第287話 過去と現在とその狭間と、あるいは未来


 「それで俺は、殺したんだ」

 「そんな……」


 大学から社会人になって間もなかった当時の話から今日の出来事までを聞いた香織は俯き、その表情には悲しみが溢れていた。


 「香織様、タチの悪い冗談に聞こえるかもしれませんが……」

 「ううん、香織には悠人さんの話が嘘じゃないってわかるよ、エアリス」


 昔の彼女がどうなったのか、荒唐無稽にも聞こえるだろう残酷な話だ。証拠といっても彼女を殺したとグレーテル本人が言っていた事しかないが、それでも香織は信じてくれた。

 グレーテルを殺した事にそれほど後悔はないが、最後の瞬間を思うと胸を締め付けられる思いだ。香織がいう通りなら、俺はまた間違ってしまったんだろうか。


 既に日が変わっていて、思わず長い話になっていたことに申し訳なく思う。世間一般的にみて『過去の女の話と自分語り』だったにもかかわらず、香織は嫌な顔もせず聞いてくれていたが、その表情は沈んでいるように見える。御静聴ありがとうございました、なんて茶化す余裕はなかった。



 ところで黒夢から漏れ出た憎悪のエッセンスについてはエアリス以外、香織やログハウスメンバーにも伝えないことにした。また心配かける事になっちゃうしな。あの場にいた嵐神には念話で口止めをしておいた。酒代をせびられることくらい覚悟していたが、実際はそんな事はなく了承してもらった。


 「しかし……おかしな事もあるものですね」

 「おかしい?」

 「はい、香織様。グレーテルの能力、ダンジョンが現れる以前からあったとは考えられません」

 「人間が変身するなんて確かにおかしいけど……」

 「そうなのです。捕食と擬態はセットのはず。であるにもかかわらず、能力を得る以前に捕食した対象に擬態したのです」


 それに関して、俺もおかしいと思っていた。俺の【神言】や悠里の【魔法少女】のような所謂“能力”は、ダンジョンがこの世界に現れた事に由来するはず。グレーテルの能力は『喰った相手への擬態と能力の再現』だと思っていて、それなら能力発現以前に喰った相手を再現できるとはどうしても思えなかった。

 でもそれはともかくとして最後の瞬間、本当に彼女が帰ってきたように感じていた。勘違いかもしれないしグレーテルの最期の足掻きだったのかもしれない。懐かしい声に彼女だと思いたかったのかもしれないが、ダンジョン内で幽霊のような存在を見た事もあるわけで……。


 「香織は……勘違いじゃないと思います」


 瞬間、エアリスが青褪めた。そういえば苦手っぽかったもんな。俺も得意なわけじゃないけど、俺を元にした割にエアリスは俺以上に怖がる。エアリスっていう存在が埒外なのに、自分以外の埒外はどうやら苦手らしい。


 「本当に、その瞬間、その人が戻ってきたんじゃないかなって」

 「そういったものはプ、プラズマという話がありますがしかし……あながち間違いではないかもしれません。ダンジョンは何かを再現している、そしてこの世界に伝わる古の神々すら再現し現界させているのですからね……認めたくはありませんが」


 科学的な根拠を模索して失敗し、結局ダンジョンは不思議だなと言ったところに着地するエアリスの逃げの自己暗示を聞き流しつつ思う。


 香織の言う通りなら俺は……彼女を殺してしまったことに……


 「悠人さん! それは違います! だってもう……っ」


 声に出てただろうか。いや、顔に書いて……それも違うな。やっぱり香織はミライの能力を模倣している。視線を送ると白状するかのように言う。


 「ミライちゃんの能力は不安定というか……そのつもりがない時に勝手に発動しちゃうんです」

 「本家のミライは俺だけはよくわからないらしいのに」

 「きっと愛のパワーです! 相思相愛ですね!」


 相思相愛……なんかこう、赤い糸的なサムシングで繋がっていたりして。

 そういえば俺と一緒に行動している時、俺がダンジョン腕輪に吸収したエッセンスは香織にも流れていく。それももしかするとそういったサムシングの影響かもしれないのか。

 エッセンスは能力やステータスの素みたいなものだし、ゲームや異世界ものにある経験値のようなものでもある事を踏まえると『パーティシステム』みたいだな。同じ事を思ったらしいエアリスがこちらを見て頷いている。そのうち調べてくれるだろう。


 「その人は……最後にきっと救われたと思います」

 「そうかな……」

 「はい。ちゃんと終わらせてあげられたんじゃないでしょうか」


 そうなんだろうか。当時の俺は彼女が卒業旅行から何事もなく帰ってきて、それでその先の二人にとっての良い将来を望んでいた。彼女だってそのはずだ。それなのに叶わなくなってしまった。


 「それでもです」

 「そっか……そうだったらいいな」

 「はい、きっと」


 香織の真剣な眼差しに勇気をもらい、俺の意識は現在に向けられた。過去は変えられないが、俺にはこれから先がある。最後の瞬間、彼女は俺の尻を叩くために現れたのかもしれないな。乗り越えろって意味なのか、死が救いになったのか……どちらにせよ出来ることなら生きたかっただろう。もしも香織がいなければ、時間を戻したいなんて真面目に考えたかもしれない。



 「その人は、悠人さんにとってものすごく大事な人だったんですよね……」

 「うん。香織ちゃんはその、嫌だったりしないの?」


 慈愛の篭った微笑をこちらに向ける香織に対して言った。言ってしまった。

 途端に香織の表情が変わり、口を尖らせる。地雷踏んだかも、と焦るがもう遅い。


 「嫌じゃありませんよー? 昔好きだった、香織の知らない人に嫉妬なんてそんな子供じゃないですー」


 怒ってる……というより拗ねてるな。実際、途中で終わってしまった事だから未練が無いとは言えない。でもまぁ、それはな。薄情と思われるかもしれないけど昔の話だ。そう思うしかない。じゃないと、こんな情けなくも未練がましい俺と一緒にいてくれる香織に悪い。


 「そーです! 今は香織が彼女なんですからっ!」


 ううむ。心の声がしっかりと聴こえてるみたいだ。困るなぁ。


 「香織は困りませんよ? 悠人さんの事なら全部知りたいですから」


 困らないかなぁ。知らなきゃ良かった事ってたくさんあると思うんだよ。困るんじゃないかなぁ。だって俺も一応男。やましい事とかやらしい事なんていくらでも考えてるかもしれないし。


 「……女だって、結構考えてるんですよ?」


 な、なんですとぉ!? じゃ、じゃああんまり遠慮しなくてもいいのか!? そういう事ならいっぱい考えるけど!


 「……今夜でもいいですからね?」

 「ぜひ」


 反射的に返事をしてしまったが本心なので仕方ない。男って単純だな、と我ながら思うが、昔の人は言った。据え膳食わぬは男の恥、と。だから仕方ないのだ。それに香織は俺が落ち込みすぎないようにしてくれていると思う。


 「今日はもう一度香織を見てくれるようにするための我儘(わがまま)です」

 「……ありがとう。でももう一度どころか、ずっと見てるけどね」

 「えへへ……」


 はにかんだ笑顔に癒される。香織には敵わないな。


 「あの〜、ワタシもいるのですが?」

 「それじゃあエアリスも一緒にどう?」

 「是非!」


 香織はなぜかそういった事に肯定的だ。『帰りにカフェ寄ってく?』くらい軽い感じで、二人の時間を三人の時間にしようとする。俺としては香織だけでも良いんだけど。

 そしてこれも読まれてしまう。


 「香織だけで“も”……つまりエアリスが一緒でもいいって事ですよね?」

 「そ、そうなんですかご主人様!?」

 「言葉の綾ってやつだ。それに夢の中ではお世話になったけど、エアリスにとっては感情を喰うのと似たようなものだったんだろ?」

 「だからもういらないとっ!? ポイしちゃうんですか!? ワタシの事は遊びだったんですねぇ!? ヨヨヨォ〜」

 「女の子を泣かせるなんて、めっ! ですよ悠人さん!」

 「えぇ〜……」


 でもどうして香織はここまで他の誰かも加えようとするのだろう。普通なら独占したいとか、常識的に考えてとか……あ、常識の部分はダンジョンに破壊されてる疑いが強いか。


 「いろいろ考えてその方が良いかなぁって思うんです。詳しいことは秘密です!」

 「いろいろ……?」

 「はい、いろいろです! ところで……」


 その詳しい部分を知りたいんだが話す気はないようで、あからさまに話題を変えようとしている。でもだからと言って掘り下げるのはな、藪蛇になるかもしれないし。

 ってか香織のおかげというべきか、近頃では夢の中で襲ってくるエアリスの誘惑にも抵抗できている俺にとって、現実で他にも誰かと……なんて気持ちはない。胸元や脚をチラ見して心のアルバムにしまっておく程度の下心で充分満足している。

 なーんて事を考えたら、香織の目からハイライトが一瞬消え、戻ったと思ったら違う話題に切り替えられる。こうなると香織がどういう思惑で自分以外の女性を加えようとするのかわからないが、まぁそれはいいか。


 「北の国のことなんですが、どうして侵攻なんて始めたんでしょうね?」

 「そういえばそうだった」


 ともあれ香織がいてくれてよかった。

 俺はごく普通の一般人、のはずだ。でもダンジョンの中で生活し、脚を切り落とされても復元できる。黒い服にコートを羽織り髪型を変え、顔を隠すために変な仮面を付け、ペルソナなんていう実力者を演じてもいる。一般常識的に考えてバケモノと言える相手を、その気になれば圧倒できる。

 俺の見た目はただの人間だが、中身はバケモノかもしれない。今の生活を守れるならそれでも良いと、思えている。

 今関わりのある全ての人が、知らず知らずのうちに支えになっていると実感する。

 エアリスがいるとはいえ他に誰もいなかったら、今頃頭がぐちゃぐちゃになっていたかもしれない。

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