第270話 油断、急襲。


 「前回よりさらにモンスターが少ないね」

 「そうだな」

 「私はその方がいいわ。だってユートとこうして一緒に歩けるんですもの」


 ヘンゼルはキョロキョロとしている。ただでさえ少ないモンスターだが、潜んでいる陸自の精鋭たちに間引かれているからさらに少ないっぽいな。気付かない振りをしているが【神眼】の端に時折映る人影がそうだろう。一応姿を消す能力持ちがいて、周囲の人も纏めて見えなくしているみたいだ。カイトも能力【空】を使って似たような事をしていたけど、自分だけにしか効果を及ぼせない。俺の【不可視】も直接触れていなければできない。

 それはそうと潜入している陸自の隊員には感知系の能力持ちもいるっぽいな。その人たちが姿を消したまま一定の間隔で付いてきていて、俺たちを先導するように先を行く隊員の中にもいるようだ。こっそり隠れているつもりだろうし実際普通は気付かないだろうけど俺の目は誤魔化せないのだよふはは。……だからどうってわけでもないけども。

 むしろ【神眼】の有効範囲に制限がかかっている事はおろか、その存在すら知らないはずで、だというのに俺に見えるギリギリの距離を保っているのは偶然だろうか。もしかすると感知系の能力を持つ隊員は俺の【神眼】を自分達のそれと同じようなものと認識し、その有効範囲に気付いているまであるな。だから一定の範囲を保てているのかもしれず、そうであればありがたい。もしも怪しい人物が近付いて来れば彼らの動きに変化が出るだろうし、それをこちらに伝えようとするかもしれない。

 それにしても俺が積極的に関わろうとしていないとはいえ、ノーヒントの状態からダンジョンや能力についての研究は進んでいるようだ。このままいけばエッセンスが科学的に証明される日も近いかもしれないな。



 13層までやってきた。相変わらずモンスターは少なく探検者もほとんどいない。その間、俺の左手はずっとグレーテルからにぎにぎとされていた。いつもなら香織がそこにいるんだが、今はしつこいグレーテルに諦めを覚えたのか斜め後ろをついて来ている形だ。

 途中、ヘンゼルはトイレに行くと言い、来た道を戻って【神眼】のちょうど範囲外辺りで用を足したようだった。その後戻ったヘンゼルは依然キョロキョロしながら前を進み、分かれ道ではどちらが正解の道かを聞いては先行し、遭遇するモンスターを倒していた。【神眼】の範囲外まで行ってしまう事もままあったが、モンスターは少ないから大丈夫だろう……そう、油断していた。


 「うわあああああ!」


 男の叫び声がヘンゼルの向かった先から聴こえた。


 「ヘンゼルか!?」

 「行きましょう、悠人さん!」


 グレーテルが恋人繋ぎのようにしていた俺の手を香織はするりと解き、入れ替わるように手を引いた。

 範囲が狭まった【神眼】で見えるのは半径五十メートル弱。とはいえこの階層は非常に入り組んだ構造で、範囲外に出ているヘンゼルがその後どちらに向かったかまではわからない。他のみんなは大丈夫そうだし、一度エアリスの眼とのリンクを切って【神眼】にキャパシティを割くか?


 「行っちゃダメよぉ〜。それにヘンゼルなら平気だわ」

 「ヘンゼルさんじゃない人かもしれないじゃないですか!」

 「んー? それもそうねぇ。じゃあこうしましょ! カオリが見てくればいいわ! 私はぁ、ユートと歩いていくから」


 どうやら走る気はないようだ。グレーテルが落ち着いているのはヘンゼルを信頼しているからだろう。だがもしもこの先で特級クリミナルとヘンゼルが遭遇してしまっていたならまずい。香織にはチビがいるとしても、俺も一緒に行った方が良いんだろうが……そうなるとグレーテルを一人にしてしまうことになる。もしもグレーテルの言う通り何事もなくて、俺たちが離れた隙にグレーテルと特級クリミナルが遭遇した場合もまずい。でも後方を追って来ている陸自エリートがいるから……そう考えた時、【神眼】に映り込んでいた彼らは大きな爆発音と共に後方、【神眼】の範囲外へと吹き飛んだ。


 「なっ……」


 咄嗟の事、例えば目の前で人が倒れた時や事故が起きた時、救急車や警察を呼ぶという考えが飛んでしまったり、それはわかっていても番号が思い出せなくなると聞いた事がある。加えて言葉が出なくなる等も聞いた事があり、その時はさすがにそれはないだろうなどと思っていた。でも実際、そうなっている俺は頭が真っ白になりそうだった。


 「ユート? 爆発音よね? 誰か怪我をしているかもしれないわ。様子を見に行かない?」

 「あ、あぁ、でも」

 「カオリはヘンゼルが心配なんでしょう? だから向こうを見てくればいいわ」


 グレーテルのどこか攻撃的な物言いに何かを言いかけた香織だったが、一瞬目を伏せると「悠人さん、気をつけてくださいね」と言い残し、やる気が漲る瞳を俺に向けたチビを抱いたまま行ってしまった。心配だが仕方ない。ここはチビを頼るとしよう。


 「さっ! 行きましょ、ユート?」

 「あ、あぁ」


 とはいえ走る気配のないグレーテルは俺の腕に絡み付く。一応陸自の方にはエアリスに先に行ってもらった方が良いかもしれない。【神眼】で見えた限り五体満足だとは思うが気を失うには充分な衝撃を受けていたように思う。

 って事でエアリス、先に見て来てくれないか?


 ーー しかし…… ーー


 渋るエアリスだったがさすが演算が得意なだけあって一瞬で答えを返してくる。


 ーー わかりました。くれぐれもグレーテルにお気をつけて ーー


 エアリスにしか聞こえない、言うなれば“心の声”はエアリスを現実に喚び出す。グレーテルの背後に実体化し、気付かれることなく【転移】していった。

 それにしても『グレーテルに気をつけて』って、ステータスのCHAを調整したから魅了はもう効かないだろうに。


 「ユート?」

 「……うん?」


 考えてる事が顔に出てたりしてないよな、なんて思っていたら返事が遅れたけど、ログハウスのみんなじゃあるまいし『考えてることがわかる』なんて事はないか。


 「……そろそろ効いたかしら?」

 「ん〜」


 グレーテルの言っている意味がよくわからないがそれはともかく。山里さんを始めとした喫茶・ゆーとぴあのスタッフさんたちも表情から何を考えているかわかって来たとか言ってたらしいし、なんなら喫茶・ゆーとぴあで時々出会す菲菲フェイフェイは疲れてたり体が怠い時はそれを見抜いて“お礼”と称したマッサージを押し売りしてくる。本人曰く気功マッサージとか言ってたな。胡散臭い事この上ないんだけど、次の日は調子が良かったりした。それはつまり——


 「……効いたなぁ」

 「そう。それじゃあ邪魔者もいなくなったし……まずは肩〜」

 「……え?」


 横を見るとグレーテルが口を大きく……それはもう、大口で何でもパクパク食べちゃう黄色い球体マンと見紛うくらいの開口率でもって、俺の左肩に服の上からギザギザの歯を突き立てるように喰らいついていた。

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