第176話 坂本龍馬と織田信長といろは歌の「れ」
前の章ではイエス・キリストと孔子という。宗教的、思想的な人物を紹介しました。
いろは歌は人の道を説いた内容でもあるので関連性が高いのはある意味自然ではあります。
ただ、今の日本だと宗教的なことはどうも、という人も多いと思います。
そこでこの章ではビジネスや駆け引きという視点で紹介したいと思います。
という訳で日本の歴史の中でも一、二を争う人気を誇るお二方に登場してもらいましょう。
まず、紹介するのは「織田信長」、一見すると「れ」いぎ正しさから遠い人物に見えますが、ところがどっこい勝負所で礼儀正しさを披露しています。
織田信長がまだ若く、「うつけ」という評判が世間に広まつていたころ、隣の国の「マムシ」こと斎藤道三と会見をすることが決まりました。
場所は正徳寺(現在の愛知県一宮市冨田)で信長と道三の領地の間、その時道三はきちんとした身なりを準備し、信長の愚かさを際立たせる予定でした。
しかし、信長はその予想を裏切り、きちんとした正装で訪れました。
裏をかかれた道三は信長に心を奪われたようです。
家臣の猪子兵助に対して「我が子たちはあのうつけ(信長)の門前に馬をつなぐよう(家来)になる」と述べたと『信長公記』には記されています。
ちなみに信長は生涯、朝廷や将軍家と幾多にも及ぶ交渉や任官を受けています。
当然のことですが、その時の身なりはTPOをわきまえたものだったに違いありません。
さらに、信長を記した記録によると、武田信玄や上杉謙信といった敵に回すと恐ろしそうな相手に対しては、丁寧すぎるほどへりくだった手紙と相手の心をくすぐる贈り物をまめに送っていたそうです。
織田信長が人の道として礼儀を尽くしていたかどうかは意見が分かれるところでしょうが、少なくとも礼儀を尽くすことの価値は認めていたと言っていいと思います。
余談ですが、明智光秀が信長に謀反を起こした原因の一つに、徳川家康の供応に対して不備があったことに激怒したというのがあります。
もし、それが要因だったとすれば、家康に対する「礼儀」がなってなかったとして光秀に激怒したということであり、光秀から見れば信長の礼を逸した行動が謀反のトリガーになった。
こう考えると「礼儀」の大切さというものを改めて認識させられます。
さて、もう一人、やり手の商人坂本龍馬の言葉を紹介しましょう。
相手を説得する場合、激しい言葉をつかってはならぬ。
結局は恨まれるだけで物事が成就できない。
(坂本龍馬)
わたしもそうですが、人を説得しようとするとつい力が入ってしまい声が大きくなったり、乱暴な言葉や表現を使いがちです。
しかし、百戦錬磨の交渉人だった竜馬はそれはダメと言っています。
「れ」意義正しく振舞うことで、自分も礼儀をもって扱われる。
日頃から心がけておくとその振る舞いがやがて自然に身に付くことになるでしょう。
皆様はどのような感想をお持ちでしょうか。
次のいろは歌は今回考えた礼儀のある意味逆の反応があったときにどのような心構えを持つべきかについてのアドバイスです。
お楽しみに。
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