第182話 ソロモン王といろはの「ら」
楽も苦も 時過ぎぬれば 跡もなし 世に残る名を ただ思うべし
現代語訳
楽しいことや苦しいことがあると、それが、いつまでも続くような気がしますが、実際はどちらも一時的なもので、時が過ぎれば消えてしまうものです。
だから、楽しいことがあっても油断せず、苦しいことがあっても自分の感情や欲望をおさえて、おのれに打ち克つことが得策です。
その方が自分自身にとって名誉となる名を残すことになるのです。
旧約聖書の中にソロモン王という人物が登場します。
彼は神から知恵を与えられたとされています。
その結果、彼は莫大な財産を手中に収め、何かをすれば常に成功するという充実した人生を送ったと書かれています。
これだけリア充な人生を謳歌したソロモン王でしたが、聖書によると必ずしも満足感に浸っていたわけではないようです。
彼は多くの人の営みを「虚しい」と感じていました。
本当に蛇足で申し訳ないのですが、「北斗の拳」という漫画、アニメをご存じでしょうか。
この作品の最初の敵で「シン」という人物がいるのですが、彼も自分の愛する「ユリア」という女性のために、権力、財宝、あらゆる物を手に入れましたが、それらはすべて意味がなかったと嘆息しています。
私たち人間は多かれ少なかれ喜びや悲しみを味わいます。
喜びと思える事柄が続いても、それを当たり前と思えば虚しくなります。
なので、喜びや楽しみがあってもそれに飲み込まれることなく感情を制御することは大事なのかもしれません。
とりわけ、戦国時代の時には油断が命取りでしたから、なおさらこのようなアドバイスが必要だったのかと思います。
喜びで我を忘れたり、あるいは不感症になるのとは逆に、苦しいことが続くこともあるかもしれません。
それもまた、感情を制御して乗り越えることが大事なのかもしれませんね。
いろは歌に書かれている通り、苦しみもまた永遠に続くわけではありません。
時が過ぎれば少しづつ、記憶が消えてゆきます。
さて、いろは歌では苦楽を味わうとしても、世に残る名をただ思うべし、という言葉でしめています。
今回紹介したソロモン王の言葉は次のような内容でしめられています。
「神の掟を守れ、それが人の務めのすべてだからである」
この時代の異なる2つの文には共通点があります。
その時、その場の感情に左右されるのではなく人生の終着点を見据えて行動しなさいよ、というアドバイスで占められているということです。
もちろん、喜ぶな、悲しむな、というロボットみたいなことを勧めているわけではありません。
ただ、長い人生いろいろなことがあると感情が過敏になったり、逆に鈍感になったりします。
そんな時に人生の目的を意識して自分の感情を制御することの大切さを教えているのではないか。
私はそのように感じました。
読者の皆様はどのように受け止められたでしょうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます