第188話 ヨブといろはの「く」

苦しくと 直道を行け 九曲折(つづらおり)の 末は鞍馬の さかさまの世ぞ


現代語訳

たとえどんなに辛いこと、悲しいこと、苦しいことがあっても、決して人や世間に迷惑をかけてはなりません。

正しい一本道をしっかり歩みましょう。

鞍馬山の崖に通じる曲がりくねった山道のように、悪事を行っていくとその結果は必ず、まっさかさまの闇のどん底に落ち込んでいくものです。


旧約聖書に出てくる登場人物で「ヨブ」という名前のとてもつらい思いをした方がいます。

彼はもともと聖書の神にとても愛されており、多くの財産と沢山の娘、息子がいる幸せな暮らしをしていました。


ある時、悪魔が神に一つの提案をします。

それは「彼が神に従っているのは財産目当てであって、財産をなくせば神を呪うでしょう、私に彼の持ち物を処理させる許可をいただきたい」という内容でした。


神はその提案を許し、ヨブは財産をすべて失います。

しかし、ヨブは神に対して罪を犯すことはしませんでした。


それを見て悪魔は別の提案をします。

今度は彼の子供と彼自身の健康を奪うという提案でした。

神はヨブの忠誠を示すため、その提案を許可します。


そして今度は彼の自慢の娘や息子が全員死ぬ不幸と、彼自身の全身にデキモノが出来、不快な状態になるというとてもつらい事態に陥りました。

彼の苦痛は相当なものでしたが、それでも彼は道を踏み外すことはありませんでした。


しかし、ヨブの試練は続きます。

彼の妻や友人達がヨブの不幸は「神からのものだ」とか「神を呪って死んでしまえ」と言ってヨブが神の道から外れるように仕向けます。


ヨブは神と悪魔のこうしたやり取りを知らないため、神が何か勘違いをしていると考えますが、それでも神に対しての忠誠は揺るがず、人としての道も踏み外さずにこのとてもつらい試練を乗り切ることができました。


ちなみに神はこの後ヨブの体を治し、財産も以前の状態に戻して、多くの子供たちを授かることとなります。

もし、彼が試練に屈していたらこのような結果にはならず、彼は神と人を恨み、救いのない人生を送っていたかもしれません。


今日紹介したいろは歌の「く」るしいことがあっても人や世間に迷惑をかけてはいけない、という言葉を聞いて、私は真っ先にヨブのことを思いました。


もちろん島津日新斎はキリスト教徒ではなく、恐らくヨブのことをイメージしてこの文章を残したのではないでしょうが、神を敬う点でこのような教えが必要だと考えたのでしょう。


人は自分のことだけ考えるようになると、容易に悪事に走りやすくなるものです。

それはまさに崖に通じる山道のように一歩踏み外すと転落する危険な状態です。

辛いとき、悲しい時、苦しい時に真っすぐ歩くのは大変なことかもしれませんが、

心の問題です。


そのような時こそ正しい道、狭く感じるかもしれませんが長い目で見れば安全な道を選ぶように努力したいものです。

自分を律することが出来るのは、最終的には自分の心がけによります。

以前学んだ良い友と歩みつつ、良い道を選択できると良いですね。




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