第199話 肉焼き職人の御影、ワンパンの玖内
「わかった。とりあえず昼ごはんにしよう」
引き続き付いてくるという菲菲の意思を尊重する形で話は纏まり、尖塔の天辺が平らになっている場所へと降り立つ。龍神はそのままでははみ出してしまうため、俺たちを地面に降してから人化していつもの甚兵衛姿になった。白く長い鬚を指先で軽く扱く老人に菲菲は目を見開き、その緊張が伝わってくる。しかしいつも喫茶・ゆーとぴあ夜の部で呑み耽っている老人だと気付くと、その表情は安堵したものとなった。
菲菲に見られたのはまずかったかなと思ったけど……まぁ世の中不思議なこともあるって事で納得して欲しいな。考えてもみれば龍神の正体が知られても、龍神自身が余計な事は話さないだろうから気にするだけ無駄かもしれない。それはともかくメシだメシ。
「イルルさんこれうまいですよ」
「どれ、ではひとつ……おお! このふわりとした食感、滲み出る出汁、たまらんのぉ」
保存袋から取り出した弁当はかなり量がある。十段重ねの重箱を短い時間で用意してくれた悠里には感謝しかないな。でも多過ぎないだろうか? 以前のように『こんな事もあろうかと』みたいな感じで用意しといてくれたのかもな。
悠里には異空間っぽいところに物を収納する魔法があって、ドロップした肉も貯め込んでいるらしい。保存袋よりもさらに劣化しないみたいで完全に上位互換。保存袋を使うのはステータスや能力の恩恵が極端に少なくなる地上への買い出しくらいだ。本人曰く保存袋を渡すだけで受け渡しができて便利なので気に入っているんだとか。とはいえ仕事量がすごいな。もしかして悠里の雑貨屋が再開しないのは……
「ほんと、悠里には頭が上がらないな」
弁当を渡された時、自分の収納から取り出していた。喫茶・ゆーとぴあを任せている山里さんと一緒に料理の試作もしているらしいし、作り置きしておいても不思議じゃないか。
「でもこんなにあったら食いきれないな」
「あーしがいっぱい食べるからヘーキヘーキ」
クロは俺が重箱を広げている間に、そのひとつに納められていたごはんにふりかけをかけて半分ほど食べ進んだところで、その箱の蓋には『クロ』と書かれていた。
「いつもそんなに食ってたっけ?」
「いつもは手加減してあげてる、みたいな?」
手加減してくれてたのか……食費って案外馬鹿にならないからな。それにこの先、大災害の影響はこれまで以上に目にみえるようになるだろうし、そうなると米とか小麦とかも不安になってくる。ますます物価が上がるのは間違いないだろうし……それを知ってか知らずかクロが我慢を覚えてくれたのはありがたいな。ただ、今も少し我慢してくれないとみんなの分がなくなってしまいそうだ。
「あっ! こっちにおにぎりイッパイあるヨ!」
なるほど。こうなることを予想していた悠里はクロ用のごはんとおにぎりを別にしてたのか。さすがログハウスの社長は抜け目がないな。これなら俺が会長なんていう分不相応な役職にいなくても……そう思った時、青筋を浮かべる悠里を幻視した。
ま、まぁ俺は特に何をしてるってわけでもないけど、全部悠里に押し付けるみたいになっちゃうのも悪いしな。役職くらいは仕方ないか。それにいざという時、ってのも今のところほとんどないけど、それなりに大事な判断っていうのは俺が決めろって言うから言われた通り決めてるし……そういうのまで悠里に押し付けちゃダメだよな、うんうん。
幻視した青筋の悠里は表情を柔らかいものへと変えたので俺の反省タイムはこのくらいで良いんじゃないだろうか。
「たくさんあるから菲菲も食べてくれ」
「あ、ありがとう」
よし、少しくらい殺すには惜しいと思ってくれたかな? ってこんな事くらいで心変わりを期待しても無駄か。
チビとおはぎにそれぞれのフードを出してやり、それから七輪を取り出して肉を焼く。ついでに菲菲にバレないように【真言】を使い水を作り、保存袋に入っていた猫用粉ミルクを溶いておはぎの前に置いた。
「にゃにゃ!? おっとー、にゃーはメルクリウス・O・サンダルフォンにゃよ? こんにゃぁ子供騙しのおいし〜いミルクにゃんて卒業にゃ!」
「まぁまぁ、飲んでみろって」
「そこまで言うにゃら仕方ないにゃあ」
ミルクに舌をつけたおはぎは目を輝かせる。
「おっかーの味にゃあ〜」
「そっかそっか、おかわりあるからな」
ミルク以外も普通に食べるようになったおはぎだが、どうやら粉ミルクが好きらしく時々香織に強請っているのを知っていた。実の所買い過ぎてしまって保存袋の肥やしになっているためまだまだあるんだが、カロリーの摂りすぎにならないか心配する香織に普段は与えることを止められている。普通の猫とは違うとは言え、俺はつい与えすぎてしまうので基本的に禁止されているが、時々手探りでカロリー管理をしている香織がおはぎに与えているわけで……おはぎにとっては香織(おっかー)の味になるわけだな。
焼けたワイバーンステーキをチビとおはぎにも与え、その後みんなに切り分ける。
「焼き加減どうだ?」
「バッチリだよ悠人ちゃん! もう肉焼き職人だね!」
肉焼き職人の称号を得た俺は菲菲を窺う。彼女は初めて食べたであろうワイバーンステーキをもぐもぐとしながらほっぺたを押さえていた。『ほっぺたが落ちる』なんて言葉が彼女の国にあるかは知らないが、初めて食べた人って大体そうなるんだよな。
肉といえばこのダンジョン、手に入るんだろうか。熊猫って一応熊だし、熊肉がドロップしそうな気がする。他にも小動物サイズのアルマジロに似たモンスターを【神眼】で捉えているし、日本では見た事のない食材が手に入るかもな。まぁ動いてるその見た目的に食べてみたいとは思わないけど。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
星銀の指輪、その能力のひとつ【定点転移】。ログハウスのトイレでそれを使用し向かった先は、僕がいつも一人で潜っていたダンジョンの入ってすぐのところだ。外へ出て指定された倉庫跡へと向かうと、そこには最近流行りの探検セットや革ジャンを着た数人の男たち、そして粘着テープで後ろ手に縛られた綾乃がいた。
「綾乃ッ‼︎」
「道景君っ!」
綾乃の服装に乱れはなく乱暴をされた様子もない。しかしホッとしたのも束の間、強烈なプレッシャーが襲ってきた。
「へっへっへ、あのお方は用心棒ってやつだぜぇ」
地上ではステータスがほとんど反映されず能力もダンジョンの中に比べると手品程度にしか発揮されない。それでもダンジョンで鍛えた人は一般人よりもスペックは圧倒的に上だ。僕は御影さんには敵わないけどそれなりに鍛えたはず……それなのに綾乃と男たちの間に立つ漫画に出てくるような旅装、覆面の男からは、圧倒的な差を感じるほどのプレッシャーが圧し寄せる。
「先生! まずはアイツにわからせてやってくださいよォ!」
小さな刀に似た包丁に舌を這わせ下衆顔を披露する男が『先生』に言った。僕は身構え絶対に勝てない相手を警戒する。しかし『先生』と呼ばれた用心棒の男はその気はないと断った。
「ダメだ。案内役がいなくなるだろう」
「いやぁ〜、腕の一本くらい折れたって案内くらいできますってぇ!」
「ダメだ。それにお前たち、この女性に手を出すつもりだろう?」
「うっ……そ、そんなわけないじゃないっスかぁ〜やだなぁ」
男たちは図星を突かれ一歩退いたが、綾乃へと視線を移し嗤う。
綾乃をすぐにここから逃さなければ。そう思いはしても行動に移せない。目の前の男に睨まれ体が硬直する。
どうせ勝てない。諦めが胸中を支配し、しかしそのおかげか違和感が疑問に成った。
二人の会話から、この『先生』という男は綾乃を守ってくれている…? でもこんな誘拐に関わる理由って——
「だが……力の差は見せておかないとな」
刹那、腹部に強い衝撃を感じ、そのまま目の前が暗くなった。
………
……
…
「おいぃ、いい加減起きろよぉ!」
「ひっ……み、道景くん……ッ」
どのくらい経っただろうか。腹を蹴られ目を覚ますとそこは先程の倉庫の中だった。幸いエアリス様に頂いたコートは没収されていないが、星銀の指輪がない。地面に転がったまま周囲に目をやると男たちの一人が星銀の指輪を穴の空いた天井から差し込む光に透かすようにし、近付けたり遠ざけたりしながら見ていた。
「が、がえせぇ……ゲホッ」
腹に貰った一撃が強烈すぎた。呼吸が上手くできず、叫びが叫びにならない。
「この指輪どこで手に入れたんだ? なぁ、良かったらそこにも案内してくれよ」
「だれが……」
「教えちゃくれねぇか。……ところでよぉ、あの女、ガキみたいなナリしてアッチの方は上手いのか?」
頭の中で思い付くだけの呪詛をぶつけるように睨めつける。男はニタニタと嗤い綾乃の方へと近付いて行った。
「そのくらいにしておけ」
「じょ、冗談ですって。先生は真面目なんだから……」
冗談には思えなかったし、『先生』がいなければ綾乃は今頃……。
「それも返してやれ」
「え? いいじゃないっすかこれくらい」
「ダメだ」
『先生』は目にも止まらぬ速さで指輪を奪い取り、僕の指にそれを嵌める。
「俺の目的は御影悠人だけだ。こいつらとは違う。ログハウスメンバーにも、あの女性にも手は出させないと約束しよう。だから案内してくれないか?」
他の男たちに聴こえないよう耳打ちされた悪魔の囁き。抗うべきだとは思いつつも綾乃の怯えた表情が目に焼き付いた僕は……受け入れざるを得なかった。
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