第153話 賢者の石

 

 四月も中頃、悠人と香織の関係は……

 「で? まだ何も進展がないの?」

 「う、うん」


 相変わらずだった。

 悠里は香織の返事を聞き、少しだけ悠人を殴りたいと思っていた。そんな悠里の気持ちを察したかどうか、香織は悠人を庇う。


 「で、でもでも悠人さんは変わらず良くしてくれるよ? 昨日だって考え事してた香織をモンスターから庇ってくれたし」

 「その変わらずっていうのもある意味問題よねー……。でも“言っただけ”じゃないならいいのかな」

 「言っただけじゃない…‥むふふ〜っ」


 変な笑い方が増えたな〜と思いつつ、香織のことを微笑ましく思う悠里だった。



 そんな会話がされているとは知らない悠人はエアリスの報告を聞いていた。



ーー ……ということで、あの者の器の創造にはベータが必要です ーー


 (エアリスには現状無理ってことか)


ーー もうしわけありません。オリジナルはワタシが吸収しましたが、その際ベータという存在を砕いてしまいましたので ーー


 (ん〜?  銀刀に封印されてるのがコピーなのは聞いたけど)


ーー わかりやすく言いますと、ワタシはベータを“食べた”のであって“ベータではない”のです ーー


 (ちょっとよくわからない)


ーー とにかく、ベータの指紋が必要なのにワタシの吸収の仕方では指紋が残らなかったのでそれが欲しいのです ーー


 (それって無断で使えないのか?)


ーー 使えるのであれば指紋認証の意味がありません ーー


 (よくわからんけど、他に必要な材料は揃ってるのか?)


ーー “賢者の石”がありません。しかしフェリシアの器にはベータも関わっているようですし、そもそもベータの器にはそれが使用されていた可能性が濃厚かと。その情報はおそらくブラックボックスといえる場所に格納されているのではないかと ーー


 (賢者の石か。最初……出会った頃に言ってたやつだな。で、情報が入ってそうなそのブラックボックスの鍵がベータの指紋?)


ーー はい。ですので、ベータを叩き起こす許可を。寝ている状態ではワタシがそれを使うことができませんので ーー


 保存袋から数本ある銀刀のうち一本を取り出す。これにはエテメン・アンキを攻略した際にベータのコピーが封印されており、ベータはそこで眠っている状態となっている。


 (まぁ……必要なら起こせばいいんじゃないか? そもそも俺に許可取る必要があるか疑問だけど)


ーー え? 許可を求めなくとも良いのですか? であればダンジョンでいざこざを起こしている者たちを独断で処理しても ーー


 (そういうのはダメ)


ーー 残念です。まぁどちらにせよ基本的に“承認”がなければなりませんが ーー


 エアリスに体を貸すと俺の視界はエアリスの見ているものとなる。以前は違和感があったし俺が“進化”する以前ではエッセンスの流れが見えなかった。今はこの状態であればエアリスが感知するエッセンスの流れが見え、これも初めは腕や空気中を何かが伝って行く様子に違和感があったが、今となっては慣れたものでVR体験をしているような軽い気持ちで見ることができている。

 手に持つ銀刀にエッセンスが流れ込んでいくのが見えしばらくすると、エアリスが操る俺が『起きなさい』と言う。それからわずかな間を置いて、ぶるると震えるように銀刀がカタカタと音を立てていた。


ーー 目覚めさせましたのでお返しします ーー


 「はいよ。ベータ、聞こえるか?」


 『うぅ〜ん……懐かしい声が……夢か…むにゃむ』


 「夢じゃねぇよ起きろよ!」


 渋い声で寝起きギャグ的な事を言うベータ(銀刀)に思わずチョップすると今度こそベータが覚醒した。


 『ハッ!? 我輩、寝てた? 今何月何日何時何分!? 眠りに就いてから何秒経ったのである!?』


 「四月十二日午後二時をまわったところだよ。何秒かは知らん」


 『はあ〜。実に甘露なる感覚だったのである。その感覚を思い出すだけでも我輩、まだ眠れるのであるが?』


 「しらんがな。とりあえず眠るのは後にしてくれ」


 ベータ・コピーに先ほどの話を伝えるとゴネるでもなくブラックボックスを解錠してくれた。

 むしろすんなりと話が通ったわけだが、自分がコピーであるという事に思うところはないのだろうか。


 『我輩がコピーであろうとも、オリジナルはもういないのだろう? ならば我輩がオリジナルであるからして』


 「ブラックボックスはエアリスの中だが?」


 『……果たして……果たして我輩は……我輩と言えるのであろうか? 吾輩とは一体……』


 「しらんがな」


 ベータは項垂れているような声音で自問自答していたが、それは後にして欲しい。いろいろと大変な心情だろうベータには悪いが、今は哲学めいた話をしている場合ではないんだ。


ーー この材料は……今のご主人様には厳しいかもしれませんね。ベータ、賢者の石の現物はどこにありますか? ーー


 『賢者の石か。それを欲するということはつまり……?』


ーー とにかく必要なのです ーー


 『ほお。ではついに地上もダンジョン化したということか』


ーー そうはなっていませんが ーー


 『ん〜? ではなぜ求める?』


ーー とある計画のため、“魔王”が必要なのです ーー


 『魔王……? ゲームのしすぎではないか? 数々のゲームをねっとさーふぃんによって研究した我輩からしてもちょっと頭おかしいと思うぞ? そんなものを作って世界を掌握しようなどと——』


 ベータは何か勘違いをしているようで、それはエアリスの言葉足らずも原因の一つだろう。

 いろいろと説明する必要はあったが、ベータはこちらの意図を理解したようだった。

 それはともかく俺はベータの『ねっとさーふぃん』のイントネーションが『もしも江戸時代の人が言ったら』こうなるのだろうなと思いくつくつと笑っていた。まぁ江戸時代を知らないからな、あくまで想像だ。


 『ではおぬしら、ヒト同士の諍いを止める手段として“魔王”という存在を利用しようとしているのか。我輩のやるべきだったこととは少し離れているが……いずれ魔王的な何かは作ろうとしておったし」


 「ベータのやるべきことってなんなんだ?」


 『今となってはその気はないが、我輩のやるべきことは地上を制圧できるだけの軍隊を造ることだった。それによって……ぐぅぁぁ』


 そこまで言ったベータ(銀刀)は突然カタカタと苦しみだす。何かと思えば“禁則事項”に触れたためらしい。

 それにしても地上を制圧できる軍隊を造るって、それこそ頭おかしいんじゃないか。……いや、相手はよくわからない存在だ。俺たちの常識なんて通じないか。


 『これが禁則事項に触れるとは』


 「で、人類を滅ぼすつもりだったのか?」


 『そんなつもりはないのであるが』


 「じゃあなんで軍隊なんかを?」


 『それは……禁則事項であると予想するので言えん』


 「そこをなんとか」


 『我輩、痛いのは嫌である』


 クロが痛がりなのはベータのせいだったりして。痛いのが嫌なら痛く無いようになればいい、ということであれだけの硬さを持つドラゴンに仕立てた、ということだろうか。そうなるとクロは改造された存在なのでは……と、その様子を想像してしまうが、クロはそんなこと言ってなかったしたぶん、おそらくそうではないのだろう。

 エテメン・アンキで“黒銀の神竜”と呼ばれていたドラゴンにクロという名前をつけた事をベータに言うと、どこか遠い目をしたような気がした。


 『クロか、なるほどわかりやすい名であるな。元気であるか?』


 このリアクションから、エテメン・アンキ攻略時の最新の記憶はない事がわかる。一体どの時点のベータになっているのかはわからないが、俺たちにとってはどうでも良い事か。


 「クロは元気だぞー」


 『エテメン・アンキの住人どもとモンスターどもは……まさか滅ぼしてしまったのか?』


 「そっちも元気だと思うぞ」


 『そうかそうか、それは重畳。そういえば賢者の石であったな。……現物はないのであるが』


 現物はないが材料さえあれば作ることは可能らしい。エアリスもそれはわかっていたようで、まだ俺が聞いていない材料について話してくれた。

 エアリスが教えてくれた材料のほとんどはすでに持っていた。最後の材料について説明するエアリスの声音は悩ましげな姿を幻視させるもので、それを聞いていたら俺も落ち着かない気分になっていた。


 『ユウトは男であるからして精はいくらでも手に入るのであるな。我輩、それの模造をするのにどれだけの時間を費やしたことか。それをたったの“ひと搾り”で手に入ってしまうとはなんとも泣けてくるのである』


 「ひと搾りとか言うな。それにいくらでもは無理だろ」


 『して、対とする卵は手に入るのであるか?』


 「それは……犬とか猫のじゃだめなのか?」


 『それでも可能である。しかしそれを使ってできるのは犬とか猫みたいなものである。とは言えユウトと犬猫では“ほぼ”不可能、成否は運次第と言ったところであるな。それはつまりできなくもない、ということにもなるがしかし、ユウトが欲するのはヒトの形をしたものだろう? それならば、おぬしと共にいたおなごらに提供してもらえばいいのである。その方が成功率も高く望んだ結果に近いはずである。』


 なるほどな、では早速……とはいかないだろう。

 「あっ、おはよう! ちょっと卵子ちょうだい!」とか言ったら良くて半殺しなんじゃなかろうか? それに俺のだって“直接取り出したもの”の方がいいらしいし想像するだけでも縮み上がる。直接が好ましい理由は、そうでない場合はすでに劣化が始まっているためらしい。


 『むずかしいのであるな、ヒトとは。おぬしが“そういったこと”をする機会があるならばそれによってできた胚をこっそり採取すれば良いのであるが……それも不可能か。ではそうであるな……』


 妥協案として出されたのが血液だった。なんだそれなら……それもなかなか勇気がいるな。献血した事ないし、血が抜けていく感覚っていうのが想像できない。聞く話によれば“癖になる”ってこともあるらしいけど。


 『血であれば簡単であろう? 「ちょいとそこなおなご、我輩に血をくれまいか?」で完璧である。ただしそれによって造られたものは精卵によるものよりも存在力が小さくいくらか劣るのである。さらに成功率は低いが、試行回数は血液の方が多く持てるからして問題はないのである』


 「それのどこが簡単なんだ?」


 『我輩は簡単であったが……住人たちも快く提供してくれたぞ?』


 「それはベータが一応“神”だったからだろ。ってか住人たちって……そういうことすんの?」


 想像してしまう。あの見目麗しいエルフタイプの男女が艶かしく組んず解れつなのだ。実にけしからんなぁ。


 『そういうこととは、生殖活動のことであるか? するのである。しかしやつらの寿命の制限を忘れていた事に加え種の保存を脅かす危機がない環境であったがゆえ、頼まない限りなかなか事に及ばないのである。一度及べば快楽に溺れることもあるのであるが……すぐに飽きてしまうようである。情操教育とまではいかぬが、せめてもっと情欲を刺激するように仕向けるべきであったと後悔しているのである』


ーー 情操教育であればワタシがほどよくしているところですが。問題ありますか? ーー


 『そうであるか。我輩の手は離れているのであるがゆえ文句は言わないであるが、あまり一気に進めてしまうのはおすすめしないのである。何事もほどほどが一番故に』


ーー 覚えておきましょう ーー


 エテメン・アンキはやはりベータの壮大な実験場だったということか。人類であれば非人道的だのと言われるだろうが、その枠と同じと考えるのがそもそもの間違いだろう。

 しかし俺は人間なわけで、ある意味ベータと同じことをしようとしているのは……


 「俺、すごくひどいやつなんじゃないか?」


ーー いえ、そんなことはございませんが ーー


 『非道い? どこがであるか?』


 「聞くやつ間違ったわ」


 近頃感じていた自分に対する違和感、エアリスやベータといった変なやつらを許容した事が影響しているのか他の人たちと違うように感じるというか、そういうものがあった。いや、以前はなかったかと言えば嘘になる。どこかでこういった感覚は人を孤独にするなんて聞いた事があるけど、幸い孤独感はほとんど感じる事がないな。みんなのおかげなんだろう……俺は恵まれている。


 ふと、ベータがやったようにエテメン・アンキの住人たちに協力してもらえば……と思ったが、結局のところそれをしようとしているのは俺という人間であって、人道という言葉とはかけ離れているだろう。だからどちらにせよあまり違いがあるようには思えなかった。



 『ちなみにであるが、単一種の胚であれば純粋なものができるのである。近縁種を混ぜることで突然変異が起きその結果存在力が増す場合があるのである。思い描く魔王という存在を忠実に再現するのであれば、ユウトと住人を混ぜることをおすすめするのである』


 「混ぜる? そもそも混ぜれるものなのか?」


 『可能である。でなければ住人たちは生まれなかったのである』


ーー ふむふむ。単一のものから枝分かれしたものをまた一つにまとめた結果があの住人たちですか。しかし人型とはいえまるで違う種に思えるものもいますが? ーー


 『それはそれで“進化の結果”なのである』


ーー なるほど、理解しました ーー


 「なるほど、わからん」


 ベータが話せる必要なことだけを聞き終えた俺とエアリスはどうしようかと悩んでいた。倫理観というものを以前ほど重要に感じていない自分を不思議に思うが、それについてはエアリスのせいということにしておく。



ーー で、では、せっかくの機会ですので、勇気を振り絞って香織様と事に及ぶと言うのはいかがでしょうか!? ーー


 「いやぁ、付き合ってもいないのに……それはちょっと……。それに嫌われたらどうすんだよ」


ーー 突き合うだけであれば……一回だけ! 先っぽだけ! と言えば大丈夫なのではないのですか!? 以前見た漫画にそのようなシーンが ーー


 「それはいろいろとダメだ」


 よくよく聞けば“賢者の石”を造ろうとしている俺やエアリスは“愚者”と言える気がする。俺がそれに関して割とドライに考えてしまってはいるが、普通なら禁忌として忌避されてもおかしくないことだろう。だってクローンがどうのという話だけでもそれなのだから。そんな事を平気な顔でやろうというんだから、知られてしまえば世紀のマッドサイエンティスト的な扱いをされるに違いない。ログハウスのみんなにだって、すすんで言おうとは思わないな。


ーー この場合は精気の、もしくは性器のマッドサイエンティストですね ーー


 (ちょっと黙っててくれ)


ーー あっはい ーー


 『ユウトは何を気にしているのであるか?』


 「人には倫理観とか道徳観とか、そういうものがあるし必要だったりするんだよ、たぶん」


 『そんなものは早めに捨ててしまった方が楽になれるのであるが……そうもいかないのであろうな。しかし住人たちであればそんなものを抱く必要も気にする必要もないのである。なにせ我輩の被造物なのであるからして。なんならモンスターとの交配も、その機能さえ有していれば可能なはずである』


 ベータはそういうが、どうしても人として見てしまう。とは言えやはり一番波風立たないのは……


 「結局のところ住人たちに協力してもらうのがいいのかな」


 あとはできるだけ誰にも知られない方が良さそうだ。


 『それがいいのである。あれらは今の人類よりも世代だけは重ねているのであるからして、おそらくエッセンスの影響による進化を遂げたユウトの精とも馴染むのである』


ーー なるほど。それはつまり、あの者たちであればご主人様と子作りも可能、と ーー


 『おそらく。旧世代であれば不可能だったかもしれん、しかして新世代の今ならば可能なはずである。ちなみに旧世代となった者は処分しているので今存在しているのは皆新世代である。安心して好きなのを選ぶといいのである』


 「ってか処分とか簡単に言うのかよ」


 『無駄に長生きなのであるからして仕方ないのである。それに実際は再利用であるからして無駄にはなっていないのである』


 「再利用ってのもいろいろ思うところはあるけど……まぁいい。あと人類よりも世代を重ねてるって、そんなに昔からあるのか?」


 『あの施設自体はダンジョンができてから、時間の流れを早めることを主目的として作られたものである。あの施設を使い始める以前から秘密裏にヒトを調べてはいたのであるが……それは今は不要なことであるな、記憶も曖昧であるし。ということで最も進化した人類、“超越種”として独立した状態であるユウトと我輩の研究成果で子作りするのである』


 子作りする気はないんだが。賢者の石の材料を採取させてもらうだけだろうに。いや、そもそもできる可能性がないと賢者の石の材料にならないってことだったか? ってかあれ? “超越種”? それって人間じゃないの? もしかして俺って——


 「普通の人との間に子供ができない!?」


ーー 可能性はゼロではありませんが、ほぼ不可能でしょう、と以前そのようなことを申し上げたかと。クイズ形式で ーー


 エテメン・アンキ攻略の際、そんな一幕があった。その時俺は答えがわからずにいたが、他のみんなはわかってたんだろうな……。哀れなものに向けるような目で見られた気がするし。


 「あ、あれはそういうことだったのか……」


 『ユウトは案外おバカなのであるか?』


 無言でベータ(銀刀)を殴るとカタカタと音を鳴らしていた。


 『ど、どうして我輩がヒトであるユウトに根源的な恐怖を感じているのであろう?』


ーー ご主人様は存在の“格”がヒトの枠を超越していますからね。ベータの反応を見るに、ギリシャ文字シリーズと同等、少なくとも近付いているのでは? ーー


 『ギリシャ文字シリーズ?』


 「ベータとかを総称してそう呼んでるけど、違うのか?」


 『我輩たちは……そうであった、純粋なる者、“アグノス”である』


 「アグノス?」


ーー アグノス…… ーー


 「エアリスも似たようなものっぽいけど、アグノスなのか?」


 『半分はそのような気配があるのであるが、あとはわからないのである。そんなことより早く実験をするのである。楽しみで夜しか眠れなそうな気分なのである! もしかすると病気かもしれないのである!』


 「うん、普通だな。むしろ健康だと思うぞ。その思考回路は病気かもしれないけどな」


 とりあえずエテメン・アンキの住人に協力してもらう必要がありそうだ。そう思いエテメン・アンキへ転移……と思ったら突然部屋のドアが開け放たれた。


 「お兄さん、話は聞かせてもらったっすよ!」


 「あっ……そういえば索敵切ってたか」


ーー 気付きませんでしたね ーー


 「なんだかおもしろそうなことしてるみたいっすね?」


 杏奈の様子からほぼほぼ聞かれていたのではないかと思う。普通に声に出して話をしていたのはさすがに無警戒すぎたかもしれない。


 「それで、あたしも一枚噛んでいいっすか? というかひと突きでもふた突きでもしてくれていいっすよ? なんなら最後まで……一本いっとく感じでどうっすか? あっ、一本いっとくのはあたしの方っすね! あはは!」


 とりあえず人差し指と中指の間に親指を出し入れしながら詰め寄ってくる杏奈を止めようとは思うがそれにはある程度ちゃんと説明する必要があるだろう。できれば知られたくないし、巻き込まない方が良いように思うのだが仕方ない。とはいえ口の軽そうな杏奈は秘密にできるのだろうか不安だ。しかし『共犯しちゃいましょうよ』という杏奈の発言に、揺らいでいた俺の心はというと……。


 みんなにはできれば言わないようにお願いし、最低限の事だけを話した。

 法律の及ぶところではないから罪を犯しているわけではないが、とは言え不安はある。そんなときに『共犯』という言葉は甘い誘惑のようなもので、共犯者を得るというのは心強く感じてしまうものなのだと実感した。

 エアリスが『さすがログハウスの小悪魔ですね』と言っていたが、妙に納得してしまった。


 「なるほど〜。そういうことっすか。それにしてもお兄さん、倫理観ゼロっすね」


 「うっ……」


 なんだろう、敗北感。いつもは一番ふざけた態度や言動の多い杏奈が、とてもまともな人に見える。


 「まあでも……今更っすからね。聞いちゃった以上放っておくわけにもいかないっすから、あたしも協力するっすよ! ただし……ヤりすぎはだめっすよ?」


 「なんか卑猥にきこえるんだけど」


 「んっふふ〜。そのつもりっすからね!」


 そう言うなり服のボタンを外し始める杏奈。それを止め無理矢理エテメン・アンキに転移した。



 7階の居住区に行くと住人たちに囲まれた。

 まるでエルフ、まるでドワーフ、まるで獣人、いろいろであり性別も……ここにいない人たちもいるだろうが、今現在集まってるのは半々くらいだ。

 エルフっぽい人たちは髪も肌も全体的に色素が薄い印象で、瞳の色は緑や似た系統が多い。

 ドワーフっぽい人たちは赤や茶といった赤系統の髪や髭に健康的な肌の色をしていて、瞳はみんな茶色だった。

 獣人っぽい人たち、彼らは地上にもいるような動物を連想させる顔をしている者や、耳だけ、尻尾があるだけ等々バリエーションが最も豊富に思える。ベータによれば極少数ではあるが竜人と言えるような者もいるらしいが、今この場にはいない。

 みんな同じ服、というかワンピースのような、布袋から頭と手足を突き出したようなものを全員が着ている。しかしどこにも継ぎ目や縫い目といったものが見当たらない。


 「衣服と食事は生命維持システムによって自動生成されるものなのである。しかし住居を自分たちで作れるようになっていたとは知らなかったのである。おそらくダンジョンに蓄えられた知識の中から必要なものだけをエテメン・アンキのダンジョンコアが選別して与えたものであろうな」


 「ダンジョンコアが?」


 『そうなのである。コアは我らアグノスの下位互換程度の知能はあるのである。自我は、我輩の知る限り存在していないのであるからして、それも以前の吾輩が設定した“ぷろぐらむ”の一部なのであろう』


 「そうだったのか。エアリスが何も言わないしフェリも教えてくれなかったな」


ーー 不要な情報と判断しましたので ーー


 住人たちの暮らしを聞くとあんまり、というか全く楽しそうに思えない。ダンジョンの様子を各々の家の壁にテレビ画面のように映し出されるものを眺めたり、エテメン・アンキ内の様子を眺めたり。または雑学や言語の勉強だそうだ。そしてそれも制限されたものであり、“外”に関しての過剰な知識を与えないよう調整されているからなのだろう。


 「ミカゲユウト様ですね?」


 「あ、あぁ、そうだけど」


 「ミカゲユウト様は、ヒトなのですよね?」


 「そうだけど……」


 「きゃっ! お話しちゃった!」


 エルフっぽい女性の一人がそう言ってはしゃいでいる。それに続いて次々と話しかけてきたり体を触ってきたりしてその都度男女問わずはしゃぐ。わけがわからない。

 杏奈を見ると同じように話しかけられていたが、体を触ろうとした男を殴り飛ばしていた。その男は見事な放物線を描いて墜落したが、平然と起き上がる。なかなか頑丈らしい。


 「綺麗な放物線だったけど、大丈夫なのかあれ」


 『心配ないのである。仮にも“賢者の石”による器であるからして。とはいえこれからユウトが造ろうとしているモノはそれ以上のモノができると思うのであるが』


 「そうなのか。それにしても過剰なスキンシップだなぁ」


 『この者たちは暇であるからして。ユウトよ、気を悪くしないでくれると助かるのである』


 「いや、まぁこのくらいなら」


 『気に入ったのであればそのままこの場で事に及んでもいいのではと思ったり思わなかったりなのである』


 「それは遠慮しとくよ」


 そういえば寿命がほぼ無限に近いとか言ってたもんな。娯楽という娯楽が見当たらないし、死ぬほど暇なのは確かだろう。俺なら本当に死にそうだ。

 そんなところに、いつもは通り過ぎていくだけの人間が近づいてきたのだから、好奇心が溢れちゃったのかもな。そうだ、近付いたのも初めてなんだよな。あ、いや、武器を売ってたドワーフっぽいのとは攻略時に話したか。でもあの時のドワーフっぽいのは日本語で話してたような……もしかしたらエアリスが翻訳してたのか? わからないが、まぁいいだろう。


 「本日はどのようなご用件なのですか? あっ、私、ニホンゴというものを学ぶことをエアリス様より許可されましてがんばって覚えたのですが、お聞き苦しくはありませんでしょうか?」


 エルフっぽい女性の話す言葉はてっきりエアリスが翻訳しているものかと思えば、実際に日本語を話しているらしかった。聞き苦しいどころかとても上手だということを伝えると、またきゃっきゃとはしゃいでいた。

 日本語を覚えるのが早いように思ったが、それはエテメン・アンキ内部が加速可能であることで実は膨大な時間を費やした結果なのかもしれない。


 「それにしてもみんな若く見えるな」


 『ヒトで言えば二十歳前後くらいで見た目の変化が止まるのである』


 「マジか。不老長寿ってやつか」


ーー その存在をヒトに知られるのはあまりよくないのかもしれませんね ーー


 「そうだなぁ。観光地計画はだめか」


 『何か不都合があるのであるか?』


ーー ヒトの中には不老長寿、不老不死というものが至上と考える者がいる、むしろ多くいるのですよ。ですからこの事を知られるというのはトラブルを招くに充分すぎる理由となります ーー


 『そうなのであるか。我輩、そういうのって“いんたーねっと”の中だけの話だと思っていたのである』


 「まぁ俺たちにとってはダンジョンもだけどここの住人も漫画やゲームの中だけの話だと思ってたけどな」


 『ではこれは、異文化交流であるな! 双方、仲良く交流するのである』


 「文化どころの話じゃないけどな」


 先ほどまでは住人たちに詰め寄られていた杏奈だったが、もう逆転しているようだ。エルフっぽい女性の胸を揉んだり獣人っぽい女性の胸を揉んだりしている。というか揉みまくっている。それを見ているとなかなか大きさや形にばらつきがあり個性を感じる……などと思っているとこちらに気付いた杏奈がにやりとしたので、胸の形や大きさは忘れてさっさと用件を済ませようと思う。


 「いきなりで悪いんだけど、頼みたいことがあって……」


 「ミカゲユウト様が頼みたいことですか? それはもしや、“アンナ・チャン様”がおっしゃっていた……私たちの“卵”のことでしょうか?」


 杏奈から胸を揉まれていた女性がこちらに来ており、上気した様子で話している。詰め寄られて狼狽えていた俺とは違い、実はしっかりと用件を伝え終わっていた共犯者が今は頼もしく思えた。


 「というか血でいいんだけど……ってか“杏奈ちゃん様”ってなに?」


 「アンナ・チャン様がご自分のことを、『アンナ・チャンって呼んで』とおっしゃっていましたので……何か不都合がありますでしょうか」


 「不都合っていうか……それは“杏奈ちゃん”って呼んでってことで、『ちゃん』は『様』みたいなもんだよ」


 「『ちゃん』は『様』よりも敬称として上位なのですか?」


 「そうではないと思うけど。普通に杏奈ちゃんって呼べばいいと思うよ」


 「そんなことはできません。ミカゲユウト様とアンナ・チャン様は私たちに刺激を与えてくださった大大大恩人様なのですからっ!」


 「律儀というかなんというか……まぁ暇すぎたんだろうから仕方ないのかもしれないけど、よくわかんないな。エアリス、ちゃんとそういうとこ教えとけよな? 頼むから。あとできれば多少でも俺たちに近い価値観とかもな」


ーー 面倒ですが後ほど教えておきます ーー


 「それであの……ミカゲユウト様? 体外に致しますか? 採取したものを注入いたしますか? それとも、ちょ・く・せ・つ?」


 なんだその聞き方は、と思っていたらどうやらこれはベータが教えたらしい。こいつ大概だなと思いベータ(銀刀)を殴っておいた。

 そして三択を聞いてきたエルフっぽい女性に対しての答えは……


 「いいえ、血を少しわけてください」



 血液を提供してくれる住人は誰がいいか。ベータによれば先ほどのエルフっぽい女性が“良い頃合い”らしいのでその女性に頼むことにした。

 準備をしていると少し不満そうに杏奈が話しかけてくる。


 「やっぱりお兄さんとあたしじゃだめなんすかね?」


 『ダメではないのであるが……おそらくユウトの要素が強すぎてうまく溶け合うまでに何度も挑戦する必要があるのである。身体中の血がなくなる覚悟があるならば止めないのであるが』


 「そうなんすねー、残念っす。あっ、でもあたしもお兄さんみたいに進化? したら問題ないってことっすか?」


 「それならばおそらく問題ないのである。しかしユウトは原型をとどめている様子であるからして、相手もそれなりに原型をとどめている必要はあるかもしれないのである。エッセンスの影響による進化は、ユウトが“超越種”と言えるモノに変化していることで分かる通り、種自体を別のものへと変えてしまう可能性があるのであるからして」


 「じゃあお兄さんの妹分的なかわいい杏奈ちゃんのまま進化したら……絶対襲うっす。ってかお兄さん、ほんとに人間辞めてたんすね……まっ、それはいいとしてどうしたら進化ってできるんすか?」


 『それは知らないのである。というかユウトがいるのであるからして本人に聞けばいいのである』


 「俺もよく知らないんだが」


 「ぬぬぬ……じゃあいつかそのうちきっと気合で進化するっす! そしたらお兄さん、覚悟するっすよ〜?」


 そう言った杏奈の目がなんだか座っているように見えた俺は、逸らした目を協力してもらうエルフっぽい女性に向けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る