第282話 風の概念


 「呆気ない……」

 『俺様が手を貸したわけだしな!』


 嵐神に答えることなく途端に冷静になってしまう。殺人罪になんてならないよな、などと思っていると、それは声に出ていたらしい。


 「御影さんを犯罪者になどさせませんよ。それに私の見立てでは正当防衛の結果でしょう。逃げる事も、殺さずに制圧する事も不可能であり、過剰防衛ではないと証言できます。御影さんがいなければ私では死んでいたでしょうから」

 「は、はぁ」

 「そもそも任務の一環ですから、何も心配いりませんよ」


 ペルソナである事が冴島さんにはバレてしまったがそれも伏せてくれそうだ。今回の依頼は御影悠人として受けたものだが……まさかここで恩を売ってなし崩し的に、御影悠人としての俺を引き込もうとしているんじゃないだろうな。それは困る。平穏に過ごしたいからペルソナという仮の姿を作ったのに意味がないじゃないか。いや、ついさっきまで俺がペルソナだって事を知らなかったんだし、そんなはずはないか。


 「にしても……」

 「まるで映画の中から出てきたような相手でしたね……」


 動かなくなったグレーテルを見下ろし、復讐を果たした喪失感のようなものに浸っていると冴島さんが言う。


 「ところで御影さん、他の皆さんは……」

 「……あっ!」


 いっけね忘れてた。ここが本命で他は模倣犯とかその類だろうけど、だからと言って何事もないとは限らない。とはいえだ、龍神、酒呑、天照が付いている他の三箇所はさすがに大丈夫だろう……


 「香織はっ!?」


 【神眼】で広範囲を視ても誰も映らない。一点に集中すれば距離は稼げるが、ピンポイントで香織を見つけようとするのは難しい。まずは捕捉するつもりだったが視えないとなると、直線距離で数百メートル以上離れている事になる。それならばとそこら中に配置されたエアリスの目に切り替えようとする。しかしうまくいかない。


 「くそっ、こんな時にエアリスはまだ戻らないのかよ! エアリス!」

 「けぷっ……マスター、お呼びですか?」

 「けぷっ……?」


 突然冴島さんの背後に気配が現れる。振り返り目を見開く冴島さんは驚きを隠せない様子だ。


 「おっせーよ! こっちは色々あったんだぞ!」

 「承知しております。こちらも少々事情がございましたので」


 つい強く言ってしまい、同時にしまったとの思いから目線を落とす。エアリスだってどこかで油を売っていたわけがない。自衛隊員が怪我をしていたなら応急処置くらいはしただろうし、向こうに危険があるなら周囲の警戒をしていた可能性だってある。謝ろうと顔を上げると、しかしエアリスは全く気にもしていない様子だった。


 「冴島、応急処置は済ませましたが、向こうに怪我人が複数名いますので向かわれては? この残骸は……ヒトには過ぎたモノ、こちらで処分しておきますので」

 「し、しかし……」

 「いいですね?」

 「わ、わかりました」


 エアリスの有無を言わさぬ視線に慄き、冴島さんは追い払われるように俺たちを追跡していた自衛官たちの元へと向かった。


 「すまんエアリス」

 「いえいえ。お腹いっぱいなので満足ですし」

 「お、おう? あっ、それより香織はどうなってる!? ヘンゼルはグレーテルに操られていたかもしれないんだ」


 細かな事情は省く。エアリスならこれだけでも十分把握できるはずだ。なんてったって俺より頭いいんだし。


 「問題ありません。いえ、無いわけではありませんね」

 「どっちだよ!」

 「それは『有るのか無いのか』という意味でしょうか? それとも」

 「香織はどっちにいるんだ!?」

 「あちらに」


 通路の奥、分かれ道の片方を指差したエアリス。指し示す方向へ目をやり向かおうとするが脚に思うように力が入らない。脚は吹っ飛んだし鼻血も出たし、ちょっと無理しすぎただろうか。それを察したか、嵐神は「俺様に任せろ」と力強く言った。


 『お前を風にしてやるぜぇ!』


 風にする? はて、こいつは何をいってるんだろう? と思った矢先、手が透ける。いや、それだけじゃない。脚も服も全部だ。空気に溶け込んだような感覚がし、嵐神の愉しげな声がする。


 『ヒャッハー! 超越種ってのは最高にハイな器だなぁオイ!』

 「消耗しているマスターになんということを……」


 エアリスが、こいつなにしてくれてんの的な視線をこちらに向ける。でもそれは俺にじゃなく、俺の中にいる嵐神に対してのものだろう。

 でもまぁ、どこも痛くはない。それどころか妙に体が軽い。地に足をつく感覚すらないにも関わらず移動は思いのままだと感覚的に理解る。つまり本当に俺は風になっているらしい。

 見つけたと嵐神が言い、そのままものすごい速さで通路を吹き抜け、風に舞い上げられるのを手で抑える、キョロキョロと何かを探している様子の香織のところへと着いていた。

 そのすぐ傍で大きな体を使い香織を庇っている様子のチビは鼻をヒクヒクとさせた後、風の状態の俺と目を合わせ尻尾を振っている。一方姿は見えないが何かの気配を感じ取っていたらしい香織は、俺の姿が見え始めると警戒を解く。表情が明るくなり、しかしすぐに眉尻を下げた。


 「わふっ!」

 「よかった……香織が無事で……!」


 通常サイズ、つまり大型犬を凌ぐ大きさになっているため撫でるのにちょうどいいチビを撫でながら香織の無事にホッとしていると、香織が申し訳なさそうな表情を浮かべていた。


 「悠人さん、ごめんなさい。見失っちゃって……ってそれ血ですか!? ズボンも短くなって……」

 「いや、いいんだそんな事。あと俺は大丈夫だから心配しないで。それより香織はなんともないんだよね?」

 「はい。悠人さんも無事みたいでよかった……うふふっ」

 「え? ど、どうかした?」

 「“香織”って」


 どうやらついついそう呼んでいたみたいだ。香織はそう呼ぶと喜んでくれるけど、いざ自覚すると呼び慣れていないからか未だに照れ臭い。


 「ワタシを戻してくだされば、【転移】で安全にご案内しましたのに」

 「なるほどたしかに。でも風になるってのも悪くなかった」

 「……マスターはいつになったら香織様を“香織”と呼ぶのが当たり前になるのでしょう」


 俺の背後に【転移】してきたエアリスが『香織』の部分だけ声のトーンを落として言うが、なかなか慣れない事はエアリスが一番よくわかっているだろうに。

 もしかすると転移より風が良いとでも聞こえたんだろうか。そんな事はないんだが、それに対しての小さな反撃と思えばなんでもない。

 香織は期待の眼差しを向けてくるけど……とりあえず保留で。


 「ところでエアリス、他のみんなは無事なのか?」

 「はい。“目”を使えばよろしいかと」


 この場合の目ってのは【神眼】じゃなくエアリスの監視カメラのような目の事だな。でもそれがうまく扱えないから困ってるんだよ。


 「ふむ……ではワタシにお任せください」

 「頼む。『戻れエアリス』」

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