第165話 北条高時、徽宗、司馬衷、といろはの「ぬ」
盗人は 余所より入ると 思うかや 耳目の門に 閉ざしよくせよ
現代語訳
泥棒は、別のところから忍び入って物を盗んでいくと思うでしょうが、そうではありません。
泥棒は耳や目から心の中に忍び込み、いつのまにか良心を奪っていくのです。
心を大切に用心しましょう。
実を申せば、最初この文章を読んだときに頭を抱えました。
意味は分かりやすいのですが、歴史上の人物との絡みを考えた時にこれという人物が出てきませんでした。
なので、まずこの泥棒とは何を指すか、良心、心を盗むとは何なのかについて考えました。
「心を盗む」と言われるとどっかの怪盗アニメの警部殿を思いだしましすが、もちろんここでは警句として用いられているのでこの話は使えません。(アニメですしね)
そこであれこれ考えた結果、心を何に盗まれたか、という疑問を解くことにしました。
その点で題名に挙げた北条高時、徽宗、司馬衷、この3人の人生から祭り事(政治)の実権とやる気を「良心」と解釈しそれが盗まれたという想定で話を進めます。
誰に盗まれたかとなるともちろん当時の佞臣ということになるのですが、もっと掘り返して考えると北条高時と徽宗は「文化と芸術」に、司馬衷は「質の悪い」女性に心を盗まれたと判断しました。
さて、詳しく考えてみましょう。
「北条高時」は前に紹介した「楠木正成」と同じ鎌倉時代末期の人物で北条得宗家という政治のエリート中のエリートに生まれました。
当時、元寇によって日本中の財政が圧迫されていて重税が庶民や武士にのしかかつていました。
恐らく政治を束ねるトップであった北条高時にもプレッシャーがあったかもしれません。
そして彼はその難局に対して、立ち向かうのではなく、屈してしまう道を選びます。
彼の耳目は田楽と闘犬に傾倒し、現実逃避をしたと伝えられています。
田楽とは能楽の源流の一つで、今でいえば芸能です。
闘犬についてもエンターテイメントと言ってよいでしょう。
これも以前楠木正成の話で述べましたが、こうした遊興に多大な費用を投じたためにさらに重税が課せられたということは想像に難くありません。
北条家は幕府の官職、領地、財産を独占していましたが、国が乱れてくるとそうした物は役に立たずついに一族もろとも滅びることになりました。
ここで、確認しておきたいのですが芸能や芸術が自動的に「良心を奪う悪」という訳ではありません。
島津義久は和歌をたしなみ宮中のたしなみももっていました。
文武両道を目指していたので芸術的なことにも造詣はあったことでしょう。
問題は芸能や芸術に心を奪われるほど傾倒してしまった、言い換えるとバランスが悪かったという点が問題だったのではないかと思います。
この点に関して言えば、北条高時から約200年前の徽宗の時代を見るとよりわかりやすいのでさらに調べてみましょう。
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