態とはいえ、空いた役職は参謀次長、今でいえば防衛省の副大臣位でしょうか、メンツがどうとか言っている人間なら到底引き受けません。

でも鬼気迫る状況を理解していた児玉は引き受けました。


ここで最近変わったと思われる歴史の小話を一つ。

同じ時期に東郷平八郎が連合艦隊司令長官に任命されています。


ある時期には、これは東郷の優秀さを見抜いた山本権兵衛海相の抜擢人事という話がありましたが、どうも前任者の体の調子が悪いための交代であり、ごくまっとうな人事であったというのが最近の見解だそうです。


そうだとしても、よく言われる、「東郷は運のいい男」というフレーズは今も健在というべきでしょうか。


人事に戻りますが、有名な話として、当時の乃木希典という司令官も身内であってもひいきをしなかったようで、彼の息子は戦争中に亡くなっています。

こうして全力で戦った結果、日露戦争は日本の勝利(判定勝ちですが)という形で幕を閉じました。


さて、この奇跡のような戦いの勝利から約30年後、同じ日本という国の軍の人事について(失敗例を)見ていきましょう。

まず陸軍ですが、当時の首相とその取り巻きは自分に逆らう人間を激戦地に送り、わざと死なせるよう仕向ける人事を度々行います。


海軍は海軍で戦争中にも関わらず定期的な人事異動を行い、かつての緊急事態に直面して実行した適材適所が嘘のような、官僚的な人事を行っていました。


しばらく前に、アメリカのニミッツという人物を紹介しました。

彼は当時の大統領からの大抜擢で太平洋艦隊司令長官になり、適切な戦力の配置と味方の指揮官に対しての巧みな人事、そして日本をよく調べることでアメリカを勝利に導きました。


よく日本は物量でアメリカに負けたと言いますが、人事に関しても敗北してもまったく不思議ではない差が両国の間にあったように思われます。

人事に情がからむと同じ国の同じ組織でもこんだけ変質してしまう。

まことに賢人を登用し、愚者を遠ざけるというのは難しいことだと感じました。


※一国の軍の人事というのはそれこそ何百万単位の人のポストがあり、私もすべてを知っているわけでは決してありません。

もし、異論や反論がありましたら、教えていただければありがたいと思います。












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