13話 因果はめぐる

 女は走った。夕暮れの田舎道を宿場町を目指して走っていた。

 すぐに草履の鼻緒が切れた。履物をすて、裸足となってよろよろ走る。

 品川まで行けば駕籠がある。

 だから、早く、早く、早く行かねば。

 よろめきながら、女は走った。涙を流し続け、走り続けた。

──早く……!




「里哉、具合はどうだ」

「倫太郎様」

 慌てて起き上がるのを抑え、額に触れる。

「まだ、熱があるね」

「すみません。いつも大事な時に」

「ばかだね、お里は」

 倫太郎の声音は優しい。

「おまえが側にいてくれて、私は本当に嬉しいんだよ」

「わたしは、あなたのお役に立ちたいのです」

「ならばまず、身体を治すことだ。おまえにもやって欲しいことがある」

「──はい」

 里哉は寂しかった。本当に、やってほしいことがあるのだろうか。

「ばかなこと、考えるんじゃない」

「はい」

 目を閉じると、疲れて地面に吸い込まれそうな気がした。

 倫太郎とお凛先生が話している。その声を感じながら、里哉はうとうとと眠りに引き込まれていった。


「ただの疲れだと思う。あの子、もともと蒲柳ほりゅうの質か?」

 あの扱いを聞いたら、里哉が憤慨するだろう。

「うん。……少しね」

「なんでそんなを連れて来たんだ? 命を縮めるようなことになったらどうする」

 凛の口調は、医師としてのそれだった。

「私の所為なんだ」

 それ以上語らぬ倫太郎を、お凛は肘で突いた。

「あとで、小石川の養生所へ行って薬をせしめてくる」

「小川|笙船しょうせん殿か?」

 高名な町医者だった。

 昨年小石川御薬園おやくえんに、幕府肝煎りで施薬院が開かれた。目安箱へ意見書を上申し、設立のきっかけとなった人物である。

「先生はお辞めになった。肝煎役はご子息の隆好殿が継いで、あたしは時々本道(内科)を教わりに行っている。いやな奴もいるけど、先生はよい方だ」

 凛は顔をしかめた。養生所に、でもいるらしい。

「よろしく頼む」

「頭を下げるな。倫太郎は悪くない」

 お凛は怒ったように、ぷいと出ていった。




 おのれがいるのは、船底だ。

 原賢吾は、床に大の字に横たわりながら、痛む手首をさすった。

 縄目は、思ったよりも早く緩んだ。どうにか両手の自由を取り戻し、日が暮れたらしい真っ暗ななかで辺りを探った。

 どうやらここは船の中で、当たり前だが水の上にいるようだ。歩く人の気配や話し声、しわぶきひとつ聞こえない。緩やかな波の音から、動いていないようだとわかる。

 大して広くもない。座っていないと頭はつかえそうだし、四隅まで這って数歩だ。

 おかしなことに、おのれの刀が隅に転がっていた。大刀脇差と、そろってちんまり置いてあったのだ。

(つまり、殺す気はないということか)

 ならば、急がすともよい。

(闇で動くと命取りだ)

 水の上は尚更なおさらだった。

 賢吾は刀を抱え横になった。夜明けまでどれほどあるのか。

 奇妙な賊の人相風態を思い返すうちに、とろとろと眠気がやってきた。


 腹に響くような衝撃で飛び起きた。

 大勢の人の気配と、怒鳴り合うような威勢のよい声が聞こえる。隙間隙間から陽が差して、すでに夜は開けたようだった。

 重たい何かを動かす気配がして、天井が開く。

 賢吾は、あまりの眩しさに手をかざした。

「てめぇ、何者だっ! なんでここにいるっ!」

(俺が訊きたい)

 殺気だったなかでそらそろと身を起こし、覗き込む水手かこたちへ害意はないと、両手をみせる。

 日に焼け、筋骨隆々とした男たちは、いつでも飛び掛かれるようにと身構えていた。

「俺は、原賢吾という。すまないが教えてほしい。一体ここはどこなんだ?」




「いらっしゃい。お待ちです」

 指定された町家は、武部小路を一本入った佐内町の一角にあった。

 戸口の横に、「よろずひきうけます」との木札が下がっている。声をかけると、吉次が姿を現した。

 倫太郎は、案内されるまま奥へ上がる。長火鉢の前に、南町奉行所町廻り同心の堤清吾が座っていた。

「名主どののお内儀は、もう見つかりましたか?」

「まだだ」

 ぶすりと言うのへ、二木倫太郎は「そうですか」とにこにこと応じる。

「あんた、何者だ」

「しがない浪人です」

出身うまれはどこだ」

 倫太郎は、しばし考えた。

「江戸です」

 隣で吉次が吹き出した。

「嘘は言っていません」

 堤は、あからさまにため息をついた。

「あんたを信じるわけじゃないが、吉次こいつのこともある。それに、なんとも妙な一件だから、あんたの野次馬根性とやらを試してみたい」

「では、早速」

 倫太郎は、足を崩して胡座をかいた。

「そもそもは、俺が和久井屋彦三郎から相談を受けたことが始まりだ。近頃物騒だから、信用できる用心棒が欲しいと。で、吉次へ投げた」

「ああ、それで原さんに繋がったのですね」

「ところが」

 堤は、ちらりと吉次へ目をやる。

「吉次には、別の目論見があった。近頃世間を騒がしている〈白〉」

「そこへきますか」

 目が輝く。

「吉次は、和久井屋に関わりがあると踏んでいた。で、用心棒に密偵役を依頼した」

「原さんに、密偵、ですか」

「探るのではなく、見聞きしたものを教えたくださいという依頼です」

 吉次が説明に入り、あとを引き取る。

「〈白〉について色々と聞き込みをしていくと、ある十年前の事件が浮かんできました。当時、お旗本衆が酷い悪さをしていましてね。町方は大迷惑を被っていたのですが、証人がおらず、うやむやになってしまった。そのなかで唯一の生き証人が、和久井屋さんの身内だと言うんです」

「では、和久井屋が〈白〉だと?」

「実のところ、そうも疑いました。和久井屋さんは廻船問屋です。蔵も船も持っている。ひとを閉じ込めるにはうってつけだ。それに、あそこの使用人は妙に口が堅い」

「なるほど。それで探りを入れようとした」

 吉次は頷いた。

「ところが、原様は店ではなく品川のあの家へ行き、そのまま行方知れずに」

 吉次の表情は暗かった。

「同じ行方不明のお内儀はどうなのです。土蔵を開けた時は、確かにいました」

「近所の者が、宿場の方へ走っていく姿を見たらしい」

「つまり、自分から出かけたらしい、ということなんですね」

「まあ、そんなところだろう」

「どこへでしょう」

「和久井屋じゃねえかと思っているんだが、いっこうに姿を現さねえ」

 倫太郎はしばし考え、

「今のお話でわからないことが三つあります」

 と、指を折る。

「ひとつは、なぜ〈白〉なのか」

「おそらく隠語です。かつて四代様の時代に切腹した水野様やら」

「ああ、白柄組ね。あれの〈白〉か」

「十年前、お旗本衆自ら〈お白組〉と隠語で呼び合っていたとか」

「それは救い難い」

 嫌悪を感じさせる声音だった。 

「二つ目は、どうやって旗本をさらったのか。屋敷や駕篭から大のおとなを、しかも腐っても武家だ。攫うなど、和久井屋や町方の力で果たしてできるものか」

「手引きがいると?」

「それだけでしょうか」

 と、首を傾げる。

「手口に隙がない。それどころか楽しんでいる風がある」

 瓦版よみうりにとって、格好のねたとなっていた。

「三つ目は、名主宅より盗まれたもの」

 堤と吉次が顔を見合わせた。

「盗まれたのは、女と子供だ。それと原賢吾」

「こちらもかどわかしですか。誰ですか、そのお二人は」

「内儀のお清は、若い頃に和久井屋で働いていたそうだ。その縁で、利三郎の妹と、その娘を預かっていたらしい。利三郎も品川までちょくちょく会いに来ていたそうだ」

 そして堤は、下大崎村の名主庄左衛門から聞いた話をかいつまんで伝えた。

「ああ、それがあの座敷牢ですか」

 倫太郎の表情が曇る。

 理不尽な運命と、閉じ込められた女と、母を知らぬ子供──。

 にこり、と笑う。

「ならば、これから和久井屋へ行きませんか。それが一番話が早い。どう考えても和久井屋の利三郎さんにまったく関わりがないとは思えない」

 堤は、思わず開きかけた口を閉じ、思い返したようにわらった。

「よし。のった」





(続く)

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