第205話 ネオ・スマートフォン
俺は今、逆さの塔を逆さになって見ている。つまり逆さになったおかげで普通に見ている。高いところは得意じゃないのにこんなに冷静でいられるのは、気持ちまで逆さまになっているからだろうか。なんて考えてみるけど、逆さは逆さでも真っ逆さまに落ちてるんだよなぁ。ここで【転移】を使うとどうなるか。答えはそのままの速度を維持したまま目標地点に現われることになる。つまりもう遅いってことだ。でもこのままだと着地もとい墜落のタイミングに合わせてクッション代わりに柔らかい【拒絶する不可侵の壁】を創ったとして……失敗したら死ぬよな。上手くいったとしても時速約二百キロメートルで落ちた場合、クッションがあってもダメだったりするかもだし。そもそも人間が落下する際の限界速度、つまり終端速度が地上より速かったらもっとまずいよなぁ……あっ、そうだ。わざわざ地面に激突する瞬間を狙う必要はないよな。空中に創れるわけだし。すぐ突き抜ける程度のクッションをイメージしてそれを何重にも創れば……いけそう。でも実際それが上手くいくかはわからないし、まずは心の準備が必要だから、逆さの塔を見ながら気持ちを整えるか。
……不思議とそれほど焦りがなく、なんだか命が掛かってるとは思えない程図太く考える事ができている。もしかすると普段命懸けのダンジョン生活にエアリスがいたりみんながいるおかげで命の危機って少ないし、良くない方向の慣れがあったりして。まぁそれはともかく。
見れば見るほど昔の人が描いたバベルの塔にそっくりだ。エッセンスの氾濫でこれが出来たとは考えにくいな。でもここにコアがあるらしいしなぁ。じゃあ元からあったこの塔にコアが入り込んだ? そんな事あるんだろうか。そもそもコアがどういうものかわかってないから想像するだけ無駄かもな。それにしてもこの塔はなんのために……高速落下中だけあって風の音が煩くて気が散るな。
落下中の音で思考が途切れてしまったし、もし失敗しても次がある内に試してみるか……そう思っていると脚を掴まれた感触が。頭に血が集中し一瞬視界が赤く染まりそうになりつつも減速し、やがて落下が止まる。掴まれた脚の方を見ると翼を広げた小夜が地面と水平になってこちらを見ていた。
「悠人しゃん、いきなり何も言わずに落ちるのはやめてほしいのよ」
「ごめんごめん。アレを見たら足場の維持を忘れちゃったみたいでさ。あとせっかくだから龍神まで運んでくれない?」
「翼、使わないの?」
「それがなんでか出ないんだよ」
「まったく世話の焼けるお兄様なの」
「頼れる兄になってやりたいだけの人生だった……」
「でもそういうところも良いところなの。それにわたしが頼れる妹になれば恩を返せるの」
「恩?」
「秘密なのよ」
はて? 恩を売った覚えはないが。まぁ生まれ変わった事を言っているとしても、恩にはならない勝手な理由からだったし。でもそれなら態々秘密と言う必要もないわけで、何か他にあっただろうか。
ともあれ落下中の俺は小夜に助けられたという事だけはわかる。
「そっか。ありがとな、小夜。正直死ぬかと思った」
「どういたしましてなの。でもダンジョンの中だからたぶん少し痛い程度で済むと思うの」
「あっ、一応ステータスがあるもんな……ってさすがにちょっとじゃ済まないだろ」
小夜は上昇し、それは俺という荷物を抱えているとは思えないほど簡単そうに見えた。“後天性の”ではあるけど、もう既に頼りになる妹だな。ひとつ不満を言えば、その運び方だ。
「なぁ小夜、この運び方はどうなんだ?」
「おんぶは翼があるからできないの。脇に抱えないのは悠人しゃんの中身が出ないように配慮なの。お姫様抱っこは最上級の扱いの証なのよ」
小夜は六枚の黒翼を羽ばたかせ上空の龍神へと向かう。羽ばたいていても速度はほぼ一定、羽ばたきでブレることもないため飛行というより浮揚と言った方が正しく、翼の動きに意味はなさそうに思う。でも俺が飛行する時も似たようなものだしそういうものなんだろうな。
速度はそれほど出さず、俺に負荷が掛からないように配慮してくれている。上空を見上げると暗い空に天照が光を放ち、まるで太陽のように周囲を照らしていた。龍神の背に着くと菲菲は背後に回ったフェリシアから目隠しをされていて、小夜が翼を引っ込めたのを確認後解放された。そして菲菲は目の前に現れていた逆さの塔に目を丸くする。
『バベルの塔にそっくりなのですか?』
「完成した塔の絵があったらこういう感じかもって程度だけどな」
どうやら今のエアリスは完全にスマホの視点しか無いようだ。つまり俺の視界や【神眼】を通して見る事ができず、エアリスが外の情報を得るにはインターネット、マイクから拾った音声、そしてスマホの内蔵カメラだろう。スマホのカメラを塔へと向けるとエアリスは話しながら画面に文字を表示する。
『逆さのバベル……ハフク・バベルと名付けましょう』
「理由は?」
『カッコ良さそうなので』
そんなわけで空から逆さまに伸びる巨大な塔は『ハフク・バベル』と呼ぶ事にした。
「悠人ちゃんにはあの中に何があるのか見える?」
「見えないな。あの塔の外壁に遮られてる感じだ」
「ふ〜ん。そうなんだね」
「何か知ってそうだな?」
「うん、知ってる……ううん、知ってる場所だと思うよ」
「詳しくは言わないか」
「えへへ。今わかることを教えてあげてもいいけど……はっきりしたら教えてあげるね。二人っきりの時にっ」
魔王の一件の後のようにまた呼び出されるんだろうか。今度は自分を殺させるような事は言わないで欲しいな。言われたら全力で拒否するけど。
「さて、じゃあ今日はここまでかな」
予定を変更し古参ダークストーカーを出来るだけ解放、積乱雲の幻影も解除した事を区切りとし、今日は帰ることにした。渋る菲菲には夜間の活動は危険だからと説き、仲間たちがいる拠点へ送ろうかと提案した。そこでフェリシアから苦言が。
「悠人ちゃん。今、菲菲の国がどんな状況かわかってるよね?」
「わかってるつもりだけど……」
「いーや、悠人ちゃんはわかってないね! 国のトップが行方不明なんだよ? 制御を失った状態なわけ。それを菲菲の仲間たちだって知ってるんだよ。それに今そこにいるのは全員男だし」
フェリシアは詳しいな。菲菲とは仲が良さそうだからいろいろ聞いて知っていて、菲菲が失踪してからは独自に調べてもいたみたいだな。もしかして心配だったんだろうか。なんだか俺より人間らしさがあるように思えるなぁ。
「菲菲自身疲れてるみたいだし、それにあの屋敷にいたヒトたちの事も心配なんじゃないかな?」
言われてみれば確かに。住民たちはエアリスの工作が終わるまで喫茶・ゆーとぴあしか居場所がないから、それまでそこにいるんだった。……ん? エアリスって今スマホだよな。
『権限をマスターの中に残した状態ですので滑らかに会話ができるネオ・スマートフォン、それがワタシの現状です』
イヤホンから聞こえた少し電子的な声が語るその状況……あまりピンと来ないんだが、とにかく今はインターネットも通じないから『おしゃべりなだけのスマホ』って事だな。じゃあ何十人もいる住民たちの寝泊まりする場所をいつまで世話するのかはエアリスが戻るまでという事になる……つまり無期限って事か。はやく戻ってくれないといろいろ困るな。さっきの落下中翼が展開されなかった原因はエアリスだろうし。でもそもそも戻れる類のものなんだろうか。戻れないなんてなったらどうしよう。俺の平穏なログハウス暮らし、あとダンジョンの謎を知る目的が……でも本当に香織と二人きりになれる時間が手に入るって事でもあるし、とはいえそれを守るには手札は多い方が……うーん、無限にループするやつだコレ。ひとまずスマホになったエアリスの事は忘れよう。
「住民たちの部屋は一般とは別に用意するとして、菲菲は一般の部屋で良いよな。相変わらず盛況だから空いてるといいけど」
「そ、その事なんだが……ないんだ」
ないって何がだ? 空き部屋か? 菲菲が喫茶・ゆーとぴあの宿泊状況、それも最近のものを知ってるとは思えないんだが。
「お、お、お……」
「お?」
「お金が! ないんだっ!」
失踪前までの稼ぎは仲間たちを含めたエテメン・アンキの入場料に充てていた他に、少しを個人的な蓄えにしていたらしい。しかしダンジョン化した事によって国家規模で孤立し助けも絶望的な状況だったにも関わらず、お金好きなお国柄は変わらなかったと。菲菲はこの二ヶ月ですっかり使い切ってしまっていた。
それにしても日本円が通用したのは驚きだ。でも少し考えてみればそれもそうか。住民たちは自分の国の状態を肌で感じていて、もしも助かった場合に外貨を持っている事の強みをわかっていたんだろう。
「だからその……今夜警備の仕事をくれないか!?」
「……それはできないな」
「勝手に仕事に行かなくなった事は——」
「そういう事じゃない」
警備バイトには丁度良い時間だが、菲菲を働かせるわけにはいかないな。
「帰ったらまずは風呂な」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます