第176話 家族のかたち
「……本気で好きになっちゃったってことぉー!?」
目の前で叫ぶな叫ぶな、まったく……コーヒー風味の涎か何かが飛んできてるぞ。人によってはご褒美かもしれないが、俺にとってはご褒美ではないんだよ。
ちなみにそれに対しての答えはNOだ。むしろどうしてそんな風に聞こえるんだよ。
「ち、違うんだね」
「そりゃ違うだろ。俺には香織という——」
「え、いつの間に呼び捨てになったの?」
「べ、別にいいだろそんなの」
「ふ〜ん」
なんだかよくわからない話だったが、自分なりに整理するとこういうことか。
役割は果たした、だからもう充分生きたのだ……! ママンを生き返らせるには生贄が必要、それがボクかもしれない! ドヤッ!
……あれ、違う? 違わないよな。うむ。
とりあえずさっきみたいな目ではなくなったフェリシアに「元気が出たみたいだな」と言うと、「そういう気分じゃなくなっちゃったよ」なぜか呆れ顔で返ってきた。
ともあれ、どうやら俺は自殺志願者フェリシアを繋ぎとめることができたようだ。
よかったよかった、そう思っていると、何やら熱っぽい視線を感じる。
「前にも言ったけど……そういうコトしてもいいよ? ヒトじゃないから人類の常識になんて縛られないし」
どゆコト……ってかいきなり何言ってんすかね。俺は今、ひとり救えたような気分に浸ってたっていうのに。ところで俺を性的に誘惑してくる悪戯はログハウスで流行っているんだろうか。まったく、場合によってはセクハラで訴えられても仕方ないぞ。なんて、頭はすんごい動いてるのに言葉にならない現象をなんと形容すればいいのやら。
返す言葉が見つからないでいると、服の肩口をこれみよがしに広げ肩を露出し、見せ付けるようにこちらに向ける。
うーん。子供が無理をしているようにしか見えない。本人曰く『二十歳くらい』に設定したらしいがそもそもそう見えないんだよなぁ。いやほら、二十歳くらいでも個人差があったりするけど……ってそうじゃなくてな。なんと言うか……雰囲気とでも言えばいいか、そういうのがフェリシアはギリギリ二十歳未満なんだよな。かと言って魅力を感じないわけではもちろんないんだけど、今はそれを表に出さないことが大人な俺に求められることだと思うんだよな。うんうん。
子供にしか見えないなどと思った事を察したのか、フェリシアは拗ねたような顔をして見せる。少なくともそういう意味でも食べる気はないし、エアリスにも食べさせる気はないと言うと、すぐにその表情がこちらを窺うものになり、それは少し大人びて見えた。
「でも悠人ちゃん。ボクがエアリスに食べられれば、いろいろ謎が解けるよ? 本来の目的も……もしかしたらボクも知らないボクの事も」
エアリスはその都度威力を発揮するオートモード付き攻略本みたいな存在だ。対するフェリシアは解説寄りの攻略本だろうか。エアリスがフェリシアを取り込む事でそれがより完成される? 完全攻略本か……? それなら……いやいや、それでもフェリシアは『生きてる』存在だ。エアリスはよくわからんけどな。
『モノ扱い、嫌いじゃないです』エアリスは言い『フェリシアにはまだ早いですが』と続けた。つまり、エアリスもフェリシアの要求を飲むつもりはないと言う事だろう。
それにしても俺、一瞬自己嫌悪するような考えが出てきた気がする……ダンジョンの謎が解けるなら、なんて。日常が、非日常に塗り潰されていつの間にか浸食されていたかのような……
「—— 知りたいこと、今すぐ知れるかもしれないんだよ?」
一瞬感じた没入感から引き戻したのは終わったと思っていた話を催促するような声だ。それは弱々しく庇護欲のようなものを唆られる。見ればその碧瞳には期待と恐怖が宿っていた。
『エアリス、俺はフェリのこういう目は見たくない』それに対してエアリスは『フェリシアにはこういった欲情を誘うような表情は似合いませんね』と返してきた。ちょっとエアリスが何言ってんのかわかんないけど、フェリシアの要求は拒否って事で一致だな。
「別にいいや。まだその攻略本が欲しくなるほど詰まってないし」
以前フェリシアが“大いなる意志”として—— 姿は見えなかったが ——現れた時、俺は攻略本は見るタイプだと言ったと思う。その時は情報乞食みたいな気持ちがあったからな。でも今は、それよりも優先するものがある。ダンジョンとは何かについて行き詰まっている感覚がないわけではないが、そこは強がっておく。一瞬目が点になったようなフェリシアはクスリと笑った。まぁつまり、しっかりと気付かれているようだった。
悪戯な表情でこちらを窺(うかが)うフェリシアは、先ほど肩口から覗かせた肩をこちらに見せつけて来ていた時よりも大人びたように見えた……が、しかし、コーヒーを一口含み嚥下(えんか)し「そのまま飲むと」そう言って少し間を開ける。続けて「やっぱりちょっと苦いね」と眉尻を下げたまま舌を出していた。子供舌か。
砂糖入れれば良かったのにな。いつもなら自分のだけは甘くしてるのに、なんで今に限ってブラックなんだろうか。それに今更苦い事に気付くって、よくわからんやつだなー。フェリシアに限って動揺してたとか、緊張してて忘れてたとかじゃないよな? まさかな。
その時、俺はドアの向こうに気配を感じ取り、視る。一人ではなく複数……嫌な予感しかしないな。
「じゃあ今はこの器(からだ)を使って教えてあげたいことだけ教えるけど、全部ほしくなったら……食べてね?」
はい、俺死んだー。ほらドアに隙間あいてるぅ。【神眼】のおかげで自分の死を予測できてしまうとはな……やれやれだぜ。
部屋に押し入って来た香織、杏奈、さくらはやはり勘違いをしていた。しかしテーブルを境にコーヒーを啜る俺たちの間を三人が視線を彷徨わせた結果、直前にフェリシアが言葉にしていたような状況とはまるで違う様子に戸惑っていた。
当然、何があったのかとか、どうしてそんなことを言っていたのかと聞かれる。しかしその話は俺の口から言うわけにはいかず、判断を委ねるようにフェリシアを見遣る。
「ふふっ、ボクと悠人ちゃんだけの秘密だよ! だよね、悠人ちゃん? そうだよねー?」
満面の笑みを浮かべるフェリシアから何やら圧を感じる。
そう言えばフェリシアがログハウスに押しかけてきた時『“今は”普通の人間と変わらない』と言っていた気がする。実際その後、フェリシアがシグマをボコボコにした疑惑もほぼ確信に変わっているし、それはエアリスも同感だと言う。さらに今日はクロとチビの獣コンビと共に行動していて、背中から妖精の翅(はね)のようなものも生えていた。そもそもフェリシアが言うには器、つまり体は賢者の石を材料にしているらしい。それは魔王と同じだ。とはいえ一概に賢者の石と言っても性能というか個性のようなものがあるらしい事をベータが言っていたように思うがこの圧……。
どちらにしても、普段からは考えられないが実はこいつ……なかなかにバケモノなのでは? そう思ったが声には出さない。なんかこわいし。
となると、俺にできる返事はこれしかない。
「……そういうことらしいよ」
俺は安全第一な男なのさ。そう、最初にダンジョンに潜った時も安全第一メットだったしな。
『ひどい格好でしたね』エアリスの言葉にスマホで撮った写真が思い出され……やかましいわ、仕方なかったんだよ、それしかなかったんだもの。
『そもそも安全第一であればダンジョンになど関わらないのでは?』なんて言うエアリスは無視しておこう。そもそもあの時の俺が好奇心に負けたから今の俺があるんだしな。
二人の秘密にする事をある意味強要してきたフェリシアに同意した事に対して、三人は不承不承ながらも納得してくれた。覗いていたのはフェリシアの叫び声のようなものが聞こえたかららしく、それはコーヒー風味の涎を浴びせられた時だろう。覗いていたとは言え三人に悪気があったわけではないのはわかるし、むしろ心配だったからだろう。それに俺ですらフェリシアの様子がなんとなく変だと感じていたのだから、みんなが気付いていなかったはずがないよな。
聞きたいけど聞けない三人、心配させてしまった事を知りいたたまれない様子のフェリシア。双方になんとなくすれ違った時のような気まずい空気を感じた俺は言う。できるだけイケメンな声を意識して言う。なぜって、その方が説得力がありそうな気がしたからだ。
「フェリはみんなを……家族みたいに思ってるんだってさ」
途端、パジャマ姿の三人からベッドに運ばれもみくちゃにされるフェリシア。これが家族の洗礼かと横目で見ながら、俺は勝手にコーヒーメーカーのスイッチを押した。まぁ計画通りだ。これで俺は条件次第——この場においては勘違いによるやきもち——で香織が発する冷気というかそういうものに晒される事はなくなったのだ。
ところで香織が不機嫌になった時とかに感じるあの冷気……もしかして元は悠里が怒った時に無意識的に発していたものじゃないだろうか。そしてマグナカフェに初めて行った時に香織は『気配や弱点がわかる』ような事を言っていて、今だって実際にわかるようだ。それはもしかすると……杏奈の能力が元になっていたり? 香織の能力は自分が目標にしたり意識したりする相手の能力を模倣することができるようだ。それは意識的でもあり無意識的でもあるんだが、それが早い段階から発動していて、しかも一度模倣すれば忘れる事はないのかもしれない。だから俺の【真言】を少しだけのようだが真似できる今になっても、以前模倣した事のある“冷気を発したり気配を察知する事”が可能なのではないか。思い返せば以前も同じような事を考えたが、その時点とは違い確信に至った気がしている。
おそらく香織の能力は“他者の能力を自分のものとする能力”だ。
それでもできない事があるのは、条件を満たしていないからと考えるのが自然だろう。その条件がどういったものなのかはわからないけどな。
考えながらコーヒーを嗜み、絡み合う四人を横目に見やる。女の子同士って、なんかこう、直視はできないけどついつい見てしまうような感じがあってつい見てしまう。決してやましい気持ちからではないんだけどな。ともあれ平和な事でなによりだ。
尚、ただいま世界は大混乱中だ。原因は言わずもがな。
20層の自衛隊も大混乱中であり、原因はダンジョンの変遷によって起きた地形の変化、これまで存在していなかったモンスターや本格的に“魔物”という印象を受ける新種の発見、俺がまだ行ったことのない層のモンスターと思われる個体も確認されている事が主な要因だ。しかしその変遷は魔王が放った黒い光による影響ではないかという憶測も飛び交っていて、魔王に対する畏怖が波及していく。実際のところ、魔王は変遷に関して全く関係ないんだけどな。
その他にもいろいろと変化が見られているようで、それはこれからも起きるとエアリスは予想している。
夜が存在するようになったりそれがまたなくなったり、そして今回はまた夜が来るようになっている。気温なども以前は一定だったにもかかわらず、今は肌で感じる程の差異が現れ始めている。おそらくワイバーン狩りによく行っている岩山に生えた山脈を登れば凍える程に寒いだろう。これまで寒かったのはクリスマスプレゼントを手に入れるために行った雪原だけだったし、それはフェリシア、大いなる意志が手を加えた結果だった。だが今回は違うのだろう。
今回のようにダンジョン自体が大きく変化したのは……いや、エアリスが言っていた事を鑑みるに『戻った』の方が正しいか。ともかくダンジョンが元の姿を取り戻しつつあり、それはこれまでの中で最も大きな変化なのは間違いない。そしてそれにより新たな資源も発見されるかもしれないが、下手に領土を主張、またはそれに近い事をすれば魔王が殺しに来るわけで。
このダンジョンは“地球ではない”ということもフェリシアの言葉から判明した。
地面の下に向かう穴に入ったらダンジョンがあった事から考えて地面の中にある仮想空間的なものかと初めに思っていたが、それが正解に近かったんだろうと思う。ただ、実際地面の中にあるのかどうかは別だ。おそらくどこか違う場所に存在するダンジョンと繋がっている状態なのではないかと推測している。現に別の階層としている場所同士を繋ぐ転送ポータルが存在するわけだしな。
ではダンジョン、今俺たちがいるこの場所はどこにあるのか。それはまだわからないが、ある意味の異世界やパラレルワールドといった類のものだろうか。
仮定の話、ダンジョンが“ひとつの世界”であるならば。
ダンジョンが元に戻ったというよりも、“この世界が”元に戻ってきていると言った方がしっくりくるように思う。
それはつまり俺たちは世界の壁を超えている、つまり超越しているのかもしれず、それならば探検者全員がある意味“超越者”であるはず。しかし“超越者”というのが俺の持つ称号“人界之超越者”や“幻層之超越者”のように、“どこの”超越者なのかを表している現状、世界を超越したとは言えないということだろうか。まぁそれはダンジョンの入り口が転送ポータルのようなものであるなら、超えたというよりも移動しただけだからな。超越という言葉の意味通りなら、ダンジョンに入っただけで超越者とはならないのも納得か。なら必要なのは、実力か? ステータスか? やはり支配者権限を集めた事で“人界之超越者”となり、フェリシアが作った幻層をクリアした事で“幻層之超越者”を得た事からすると功績か? まぁこれ以上はわからないな。
だけどダンジョンが世界なら、元に戻ろうとしているような挙動を見せているということはつまり、この世界は完全ではない“曖昧な世界”ということだろうか。もしかすると俺たち、かなり危ない場所に住んでたりして……いや、住んでるだけでヤバいならエアリスとフェリシアが何か言う気がする。
エアリスが腕輪の中で目覚めた、そして俺と出会った頃の事を思い出す。
俺の記憶と感情、そして『大いなる星の大地の意志』から生まれたと言っていた。それは地球を指すのか、ダンジョンを指すのか。後者だった場合、エアリスは曖昧な世界から生まれた事になり、それこそ“曖昧な者”と言えるかもしれない。
地球、人間、ダンジョンというひとつの世界。それら本来交わる事のないものからその理を超えて生まれたエアリス。一方の俺は“進化”したらしく超越種になったらしい。その超越種が単純に新人類的なものなのかそれとも全く別の……ん? もしかすると本当の“超越種”とは——
「ゆ、悠人ちゃんたすけてぇぇ〜」
コーヒーを片手に考えに耽(ふけ)っていると、非常に情けない声に意識を引き戻される。
「お? 仲良さそうでなによりだな」
ベッドでもみくちゃにされるフェリシアからは『ぐぇっ』と潰れたカエルのような声が断続的に聞こえてくるが、フェリシアの器の強度を考えるとその程度はなんでもないはずだ。この際“家族”の愛に溺れるがいい。
「あっ、そうだフェリシア」
もみくちゃにされているフェリシアの名前を呼ぶと、きゃっきゃうふふな団子四姉妹が動きを止める。
「生まれた理由なんてのは、あったとしても生んだ側のエゴだ。気にしすぎるような事じゃないと思う。それでも理由が欲しいならフェリシアは自分が生きるための理由を探してみるといいんじゃないか? 必要なら俺たちが手伝えるかもしれないし、気楽にさ」
自分の存在理由について悩むって、人間じゃなくてもあるんだな。でもまぁなんていうかフェリシアはポカーンとしているし……うん、ぜんっぜん伝わった気がしないな。やっぱ俺はそういうの向いてないし、フェリシアをもみくちゃにしてる香織と杏奈とさくらに任せた方が絶対に良いと思う。とりま“二人の秘密”にそれが入っていたかはわからないが、ここは三人に足止めを任せて退散しましょ。
「ごちそうさん」
ぬるくなった残りのコーヒーを一気に飲み干し相変わらず団子のようになっている四人を尻目に逃げるように部屋を出ると、チビとその背に乗る子猫が俺の部屋の前にいた。
「にゃー。一緒ねるにゃー」
ベッドに寝かせるとすぐに寝息を立てるチビと子猫……野生をどこかに置いてきた獣たちめ。
チビは今日フェリシアとクロと共にマグナ・ダンジョン地上部からの入り口を守った。クロがドラゴン形態になっていたこともあり下手に近付こうとする人間はいなかったようだが、そこには断続的に銃弾やロケット弾が撃ち込まれたらしい。でもそれはクロの見た目が見た目だから仕方ないよな、チビだって明らかに人間よりでかいし化け狼と言われてもおかしくないレベルだ。
しかしそれは防がれ無事に防衛は成功した。痛がりなクロも爆発する筒がちょっと痛くて泣きそうになりつつもがんばったと言っていたし、お手柄だったな。明日にでも誉めてやらないと。
魔王は少し、いやかなり過激な感じだったが、しっかり役目を果たしてくれたと言って良いんじゃないだろうか。魔王が領土を主張したことによって人類同士で取り合う事は無くなった……かはわからないが減りはするだろう。そういえばその魔王だが、領土とした以上は名前をつけたいと言っていた。しかし今は思いつかないということで、思いつくまではこれまで通り20層と呼ばれるようだ。
それはそうと魔王となる前、つまり賢者の石の状態の時からちょくちょく様子を見に行くべきだったと反省している。正直面倒だったから行かなかったのだが、人類皆死スベシ思想の魔王はそのせいで生まれたようなものだしな。これだけは絶対にバレないようにしないと。
ーー ご主人様、しかし今回の件、魔王の働きは必要不可欠だったかと。もしもいなかった場合、戦争となっていた可能性が大、もしも魔王領としなかった場合これから戦争が起きる可能性が大でした ーー
ふんむー。しかし魔王を相手に戦争を、なんて事にならないだろうか。
ーー その場合は好都合かと。愚かなヒトに魔王の脅威を植え付ける事ができるでしょう ーー
なるべく魔王に手を汚させたくないっていうか。親心というわけではないがそういう思いがないとは言えない。それに人が死ぬのはあまり気分の良いものでは無いように思う。
ーー それとご主人様はご自分の都合で他の人類を巻き込んだと思っていますが、そうとは言い切れません ーー
そうなのか?
ーー それぞれが勝手に動いた結果、良いところだけがうまく噛み合ったように感じませんか? ーー
言われてみればそんな気がしてくる。偶然と言えば偶然かもしれないが、『偶然が重なればそれは必然』って事かもしれないし。それに日本があの地を手放しどこか他の国に渡った場合、その影響は日本だけに留まらなかっただろう。利益を得る国は莫大な利益を得、そうでない国は利益が全くない状態になったかもしれない。そうなればそれは地上の力関係にも影響するのは間違いない。それはつまり地上で戦争が起きる可能性へと繋がる。
そしてそれらを回避できたのはもしかすると俺が超個人的な理由で動いたからのように思えてしまう。
ーー ご主人様は人知れず世界を調停したのです。それにやはり、バレなきゃいいんです、バレなきゃ ーー
……そうだな。少し罪悪感みたいなものが大きくなっていた俺にとって、エアリスがそう言ってくれるのはとてもありがたく、馬鹿みたいな言葉にも救われる。
なんとなくもうすぐベッドからはみ出しそうな程大きくなった、眠るチビに腕を伸ばしその腹を撫でる。ほぼ毎日毛質がふんわりと仕上がると有名な犬用シャンプーを使っているおかげか狼とは思えないふんわり感だ。こんなにふんわりしていて防御力的にどうなんだと思うが、そこはさすがのチビ、首輪に付与されている【不可逆の改竄】を上手に使いこなしているらしく、必要に応じて硬さまで変化させているらしい。いつの間にか首輪に仕込んでおいたエアリスの分体とやらは消滅しているらしいが、それでもチビは問題なく首輪の能力を使いこなしている。たぶん、本家のはずの俺よりも上手い。
子猫も撫でてみるとこちらは見た目通りふわふわしている。名前、つけてやんないとなぁ。
腹を撫でられてくすぐったいのか身を捩(よじ)る黒い子猫、それを眺めていてふと思う。
「なぁエアリス。子猫って“第二世代”って言ってたよな」
ーー はい。それがどうかしましたか? ーー
「……チビは?」その問いに、エアリスは時が止まったかのように静かになり、やがて考え至ったようだ。
ーー あっ……第二世代…でしょうね。これはうっかり ーー
「エアリスから見て“神狼”って言えるくらい育っちゃったのは?」
ーー 第二世代だから、でしょうか ーー
「だよな。じゃあこの猫も育てれば巨大になって“神猫”なんて——」
20層猫の森。そこに住む焼いた肉に目がないグルメな巨大猫たちを思い浮かべる。
子猫が成長したら、本来の大きさが俺よりも明らかにでかいチビを見る限り、大きくなったからと言って俊敏性は下がらずむしろ上がっている。戦闘面では強いだろうから期待が膨らむな。でも大変そうだ。
ダンジョン内においては良い事のようにしか思えないかもしれないがそれの何が大変って、ログハウスの入り口を打ち破りながら出入りされたらたまらんって事だ。もしそんな事になったらいつも修繕作業に追われる事になってしまいかねない。いっそのことそのサイズに合わせて改築してしまうか? う〜ん、めんどくさい。
そうならないよう今のうちにチビの首輪みたいな機能を持ったものを作っておくとか、チビみたいに体の大きさを変えられる方法をエアリスに教えてもらうか……でもこいつは猫、素直に聞くかどうかなんてわからない。
などと考えてしまったが……
「——いや、よそう。寝るか」
そうなったらその時、今できない事は後回しにする事にした。
それにしてもチビが第二世代か。まぁ考えてもみれば当然だよな。モンスターのちゃんとした“子供”を見たのは、親猫から押し付けられるようにされた子猫と、チビしか見たことがない。条件がわからないが、第二世代の誕生は珍しいものなのだろうか。
ふと、チビとの出会いが脳裏に浮かぶ。
ダンジョンに潜り始めてすぐの頃、狼型のモンスターに遭遇し、その子供がチビだった。
チビの親を殺したのは俺で、モンスターとはいえ子供の狼をかわいそうに思ってしまったことで食べ物を与えるようになっていた。
それは気まぐれのようなものだったし、その時点では知らなかったがチビは第二世代。第二世代モンスターは死んでも普通のモンスターのようにはならない、つまり“消えない”らしいことをエアリスかフェリシアが言っていたように思う。それがどういうことかと言えば、チビにはちゃんとした実体の体があるということで、もしかするとあの時チビに食べ物を与えていなければ餓死していたかもしれないという事だ。
まぁ俺が勝手に普通のモンスターは食わなくても死なないけど第二世代は俺たちと同じで食わなきゃ死ぬと思っているだけなのだが、間違いではないような気がしている。
もしそうであれば、俺がエアリスと出会って肉を手に入れやすくなり、普段はもっと深い場所にいるはずの子連れの狼が偶然あんな浅いところまで子供を守るために来ていて、そして殺されて俺はその子供に俺が情けをかける。懐いたチビが大きくなり、それから俺はチビとずっと一緒にいる。
それらが初めから決まっていたように思えたりもしてしまう。
「まるで運命みたいだよな」
二匹を撫でながらついそんなことを口にしてしまう。
ーー はい。ワタシとマスターの出会いは運命です ーー
「そっちじゃねぇ」
ーー ヒドイ。……ヨヨヨ ーー
……そっちじゃねぇんだが、エアリスとの出会いがあったからこそと思えば、そっちも“運命”なのかもしれないな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます