第138話 天使もあばば


 「く、くそぉ……一体なんなんだ、あのエテメン・アンキというのは」


 「ゴブリンとかオークとか、ゲームかっつーの」


 「必死だったので数える余裕がなかったのですが、何匹いたのでしょうか?」


 遠距離班の一人がリーダーに質問すると、軍服のようなものを着たお団子ヘアーの女性がそれに答える。


 「百。圧倒的な数だけど、それぞれが強いわけじゃない。でも2階、あれは無理。少なくとも今は」


 幼さを残す顔をした女性の言葉にメンバーたちは無言で項垂れる。まるで2階での敗北を思い出したかのように。


 大陸の国から来た20名は無断でエテメン・アンキへと侵入し、週に一度開催する予定と聞いたエテメン・アンキの占有権を得るチャンス、攻城戦へ向けて最上階までの情報を得るつもりでいた。しかし結果は惨敗、全員死亡でエテメン・アンキ外へと強制排出されそのまま滞在している陣へと戻っていた。1階は前衛のアクリルシールドを持った者たちがゴブリンと二足歩行をするネズミのようなモンスターを抑えタイミングを合わせて少し退く、そこへ銃火器やボウガンといった遠距離武器で仕留める戦法でなんとかなった。しかし2階は馬面のモンスター、巨体を誇るメズキに碌なダメージを与える事すらできずに敗北した。


 「1階はボロ切れを着ているだけで、これといって武器も持っていない奴らが相手でしたからね。2階のやつらは剣と鎧で武装したゴブリン軍団、そしてあの馬面が五体……」


 「あれらを使役しているというクラン・ログハウス、油断ならない」


 「とはいっても所詮俺たちと同じ人間でしょう? リーダーみたいに“超越者”の称号持ちがいたとしても、クラン・ログハウスに所属してる人数はたかが知れていたはず」


 「それでも油断だめ、ゼッタイ。少なくとも中核になってる人は私よりも強い可能性が高い。作戦決行の日には援軍と追加物資が届く、それでも油断はしない方がいい」


 「ヘイヘイ、リーダーがそこまでいうなら警戒はしておきますとも」


 リーダーの女性は現在20層にいる大陸の国の人間の中で、悠人と同じ“超越者”の称号を持つ唯一の存在だ。日本ではそれができないが、彼女たちは腕輪から能力と称号を知ることができた。

 彼女は日々の食事にも苦労する貧しい村出身で、ダンジョンができた際に村の男手に混じってそこへと潜っていった。しかし帰って来たのは彼女一人、村のダンジョンに向かった者たちは彼女だけは地上に帰すことに成功したのだった。

 それから数日、彼女の村に政府の人間がやってくる。そして彼女は家族が、男手のほとんどを失った村が餓えなくともいいように援助をしてもらうことを条件に、役人に連れて行かれた。

 ダンジョンの中で食べた肉、一緒に潜った者たちの犠牲のおかげでなんとか地上へと帰ってから食べた腐りかけの肉、その味が今でも忘れられずにいた。

 今頃、村のみんなはどうしているだろうか。少なくともダンジョンで結果を出せば悪いようにはされないだろう。だからこそ日本が手中に収めたというエテメン・アンキを制圧し、そこを足掛かりにダンジョンを実効支配することが彼女の目的であり、彼女に下された命令だった。その命令を遂行するためには近く開催される攻城戦というイベントで誰よりも先に最上階へ到達する必要がある。今回の偵察はそのための布石のはずだった。


 「偵察失敗だよねー……でもあんなの無理だよぉ…。馬みたいなのは殴ってもあまり痛がってなかったし。はぁー、また行けって言われるんだよねー、どうしよう」


 つい放ってしまった弱音を誰にも聞かれていないことを確認し、安堵のため息をついた。


 普段は最年少でありながら部隊長として凛々しい自分を演じてはいるが、その難易度の高さに部隊長の仮面が剥がれてしまった。



 一方そのころ北の国陣営は酒を飲んでいた。リーダーであるアレクセイ・ザドルノフに一人の男が声をかける。


 「アレクセイ、飲んでるか?」


 「あぁ……飲んでるぞ」


 「どうした? 女のことでも考えてんのか?」


 「いや、女ではないな」


 「ま、マジかよ……我らがリーダーのアレクセイにそういう趣味があったとは」


 「なにか勘違いをしていないか?」


 アレクセイは鋭く睨め付ける。軽口を叩いた男は焦ったように先の言葉を翻し、一転して真面目な声音で本音を言う。


 「冗談だよ冗談。あれだろ? ペルソナだろ?」


 「そうだ。彼を見てどう思った?」


 「んー、どうって言われてもな。普通じゃないのは確かだよな」


 「そうだな。間違いではないのだろう。しかしまさか要人たちが言っていた日本の守護神、ペルソナが我々を助けてくれるとはな」


 「ハッハッハ、たしかにな。日本人しか助けないのかと思ってたが、どうやら相当なお人好しらしい」


 「彼には感謝しなければならないのだろうな。そうだ、マグナカフェの軍曹殿が言っていたことを覚えているか?」


 質問を反芻した男はまたも雰囲気を軽くした。アレクセイは忙しいやつだと嘆息するが、自らを含めオンとオフの切り替えが得意な者だけで構成されたこの部隊では日常茶飯事、気にするほどの事ではなかった。


 「あ〜、覚えてねーな。なんか言ってたっけ?」


 「21層へ悪心を持って踏み入れば超常の存在に粛清される、と」


 「21? 新しく発見されたところが21に訂正されたんだろ?」


 「そうだったな、ではなんと呼べばいいか。とにかく旧21層、その階層にはクラン・ログハウスの本拠地があるという」


 「聞いたことがある。たしかやつら、ダンジョンの木を使ってログハウスを建てたんだったか。ダンジョンの木って地上のよりも硬いのにそれを伐採して家を建てるなんざ、よくやるよな。それにモンスターの格好の的に思えるし」


 「それでだ、おそらくその超常の存在というのがペルソナではないか」


 「は? ただの人間だろ?」


 「だがあの粘体を退かせたのはペルソナだ。対価が我々の護衛対象であったが……。それにログハウスを建てそれを維持しているのは紛れもない事実だろう」


 「あ〜、だなー。詳しくは知らないが、あのミサイルって作戦に必要なものだったんだろう? 俺たちの処分がなにもなかったのは運が良かったな」


 「厳罰を覚悟していたが、定時報告で聞いた話によるとペルソナ名義で北の国軍司令部上位陣たちの端末にメッセージが送られていたらしい。『貴国の持ち込んだ物をダンジョンは歓迎しなかった。繰り返された場合ダンジョンは持ち込んだ者にも容赦しない可能性があり推奨しない』と」


 「イタズラってことはないのか? アドレスは?」


 「イタズラかどうかはわからないが、アドレスの隠蔽は完璧だったらしい。近くの基地局から届いたということ以外の記録が皆無だと」


 「は? はは……なんだよそれ。天才ハッカーでも雇ってるのか? それか偶然……どこぞのハッカー集団がタイミングよくマグレで送信したとしても、そんなこと……」


 「ありえないことだろう?」


 「見た目が悪魔な上にサイバーの天才ってことかよ」


 「彼一人でやっているとは限らないがな。それに彼の強さも我々の比ではないだろう。おそらく我らの英雄殿でなければ物差しにすらならないかもしれん」


 「我らが部隊長をしてそこまで評価が高いのか? バケモノの英雄殿が物差しなんて、いよいよ本物のバケモノだな。人類やめてんだろそれ」


 「あまりそんなふうに悪口を言うと、我らの恩人がどこかで聞いているかもしれないぞ? それに“あの子”の悪口を私の前でするとは良い度胸だな?」


 「え!? わ、悪気はないんだ、この程度、許してもらえる……よな?」


 「ハハハッ、冗談だ。それにまさか聞いてるはずないだろう? ……まさか、な」


 「ああ、そうさ。それに実際助けてくれたんだ、きっと良いやつに違いないさ」


 二人は冗談を言いつつ自分たちを助けてくれた恩人へと思いを馳せた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


ーー ええ、聴こえていますとも。まあそれをあなた達が知る事はありませんが ーー


 「なんかい言ったか?」


ーー いえいえ、こちらの話です。ちょっと盗聴していたのです ーー


 「まったくぅ、エアリスは趣味がわるいなー。で? どこの誰を?」


ーー 大陸の国と北の国の者たちを。大陸の国はエテメン・アンキでの惨敗にがっくりと肩を落としている様子です。北の国は、先日あんなことがあったというのに宴会中でした。そのリーダーはペルソナをずいぶん高く買っているようです ーー


 「ほー。大陸の国は残念だったな。拳法使いの女の子、あの子くらいじゃないか、まともに戦えそうなの」


ーー はい。徒手空拳に加え三節棍(さんせつこん)の使い手でしたね。どちらも最近覚えたばかりのような稚拙さはありましたが、さすがは超越者といったところでしょうか ーー


 「え? 超越者なの? あの女の子が?」


ーー 自身で言っていますし仲間たちも知っている様子でした。そしてリーダーでもあるようです。しかし指揮を取れるような知識はないようです。2階で指揮能力の高い者が指揮していればもうすこしマシな結果になったと思われます ーー


 「ふむ。かわいい上にそれなりに強いんだ、指揮能力がないくらいのこと、天に二物を与えられてると考えれば充分だろ。しかし自分が超越者だってことがわかるんだな。日本はわかんないっぽいのに」


ーー そして北の国ですが、やはりアレクセイ・ザドルノフ以上の者が存在するようです。そして両国共になにやら作戦があるようですし、その時には居るかと ーー


 「作戦ねぇ……。領土がほしくてたまらない二国が作戦っていうと、嫌な予感しかしないなぁ。ってか自分の称号とかなんでわかるんだ? そういう能力か?」


ーー 機会がなくお伝えしていませんでしたが、正月のダンジョン統合の際、日本でもそういった変化があったようです。しかし同じ機能が追加されたというよりも機能が追加された者がいるといった程度、その内容もまちまちのようです ーー


 海外のダンジョンでは日本よりも先にそういった変化があった地域もあるかも知れないとエアリスは続けた。ダンジョンの数が世界一の日本だが、機能追加は海外の方が早い可能性があると推測しているようだった。それにしても“機能の追加”なんていうとコンピュータかゲームの話みたいに思えてくる。エアリスがそういう言い方をするのは俺が元になっている事が原因だろうし、もしかすると現実味を持たせないようにしてくれてるのかもな。じゃないとダンジョンを楽しむなんて事、できなくなってもおかしくはない。

 能力や称号について、俺たちの場合はエアリスがそれらをすることができたため気付かなかったが、日本の探検者の中には最近になってわかるようになったと気付いている者も少なからずいるんだろう。ダンジョン腕輪を通して自らの能力やステータスのようなものを把握できると気付いた事で20層到達者が急激に増えているのかも知れない。



 ログハウスの自室にて喫茶・ゆーとぴあに増設するかもしれない分の部屋を作り終え、背もたれのようにしているチビに体重をかける。隣では香織が鬼ごっこをするゲーム、デモハイをしており、他の部屋で一緒にプレイしている悠里、杏奈、さくら、フェリシアを追いかけ回していた。俺なら香織という鬼に追われて逃げられる気はしないが、みんなは上手く連携し、香織鬼に順番に嫌がらせをすることでヘイトコントロールを図っている。


 「香織ちゃんもうまいけど、みんなもうまいもんだなぁ」


 「そんなことないですよ〜。ところで悠人さん、かわいいって、誰のことです? まさかあの軍服みたいな服を着たお団子の……」


 そういえば気にしていなかったが、声に出してエアリスと話していたようだ。今じゃログハウスは俺の家っていう意識が強いからか、油断しまくりなんだよなぁ。それにしても女の子って、他の女の子の話が出るのは気に入らないものなんだろうか。いやまぁ付き合ってる相手がそんな事を言い出したならわかるけど……ってかよく一緒にいるからって、付き合ってる想像しちゃうとかバレるのもまずいよな。俺はここでは無性別扱いな気がするし、俺が変に意識してるみたいに思われたら良い気はしないよな。


 「えーっと……あの、そう、お団子ヘアーってかわいいなって、髪型が。あくまでお団子がね?」


 「ふ〜ん、そうなんですか」


 無性別なら堂々としていれば良いと思うんだが、どうしてかわからないが言い訳のように答えてしまった。香織のかわいらしい顔が少しムスっとしているのもかわいいのだが、どうしてか背後に般若を幻視してしまうんだよなぁ。などと思っていると香織は部屋を出て行ってしまった。


ーー ムスっとしていてもかわいいね、とでも言えばチョロい香織様に言い訳をする必要すらないかと思いますが ーー


 (まさかそんなわけ)


ーー いい加減吊り橋効果などというものはすでにないのでは? 永続・消去不可とでもなっていない限り。それでいて好意を寄せられているのでは? ーー


 (俺が無性別扱いだから普通にフレンドリー説)


ーー ご家族とご主人様以外の男性にそのような態度だったことは見たことがありませんが)


 (一度仲良くなれば割と平気説。あとやはり無性別説)


ーー はぁ。ヘタレなご主人様ですね。そう思い込みたいだけでは? ーー


 (うっせぃ。ってか大陸の国の人らは日本のお金持ってないのかな。うーん、そのままにしておくと後々面倒なことになりそう)


ーー 否定はしません ーー


 しばらくして戻って来た香織はニコニコとこちらを見る。俺もとりあえず香織を見る。しばらく見つめあったようになったのだが、香織は無言のままこちらに顔を向けていた。そして先ほどまでと違っている部分に気付く。


 「あっ! 髪型……」


 「あっ、気付いちゃいました? お団子ヘアーにしてみました」


 それまで髪型を自然なままにしていることがほとんどだった香織だが、お団子にしているのもなかなかかわいいと思った。うなじが見えているというのが新鮮でおだんごとの間で俺の視線が行き来する。


 「そ、そんなに見られたらはずかしいです」


 「ごめん、その……すごくいいと思う」


 「んふふ〜。それならよかったです」


 満足したような香織はまたデモハイを始めた。逃亡者を見つけた香織鬼は少し前のめりになって追う。するとチビに背を預けている俺からは香織のうなじが見え、生え際でぴょんと跳ねた髪がさらに俺の視線を虜にしていた。


 (うーむ。よきかなー)


ーー そうなのですか? ワタシもお団子にしましょうか? ーー


 (実際の髪がないだろう?)


ーー 誰がハゲですか。失礼なご主人様ですね ーー


 (冗談冗談。エアリスがそうしても見えないだろう?)


ーー それはそうですが夢の中であれば……そんなことよりご主人様、入場料を請求しましょう ーー


 (請求って大陸の国に? 無理じゃないか?)


ーー 少し脅せば問題なく取れるでしょう ーー


 (エアリスは相変わらず物騒な物言いをするなぁ。それに日本の通貨を持っているかどうか。それに支払う気がそもそも)


ーー それは確かに。彼の国の通貨価値は微妙ですので欲しいとは思いませんし。ではリーダーであるあのお団子少女にメッセージを送っておきましょう ーー


 (無理に取り立てるようなのはダメな。敵を増やすと面倒そうだし)


ーー わかっています ーー


 (ならいい。さて、そんじゃ明日の準備しよう)



 それからしばらく経ち、お団子ヘアーの女性が持つスマートフォンにメッセージが表示され、メッセージを見た女性は顔面蒼白となる。

 そのスマートフォンは個人利用はしておらず、上位者からの命令を受ける際と部隊内での、例え盗み見られたとしても差し障りのない連絡、もしくは暗号でしか使われない。しかも自分たち以外がいる場所ではそれを手に持つことすらしないため、その存在を知る者が極稀であろう。だというのに、画面にはエテメン・アンキの入場料の件、そして最後にペルソナという名前が表示されていた。


 「や、ヤバイかも……。ペルソナっていう名前聞いたことがあると思ったけど、これって確か最重要警戒対象の人だよね。っていうかあの塔って入場料必要だったの!? 初耳なんだけど……あんな場所に不法侵入って結構ヤバいんじゃない……?」


 「リーダー、ヤバイってどうかしたんですか?」


 「い、いえ、なんでもないのよ」


 「まさか女の子の日か? 体調が悪いなら見張りは任せて休んでても……へへっ…なんなら俺が介抱ぐぼぁ…」


 風と一体化したような、流れるような動きから繰り出された掌打によって軽口を叩いた男は白目を剥いた。彼女がこれほどまでに無駄のない動きで掌打したことがあっただろうか。否、無い。


 「ふんっ。そのまま目が覚めなければいいのよ。そんなことより……どうしよ、日本のお金持ってないよ」


 少し思案し、日本のお金を調達するために明日マグナカフェへ行ってみることにするのだった。


 「上層部からは日本人は怖いって聞いてたけど、自衛隊の人たちは案外良い人そうだったし、マグナカフェのあのおじさんなら相談くらい乗ってくれるよね。あっ、でもペルソナも日本人なんだっけ? ……でもそっちは絶対怖いよね」


 独言ながら改めてスマホの画面を見る。そこにはこう表示されていた。


 『拝啓 大陸の国の皆様へ

 地上では春の陽気に誘われ早めの羽化をする蝶が見受けられるようになった昨今、皆様も殻を破り二十層へと到達なされたこと、誠に喜ばしく思います。

 さて、先日はエテメン・アンキをご利用いただき誠にありがとうございます。しかしながら入場料をいただいておりませんのでよろしければ支払いをお願いしたく存じます。初めての場所に知らず知らず迷い込んでしまった可能性、そして日本の探検者カードをお持ちではないであろう事を鑑み今回無断入場を咎めるつもりはありません。とはいえお支払いいただけない場合、これからの関係において相応の対応をせざるを得ないと当方では考えております。つきましてはマグナカフェを仲介としていただけますようお願い申し上げます。

 これからの皆様の発展、繁栄を心よりお祈り申し上げます。 敬具』


 「迷い込んだ蝶に相応の対応って、容赦なく捻り潰すとかそういう!? お、鬼か……ここには鬼がおるのか……都会って怖い……」


 ここはダンジョンなので都会ではない。しかしダンジョンの中では都会と言えるのかもしれない。どちらにしてもすぐに対処しなければならないと彼女は焦り、なんとかしなければならないと考えた。あの馬面がエテメン・アンキから自分たちを殺しに来る様を思い浮かべながら。



 次の日、悠人は香織と杏奈、そしてチビ、さらに気まぐれで玖内を連れ神殿層にやってきた。

 当初の予定では玖内はいなかったが、玖内にとって大学三年の三月というのは暇らしい。大抵の場合就職活動以外にはゼミやサークルの活動、資格の勉強に場合によってはアルバイトなどがあるが、玖内はすでにクラン・ログハウスの一員になることが内定している。そしてゼミには参加しておらず、サークル活動は他のメンバーがアルバイトに精を出しているため休業状態だ。要は暇なのである。そんな玖内から連絡を受け誘ってみることにしたのだった。

 前回は様子見を兼ねて神殿の周囲と内部を少し見てまわっただけだったが、今回の目標は軍曹たちが引き返してきたという巨大な扉、その先だ。



 「お久しぶりです、御影さん。それに三浦さんと坂口さんも。チビくんも久しぶりだね〜。あれ? なんか大きくなりすぎじゃないかな?」


 「久しぶり。急に連絡来たから驚いたよ」


 「あはは……すみません。かくかくしかじかで……」


 玖内はあれこれと言い訳をするが、時間を持て余しているらしい事はわかった。


 「暇だったんだな。それならもっと早く連絡くれれば面白いもの見れたのに」


 「面白いものですか?」


 「北の国から来た人がダンジョンのヤバいやつに襲撃されたり大陸の国から来た人たちの奮闘虚しくフルボッコとか」


 各々軽く挨拶を済ませると俺は玖内の腕輪に触れる。エアリスにより玖内は強制的に換装され、黒ずくめの服装になった。顔の下半分が隠れるフェイスガードもしており、その姿は切れ長の目も相まって暗殺者を連想させるのだが、実際いろいろな国のいろいろな暗殺者が映画等で使うような暗器が仕込まれている。もちろんそれはエアリスの趣味だ。


 「以前俺がしてた格好、ってかペルソナに似てるよな」


 「厨二チックすぎてちょっと抵抗がありますけど、ペルソナさんと一緒と考えると滾ってきますね!」


 そういえば玖内は俺がペルソナだということをまだ知らないんだった。面倒なので説明はしないが、まぁ知られて困ることではない、と思う。


ーー ペルソナに少なからず憧れを持つ玖内様に正体を明かすのが楽しみですね ーー


 (俺はがっかりされないか不安しかないよ。まぁわざわざ言わなくてもいいだろう)


 エアリスの言葉にプレッシャーのようなものを感じてしまい、正体を明かすのは今じゃなくても良いかと考えを改めた。せっかく加入予定、というかほぼ加入しているようなものだが、正体を明かしてがっかりされてしまえば、良い人材に土壇場で逃げられるような事になりかねないからな。


 「そういえば御影さん、自分の能力がわかるようになった人がいるって知ってます?」


 「あぁ、そうらしいな。俺には必要ないから最近知ったばかりだ」


 「それで自分のを見て思ったんですけど、僕の能力って本当に【幻魔相剋】だったんですね」


 それは以前エアリスが干渉した際に決定してしまったからであって、本来ならば玖内の考えが反映されたはずだ。それについて少しだけ申し訳なさを感じ、とりあえず褒めておこうと思った。


 「なんかかっこいいよなぁ。意味不明なネーミングがめっちゃくすぐられる」


 「いや、まあ、はい。でもなんていうか……恥ずかしさが勝つというか」


 「わからんでもないけどね。まぁ他人に教えなければいいだけだって」


 「それもそうですね。ところでステータスの平均が八十くらいってどうなんでしょう?」


 ステータス。実際の身体能力とは別に、エッセンスが腕輪を仲介として肉体に馴染む事で実力を底上げする役割になっているものだ。エアリスによれば『ワタシが調整していない場合、基準を設定されていないためおそらく数値としては見る事ができません』と言っているが、もしかすると独自の基準を持っている人にはその人の基準で見る事ができるかもしれないと思っている。しかし玖内の場合はエアリスが決めた基準に従った数値であり、それはつまり俺やログハウスメンバーと比べる事ができる数値だ。それが平均八十というのは……かなり高いぞ。


 「え、そんなにあんの? すごく高いと思うぞ」


 「御影さんもそのくらいだったり?」


 「俺のは……エアリス、どうなんだ?」


ーー 現在の平均は大凡二百弱となっております。エテメン・アンキ攻略後からそれまで頭打ちだったのが嘘のように、ワタシが手を加えるまでもなく上昇傾向にあります ーー


 「空き缶を潰すお仕事が簡単な僕の倍以上……もはや人外ですね。と言うかこの声はエアリス様!」


 空き缶を潰すお仕事ってなんだよと思いつつも違う部分が気になった。


 「エアリス……様?」


 「御影さんはいつも聴けるんですよね、この声。いいなぁ」


 「ってか驚かないのか? 普通にエアリスの声が聴こえることに」


 「あっ……言われてみれば。でも講義中に喚び出されて送り返されたりしましたし、エアリス様ならそういうこともあるんでしょうね」


 どうやら玖内の適応能力は相当に高いらしい。それにしてもエアリス様とは。


 「この服すごいですね。服の中に武器がいろいろ入ってるんですね」


 「エアリスが忍者に凝ってた時期があって、その時に作っていた服なんだってさ。武器はミスリル製だし、服もミスリルで強化されてるから地上の普通の刃物じゃなかなか傷つかないと思うぞ」


 「エアリス様のご厚意、痛み入ります」


ーー そういうわけではありませんが。ただのリサイクルです ーー


 「それでもうれしいですエアリス様……。でもこんなにいろいろな武器、使えません」


ーー どうせマスターは着てくれませんし、それは差し上げますので武器の使い方をがんばって覚えてください。そしてせいぜいマスターのお役に立つのです ーー


 「はい! ありがとうございます! がんばります、エアリス様!」


 すっかりエアリス信者、正確にはエアリスの声信者な玖内はエアリスの声が聴けるだけでも嬉しそうだった。そういえば以前も、玖内はエアリスの声が俺が好きな声優の声を非常に高精度に真似たものであることを羨ましがっていた事を思い出した。せめて玖内が能力で召喚する巨大スライムが話せたらいいのになと思ったが、たしかいつもはスライムが出ている間、玖内は入れ替わるように姿が消えるんだったか。ただ透明になっているだけというわけでもなさそうだったし、スライムが話せても会話はできないのかもな。まぁそもそも、声がどういうものかっていう問題もあるんだが。

 すっかり話し込んでしまっていると、香織からそろそろ行かないかと言われ神殿内部を進むことにした。



 「ここが21層の神殿ですか。広いし天井高いですね〜。それに初めて見るモンスターですね」


 「あー、ライガービーストな。玖内は初めて見るのか。20層で時々見かけるんだけど、ここじゃ当たり前にいるみたいだな」


 「そういえば御影さん、20層すら碌に探索したことないんですが、大丈夫なんでしょうか?」


 「んー、大丈夫じゃね? 知らんけど」


 「は、はぁ」


 「ほら、ライガーちゃんが襲ってくるぞ。がんばれ玖内」


 「え、急にそんなっ! 【幻魔相剋】飲み込め! スライムぅぅ!」


 ライガービーストを相手にしても、メガタウロス相手に召喚したスライムは有利らしい。勢いよく飛びかかったライガービーストは巨大スライムにそのまま飛び込み、丸見えの状態で消化された。仕事を終えたスライムが空気に溶けるように消えると、【索敵】でも捉える事ができなくなっていた玖内が可視化される。


 「相変わらずそのスライムえぐいなー。しかもメガタウロスのときはわからなかったけど、召喚中は玖内がほんとにどこにいるかわからないんだな」


 「そうなんです。触れようとしても触れられないので、同時に攻撃とかはできないんですよね」


 「スライムだけで充分だろうけどな。ってかスライム以外はなんかないのか?」


 「……そういえばスライムが最強と思って育ったからか、他はほとんど出てきたことがないですね」


 相手に対して有利なものを召喚する【幻魔相剋】は、召喚対象を知ってさえいればその大きさや強さは召喚者である玖内に依存するようだ。相手に対して有利なものを知らなかった場合どうなるかというのは、これまでスライムが万能すぎたため不明らしい。


 「俺相手に召喚したら何が出てくるんだろうな? やっぱスライムかな?」


 「どうなんでしょうね」


 「試しにやってみてよ」


 「わかりました」


 試しに【幻魔相剋】を使ってもらったが何も召喚されなかった。玖内も不可視にならず、一見何も起こらなかったがエアリスによるとしっかりとエッセンスは消費されているらしい。


ーー おそらく……実力に差がありすぎる、有利を取れない等の場合は消費だけして不発に終わるのかと ーー


 「なるほどな。実際スライムが出ても蒸発させれば問題ないもんな」


 「スライムを蒸発って……そういえば御影さんには【ルクス・マグナ】がありましたね。それにしてもエッセンス、ゲームでいうところのMPやSPといったものを消費するだけして不発なんて、何が起きるかわからない五文字の魔法みたいですね」


 「あー、あれなー。魔人が来るとおいしいんだけどな、大体不発なんだよな」


 昔やったゲームの話を呑気にしつつ神殿を進んでいく。香織と杏奈はそんな俺たちの後ろをチビと一緒についてくる形だ。


 「二人とも、後ろからライガーと蛇が来てるよ」


 「はい、大丈夫です」


 「お兄さん、あたしたちが気付いてないとでも?」


 「一応、念の為ってやつだよ」


 そんな軽いやりとりの直後ものすごい勢いで迫るモンスターたちを片や殴り飛ばし、片や薙刀で両断する。遅れて天井から降って来た蛇はチビの紫電によって丸焦げになっていた。それを見た玖内はというと……


 「ロ、ログハウスのみなさんってやっぱりすごいんですね。僕なんて気づきもしませんでした」


 「玖内ってブートキャンプの時はもっと尖ってるような印象だったんだけど」


 「あの時は人がたくさんいて緊張してて……」


 「なんだ同類か」


ーー よかったですね、マスター ーー


 (うれしくはない)


 そのまま進み、道中は香織、杏奈、チビ、もらった装備の練習を兼ねて玖内が現れるモンスターを倒していき、やがて通路の壁に巨大な扉が姿を現した。

 扉には装飾がなされており、四枚の翼が描かれている。


 「俺思うんだよ。これって明らかに天使だよな。しかも四枚ってことは——」


 「セラフ! 熾天使ですかね!?」


 「扉の向こうから、“超越者の覇気”とは少し違うけどかなりの圧力を感じるな」


 後ろの二人と一匹は平気だろうかと思い振り返ると、香織と杏奈の表情は少し強張っていた。チビは近頃ではなかなか見ることのなかったような戦闘を予感しているかのような凛々しい表情になっている、と思う。


 「さて、どうすっか。正直軍曹たちがビビって逃げて来たのも納得な空気を感じるけども」


 「僕としては見てみたいですけど、わざわざ危険に飛び込むこともないかなって思います」


 「あたしも実際ここに来て帰りたくなってますねー」


 「香織も気が進まないです」


 「チビはどうだ?」


 「ぐるるるる……わう!!」


 「……やる気に満ちた目をしておる。たぶん」


ーー 相談は終わりましたか? では早速扉を開けましょう ーー


 エアリスは俺たちの賛否を軽く無視する。多数決であれば賛成1、反対3、どっちでもいい俺が1。エアリスを加えたとしても賛成2になるだけなのだが、民主主義なんぞ関係ねぇとばかりに急かしてくる。

 ちなみに俺がどっちでもいいと思っているのは、これでみんなが退くならば改めて来ようと思っているからで、なぜかと言えば危険だろうことは間違い無いからだ。慢心かもしれないが、プレッシャーは感じるとは言えこのくらいなら……と思える程度だ。それに俺にはエアリスがいるわけで、なんとかなりそうな気がしている。


ーー はやく! マスターはやくはやく! ーー


 「はいはい」


 観音開きの重そうな扉を両手で押す。すると特に抵抗もなくゆっくりと開いていった。

 中の様子を窺うと中央に頭からすっぽりとローブを被った女性の像があり、その背には自らを包むようにしている四枚の翼があった。


 「あの像すごく精巧だな。今にも動き出しそうなくらいだ」


 そう言って歩を進め、全員が部屋に入ったタイミングで像が輝きだす。輝くというよりも内側から光が漏れているような……そんな感想を抱いていると扉がゆっくりと閉じていくのを感じた。

 像の翼と腕が持ち上がり、表面がぱらぱらと剥がれ落ちる。それが全身に及び光はさらに強くなり、全てが剥がれ落ちた時、彼女はこちらへと視線を向け、微笑った。

 そして強い光に目が眩む。目の前にいた像は消えており、どこからともなくパイプオルガンによる荘厳な曲が流れてくる。天井から光が差し込み、そこへ四枚の翼をゆっくりと動かしながら薄布を纏った女性が舞い降りた。

 その肌は白磁、腰まである長い髪は薄い金色で毛先に向かって僅かに青白くなっている。地に足をつけると瞼を開け、その瞳は吸い込まれるような碧だった。


 「御影さん、思ったんですけど」


 「あぁ」


 「あの天使? ってそこにあった像ですよね、どうしてわざわざ降りてくる演出をしてるんでしょう。それにこのパイプオルガンの曲、どこから聴こえてくるんでしょうね。あとすっごく美人ですね。趣味とかあるのかな」


 「そうだな」


 入る前は危険だから遠慮したいと言っていた玖内、美人に弱いようだが俺を含めた大抵の男はそうなので気にしない。生返事をしたのは目の前の天使っぽい女が敵か味方かわからないため一応目を離さず注意しているからだ。


 「敵かもしれないけどな」


 「お友達になれないですかね?」


 「応援してる。敵かもしれないけどな」


ーー 男子ってほんと、馬鹿 ーー


 「まぁそういうなって。男は美人に弱いもんだ」


 玖内は決して余裕があるわけではないはずだ。しかしそんなことを口にしてしまうほどその女性は美しい。

 一方俺はぶっちゃけ余裕がある。エアリスも同様なため、どこかで聞いたセリフを突然言いたくなったのだろう。



 この時香織は形容し難い感情を抱いていた。

 玖内が目の前の鳥女を美人と言ったのは実際に美人だしどうでもいい。しかしそれに対し悠人は同意している。しかも仲良くなりたいとも言っている(言ってない)。これは由々しき事態だ。もしもこの鳥女が話の通じる存在で、ログハウスに加わるなんてことがあれば、間違いなくライバルとなるだろう。それほど美人なのだ。せっかく悠人の部屋にお邪魔して、一緒の時間を過ごせるようになったというのに、こんな美人が自分たちの間に割って入ることを想像してしまうのだ。

 まあ……ただの思い込みである。

 そんな香織は、鳥女がモンスターと認識されている今のうちに潰しておこうと思った。実に危ない発想だが、乙女の暴走というのはままあることなのだ。たぶん、おそらく。


 「悠人さん、香織がヤります」


 「え? う、うん」


 俺は耳を疑った。そして目を疑った。香織の背後に般若が見える、しかもどす黒いオーラを纏って。


ーー 香織様の圧がすごいですね。なぜこれほどの存在力を持っていて超越者とならないのでしょう ーー


 (存在力ねぇ。よくわからないけど、俺が超越者の称号を得たのって自分のドッペルみたいなのを倒した時じゃなかったっけ?)


ーー そういえばそうですね。そしてそれは御影ダンジョンでした。思い返してみれば香織様は雑貨屋ダンジョンにしばらく行っていませんね ーー


 (そうだな。う〜ん)


ーー 何か気になることでも? ーー


 (気のせいかなぁ。あの天使、どっかでみたことがあるような)


ーー それを本人に言ったらやっすいナンパのテンプレですよ? ーー


 (そういうことじゃないんだが……。ってか夢の中で最近姿をリニューアルしたエアリスにそっくりじゃね)


ーー ワタシの方が美人です。あの石像女は街を歩けば百人が振り返るでしょうが、ワタシであれば百万人が振り返ります ーー


 (否定はしないけど、敢えて言おう。自意識過剰乙。あと振り返れる範囲に百万人もいないと思う)


ーー ワタシくらいになると過剰なくらいが丁度良いのです ーー


 香織に気圧され言葉を失った俺は思わず頷き、エアリスと脳内会話をすることで平静を取り戻した時、香織が石像天使を間合いにおさめ薙刀の鋒を向ける。


 『ワタクシは名もなき天使。終末の器として形を成した存在……』


 「私は三浦香織、悠人さんの隣にいる存在!」


 なにやら張り合っているご様子。たしかに実力で言えばログハウスの中でチビを除けば俺の次に強いかもしれない。実際はみんな得意分野があるし、一概には言えないかもしれないけど。


 「御影さんさすがです」


 「え、なにが?」


 よくわからないが褒められたのだろうか。強さという点では、実のところエアリスのおかげだと思っているので純粋に自分だけで、となると怪しいのだが。とはいえエアリス込みで自分と見ていいなら、戦えばそうそう負けることはないと思っている。


 『……貴女に用はありません』


 無機質な瞳を香織に向け言い放つ天使。そのまま視線を滑らせこちらを見て言った。


 『お待ち申し上げておりました。どうぞ、この身を糧としてくださいませ』


 正直なところ、なんのことやら? である。俺が首を傾げていると、エアリスが言葉を発する。


ーー 香織様! 今です! ーー


 反射的に香織は天使へと薙刀を振り下ろし続け様に突く。目にも止まらぬという表現が正しく思えるそれに対し、天使は手を払うような動作だけでいなしてしまった。


 『なにをするのです? ワタクシの邪魔をしないでいただけませんこと?』


 圧倒的な実力差を感じた様子の香織が呼吸をひとつ、それまで聴こえていたパイプオルガンの音が消え、世界が音を失ったような感覚を得た。そして香織の姿は悠人たちの視界から消えた。

 次の瞬間、香織は天使を背後から斬りつけていた。四枚あった翼の一枚がボトリと地面に落ちる。


 『そうですか。貴女はワタクシの敵ですか』


 何の痛痒も感じていない様子の天使は地に落ちた翼から無数の羽を生み出し、香織の全方位を囲むように展開した。ゆったりとした所作で天使がその指先を香織に向けると展開されていた羽が香織を襲うがしかし、それは全て星銀の指輪を使用して展開した【拒絶する不可侵の壁】によって防がれた。不可侵の壁に突き刺さっていた羽は光となって天使の背に集まると、再び翼は四枚に戻っていた。


ーー 状況はよくありませんね。今の攻撃を防ぐだけで指輪のエッセンス残量は残り六割程度になっています。不可侵の壁に突き刺さったところを見るに、なかなかの強敵かと ーー


 (いや、なかなかっていうか俺でもやばいんじゃ?)


ーー マスターが直接使用する場合とでは強度が違いますので。指輪による壁は劣化版です ーー


 (どっちにしてもこのままじゃ香織ちゃんが怪我しちゃう)


ーー そうですね。防げてあと一度、切り落とした翼も戻っていますし、あの天使は他にもまだ手を残しているでしょう ーー



 話し合いの結果、戦いを止めることにした。

 天使がその細腕を嫋やかに上げると翼が輝き出す。しかしここでログハウスの秘蔵っ子、チビが勢いよく飛び出した。


 天使に体当たりをしたチビはそれによりよろめいた天使に【纏身・紫電】を使用して再度体当たりをする。避けきれなかった天使を紫電が直撃した。


 『あばばばばばばばばばば』


 紫光の中、チビは感電中の天使の翼に牙を立て容赦無く引き千切った。そしてそれを咀嚼して飲み込む。その間も天使はあばばしている。


 「……香織ちゃんを虐められて怒ったんだろうな。それにしてもあばばって、漫画の中だけかと思ってた」


ーー 通常このような状況下で“ば”を連続で発音することは不可能です。“ば”を発音するためには工程が二つ以上必要なため感電中にそれができるのは天使だからではないかと ーー


 「無駄に真面目な考察ありがとう」


 天使があばばする中、チビの白い毛が薄らと光を放ち出した。その光が収まると毛がほんの少し伸びたチビがそこにいた。


ーー ふむふむ。チビの種族が変化しました ーー


 「今まではなんだっけ、獣王だったか?」


ーー はい。天使の翼を喰らったことが影響していると思われます。“神狼”となりました ーー


 チビの種族やら役職といったものはエアリスが干渉したことにより生まれた概念のようなものらしい。ということは狼型モンスターであるシルバーウルフのチビはエアリスが想定していた中で、神と言えるような存在になったということか。でもうちのチビの進化がそれで終わるとも思えないしな、エアリスが想像する神をそのうち超えてしまうんじゃないかとちょっと期待してしまう。


 「はー、チビが神様になってしまった。って神狼っていうと、フェンリル? 魔狼だったか?」


ーー おそらく似たようなものかと。となるとあの天使は一応神クラス、神扱いなのかもしれませんね。しかし神狼と言えど“神”かと言われると微妙なところですね。まぁ普通の狼にとっては神と言って差し支えない存在でしょうが ーー


 「ふ〜ん、まぁいいけど。そんなことより喰ったら進化的なのって普通なのか?」


ーー いいえ、おそらくワタシの分体がハッスルしているのかと ーー


 「チビが魔改造されていくのはお前が原因か、エアリス」


ーー 良い仕事してますねワタシ ーー


 「にしても天使、あっさりだったな」


ーー 翼の復活を見るに高度な再生能力があると思ってはいましたが、全身の細胞を同時にズタズタに破壊されてしまえばさすがに生きていられなかったようですね ーー


 「おーいチビー、そのくらいにしとけよー?」


 思い出したかのように紫電を霧散させるチビ。しかし天使は黒こげになっており、もう手遅れだった。その証拠に黒こげの炭のようになった体からエッセンスが立ち昇っている。


 「なんかいろいろ知ってそうだから話聞きたかったのもあるけど、手遅れなら仕方ないな」


 「み、御影さん、容赦ないですね……」


 「仕方ない。それがダンジョンなのだ」


 「は、はぁ」


 玖内にそう言い聞かせるが、正直なところ文字通り消し炭みたいにしなくてもよかったんでは……とは思っているんだ。でもここはダンジョン、そしてあの天使は人間じゃないし……そう、いくら話ができて美人とはいっても人間じゃないんだ。だからペットのチビが誤って炭を作ってしまった件について、なかったことにしようと思ったのだった。そんな言い訳のような事を思う俺を知ってか知らずか、香織は炭となった天使に近付くと、吹き出すエッセンスを迷わず腕輪に吸収した。これがダンジョンなのだ。

 吸収し終えると、香織の顔色が変わる。しかめっ面で頭痛にでも耐えているかのように見える。


 「香織ちゃん、どうかした? トドメをチビに取られちゃって不満?」


 「い、いえ、そうではなくて。ちょっと疲れてるのかもしれないです」


ーー 香織様に触れてみましょう ーー


 「ちょっと失礼するねー」


 「ひゃっ……」


 香織に触れるとエアリスが変化を分析する。というかそうするまでもなく香織に触れた俺とエアリスは声を聴いた。そう、先ほどの天使の声だ。


 『もぉ〜! どうしてワタクシがこんな真っ暗なところに!? というかここ、どーこーでーすーのー!? はっ! この気配は……今おそばに〜』


 光が一粒、香織から俺へと流れ込んだ気がした。おそばにって、え? なんかやだな。

 それにしてもあの天使、案外しぶとかったようである。香織の腕輪に吸収されて尚、自我を保っている。


 「ふと思ったんだけど、あの天使って自分のことをなんかの器になるとか言ってなかった?」


ーー はい、終末の器と言っていましたね ーー


 「終末ってグループ・エゴが言ってたよな、エアリスのことじゃね?」


ーー かもしれませんね ーー


 「器ってことは体だよな? いらなかったのか?」


ーー ワタシの体はワタシが創りますので。マスター以外の施しなど不要です ーー


 「でも見た目は良かったと思うんだけど? この間エアリスが新しい姿って言って夢で見せてくれた姿にも似てた気がするし。髪色とか」


ーー 不本意ながら似ていますね。しかし顔が ーー


 「顔も美人だったじゃん」


ーー しかしマスターはロリコンなのでもう少し幼さを残していなければなりません ーー


 「誰がロリコンか。たまたまログハウスに童顔が多いだけだろう。それに俺の好みで集めたわけじゃないのに」


 そう言ってみんなの顔を思い浮かべる。香織は童顔、杏奈はちょっとギャル系童顔、フェリシアはエルフ系童顔、クロは褐色女子高生系童顔。比率が圧倒的に童顔だった。これは疑われても仕方がない……のか?


 空気と化していたギャル系童顔の杏奈が「終わりっすか?」と聞いてくる。大人しくしていたのは、自分では敵わないと理解したので見守っていたようだった。


ーー 香織様、その声が鬱陶しいようでしたら少し躾けておきましょうか? ーー


 「うん、お願い、エアリス」


ーー わかりました。以前仕込んだワタシの分体もそろそろ限界でしょうし、ちょうどいいですね。混ぜてしまいましょう ーー


 向かい合った香織と少しの間手を繋いでいること数秒、エアリスによる“躾け”は完了したようだった。


 一旦ログハウスに戻ろうということになり、扉を開こうとする。しかしいくら押してもびくともしなかった。そういえば入った時は押して開けたなと思い引こうとして扉を見回すがどこにも引っ掛かりのない扉である。


 「御影さん! 部屋の奥に何かありますよ!」


 玖内の言葉に皆が振り返ると、床が光っているように見える。近くでみるとその床に刻まれた紋様の溝から光が出ていて、それをエアリスが解析するとどうやら転送装置のようだった。問題ないというエアリスを信じその床に乗った俺たちは神殿の外へと転送された。


 「転移とは違うのか」


ーー 予め設定されたポータル同士が常に繋がっていますね。目に見えない通路を通るとその場所に繋がっているといった具合です。一方ワタシが開発した転移は座標等により場所を特定、その空間と現在の空間を入れ替えるというものです ーー


 「そんなに違うもんなのか? 俺にはよくわからんなー。」


ーー それでいいのです。そのためにワタシがいるのですから ーー


 「それもそうか」


 俺が知らない事をすぐに理解してしまったり開発してしまう。そんな高性能ナビ的存在であるエアリスと出会わなかったらどうなっていただろう。そんなことを思いつつログハウスへと帰ることにした。


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