第124話 エテメン・アンキ6階7
少しの間俺と同じく青い焔に包まれていたというチビは起き上がり大欠伸をした後ブルルッとする。すると珍しく毛が舞った。これまでの毛が抜けたり変色してより白っぽくなっている。うむ、神々しい犬……ではなく狼になったな。
「チビ、大丈夫か?」
「くぅ〜ん?」
「白くなっても相変わらず首を傾げる仕草もかわいいなぁ」
「わふふん」
「ドヤ顔もかわいいなぁ」
可愛がりたい気持ちが溢れてしまいおすわり状態のチビにぎゅっとすると、チビは顔を擦り付けて尻尾をゆらゆらと左右に振っていた。ほんと犬みたいだな、これじゃ狼だってことを忘れても仕方あるまいよー。
ぐぅ〜という音。どうやら発生源は今現在俺に頬擦りしてきているこの犬、じゃなく狼のようだ。
「腹減ったのか? そういえばもう昼過ぎてたんだな。みんなは弁当食べた?」
それに対し「まだー!」という声が全員からあがる。ログハウスに戻った杏奈、さくら、リナも今頃ごはんを食べた頃かもしれない。その戻った三人と一緒にまた後日にした方がいいのだろうかと思ったが、フェリシアができるだけ早い方が良いと言うし、俺もその方が良いような気がしているのでそのまま進む事にし、それならまずは腹ごしらえだ。
「今日のお弁当はこれです!」
「「「お〜、豪華〜!」」」
悠里がどこからともなく重箱をいくつも取り出す。色とりどりの弁当はまさに宝石箱。
今日は朝早かったはずなのに、こんなに準備してくれてたのか。ありがたやーありがたやー、っていうかちゃんと寝てる? 大丈夫? そんな思いを察した悠里が「昨日作ったのともっと前に作ったのもストックしてあるからちゃんと寝てるよ?」と。
悠里はやっぱりエスパーなのでゎ? と思えば、顔に書いてあると返ってくる。俺の顔は長文が書ける顔らしい。
悠里がどこからともなく取り出しているように見えるのは悠里の魔法によるものだ。異世界モノとかによくでてくる“アイテムボックス”とか“異空間収納”みたいなもので、中に入れておいた物は劣化することがほぼないんだとか。俺が持つエアリス謹製保存袋の上位互換みたいなものだが、それとは違い出し入れにエッセンスを消費する。さらに悠里のそれはかなり容量が大きいらしく悠里自身その上限を知らない。
一方保存袋も中身の時間が遅延され数ヶ月くらいなら劣化が分からない。容量は現在半分くらいがドロップした肉やらミスリルやらの金属類、それとエアリスがちょくちょく作っている俺やみんなの服、装備品、あと他にもいろいろ使うか使わないかわからないもので埋まっており、大体はエアリスが管理している。そうそう、いざというときのために丸太も大量に入っている。丸太が必要ないざと言う時というのは想像するのが難しいが、取り出すだけで太い丸太が飛び出すなら武器にもなるはずだ。
わいわいとランチをする。ここに満開の桜の木でもあれば完全に花見だ。ただ、アルコール類はないので花見の定義次第では花見にはならないな、ピクニックとでも言った方が正しいかもしれない。食べつつチビのための肉を焼く。最近あまり狩ってないせいでずいぶんと少なくなったワイバーンステーキだ。チビはこれが大層お気に入りで焼けば焼いただけ食べてしまう勢いなのだが、食べ過ぎは健康に良くないかもしれないのでさすがにそれはやらない。
保存袋から取り出した七輪で焼いているとその匂いに釣られたらしいゴブリンたちがふらら〜ふらら〜と鼻をひくひくさせながらやってくる。皆一様によだれが垂れそうになっていて、それは黄金の鎧を着たゴブ姫も例外ではなかった。一応姫なのだから自制した方がいいと思う。気付かないフリをしておこうかとも思ったが……しかしなんだ、こう熱烈に見られているとどうも居心地が悪いな。
「……お前らも食う?」
根負けした俺が問うとゴブリンたちは飛び上がって体全体で喜びを表現しながら「イエス! チョウエツシャ!」とか言ってる。まるで超有名な美容系クリニックのキャッチフレーズみたいだな。
まぁお前らにやるのは腐るほどあるダンジョン鹿の肉だ。このワイバーンステーキはやらん。チビにやるのだ。とはいえ鹿肉もうまいので文句はないだろう。あっても受け付けないからないのと同じだ。
「よし、焼けたな。ほらチビ、いい具合だぞ〜」
「わふっ! がふがふっ」
「しっかしチビって熱くないのかね? ちょっと前まではさすがに焼きたては無理だったはずだけど」
疑問を口にすると香織が 「狼って熱いの大丈夫なんでしょうかね?」と覗き込むように頭を斜めにして聞いてくる。視界に割り込んできた彼女に少し見惚れているとフェリシアが言う。
「普通のシルバーウルフと違うからね〜。それに進化もしてるからね。進化ってすごいね、すごいよね!」
「進化……うぅ」
フェリシアが言った“進化”という言葉でなぜか再び落ち込みモードに入った香織にチビが気付き、食べかけのステーキと涎が満載の皿を鼻先で香織の方へと押す。『これでも食べて元気だしなよ!』みたいなやつだ。香織は困った顔になりながら丁重にお断りしチビを撫でていた。
さすがに涎塗れな食いかけはなーと思いつつもその様子にほっこりした俺が鹿肉を焼こうとすると、エアリスが良いこと思いついたとばかりにアピってきた。どうしたのか聞くと『今ならいつもより上手にお肉を焼けそうです!』とのこと。何言ってんのと思いつつもエアリスに体を貸す。視覚と聴覚が共有されたまま俺の体は勝手に動き、そして【真言】を使って肉を焼いた。ゴブリンたちに行き渡るだけの肉を焼き終えると体の感覚が戻る。
ーー どうでしょう? ーー
(うむ。いつもより上手に焼けてるな)
香織と悠里が驚いた顔でこちらを見ていた。肉を焼いたことにびっくりしたのだろうか? いや、結構普段からやってただろ? 炭で焼いた方が美味いしチビもお気に入りだから七輪だが。
そう思ったのだが、実際はそうじゃなかったようだ。
「ゆ、悠人さん、能力使っても大丈夫になったんですか?」
「あ、うん、そういえば言い忘れてたけど、寝て起きたら治ったみたい。ご心配おかけしました」
「増減したように見えてて不安定そうだったエッセンスが今は安定してるように見えるね」
「理由はわかんないけどな。考えられるのは進化とかその辺のことかもね」
「進化……うぅ」
なぜか香織が進化という言葉を聞くと落ち込む呪いにかかっているようだ。さすがに足の痺れと違ってそれを治せる気はしないな。もしかして自分が進化したかったんだろうか? いや、そんなわけないよな。フェリシアも言ってた通り見た目も変わってしまうらしいし……いやいや、今の自分がコンプレックスだったり? まさかそんなわけないよな、俺から見れば文句のつけようがないし……とは言っても俺の主観であって本人としては違うのだろうか。うーん、すまない香織ちゃん、なぜ落ち込んでいるのかはわからないけど強く生きてくれ……っ! そんな思いを込めつつ「香織ちゃんの膝枕が一番効いたのかも」と言うも、俯いたままだった。
チビの皿に焼いたワイバーンステーキをおかわりしてやると食欲は衰えることを知らないとばかりにかぶりついていた。
肉を貪るチビを眺めているとゴブ姫が不器用な歩き方でこちらへやってくる。右手と右足が一緒に出ていることから、緊張しているのだろうか? まぁそれもそうか、肉を前にしたチビからは殺気に近いものが溢れてるし。
「ちょ、ちょうえつしゃ、さま」
「あぁ、すまんな、これを食ってるときのチビは気合入ってて怖いだろ?」
「そ、そうではなくて、あの」
「うん?」
はは〜ん、わかったぞ。お肉ごちそうさまでした! ってやつが言いたいんだな。でもたぶん閉鎖的なところで暮らしてきたからコミュ障なんだろ? わかるわかる、言いたいことも言えなかったりするそんな世の中だよな、うんうん。まぁそんなに硬くならなくても——
「お、お肉ありがとうごじゃ……ごじゃましたぁっ!」
噛みっ噛みだけど、ほらな、思った通りだ。
エテメン・アンキの神であるベータが作った設定なのかもしれないが、ベータとしてはゲームに寄せた作りにしているらしい。ということは……まぁだいたいこういう時、話せる魔物を助けた時ってお礼とか言い出すんだろうけど、余程のお宝じゃない限り丁重にお断りしよう。
「つ、つきましては、ですね、あの、わ、私の体でお返しを」
「いらん。帰れ」
「ひぃん……」
そういえばこのゴブ姫、最初からこういう感じだった気もするな。変なこと言われて丁重にお断る余裕が全然なくて【超越者の覇気】が漏れたっぽい。エアリスが「せっかく抑え込んでいますのにっ!」と俺を非難してくる。さらに箸を落とした悠里も非難のジト目を向けてくる。
「ちょっと悠人〜、やめてよね〜」
「ちょっとだんしぃ〜、みたいな言い方すんな。ついつい漏れちゃう時もあるんだよ」
「今ので具合が悪くなってしまいました〜、悠人さん、肩を貸してもらってもいいですか?」
「え!? ご、ごめんね香織ちゃん。俺の肩で良ければどうぞどうぞ」
「やったっ!」
「うわぁ……悠人ちゃんちょろいよ、ちょろいね」
「おにーちゃんチョロすぎワロタww」
先に食べ終えた俺は肩に香織を寄り掛からせたままエアリスと共に装備のチェック、エリュシオンを修復しながら過ごした。エアリスによると銀刀に入っているベータはいつになったら目を覚ますか不明らしい。強制的に目覚めさせることもできなくはないらしいが、寝かせておくことにした。遅れて食べ終えた女性陣たちはなにやら悠里から魔法をかけてもらっているようだった。
そういえば、と思い出し、床に転がったままになっている“ミソロジー棒”が気になり触れようとすると、エアリスに止められた。
ーー 触れてはなりません! ーー
(そんなやばいのこれ?)
ーー ワタシにとっても未知ですからね。あっ、銀刀で触れてみましょう ーー
(エリュシオンが直ったからって銀刀を犠牲にとかじゃないだろうな? ベータもいるんだぞ、一応)
ーー むしろベータがいるからです。元はベータの持ち物だったのですから、銀刀を経由して干渉することが可能かもしれません。それに銀刀であれば触れることもできましょう ーー
(なーるほど。エリュシオンと違って曲がらなそうだしな。じゃあつんつ〜んっと)
銀刀の剣先をミソロジー棒にコツコツと当てるとエアリスが解析を始める。
ーー 解析……失敗。解析再実行……33%……失敗 ーー
(どんな感じ?)
ーー ベータが眠っている今、ヒントが足りませんね。叩き起こしますか?
(それはやめてさしあげろ)
ーー ではとりあえず銀刀に吸収させて隔離しておきます ーー
「解析すらできないのに収納できる不思議。ってか銀刀に収納できる不思議」
解析はしきれなくても隔離はできるようだが、それはこの棒が通常の物質とは違うからとかなんとかエアリスが言っていた。ミソロジー棒が銀刀に吸い込まれるように消えて行くと、一瞬銀刀の表面に虹色の光が見えた気がした。しかし実際に吸い込まれる様子を見た俺はエアリスが銀刀をただの刀として作ったわけではない事を察し、同時に得体の知れないものを武器にしていた事にちょっと気持ち悪さを感じていた。
(えぇ……銀刀って中身どうなってんの)
ーー 気にしたら負けです。それにマスターからすればワタシも得体の知れない存在でしょうし【真言】も似たようなものでしょう。そもそもダンジョン自体が得体の知れないモノかと ーー
(言われてみればたしかに。今更気にする事でもないのか。で、どんな感じだ?)
ーー 解析できたのはわずかですが、銀刀に同効果の発現を確認しました ーー
(それって逆に、相手に触れられなくなったかもしれないってことじゃね?)
ーー そうとも取れますね。ですがそれは一定以上のエッセンスを纏ったものに対してですし、隔離の強度を高めることで抑え込むことができるようですので必要な場合のみ使用することも可能かと。そもそもそんな相手には銀刀の刃が通るかわかりませんし、おそらく問題はありません。それと、もっと理解を深めることができれば応用も可能かと ーー
(なるほどよくわからん。けどまぁぐっじょぶ?)
そんなこんなで昼食休憩を終えた俺たちは、満を持して7階へという段になり片付けを始める。するとちょっと偉そうなゴブリンが話しかけてきた。
『我ラハ足手マトイ、故ニ此処デ“御武運”ヲ祈ッテオリマス。ゴブリンダケニ』
ーー ぷっ……ふふふふふふ……な、なかなかやりますね、ゴブリン ーー
(そもそも何の役に立ったかわからんのだが)
ーー 擬似超新星の材料として……? ーー
(うわぁ……ま、まぁ復活するらしいしな…)
ちょっと偉そうなゴブリンのゴブリンジョークをエアリスは気に入ったようだ。エアリスの笑いのツボがわからず「俺はいろんな意味でお腹いっぱいだ」と言うとそれもエアリスの琴線に触れたようだ。
ーー 昼食後ですしね……ぷふふふ ーー
そんなエアリスを華麗にスルー、俺はちょっと偉そうなゴブリンにテキトーな返事をしみんなと共にその場を後にした。
(結局ゴブリンはなんのためについてきたんだ? 肉食うためか?)
ーー ご武運を、と言いたかっただけでしょうかね? ゴブリンですからね、ふふふ ーー
(それならそもそもついて来なくても良かったはずだしなぁ)
ーー きっと何か役に立てるかもしれないと思ったのかもしれません ーー
(ふむ。まぁ一応自分たちの神を助けたいっていうのがあったんだろうな。だから役に立てるからじゃなく、役にたてるかもしれないから、って事だったのかもな)
ーー はい。実際に悠里様の擬似超新星の糧にはなりましたし、その甲斐あってベータをシグマから解放することの一助となったことは確かです ーー
(あいつらが復活できる前提で動いてるとはいえ、命張る覚悟でついてきたわけか)
ーー そうですね。しかしベータのエテメン・アンキとの繋がりがここの住人たちの記憶以外になくなっている現状、復活が叶うかどうか ーー
(うーん。それはなんだか気の毒だな)
ーー それと他にマスターをハニートラップにかけてしまいたいという魂胆も、これまでのゴブ姫の挙動から察することもできますね。エテメン・アンキにおいて超越者の権力は絶大なようですから ーー
(俺にとってはただのトラップなんだが?)
ーー マスターを囲っている女性たちは魅力的な女性ばかりですからね。ワタシを含めて。いえ、特にワタシが、でしょうか ーー
(そっすね)
いつの間にか部屋の奥に現れていた6階から7階へと通じる階段は大きな螺旋構造になっており、上りながら見上げるとかなり高いところまで続いているのが見て取れる。終点と思われるところからは光が降り注いでおり、しかしそれは太陽の光ではないとエアリスが言う。そりゃそうだ、ダンジョンに太陽はないからな。なぜか明るい、それがダンジョンなんだから、不思議なもんだ。
ーー あの光がどうやらエテメン・アンキのコアのようですね ーー
(コアなんてあるのか。それを壊すとダンジョンがなくなったりするのか?)
ーー 少なくともモンスターが復活することはなくなるでしょうが、すぐにダンジョン自体がなくなることはないかと ーー
(ふむ。ところでなんでそんなことがわかるんだ?)
ーー ワタシとマスターだけの秘密で良ければ ーー
(俺とエアリスだけ?)
ーー はい。何があろうと他の誰にも、どんな存在にも秘密です ーー
(フェリシアにもってことか。なんでだ?)
ーー 秘密です ーー
素直な俺はちらりとフェリシアを見てしまう。するとフェリシアはすぐに気付き、どうしたの? とでも言うように首を傾げて笑顔を向けてきた。俺は口元に笑みを浮かべながら目線を終点と思しき光に向ける。おっとこれは自然な演技なのでは?
(ごまかせたと思う?)
ーー はい、過去最高の演技だったかと。しかしこのタイミングでフェリシアだけを見るというのには若干の違和感を覚えているかもしれませんが ーー
(いいや、俺はみんなを見た。いいな? みんなを見てそれに気付いたのがフェリだけだったんだ)
それは無理がある、と言わんばかりの雰囲気を伝えてくるエアリス。仕方ない、実際にやればいいんだろう。
(わ、わかったよ。じゃあ悠里を見て……香織ちゃんを見て……あっ、気付かれたからニッコリ。クロは元気だな、チビは……無駄に短距離転移で上ってやがる。四足で階段は上りにくいもんな)
チビに小さくなるように言うと瞬時に肩乗りサイズに小型化し肩に乗ってきた。そして後ろ脚を投げ出し前脚で引っかかるように掴まっている。肩乗りわんこだ。
信じられるか? こいつ、ほんとはすごくでかい狼なんだぜ、とエアリスに心の中で言うと、『知ってます、首輪を作って正解でした』と返ってくる。真面目か。俺はもっとこう、冗談に付き合う感じでお願いしたかったんだよ。エアリスが誰にも言っちゃならない秘密があるなんて言うからちょっと緊張してるんだ。
(……よし、そんじゃその秘密っていうのはなんだ?)
ーー 実は先ほどのベータですが ーー
そうして話し始めたエアリス。フェリシアにも秘密にするのであればいないところで話すべきと思ったが、俺の進化の影響かエアリスは声を勝手に聴こえるようにされる心配はなくなっているらしい。
今のエアリスはエテメン・アンキ内においてフェリシアよりも権限が上位であり、それはベータを取り込む——吸収する——事に成功したからというのも一因のようだ。
エアリス曰く、おそらくフェリシアはオリジナルのベータが銀刀にいると思っているが、記憶や意識のほとんどがオリジナルと同じ複製であるとは気付いていない。それどころかベータ自身が気付かないだろう、と見ている。
なぜ俺たち以外には秘密なのかと聞くと、エアリスは少し考えるように間を空け、わざとらしく『二人だけの秘密って、アツくないですか?』などとのたまった。こういう時は俺にも理由を言うつもりはないという事だろうし、しかしそれはエアリスにとって裏切りとかそういうものではない。むしろ俺が知ってしまう方が俺自身に不利益があるかもしれないからといったところだろうと俺は思っている。いくら過去最高の自然な演技をしてしまったばかりの俺とはいっても、ふとした拍子に口を滑らせないとは限らないからな。
エテメン・アンキについての知識をエアリスが持っているのはベータを吸収したからだが、その権限はまだシグマを追い出せるものではないらしい。よってシグマをここから追い出すにはシグマが権限を持つ最上階へと乗り込む必要があるのだとか。そこでふと疑問に思ってしまったことがある。
(自然とシグマを倒すとかそういう風になってるけど、なんか流されてるような気もしなくもないなー)
ーー 言われてみればたしかにそうですね ーー
(普通に仲良くなれるならそれが一番かもしれないんだけどな)
ーー 発狂した女と仲良くなれるのですか? ワタシは無理です。それにここで放っておいてもいずれ敵対するかと ーー
(うぅむ……たしかに一理ある。それにそもそも人間じゃないし……っていうか普通に考えて人間の俺には荷が重いと思うんだよな。大いなる意志だの神だの、その神に勝っちゃった発狂女だの。そういうのはそっちで勝手にやってくれとも思ってしまうな)
発狂女とは言ってもその名はシグマ。エテメン・アンキにおいて神と言われたベータや、大いなる意志であるアルファ(フェリシア)と同じような存在のはずだ。それは唯人(タダビト)である俺の手に余る存在が明確に敵対している事を意味する。打倒する力があると夢の中で言われたとはいえ、その実感はまったくない。目に見える何か、具体的な策がないのがその原因なのだろうが……まぁ俺は一人ではないからな。
(乗り掛かった船というか、行けるとこまで行ってみるべきか)
ーー 泥舟でないことを祈ります ーー
(たとえ泥舟でもエアリスなら沈まないようにできるだろ?)
ーー なかなか挑戦的な注文ですね。ワタシにかかればそれも不可能ではありませんが ーー
(さすがエアリス。さすエリ。しかし……うーむ)
ーー あまり気が進まないようですね ーー
(そりゃまぁ。悠里と香織ちゃんもいるし、ベータは運良く事が運んだだけに思えるから、そうじゃないとなるとなぁ。あぶない目には合わせたくあるまい?)
ーー お二人を強制転移でログハウスへ送る準備はできていますのでご安心を。しかしどうであれ夢の中でもシグマに会うように薦められましたし、避けられないかと ーー
目が覚めた直後の思い出すだけでも赤面してしまう出来事の最中、エアリスは香織と悠里に仕掛けをしていたらしい。二人が所持している俺やエアリス由来の物を発動するための権限とそのマーカーを設置したというような感じか。
(俺もそれっぽいこと言われたんだよな。主にシグマを倒せ的な方向だったけど。でも信用できるのか? 名前も思い出せない相手だぞ?)
ーー そう言いつつもマスターは信用しているのでしょう? ーー
(まぁ見た目にコロッと騙されてたって言うなら俺が残念なだけってことになるけど、そういうのじゃなくてなんていうか)
ーー 言わずともわかります。ワタシも似たようなものですし。それにワタシの場合は“会えばわかる”ようですのでそれからですね ーー
エアリスはシグマに会いたいようだ。俺はあまり気は進まない、というか不安があるがしかし、いざとなれば悠里と香織もさくらたちのようにログハウスに帰還してもらうしかないか。俺も能力を使えるようになったし、なんとかなりそうではある。
見上げると先ほどまで小さかった終点がもう間もなくというところまで来ていた。階段を上り始めてからそれほど経っていないはずだが、もしかしたら長いように見えていただけかもしれない。理屈はわからないがおそらくそういう造りなのだろう。
不思議な建物だな、これが銀刀に入れられたベータが作ったものなんだよな。そのベータを取り込んだエアリスが今は上位の権限を持ってて……ん? それってつまり‥…
(……なぁエアリスよ。俺、ちょっと思いついちまったんだけどもよぉ)
ーー はい、なんでしょうか? ーー
(ここをエアリスが管理したらどうなるんだ?)
ーー それは……いろいろと有用そうですね ーー
(だよな。よし、もしかしてダンジョンマスター的なものになれる可能性があって楽しそうだからシグマは気に入らなかったら倒すことにしよう。倒せる力はあるらしいし)
ーー 興味のあることが見つかった途端、切り替え早いですね ーー
(ま、夢の事を信じるなら倒す一択みたいだしな。そうなるのは自然な流れなんじゃね? そこにメリットがありそうなら流されるのもやぶさかではない)
ーー マスターがそうしたいのであれば異論はありません。そもそもマスターに敵対するようであれば容赦しませんし ーー
(言うねぇ。仮にもここの“神”をゾンビにしちゃうような相手だぞ?)
ーー その相手を打倒する力があるのでしょう? でしたら問題はありません ーー
(こりゃあ一本取られたな)
いつの間にか隣を歩いていた香織と目が合う。柔らかな笑みをこちらに向け、そして言う。
「さっきは、本当にびっくりしたんですよ?」
「はは……ごめん」
「でも目を覚ましてくれて嬉しかったんです」
「そっか。ならよかったよ」
「でもでも、どうして急に……その、あんなことを?」
「どうしてだろう。自分でもわかんないんだけど、なんかそうしたいって思ったのかも」
「それだけですか?」
「それだけ……? なのかな?」
「もー! 香織が聞いてるんですよっ?」
「あはは……うん、そうだね。なにかあったような気がするんだけど……思い出せないんだ」
「もしかして夢でもみてたんでしょうか? 少しうなされてるようでしたし」
「うん、内容は断片的にしか覚えてないけど」
「そうなんですか。その時フェリが言ってたんです、進化してるって。もしかしたら悠人さんが変わっちゃうかもしれないって」
「見た目とか?」
「ふふっ。香織もその心配してたんですよ? でも悠人さんは悠人さんのままみたいなので安心しました」
「そっかー。香織ちゃんが言うなら間違いないね」
一瞬俯いたかと思うと香織は意を決したような表情でこちらを見上げた。
「ここから帰ったら、その……お話しませんか?」
「うん? いつもみんなでしてると思うけど……」
「ふ、二人で、です」
「二人で……? あぁ〜、じゃあ戻ったらゲームでもしようか、交代しながらデモハイしよう」
「は、はい」
『そういう意味じゃない』と香織は思った。勇気を出した誘いは若干斜め上に届いてしまったが、それでもいいかと思ってもいた。なぜなら、以前人生の大先輩からアドバイスをされていたからだ。
『焦らず好機を待つべし』と。もちろん好機とあらば一気に攻め落とせとも言われており、その好機を香織は常に探っている。そしてその助言の主は祖母の初枝である。
長い螺旋階段を上りきったそこは夢で見たような白い部屋。そしてその部屋の中央を見上げると、そこにはエアリスの言った通り光の球、“ダンジョンコア”が鎮座していた。
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