25話 うわさ雀
日本橋の武部小路を一本入った佐内町の一角。そこが、よろずや吉次の住居である。
──よろずひきうけ
間口の狭い借家の外には、小振りな木札がさがっていた。
堤清吾が二木倫太郎を連れて訪ねると、生憎、留守のようであった。
が、堤は慣れた様子で上がり、倫太郎を手招く。奥から酒徳利と湯呑みを持ち出し、下げてきた芝海老の串揚げを、座敷に広げた。
「さあ、やってくれ」
途中の辻売で包ませたものだ。
倫太郎は湯呑みに口をつけ、ぱっと目を輝かせた。
「下り酒ですね」
「近頃は灘のものが旨い」
衣が厚くついた串揚げを、恐る恐る口に運ぶ。ほんのり温く、意外にさくっと歯切れがいい。
「旨い!」
「だろ? あの辻売は衣の付け方が上手いんだ。不思議にくどくねえ」
薄く甘辛の味に、ぴりりと山椒の香りがした。
「江戸に来てから、初めて食べました」
「へえ。どっから来たんだい?」
倫太郎は、にやりと笑った。
「西の方です」
にやりと笑い返し、話題を変える。
「実は、内密の探索の手伝いを頼みたい」
「内密なのに、怪しげな私が首を突っ込んでもよいのですか?」
「よくねえだろうなあ」
まったく悪びれない。
「明日から、幾人からか話を聞く。隣の座敷で聴いててくんな。で、気になったことを教えてくれろ」
「なんの探索ですか」
もう一串と手を伸ばす。
「失せ物だ。掛軸が旗本の蔵から忽然と消えたらしい。それを探せというわけだ」
「それはまた、御支配違いですね。だからですか?」
「ま、そんなとこだ」
通常、直参旗本の問題を町方役人が扱うことはない。先般の〈白〉事件もそうだったが、今回も表沙汰にできぬ事情があるのだろう。
と、表の戸が開く。
「伊織さん、上がってるぞ」
なにやら応える声がして、よろず屋吉次の綺麗な顔が覗いた。
「二木さん、いらっしゃい」
「俺に、いらっしゃいはねえのかよ」
「ならば、そろそろ八丁堀の組屋敷へ帰ってください」
「うるせえんだよ。母親が」
「まったく。お母上がお気の毒です。それに、誤解される私の身になってくださいよ」
吉次は、奥にひっこんでから煎じ茶を持ってきた。二人の前にも置く。
「さて、いいですか?」
倫太郎がいるが問題ないか、ということらしい。
「ああ、どんな感じだ」
「歩き回る掛軸の噂はありませんでした。ところが」
と、吉次は、散乱する串をつまんで片付ける。
「どこぞのお屋敷から、何かが盗まれたらしい。そのうわさ話には、尾鰭がついて色々と」
「使用人やら、出入りの小商の者たちがいるからなあ」
変事は、格好のネタだ。
「あと、関係ないかもしれませんが、妙な
「どんなだ」
そういえば、花六軒長屋で
「腹を下したりなど四、五日寝込みますが、そのあとは嘘のように治ってしまうとかで」
「どこが妙なんだ。どっかの煮売やで、腐った飯でも売ったんじゃねえか?」
春先から夏にかけて、よくあることだ。
「それが、まったく覚えがない」
「ふん」
「私もそれだけじゃ、妙とまでは思いません。ひとつは神田あたりの方々で聞いたこと。あと、同じものを食べている身内に、他に病人が出ていない」
「本人だけか。長屋の住人すべて、でもないんだな?」
「ええ。点々と。だから、井戸の汚染は無さそうです」
あの辺りの長屋の井戸は、神田上水から人工的に引かれた水道だ。汚染されていれば、上流から下流にかけて広がるはずだ。
「そんな様子もありませんし、失せ物の一件とは関わりなさそうですね」
「その話、お凛が今行っている長屋と似ていますね」
倫太郎だ。
「神田紺屋町のうなぎ長屋です。病人が複数でていて、養生所の小川笙船先生も一緒に手当てしているそうです」
堤は腕を組んだ。なにかが、妙に引っ掛かった。
「わかった。念のため、その件も追ってくれ」
すかさず、吉次が掌を上に差し出す。
「なんだ、その手は」
「追加のお代と、堤さんの世話賃」
じろりと睨み忌々しげに、
「付けておけ」
「まいど」
吉次はさっさと食べ散らかしをまとめて片付けると、二人を置いて、またどこかへ出かけて行った。
(続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます