12話 物見高いは命取り
ゆらゆらと床が揺れていた。
薄暗い。
それよりも、この揺れ方と、何か砕けるような音はどこかで──。
原賢吾は、がばと起き上がった。起き上がろうとして、後ろ手に縛られた両手に気づき、床に転がった。
どこにいるかは、わからない。しかし、どのような場所にいるかは察しがついた。
「──
おそらくは、一緒に連れ去られただろう少女の名を呼ぶ。
薄暗がりから、声はなかった。
人の気を探るが、どうやらおのれ
後頭部の痛みは、昏倒するほど殴られたせいだろう。
足元がゆらゆら揺れていた。軽い目眩を頭を振りながら、賢吾は縄を緩める手立てはないかと、辺りを探り始めた。
「つまり、こういうわけか」
関東代官の手付(役人)は、名主の言い分を繰り返した。
「一昨日の
「はい、左様でございます」
庄左衛門は平伏した。
書院造の座敷である。遅れて到着した関東代官陣屋の役人は、騒ぎについて一通り質し、「そして」と南町奉行所内与力、小原小十郎へと向き直った。
「たまたま通りがかった方々が助けに入り、ことなきを得た」
「そのようでごさるな」
小原は、間延びした調子で言う。
「それで、庄左衛門。当家はなにを盗まれたのだ」
「それが……」
明らかに言い淀んだのを、小原がそれとなく引き取る。
「まだ、確かめきれておらぬようでござるな。後ほど書面にさせては如何か。それよりも」
と、膝を進める。
「その盗賊、当方でも追っている輩と思われます。こののち、庄左衛門から委細を確認してもよろしいか」
まだ若い手付は、どこかほっとしたように頷いた。懐には、先程手渡した書付けがある。馬喰町の関東代官御用屋敷から取り寄せた、便宜を図るように、との一筆である。
「異論はございません。それでは、手前はこれにて」
手付役になったばかりなのか、落ち着かない様子で、あたふたと帰って行った。
「さて」
小原小十郎は、改めて庄左衛門へ向き直った。
「その盗賊について、少々尋ねたいことがある」
堤清吾が内与力の小原小十郎を伴って、下大崎村の名主庄左衛門方へ到着したのは、一夜明けた四つ(午前十時)過ぎであった。
品川は、江戸府外の幕府直轄領となる。そのため公事方(民事訴訟)は勘定奉行、農政は関東代官の支配となっていた。
なかでも関東代官の影響力は強く、勝手に町廻り同心の裁量で動くわけにはいかなかった。
堤は南町奉行の大岡忠相へかいつまんで事情を説明し、指示を仰いだ。
結果、内与力の小原を同道するよう命じられたのだ。
二木倫太郎と小川陽堂、
庄左衛門より、役人が到着するまではと請われ留まっていたのだが、そうこうするうちに小原と堤、手付までが到着してしまった。
ここまで連れて来た張本人の吉次はというと、原賢吾を探しに行くと言い残し、いつの間にか姿を消していた。
消えるといえばもうひとり。何故か庄左衛門の内儀、お清の姿も見えなくなっていた。
「なんで俺たちはここにいるんだ」
真慧の疑問は、当然至極である。
「すまぬ、真慧どの。私が吉次より引き受けた一件が原因だ」
「先生が悪いわけじゃない」
吉次は、いったいどこへ行ったのか。
真慧は、声をひそめて倫太郎へ言う。
「あのおっさん、やばいぞ」
「小山殿とかいう内与力のことか?」
倫太郎は何を気にする風でもなく、のんびりと構えている。
「ちらりとこちらを見た目。あれは相当な曲者だ」
「御免よ」
与力が同道していた同心だ。年は
同心は、不遜な面持ちで、ぐるりと三人を睨め付けた。
「小山さんは、どっちだい」
「私ですが」
「あとの二人はどなた様かね」
「こちらは二木倫太郎どの、あちらは真慧どの。お二人とも、花六花長屋の
そうか、と答えて
「すまねえが、吉次の件、伏せといてくれろ」
「吉次どのをご存知か!」
陽堂はほっとしたように喜色を浮かべ、倫太郎はにこにこと問いかける。
「失礼ですが、あなたはどなたですか」
「俺は南町奉行所の町廻りで、堤清吾という者だ。吉次は、俺の仕事をしている」
陽堂は驚いて目を見張った。倫太郎は笑顔のまま、なるほどと頷いた。
「そういうことですか。では、条件があります」
「条件だと?」
ぎょっとしたのは、真慧である。何事も目立たぬようにと、大源寺の和尚に言い含められている。命じられている、といっても過言ではない。
「ここの内儀のお清殿ですが、どこへ行ったのか調べたいのです」
「それは
「ええ、もちろん。そこに、私も混ぜてほしい」
「おまえっ、倫太郎!」
遮ろうとした真慧を、倫太郎は目線で制した。
「そんなことしたら……」
あわてて言葉を飲む。
「どうでしょうか。原さん探しも手伝いますし、私の野次馬根性は結構役にたちますよ」
堤は、しばし思案した。
「構わねぇよ。その代わり、吉次のことは金輪際、他言無用だ」
「もちろんです」
──なんだ、この男は。
堤は諾と答えながら、男の図々しさに呆れていた。
二木と姓を名乗るからには、
それがなぜ、長屋などに住んでいる。
「交渉成立ですね」
嬉しそうに言って、倫太郎は大刀を執った。
「では、私はそろそろ帰ります。里哉の心配も限界だろうから」
「じゃ、俺も」
あわてて真慧があとに続く。
「ならば私が残って、堤どのや与力殿のお相手をしましょう。そもそも私が吉次どのから頼まれた仕事だ。──それでよろしいかな、堤どの」
「構わんよ」
「では、のちほど」
二木倫太郎は一礼し、人懐っこい笑顔を残して立ち去った。
これが、南町奉行所定町廻り同心、堤清吾と倫太郎との出会いとなった。
(続く)
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