42話 露往霜来

 倫太郎の日々は変わらなかった。


 ひるまでは長田おさだ小三郎と剣術の稽古をおこない、大叔父松平左門について四書五経を学んだ。午後は宝満寺で法話を聞くか、野山をめぐって時を過ごした。


 奥女中のときは、優しく倫太郎の面倒をみてくれた。さわは滅多に笑わないが、倫太郎の日々が滞らぬよう、細かい気配りをしてくれた。


 大叔父左門は、少しずつ倫太郎と過ごす時を増やし、幼い頃から知るという、父の話もしてくれるようになった。そのふたりの側には、いつも小三郎が控えていた。


「とき、叔父上の奥方様はどちらにいらっしゃるの」

 ときは、倫太郎の冬の着物をいく枚も広げて、楽しそうに眺めている。

「殿様は、奥方様もお部屋様もお持ちにならなかったそうですよ」

「では、お子は……」

「いらっしゃいません」

「そう」

「倫太郎様、こちらのお着物には、どちらのお袴がよろしいですか」

「ときの好きにして」


 途端、ときの落胆が伝わる。さわと違って、ときは姉ほどの年だ。あわてて布の川に目をやる。


「たぶん、あちらと、こちらの青いものがよい……と思う」

「倫太郎様」

 ときは改まった顔になると、倫太郎の側へ座り直した。


「倫太郎様は、いつもなにか我慢していらっしゃるようです」

「我慢、ですか」

 ときは、心配そうだ。


「はい。倫太郎様は、まだまだお小さいのですから、我慢されずともよろしいのですよ」

 倫太郎は、その「我慢」というものがよくわからない。紀州までの道中で、鏑木半兵衛からも「痩せ我慢」は要らぬものだと言われた。


「とき、わたしはいつ『我慢』しているのですか」

 逆に、ときが困ったような顔になった。そうですね、と言いおいて、違うことを口にする。


「わたくしには弟がおります。倫太郎様よりひとつ年上ですが、まるで私のいうことを聞きません」


 ときの家は、田辺の領主である安藤家の下級武士だった。宝満寺を介した縁で、奥務めに呼ばれたのだという。田辺城下にある「猫の額」ほどの実家には、両親と祖母、弟が暮らしているそうだ。


「倫太郎様は、もっとわがままにおなりください」

 ときは癖で、目をくるりと回しながら言った。

「わがまま、ですか?」

「はい。ときやさわをもっと困らせてくださいませ」

 そうすれば、立派な「悪童」になれます、とさわは受け合ってくれた。




「それもよろしゅうございますな」


 倫太郎の話を大笑いしながら聞いたのは、宝満寺の若い禅僧、慧安えあんである。月に幾度か、住職の法話を聞きに通ううち、親しく話をするようになった。大きな身体と笑顔が優しい。大きな犬のようなだと言って、大笑いされたことがある。


 今日は城下で法要あり、住職は留守にしていた。せっかくだからと、慧安は倫太郎を庭掃除に誘った。


 晩秋である。履けども履けども落葉は尽きなかった。一刻いっとき(約二時間)ほどで仕舞いになったが、集めた落ち葉の山は、突然の強風であっという間に散らばってしまった。


「また、明日片付ければよろしいのです」

 禅僧は、倫太郎へ薄茶とかき餅を勧めながら言った。

「それで、とはどのようにするのかご存知ですか」

 倫太郎は首を振る。


「まず、朝眠い時、寝床から出なければよろしいでしょう」

「そんなことをしたら、皆が困りませんか」


 起きる時刻には、次の間にさわが控えている。着替えと洗面をして、小三郎との剣術の稽古へ向かう。


「はい。困るかもしれません」

「わたしは、皆を困らせたくありません」

「なぜですか」

「なぜ……?」

 なぜと問われ、倫太郎は答えに詰まる。

「倫太郎様が、そう思う理由を挙げてください」

「困ると──」

 なんだろう。


 慧安は手元のかき餅をひとつ、口に放り込んだ。よい音をたてて噛み砕く。

「人とは奇妙なものです。少し困るぐらいが宜しいのですよ。それが嬉しいときもあります」

 ときも、「悪童」になれと言って、楽しそうに笑った。


 と、慧安が急に立ち上がった。素早い身のこなしで広縁に立つ。晩秋の冷風が吹き込んできた。


「何者ぞ!」


 誰もいない庭に向かって大音声で呼ばわるが、返答するものはない。しばらくじっと葉音を聞いていたが、「気のせいでしよう」と慧安は言って障子戸を閉めた。


「そろそろお屋敷へ戻った方がよさそうです」

 慧安は自らが屋敷の門まで送ってくれ、その後、小三郎と話をしてから寺へ帰っていった。




(続く)



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