六十七、明かされた過去

 エルネストがこのブリュノワ王国にいたときのことをぽつりぽつりと話し始めた。


「俺はこの国の先王の側室の息子として生まれた」


 先王の側室の息子……まさか……


「王弟……殿下ってこと?」


 ブリュノワの王弟……。あまりにも予想外なエルネストの言葉に驚いてしまう。初めて会ったときから感じていた立ち居振る舞いから、エルネストが高位の貴族だったのではないかと予想していた。けれどまさか王族だったなんて……。驚く私に向かって、エルネストが苦笑しながら頷く。


「第四王子だった。俺が幼いころには現王もすでに立太子を済ませていたし、俺は現王とは十五才も年が離れていた」

「それでエルネストは変装を……」


 エルネストはブリュノワに入る前に髪の色を変えていた。黒い髪は変装用の魔道具によって金髪へと変化していた。以前、ブリュノワで殺されかけていた過去を聞いていたから、それだけが理由だと思っていた。


「ああ。この国を出たのは十年も前の幼いころだ。あのころとは外見も随分と変わったし、髪の色を変えただけでも俺だと分かる者はいないだろうと思ったんだ」

「そうだったの」

「うん。……あのころ、王位継承権が低かった俺は、特に何のしがらみもなく平和に過ごしていた。あの事件までは」

「事件?」

「現王……当時の王太子が建国祭の祭りで挨拶をするときに、過激派の反王勢力の暴漢が突如壇上に上がって襲い掛かってきたんだ。当時十才だった俺は、あのとき王族として王太子のすぐ後ろに立っていた。護衛の騎士が動いていたが間に合いそうになかったんだ。頭で考えるより先に、俺は王太子を守るために氷魔法を発動して暴漢を撃退した」

「十才で……」


 幼いエルネストは純粋に兄を守りたかっただけなのだろう。それにしても十才で咄嗟に動けるなんて凄い。判断力も強い魔力もさることながら、幼いながらも勇敢な行動に感心してしまった。


「暴漢を撃退したことで、俺の魔力の強さが王侯貴族に知れ渡ってしまった。王位継承争いからは完全に外れていたから、子どもだった俺にはそれが何を意味するのかすぐには分からなかった。だが、立太子がすでに済んでいたとはいえ、あまり主体性のなかった当時の王太子は、周囲には優秀な男という評価をされていなかった」


 現国王が重鎮たちの意のままに動く傀儡の王だということは、幼いころに母を殺した者を探る過程で知り得た事実だ。私から見た陛下は、良くも悪くも極めて平凡な人物という印象だった。


「側室の中でもおっとりした性格の母の立場は、後宮では最も弱かった。そんな母を守るために、必死で学問や剣の練習に励んでいたんだ。そして生来魔力も高くて、幼いころから強力な魔法を使いこなせた。だが、まさかそれが仇になるとは思いもしなかったよ……」

「継承争いに巻き込まれた……?」

「ああ。俺は一部の貴族に王になれと囁かれはじめた。王太子は国王に相応しくないと。当然そんな言葉には取り合わなかった。俺は母を守れればそれでよかったから。だが今思うと、もっと上手く立ち回っておけばよかったと後悔している。傀儡の王太子を国王にしたい貴族たちは、そんな俺が目障りだったらしい。十年前、俺が十三才の誕生日を迎えてすぐに、母は毒殺されたよ……」

「そんな……!」


 そういえば聞いたことがある。現王が即位する前に先王の側室の妃が亡くなった話を。彼女がエルネストの母親だったなんて……。なんて酷い。

 殺された側妃さまとお母さまの存在が被って、涙が出そうになる。たった一人取り残されたエルネストはどんなに孤独だっただろう。守ろうとしていた母親が殺されたのだ。当時のエルネストの気持ちを想像すると、その憎しみも悲しみも計り知れないものがある。


「俺は先王に訴えた。母を殺した者を探したいと。だが余計なことをするなと咎められた。今思えば、父王は俺を危険に晒したくなかったのかもしれない。俺には甘い人だったから……。だから俺は密かに母を謀殺した者を探り始めた。だが動き始めて間もなく、王家の夜会を欠席した夜に俺の私室に刺客が忍び込んだ。それが以前君に話した黒き魔女だ」

「グリモワール使いの……」


 以前お母さまに聞いたことがある。黒の書を持つ者は特定の勢力にくみすべきではないと。けれど、それはあくまでお母さまの主義の話だ。

 他のグリモワール使いがその力を使って、暗殺に手を染めることがあってもなんら不思議はない。私たちの血族は、自分の力を秘匿して、お互いに干渉しない。極めて繋がりの薄い一族だ。

 私の顔によく似たグリモワール使い――その黒き魔女がお母さまではないと、私には断言できる。けれど、同族の人間がエルネストを殺そうとしたかもしれない。その事実が私の肩に重くのしかかる。


「クロエ、君が気にすることじゃない。その女が君でないことはもう分かっている。君という人間を知った今、疑う気持ちなど欠片もないよ。それに君の血族であっても、君には何の関係も責任もない」

「エルネスト……」

「顔の造りは君と似ているけど、纏う雰囲気も本質も全く別物だ。あの女の笑みは、限りなく冷酷で、残忍だった。覚えているのは流れるような銀の髪に緋色の瞳、全身に黒いドレスを纏った姿と、死に掛けている俺に向けられた慈悲なき嘲るような笑みだ」

「黒いドレス……」


 黒の書を行使する母と自分の姿を思い出す。けれどエルネストを殺そうとした者が、黒の書持ちのはずがない。十年前、黒の書を持っていた者はお母さまと私だけだ。


「外見は見たこともないほどに美しい女だったよ。だが中身は、人間らしい情など欠片も感じられない悪魔そのものだった。奴を差し向けた者は、俺が即位するという可能性を万に一つも残したくなかったんだろう。母と俺の存在を消して、何の憂いもなく王太子の地位を盤石なものにしたかったんだと思う」

「なんて酷い……」

「俺は死ぬわけにはいかなかった。必死で抗ったよ。だが、いくら強い魔力を持つといっても所詮は子どもだ。あの女の前に呆気なく膝をつく羽目になった。だが俺も必死だった。奴の一瞬の隙をついて、三階のバルコニーから外に飛び降りたんだ」


 なんて悲惨な出来事だろう。母親を殺した者を探そうとしていた矢先に、自分が殺されかけたのだ。十三才の少年にとってはあまりに過酷な体験だ。


「奴は俺を追ってきた。俺は残り少ない魔力を逃走することのみに駆使して全力で走った。満身創痍だった。ぼろぼろになりながらも、なんとか国境を超えて帝国へ入ることができた。そして力尽きて倒れたところを、ラビヨン伯爵に助けられたんだ。俺は数日生死の境を彷徨っていたらしい。助かったのは奇跡だと、目覚めたあとに伯爵が言っていたよ」

「そうだったの……。貴方が生きていてくれて本当によかった……」

「クロエ……」


 本当によかった。生きていてくれたからこそ、こうしてエルネストと出会うことができたのだ。今ばかりは神に感謝したいくらいだ。目の前の優しい人を奪わないでいてくれてありがとうと。


「それにしても、貴方を殺そうとした女は、今でも貴方が死んだと思っているのかしら……」

「どうだろうな。遺体を確認したわけではないし、しくじったと思っているかもな」

「……もし今日の夜会に暗殺に関わった者が参加してたら、エルネストが王弟だと気付かれた可能性が高いんじゃ……」

「俺の容姿もだいぶ変わっているし、十年も前のことだ。大丈夫だと思う。それに、仮にそうだとしても、今の俺は帝国の人間だ。クーデターでも起こさない限り、王国が転覆することはないだろう。今さら他国の要人に手を出して、過去の暗殺未遂の事実が明るみに出るリスクをわざわざ冒すとは思えない。それに……」

「それに?」

「もし仮に再び襲われたとしても、俺はもう奴にもこの国にも屈することはない。返り討ちにしてやる」


 そう言い放って、エルネストが不敵に笑った。確かに今のエルネストと戦って勝てるものなどそうはいないだろう。頼もしくて格好いい。――そんなエルネストを見て頬が熱くなってきて、慌てて妄想を振り払った。


「……そうね。エルネストはとても強いもの。絶対に負けないわ。それに、私も貴方と一緒に戦うから」

「……いや、もし敵が君の血族だったら、同族に刃を向けさせることになる。それは……」

「私はグリモワールの一族である前に、貴方の友人よ、エルネスト。大切な人に危害が加えられるのを、黙って見ていることなんてできるわけないじゃない」

「クロエ……。ありがとう。君を元気づけるつもりだったのに、慰められてしまったな」

「ううん」


 私はエルネストのサファイアブルーの瞳を真っ直ぐに見つめて告げた。


「私の心を救ってくれてありがとう、エルネスト。私にとっても貴方は特別な人よ」


 そう告げた私に、エルネストは少し驚いたあと、照れたように笑った。

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